第723回のスポットライトリサーチは、高知工科大学大学院工学研究科(林研究室) 博士後期課程3年の樋野優人 さんにお願いしました。
今回ご紹介するのは、複雑な結晶構造と温度応答との関係に関する研究です。
一般的に、結晶は「単純で規則正しい」ことが理想とされ、その単純な構造を利用して物性の研究が進められてきました。しかしこれらの説明では、実際の分子結晶で観察されるような、複雑な現象をとらえることは困難と考えられています。本研究では、アントラセン骨格を持つ分子BBPAを開発して結晶内部に 5 種類の異なる分子環境をもつ「複雑さ」を設計し、その可逆的な温度応答性を報告されました。本成果は、Small 誌 原著論文およびプレスリリースに公開されています。
“From Simplicity to Complexity: Substituent-Controlled Z′ Multiplicity as a Design Principle for Thermally Robust Yet Programmable Anisotropic Expansion”
Hino, Y.; Matsuo, T.; Yamashita, T.; Yokota, H.; Korenaga, D.; Seki, T.; Hayashi, S., Small, 2026, e75273. DOI: 10.1002/smll.75273
研究を指導されている林正太郎 教授から、樋野さんについて以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!
樋野くんは私が高知工科大学に着任し、研究室を立ち上げた直後に加わった第1期生です。高知県出身の四万十ボーイというレアキャラで、国民休暇県「高知県」と宣伝しているように私が想像していた県民性がありましたが、それを早速裏切ってきました。当初から「アントラセンで遊ぼう」をテーマに結晶の設計と面白い現象を目指していきましたが、その研究に向かう姿は大胆でありながら緻密なチャレンジャー。実験も進捗報告書も「ここまでやるか!」という出来で、1年目からアクティブなディスカッションが繰り広げられました。
そのような中、今回の研究成果は大胆な設計概念から始まり、緻密なデータ収集とディスカッションの再再再構築と正に樋野くんの特性が強く刻まれたものになりました。実は、一度執筆・投稿した論文はXX誌にて手痛い敗北をきっしました。ここでの学びから、更なるデータ取得と論文そのものの書き直しをするという大胆な試みをすることになり、そのドラフトを読んだ共著の関先生(静岡大学)からのコメントは「ガラッと変わったように思います。こんなに書き換えられてすごいなあ。」です。結果的には雑誌のランクを上げるという挑戦に繋がりました。このキャラクターを活かしてアカデミアで有逸無二の研究へ邁進して欲しいと思っています。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
「結晶学的に独立な分子を多数含むhigh-Z′結晶を設計し、その複雑な結晶構造と温度応答との関係を明らかにした」という研究です。分子結晶の熱膨張や温度誘起相転移は、これまで主に、非対称単位中に含まれる結晶学的に独立な分子数を表すZ′が2以下の比較的単純な結晶を中心に研究されてきました。一方、Z′ ≥ 4のhigh-Z′結晶では、同じ分子でありながら異なる局所環境に置かれた分子が多数共存します。しかし、こうした構造的な複雑さを積極的に利用して温度応答を設計する試みは限られていました。今回の研究では、2,6-ジフェニルアントラセンを基盤とし、その分子長軸方向の両端にtert-ブチル基を付与した誘導体BBPAを設計しました(図1)。結果として、BBPA結晶は100–400 Kの温度範囲でZ′ = 5の構造を保持し、423 KではZ′が5から2.5へ減少する可逆的な相転移と、それに伴う異方的熱膨張を引き起こしました。比較対象である2,6-ジフェニルアントラセンの結晶はZ′ = 0.5であるため、まさか分子末端へのtert-ブチル基の導入でここまで結晶構造が複雑になるものなのか、と結晶の世界の奥深さを感じました。

図1. BBPA結晶のtert-ブチル基がもたらす結晶構造形成と温度誘起相転移。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
本研究テーマでは、「分子構造」だけでなく「複雑さ」そのものを設計対象として捉えることで、以下のような特徴を引き出すことができたと考えています。
- 分子レベルの構造変化を結晶全体の大きな動きへと増幅可能
=> tert-ブチル基の乱れに基づいて結晶の長軸方向を顕著に伸縮可能であった(図2a、2b)。 - 403–443 Kの範囲で繰り返し結晶を伸縮可能
=> 50回の加熱・冷却サイクルで熱耐久性が確認でき(図2c、2d)、ほぼ同じ伸縮運動を維持できた(論文のサポーティングインフォメーションに光学顕微鏡で観測した熱耐久性の制限・限界も載っております)。 - 同じ設計思想でhigh-Z′結晶形成が可能
=> BBPAのフェニルユニットをアセチレンユニットに置換した誘導体でもZ′ = 4のhigh-Z′結晶が得られ、今回報告したhigh-Z′結晶の形成がBBPAに固有の偶発的な現象ではないことを示すことができた(論文のサポーティングインフォメーションに結晶構造が載っております)。
BBPA結晶は加熱に伴う熱振動の増大により高角反射強度が低下することで結晶構造解析が困難であることが懸念されましたが、大型放射光施設SPring-8での測定を実施できたことで、今回新しい材料設計への道筋を示すことができたと考えております。

図2. (a) 加熱・冷却に伴うBBPA結晶の伸縮の模式図。(b) 温度に対する結晶長の変化。(c) 加熱に伴って長軸方向へ伸びる結晶の光学顕微鏡像。(d) 403–443 Kの加熱・冷却を50回繰り返した際の結晶長の変化。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
BBPA結晶は低温側(100–400 K、Z′ = 5)において非中心対称空間群P21として解析できた一方で、高温側(423 K、Z′ = 2.5)では中心対称空間群P21/cで解析可能でした。一方で、単結晶X線構造解析から得られた空間群の妥当性を独立に検証するためには、結晶の中心対称性の有無を評価できる光第二高調波発生(SHG)の温度依存性を計測する必要がありました。そんな時、東京科学大学物質理工学院の横田紘子先生と山下智大さんに、光第二高調波顕微鏡を用いてSHG応答を測定していただいたところ、加熱に伴ってSHG応答が低下し、冷却すると再び回復する可逆的な変化を確認できました。この結果は、温度変化に伴うtert-ブチル基の配向の乱れと結晶全体の対称性変化が密接に関係していることを支持するものでした。結晶構造解析と光学応答という異なる視点から同じ相転移を捉えたことで、high-Z′結晶の相転移像に確信が持てた瞬間でした。また、BBPAの相転移は単結晶試料だけでなく、粉砕した結晶試料でも可逆的に進行することを温度可変粉末X線回折測定によって明らかにしました。最近研究室に導入されたビーズ式粉砕機を早速活用することができ、新しい装置が研究を後押ししてくれたことも嬉しかったです。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
既存の枠組みにとらわれず、新しい視点から挑戦的な研究を展開していきたいです。一方で、自分が純粋に面白いと感じる問いを追究するだけでなく、その研究が社会の中でどのような意味をもつのかについても考え続けたいと思っています。私の近い将来の目標は、アントラセンおよびその誘導体からなる分子結晶研究の第一人者になることです。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
今回の発見をきっかけに、さらに興味深い結晶構造を形成するアントラセン誘導体の開発を進めています。すでに「なぜこんなことが起こるのだろう」と驚くような結果が得られており、これから学会などで少しずつ発表していく予定です。今後の展開にも注目していただけると嬉しいです。日本化学会、基礎有機化学討論会、有機結晶シンポジウムなどにも参加していますので、気軽に声をかけていただけると嬉しいです。
最後になりますが、本研究を紹介する貴重な機会をいただきましたChem-Stationスタッフの皆様に、心より御礼申し上げます。本研究は、BBPA結晶の温度に対する結晶長の変化を測定していただいた静岡大学の関朋宏先生、是永大樹さん、ならびにSHG応答の温度依存性を明らかにしていただいた東京科学大学の横田紘子先生、山下智大さんのご協力と、林先生、松尾先生の多大なるご指導のもと、形にすることができました。この場を借りて、皆様に改めて深く御礼申し上げます。
研究者の略歴

名前:樋野 優人(ひの ゆうと)
(写真:ISMSC2025の懇親会にて撮影した一枚。)
所属:高知工科大学大学院工学研究科基盤工学専攻 博士後期課程3年
略歴:
1999年9月 高知県生まれ
2018年3月 高知県立中村高等学校 卒業
2022年3月 高知工科大学環境理工学群 卒業
2024年3月 高知工科大学大学院工学研究科基盤工学専攻修士課程 修了
2024年4月~現在 高知工科大学大学院工学研究科基盤工学専攻博士後期課程 在学中
2025年4月~2027年3月 日本学術振興会特別研究員(DC2)
関連リンク
今回の研究に至るまで、アントラセン誘導体の分子結晶をさまざまな角度から研究してきました。関連する研究成果は、以下のプレスリリースでも紹介しています。





























