Tshozoです。 今回はおなじみ、東京大学大学院 西林研究室からの研究成果紹介になります。
“Unveiling full mechanistic picture of Mo catalysed nitrogen fixation driven by SmI2–H2O system”, 17, Article number: 9927 (2026) , Taiji Nakamura, Kazuya Arashiba, Asuka Konomi, Hiromasa Tanaka, Yoshiaki Nishibayashi & Kazunari Yoshizawa. (Open Access) 論文リンク
本論文要旨は「世界で初めて常温常圧で自然界のニトロゲナーゼ同等性能を達成したピンサー型Mo有機金属触媒における、窒素固定触媒反応詳細メカニズムを明らかにした 特にどこが律速であるかを明示した」というもの。常温常圧触媒的アンモニア合成は同研究室のライフワークで、長年かけて大きく発展させたことは以前書いたこの記事で述べたとおりですがこれまでの検討に対し何がどう明らかになったのか。研究背景などはこちらの記事(2019年論文)で詳細に記載しましたので今回はいきなり論文にダイブする流れでやってみます。
化学反応の”ここ”を律速と言い切るには何を以ってして行われるか
2019年論文含め従来研究では「どこがこの触媒反応の律速≒ボトルネックなのか」は推定に留まっていました。もちろんSm水和物からのPCET反応が重要であり、ハロゲンの種類や配位位置が重要であり、分析技術を駆使してSm水和物構造を解明したり、、、と進んでいたのですが、律速部分はなお不明な状態でした。この明確化が次にどうすべきかの重要マイルストーンと言えるわけで、本論文はそれに挑み、一体何が反応のボトルネックかをつかむ事に集中した内容となっております。難解な量子化学に基づいた反応機構計算がなされており非常に高レベルな内容ですが折角の機会ですので書いていってみるとします。
今更な話ですが「律速がここ」と言い切るには往々にして2段階あり、
①第一段階:蓋然性の極めて高い反応経路(全体)を明示すること
②第二段階:①の経路につきモデル計算で最もエネルギー的にしんどいところを見つけること
から成ります。前者は現物、後者は理屈、どっちも大事で、それぞれどうやってやるのか。まず①から。
一般に反応推定は簡単(嘘)ですが、明示となるとこれは厄介。要は現物がいる。それも一番怪しい反応ステップの重要中間体が取れれば一番よい。ただ中間体というのはだいたい不安定で捕まえるのが難しい。そのうえ数が多く、たとえば黎明期のN2開裂(下図)だと反応ルートが不安定であるため恐ろしい数の選択肢があり何をターゲットに絞ればいいんかとなっていました。全体見通して中間体(intermediates)でも14個くらいになってるとか地獄ですね。

2006年時点でのRichard Schrock教授によるOttawa大学での講演資料より
これに対し西林研究室による2019年論文以降の検討は発展期を経て今や100,000TONに迫るレベルになっており、反応経路の選択肢(中間体不確実性)が大きく狭まっているのが黎明期からの根底レベルでの進歩。今回はそこから果たして触媒サイクルの詳細を明らかにすることが狙いなわけで。具体的には下図がもっとも確からしいものとして議論が開始されました。

当該論文中より筆者が編集して引用
ただ、この経路が正しいと言い切るには”これぞ”という中間体が要る。それが上図 矢印部分の分子たちなのですが、実は本論文ではどれも不安定性が高く単離困難(We first attempted the synthesis of an Mo–imide complex reacting the Mo‒nitride complex 1 with proton sources… however, unfortunately, the corresponding Mo–imide complex could not be isolated because of its instability)、つまり下手人が捉えられない現実がありました。階段を転がり落ちるボールの回転なら高速度カメラで捉えられますが、さすがに反応中に”転がっている分子を撮影”出来るレベルには科学は進化してませんので、、、
となると客観性を棄損せずに共犯を引っ立てることになる。そこで戦術としては
(1)メチル化剤であるMeOTfを用い、疑似的に上図の矢印部分のどこかを単離出来るか
(2)各中間体からステップ的に反応が進みうるか
(3)特に中間体を出発にした場合反応雰囲気をN2とアルゴンを入れ替えることでサイクルが回るか
を示すという三本槍を組み上げ、客観性を担保する形で検証を行いました。

当該論文中より編集して引用
数学で言うと”合同ではないが相似により定理上同じと言い切れる”というイメージでしょうか
本当に正直なところを申し上げると素人感覚では、
・MeOTfのMeによるCH3化反応がラジカル反応寄りではないのか
・-CH3≒-Hと言えるか
という2点でモヤモヤし、何回か論文を読み込まないと「?」だったのですが、予想通りの構造の中間疑似体が安定に存在する点、各中間疑似体の間が予想通り進む点、そして特に雰囲気をN2にすると狙い通り触媒的に回転する点(Arでは進まない)が確かめられ(1)&(2)&(3)が示されていることから客観性は充分に保たれていると思われます。

MeOTfを用いた反応単離出来た、最も重要なイミド体疑似中間体結晶のX線による分子構造
本論文で最も重要な現物証拠と言える
一方②は簡単です。嘘です。上記で固まった反応経路をもとに、中心金属にスポットを当てた量子軌道計算に基づいた反応エネルギーマップを作り、どこが最もエネルギーを消耗(要求)するかを推定することで言い切れます。
・・・が・・・具体的には極めて複雑な近似軌道計算に基づいたエネルギーマップに基づき分子構造と照らし合わせ反応のどこがしんどい(≒エネルギー的に不利=電子を”持ち上げる”仕事を必要とする)かを見極めるわけですが、、、一昔前はこういうことはとても難しかったのですが、現在では計算技術(ソフト)と計算機(ハード)の発展とそれを扱える高レベルの研究者がいるおかげで高精度推定が出来るようになっています。これが反応推定の第二の柱。
本論文でこれを支えたのは以前から西林研究室と共同研究を行われている、福井謙一先生門下であられる九州大学の吉澤一成先生をはじめとした、紙面に名前を連ねておられる諸先生方の計算・分析技術。ひとことで言うと「触媒反応の全経路のエネルギーマップを網羅して算出した」というものでした。

今回の計算結果の代表図 全体で一番しんどいと明らかになったのが矢印部
(他も多少しんどいところはあるが上記に比べると低い)
指標になるのがギブスエネルギー@常温で、系が仕事を必要とする度合いを見積もれる偉大な発明
ただこうした金属原子を含む軌道計算には数多くの基本式、近似式、数学的テクニックが必要となり
結果を眺めるだけの筆者には一番ついていけない分野でもある
一般的にマシンとソフトがあれば無責任かつテキトーな数値を入れてそれなりのマップは作れるのですがおそらく全く科学的に裏付けの無い結果になる。そうではなく、特定の化学的前提に基づいて山ほどあるパラメータに裏付けを与えて計算を行うという精神を削るような作業であったはずです。こうして得られた結果の代表図は上図ですが、結局「Mo≡Nの1本目を断ち切るのが一番面倒」つまりⅣのイミド体を作るのが一番エネルギーを要する、という結論となったわけです。
今回はこれら2本柱で複雑な触媒サイクル全体を整理し次の指針を立てるキーポイントを掴んだというのが重要なところ。また後者の柱のほうで特筆すべきはSmI2による水の還元が協奏的に行われてはじめて反応が進みやすくなる点が示された点(下図)。数ある還元剤の中でも、このように理想的な形でプロトンとヒドロキシルイオンを分けてくれ、加えて水素分子が簡単に発生せずにPCET反応へ繋がってくれるという材料は非常に貴重。代替があるとすると、おそらく金属Znがそれに近い形。溶解度は悪いので反応効率は若干落ちるかもしれませんが、金属の中でもなぜかかなり水素発生過電圧が高くて水素が発生しにくいのにプロトンとヒドロキシルイオンを分けてくれる電位をもつ点ではよく似ており、以前紹介した同研究室が実現したような形で反応が進んだ可能性がありそう、という事も頷ける気がします。

SmI2まわりの水分子の反応挙動 PCETに繋がり得るルートで
一番低いエネルギー障壁がどのような錯体構造であるかを明らかにした
THFと同様に配位する溶媒であればさらに反応しやすくなるかも、、、?
こうして触媒反応全体を通し実験と理論でもっとも確からしい反応経路を明示出来たことになります。今後は今回キーになった障壁部分を狙って更に回転率や選択性を高められるかを理論的に詰めていけるわけで、大きな武器を手に入れたといえるでしょう。ここまで明らかにするのに2019年論文からおよそ7年以上かかっていますが、化学(科学)というのはつくづく目標や真実に対し直線的ではなく螺旋的に近づくものであるという思いを強くした次第です。
補記:歴史の中の窒素固定反応やニトロゲナーゼ反応 よもやま
今回の論文全体を通して興味深いのは、窒素分子の3重結合を切断するところがそこまで律速でないという点。筆者は「スイカだってカボチャだって外殻を切るのが一番大変なんだから窒素分子を切るのが一番面倒だろう」という適当なアナロジーで推定していましたのですが間違ってました。ではなく(注:西林研究室の触媒では窒素分子は配位後自発的に切断されるという特徴ある反応が織り込まれているためでもある)、上述のとおりMoに3重結合でくっついたNの方を反応させる部分がいちばん厄介であるという点。錯体内のMoは酸化還元できますし、窒素原子1個なら簡単だろうと思っていたのですが。。。よく考えたらTiだろうがZrだろうが窒化物はだいたい極めて強靭な硬い物質になりますので、反応させるのは難しいという前提に立たなければならなかったわけです。
そして今回の結果は、Mo反応の原点ともいえるCummins教授の30年前のこの反応(下図・(文献1) 元論文は(文献2))が何故触媒として進まなかったのか、という疑問も解決したのでは、とも思いました。この反応は大気圧化、常温下で窒素を開裂させ、Mo元素とNが3重結合を形成させた点で窒素化学に極めて重要な示唆を与えた量論反応だったのですが、触媒反応は進まなかったのです。

文献1より引用 (元論文は文献2)

この時のCummins教授の発案ノート 文献3より引用
〇で囲まれた部分がSchrock教授が世界で初めて実現した
窒素固定触媒の原型になっているように思われる
西林研究室ではこの難題に対し還元を進められる材料系、大きな中心金属の酸化数変化に対しても安定的に触媒として回転させる仕組み(配位子)とを揃えた触媒系を巧妙に組み合わせ現実のものとした上で、今回その律速がMoとの間に発生した三重結合の一番最初を切る部分であると明らかにしたわけです。もしかしたらこのCummins教授の系でも、SmI2+H2Oの還元剤で進めたら多少は回転したのかもしれません。
さて。
名高きHaber-Bosch法の固体触媒機構が解明されたのはノーベル化学賞受賞者 Gerhalt Ertl教授による固体触媒の高度な表面解析によるものでしたが、これも量産開始の1914年から本当に詳細なメカニズムが明らかになるまでだいぶ(確か60年近く)時間がかかりました。固体表面の分子の状態というのは非常に分析、解析が難しく試行錯誤に至ることが多いようで、ある研究者の方も「様々な手法を駆使して推定はするがそのものズバリの現象はそうそうつかめられない」ということを仰られていました。特に固体表面は堅牢であるがゆえに、また反応条件が苛烈であるケースが多いだけにむずかしい、と。
一方で有機金属錯体になると今回のようにうまくやることで狙い部分で”止める”ことが出来る、つまり中間体を得たり反応解析や推定を行うことが出来る手法が充実しているわけで(複雑であることには変わりはありませんが)この点は非常に強みになるという特徴があります。これはどっちがいいというわけではなく、どっちにもそれぞれにしか無い特徴があり、それを活かしきることがそれぞれの発展につながるという事であると思います。
また今回計算されたのは基本的に単分子レベルの反応モデルですが、実際には多数同士の反応であるので今回書かれたようなケースとはまた違う状態も発生しているのかもしれません。特に電子移動については協奏的にあっちからこっち、みたいなケースもありますし、、、と書くと光合成反応のマーカス理論っぽくなってきましたが、ニトロゲナーゼでもそういう予想もしないメカニズムが今後明らかになってくるのではと期待しています。
個人的に期待すべき今後の展開としては、若干上にも書きましたが「より低い(還元的)エネルギーで、速く触媒を回すためにはどうすれば」という課題を科学的に取り組めることを期待したいです。この課題はニトロゲナーゼが果たしてSmのような還元性を持たない系でいったいどうやって高速に反応を進めているのか、という生物学的に大変大きな疑問ともブリッジしており、これを解明することはそれこそ生命の起源にも迫る重要な疑問に成り得るのだと思います。果たしてSmI2同等の還元ポテンシャルを電気回路的に細胞内で作っているのか(電気的に昇圧していることになりますが!)、それとも何かにエネルギーを貯めてから使っているのか、など妄想が膨らんで止まらないくらい重要ポイントなのではないでしょうか。
またさらに時系列を遡って調べてみると、実はMo(を含むニトロゲナーゼ)の存在は光合成による酸素大発生イベントよりもずっと早く、おどろくべきは35億年以上前から窒素固定していたことがわかりつつあり(下図・酸素がほとんど無かった時代では実は進みやすかったかも)つまりは生命の起源はMoにこそあったのではないかという仮説すら生みうる重要な観点なわけです(文献4)。もちろん海底付近の高温高圧熱水系で重要になる硫黄Sや鉄Feの生命への重要性は並列で考えるべきポイントですが、高度生命の設計図たるDNAに何故これだけ多くの窒素が含まれているのかということを考慮すると、生命体への1歩はMoから、と言っても過言ではないようにすら思えるのです。

(文献4)より引用 仮説は多いが歴史的にも生命の起源的にも極めて重要な図
N2の時系列動向をこれに重ねると非常に興味深かったりする
また、そもそもMo(と窒素)がどこから来たのか、という点もものすごい不思議
なおFeニトロゲナーゼやVニトロゲナーゼはある意味新参者という印象を受ける
ということでMoによる窒素固定の反応経路が明らかになることは、高度生命の起源にもつながるであろう(注:個人的妄想です)ということを大きな仮説におきつつ、これ以降も窒素化学の発展を期待したい次第です。何をえらいホラを吹いているのか、と思われるかもしれませんが…ただ高等数学でも、全く違う分野に大きな「橋」がかかると予想することが極めて重要な問題の解決に繋がることも過去に何度もあった(例:フェルマーの最終定理)わけですから、その橋が架かることを願う爺様の繰り言として、文章に残しておくくらいは許していただきたい次第でございます。
若干脱線しましたが、今回はこんなところで。
参考文献
1.”Scission of Dinitrogen by a Molybdenum(III) Xylidene Complex”, Fall 2004 MIT 講義資料 リンク
2.”Dinitrogen Scission by a Molybdenum(III) Xylidene Complex”, 2003 MIT 講義資料 リンク
3.”Dinitrogen Cleavage by a Three-Coordinate Molybdenum(III) Complex”, Science, 12 May 1995, Vol 268, 5212, p861-863 リンク
4.”Enigmatic evolution of microbial nitrogen fixation: insights from Earth’s past”, Trends in Microbiology, June 2024, Vol. 32, No. 6 リンク






























