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大学院留学してよかったこと, 悪かったこと【英語, 経済面, オーバードクターに関するお話】

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海外の大学で、その大学に籍を置く大学 (院) 生として留学することは「学位留学」と呼ばれたりします。学位留学をする理由は人それぞれありますが、私の場合はほとんど「海外への憧れ」が先行しての留学でした。そんな人が、実際にアメリカの大学院で PhD を取得してその PhD 生活を振り返ったて、よかったと思うことと悪かったことをまとめていこうと思います。もちろん留学生活には、留学形態や地域、大学などによってさまざまであり、一般化できないことは但し書きしておきます。あくまで一個人の例として参考程度に。

英語が苦でなくなった

AI が翻訳してくれる時代に英語を習得する意義はあるか

翻訳ツールや AI ツールが発展した現在では、日本人にとって英語による研究の障壁は少なくなっているかもしれません。最先端の論文を読むにしても、そこそこの精度で翻訳してくれます。日本語で書いた原稿を英語に翻訳することもできるので論文執筆に関しての障壁も減っていることでしょう。

そういった状況の中でも、英語に浸かり、英語で授業を受け、英語で試験を受け、TAとして英語で簡単な授業をして、英語で研究のディスカッションをして、英語で雑談をする日々で、英語の即興力を身に着けることができたのは財産だと思っています。英語の即興力とは、英語で聞いたものや読んだものを英語のまま理解でき、日本語を介さずに文章や発言を英語で脳内で生成できるということです。寝ているときの夢も英語で見ることがあります。

英語能力がそのレベルに達すると、研究の遂行に便利かな、と思います。調べものを英語で出来るようになれば、瞬発的にアクセスできる一次情報の量は格段に上がります。

翻訳ツールを使わないマイルール

私が大学院生の初期だったころ(2020 年ごろ) は、翻訳ツールがいよいよ精度が上がってきて、「留学生にとって課題に翻訳ツールは欠かせない」という話も一般的になり始めた頃でした。そんななかで授業の課題で教科書や資料を読んだりするときに、文書や文章を丸ごと訳してくれるような翻訳ツールを全く使わず (単語の意味を調べるのはOK)、日本語の資料に行くことも避けることを勝手にマイルールにしていたのですが、それは長い目で見てプラスに働きました。

とはいっても、そのレベルの英語力も日本で生活しているだけでは、身に着けるために必要な労力と得られる対価が釣り合わない能力と考える人もいるかもしれません。一方で、英語からの一次情報をそのまま楽しめる能力が欲しいと思う人もいるでしょう。ここに関しては、英語を単なるツールとして使いたいのか、自由に扱える言語を増やすことで人生が豊かになると考えるかの違いなので、英語を習得したいと思うことはAIの時代に反しないと個人的には思います。

英語習得までの過程

ちなみにこれから留学希望の方や現在留学中の方への情報として、私の場合の英語の習熟度の進度を振り返って紹介してみます。

最初の2-3か月くらいは、英語で考えようと意気込みすぎるがあまり、思考力がすごく低下していて、実は逆に何も考えられていなかった気がします。それから、英語で見たり聞いたりしたことを、あとで日本語で整理しなおすように方針を変えて、英語で新しいことを学習する第一段階が達成できて、徐々に日本語で整理する段階を省略しても理解が定着できる範囲が増えていった、みたいな変遷だった気がします。英語で新しく学んだ高度な思考を英語だけで頭に定着できるようになったのは、多分留学2年目の後半 (大学院1年生の後半; 留学開始と大学院の年数の違いについては後述) です。最終的に英語での思考力が日本語の思考力とそれほど変わらないと感じるまでには、留学開始から3年程度かかった気がします。

とはいえ、英語力が向上したと思う明らかなきっかけがあったわけではなく徐々に変化していることと、日記のようなもので記録を残していたわけではないので、もしかしたらもっと時間がかかっていたかもしれないです。もちろん、英語習熟の過程と必要な時間は、留学開始時の英語力や留学のタイミング、留学の種類にともなう求められる英語のレベルの違いなどによって異なると思うので、あくまで参考程度に。さらに、私の場合は留学の一年目は、大学院生ではなく研究の訪問学生という形で、授業などを受ける必要がなかったので、一年目は英語習得の必要度が小さく、切羽詰まっていなかったので、習熟が少し遅くなっていたかもしれないです。

経済的な心配がなく, 腰を据えて研究できた

私は PhD を 7 年で終えました。7年間かかった私の例は、アメリカの physical science系 (化学を含む部類) の中央値である6.0 年 (大学院入学から数えての年数) より長いです1。指導教官の先生は、5年生の終わりの時点で「いつ卒業してもいい」ということをおっしゃっていたので、7 年かけたことはどちらかというと自分の選択です。それでも、7年目に突入してもいいと思える余裕は、日本で博士課程をしていたら生まれなかったかもしれません。

経済的な問題

その精神的な余裕の理由の一つは、まず経済面です。アメリカの理系の大学院では、一般的にPhD の学生に給料が払われます。アメリカの物価を考えたときにその給料の額は多いとは言えませんが、普通に生活する分には困りません。

一方、私が大学院に入学した 2019 年当時は日本の博士課程の学生への経済支援は今ほどは多くありませんでした (文部科学省の調査によると、生活費相当額受給者の割合: 平成30年度10.1%→令和3年度16.9%; 受給なしの割合: 平成30年度54.6%→令和3年度37.9%)2 。日本でも現在では、JST のSPRING など博士課程への支援も広がっているようですが、それでも諸外国と比べると支援を受け取っている人の割合は低いでしょう。

ただし、アメリカにおいて大学院生として雇ってくれるのかという問題は、研究室のお財布事情に依存します。私が所属していた研究室は研究費に余裕があったので、「いつまでいてもいい (= いつまでいても経済的な保証はする)」というのはアメリカのラボの中でも非常に恵まれていました。なかには、研究室の経済的な状況から、TA を毎セメスターしながら大学側から給料をもらい、TAの仕事と研究を並行しなければならないような状況も存在するようなので、必ずしもすべての学位留学において経済的な支援が長期的に保証されるとは限らないことは注意しておきます。

周りもオーバードクターしていて孤独感がなかった

精神的な余裕のもう一つの理由は、研究室での PhD 学生の多さと周りのオーバードクターの多さです。上でも書いたように、アメリカの physical science系 (化学を含む部類) において、大学院入学からPhD 取得までにかかる年数の中央値は6.0 年です (PhD 課程は日本的に言う修士 (=博士前期課程) と博士後期課程が含まれるので、標準は5年)1。実際に、研究室の同期も、6 人中 4人が7年目まで突入していて、シニアな学生として研究室に残ることに関して孤独感や焦りはありませんでした。この辺りは精神的な余裕は個人の性格にもよるかもしれません。

日本では、理学系では 56%、工学系では 44% が標準修業年内 (博士後期課程を3年) に修了しているようです2。データ上は日本でもオーバードクターをしている人は半数程度いるようなのですが、数少ない知り合いの状況やネットで見る情報やケムステのスポットライトリサーチなどを見る限り、化学においてはオーバードクターをしている人が、データの統計ほどは表に出てきていないように思います。

これは勝手な想像ですが、「規定に則ることの大事さ」というか「博士課程は 3 年なので 3 年で終わらせられるようなプロジェクトを選んで期限内にまとめるもの」という考えが日本の化学系の大学院では多いのかもしれません。それはそれでいい面もあり、大事な能力だと思います。

焦らずに、いい論文を書く作法を学べた

私はのんびり研究をするスタイルがあっていました。しかしそれは平日数時間しか研究室に顔を出さないサボり、という意味ではありません。実際、私は研究室の中ではかなり勤勉 (?) という評価になっていました。なので、ここでいう「のんびり」とは、締め切り前にギアを上げて突貫工事で物を仕上げるのではなく、論文投稿に関して締め切りをあえて明確に決めず「いい論文を書くことを目標にする」ということです。

「いい論文を書くことを目標にする」ということをさらに細分化すると、「こういうデータを足せればインパクトを上げれる」と狙いを定めて獰猛に実験することはもちろん、ときには論文に必要な新しい分析技術などを学んだり、ときには文献を調査するために実験を止めて、今ある結果からトップジャーナルに通すための論文のイントロダクションを考えたりすることです。特に PhD の終盤においては、実験ではない面での研究のスキルを獲得できたと思います。いろんな視点から、研究成果をどのようにプレゼンしてインパクトを上げればよいかをのんびりと (とはいっても起きている時間のほとんどをかけて) 考えていた時間は楽しかったです。そしてそれを寛容に許してくれた指導教官にも感謝しています。

さすがに外部から定められた締め切りにはきっちり計画を立てて余裕をもって終わらせれるように取り組みます。しかしこと論文を書くということにおいては、焦って成果を小さいジャーナルに出して卒業するのではなく、自分にとって満足が行くいい論文を自分で書いて、アクセプトまでもっていくことができたことは私の PhD において重要だったと思います。

もちろんアメリカでも人によっては、目標とする修了年数をきっちり決めていて、オーバードクターはできるだけ避けたいと考える人もいることでしょう。そういう人にとっては、オーバードクターを出し気味な研究室へ学位留学することはデメリットになりえます。

いろんな人と会うことができた

アメリカでは通常、学部と異なる大学の院へ行く

「多様性」という言葉で纏めてしまうと、やや陳腐な感じにはなってしまうのですが、様々なバックグラウンドを持つ人と会うことができました。アメリカにはいろんな人が来ます。特に、大学院という環境では、出身の国はもちろん、出身大学、研究の経歴が様々です。

日本では、学部で入った大学の院に進学することが一般的で、そうでない場合に「外部進学」のように特別な呼ばれ方をするかと思います。そして所属研究室も学部から博士課程まで同じ研究室でという人も多いでしょう。

様々な背景を持つ人から、お話を聞くことは純粋に面白いですし、「知り合いの知り合い」が増えるので、論文を読んでいるときに「知り合いの知り合い」の研究に親近感が湧きます。新しい人に会うときに知り合いの名前を出すことで会話のきっかけも作りやすく、研究の世界が少し狭く感じられます。研究を遂行する面においても、いろいろな背景の人がいることは相互に教え合う雰囲気ができやすく、健全に思えます。国際学会に行ったりすることで、知り合いを増やすこと自体は可能ですが、同じ研究室の仲間として報告会で議論したり、ふざけ合ったりする仲になるのは、学会などのネットワーキングだけでは作り出せない、戦友のような繋がりの強さを生むように思います。

海外で出会う日本人とのつながりも大切に

また、海外で研究していると、「日本人である」という共通事項だけでコミュニティができることは、ある意味で海外留学ならではの現象だと思います。例えば私が留学していた UC Berkeley には Berkeley Japanese Academic Network (BJAN) という研究者のグループがあり、研究のセミナーと交流会があったりします。といっても参加者の研究分野は本当にバラバラなので、セミナーの内容は一般向けの解説レベルで、化学の分野外のお話を聞くにはいい機会でした。懇親会でも普段であればなかなか話す機会がないような分野の研究者と話すことができます。

同様のコミュニティは、ある程度留学者がいる大学や都市では存在します。特に日本から留学してくるような人は、野心があったりユニークな人も多いです。「せっかく留学したのだから、日本人同士で群がるのは意味ない…」と敬遠する人もいるかもしれませんが、「留学しているからこそ知り合える日本人がいる」と捉えて、たまにはそのようなコミュニティに参加することはいいことだと思います。

学位留学して悪かったこと

プライベートな面で言えば、友人はおろか兄の結婚式にすら COVID-19 の影響などで参加できなかったことは申し訳ないと思いました。また、日本にいる方が、娯楽の種類が多かったり、食事が美味しいといった面は否めません。治安の面で、夜の街を歩くのに不気味だったりすることもあります。そういった、生活面でのマイナスはありました。しかし、研究面に関して言えば悪かった面は、個人的にはこれと言って見つかりませんでした。

ただし、よく聞く大学院留学のデメリットで言えば、指導教官との相性の問題、Qualifying exam やその他の課題の大変さ、日本で就職を考えている場合のルートの弱さなどが言及されることもあり、そういった面は別のブログなども参照していただければと思います。特に XPLANE という大学院留学の総合情報サイトには豊富な留学のブログがあります (記事末の外部リンクも参照)。

まとめ

自分の人生の中では、1/1 の割合で留学しているので、日本で大学院に進んでいたらどのようになっていたかを想像するのは難しいです。確かなことは、英語はここまで上達することはなかったでしょうし、「オーバードクターをしてでもいい雑誌に論文を出す」ような金銭的そして精神的な余裕はなかったと思います。そして、世界中の研究者との堅いネットワークの形成も、学会に参加したり何らかのプログラムに参加するだけでは難しかったでしょう。

「どうして留学するの?」という質問は、留学で得られるデメリットやメリットを天秤にかけるときの重要な問いだと思います。この記事はどちらかというと留学に関して肯定的で、生存者のバイアスがかかっている可能性は大いにあります。それでも、この記事が留学で悩んでいる人にとっての後押しになったり、留学で何を得たいのかを明確にすることに繋がると幸いです。

UC Berkeley で PhD を取得するともらえるキャンディとそれに同封されている手紙. ギャグを説明するのは通常野暮ですが You’re Phinally Done! は Finally Done と Ph.D. を書けたシャレです (f の発音が ph の発音と似ているので).

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参考文献

  1. NSF Survey of Earned Doctorates 2024
  2. 文部科学省 大学院関連参考資料集(令和7年12月)
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やぶ

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ポスドク。学部レベルの基礎知識の解説から、最先端の論文の解説まで幅広く頑張ります。高専出身。

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