Chem-Station-WhatsNew!-BBS-GuestBook-Chat-オークション-サイトマップ


特集ノーベル化学賞

野依教授について

 
 

2004年度

--トピックス

 

2003年度

--トピックス

 

 

2002年度

 

--トピックス

--関連リンク

--関連トピックス

 MSの基礎知識

 

2001年度

 

--トピックス

--野依教授について

--関連リンク

--著書

--関連トピックス

   不斉合成

   ラセミ体

   香りの化学1

 

2000年度

 

--トピックス

 


 

化学関連賞受賞者一覧

 

 

氏名 野依良治(NOYORI RYOJI)

生年月日 1938年 09月
所属・職名 理学研究科物質理学専攻・教授、所長(センター長)
学歴 1961 京都大学工学部工業化学卒業

1963 同大工業化学修士課程修了

1968 名古屋大理学部助教授、ハーバード大留学

1972 同大学理学部教授

1996 同大大学院理学研究科教授

取得学位 工学博士
専門分野 有機化学、物質変換、生物有機化学
研究課題 分子触媒化学、不斉合成、プロスタグランジン科学
所属学会

日本化学会、有機合成化学協会(会長)・1997-1999、日本薬学会、アメリカ化学会、英国王立化学会、米国科学振興協会(AAAS)、近畿化学協会、東海化学工業会

受賞学術賞 1972 日本化学会進歩賞

1978 松永賞

1982 中日文化賞

1985 日本化学会賞

1988 台北プロスタグランジン会議および中国中央研究院賞、内藤記念科学振興賞、 センテナリーメダル

1989 フルカ賞

1990 東レ科学技術賞、メルク・シューハルト・チェア、カークウッド賞

1992 朝日賞

 

1993 テトラヘドロン賞

1994 マックス・ティシュラー賞、生命科学啓明賞

1995 日本学士院賞

1996 A. C. コープ学術賞、ボン化学賞

1997 キラリティーメダル、G. ケナー賞、A.C.コープ賞

1998 文化功労者顕彰

1999 キング・ファイサル国際賞、C.S.ハミルトン賞

2000 ロジャー・アダムス賞

 

 1938年兵庫県芦屋市生まれ。進学校として知られる私立灘中・高校を経て京都大学工学部工業化学科に入学。学部学生時代は、普通の学生と同じで麻雀、遊び好きの学生だったという。しかし、実験を始めると、とたんに面白くなった。大学院進学は「入院したつもり」でがんばったという。助手時代は週2日の徹夜は当たり前で、学生からは「鬼軍曹」と呼ばれたそうだ。

 

 1968年フグ毒の解明で著名な平田義正教授に呼ばれ、名古屋大学理学部助教授に就任。平田先生には「私が天然物を担当する。それ以外を野依さんがやってくれ。」といわれたという。平田先生の弟子には、アサガオの青い色を突き止めた後藤俊夫先生(名大教授)、中西香爾先生(コロンビア大学教授)、パリトキシンの岸義人(ハーバード大教授)がいて、自分一人だけが無名というプレッシャーのなか、一生懸命がんばった。

 

 名大に着任したと同時に14ヶ月間、アメリカハーバード大学のE.Jコーリー教授(1990年ノーベル化学賞受賞者)の元へ留学した。このときに今回の同じノーベル賞受賞者であるシャープレス博士と知り合った。彼が日本に来るときは大相撲を一緒に観戦し、ちゃんこ鍋をつつく仲だと言う。

 

 1972年、33歳で教授に昇格した。不斉合成で必要な触媒の開発に本腰を入れた。世界でも10以上の研究室が同じ物質に興味をもち、それを合成しようと試みたが、失敗の連続で4年かかってようやく60%ee(ee:エナンチオマー[鏡像体]過剰率。100%eeが片方だけを選択的に作り上げたということ)、さらに2年かかって100%eeまで磨き上げた。

 

 その後、その触媒を用い、1983年高砂香料と共同でL-メントールの中間体合成(世界の需要の3分の1をまかなう生産)、生理活性物質プロスタグランジンの合成で、コーリー先生でも20工程かかる過程をわずか3工程で合成等々の仕事を成し遂げ、現在は世界に3人いる不斉合成性のパイオニアの1人であり、発表論文数は約400、世界で引用された回数は1万6千件(日本の化学分野で最多。)、特許も145件以上取得し大学教官のなかで10指にはいるほどになった。

 

 その間、京大、東大、カルフォルニア大、MITなどから迎え入れたいという話は何度か会ったのだが、名大に愛着があり離れられなかったという。私も去年、講演会を聞いたのだが非常に熱く、そして自分の学問に自信を持っていている人だ。そして、今回「有機化学は麻雀より面白い」という名言を残しているとおり、本当にすきなのであろう。

 

 

研究者プロフィール

・日本経済新聞2001.4.25

・日本経済新聞2001.4.23