身近なのに、計算機にとって手強い”水”。本記事では、点電荷モデルから機械学習まで、その”描き方”の進歩をたどります。
はじめに — なぜ「水」は計算機にとって難物なのか
コップの中の液体としての水の中では、無数の分子が一瞬ごとに水素結合を組んではほどき、また組み替えています。これほどありふれている水は計算科学にとっても長らく手強い相手となっています。理由は、方向性をもつ水素結合が分子同士を多体的に結びつけ、しかも軽い水素では原子核の量子効果まで効くなどの課題があったからです。H,H,Oからなる、3原子の H2O を計算機の中に忠実に「描く」ことは、半世紀におよぶ難問でした。
水を計算機で「描く」とは、水の“どの物理”を、どれだけ忠実に、どれだけの計算量で写し取るかという折り合いをつけることでもあります。計算機の中で液体を扱う最初の関門は、「1個の分子をどう表すか」です。本記事では、水の表現方法について、点電荷の古典モデル → 粗視化 → 量子力学で解く → 機械学習に学ばせる という道でたどりたいと思います。
水を点電荷で描く — 古典力場の誕生
シミュレーションにおける水の表現で、広く使われてきたのが、剛体の水分子をいくつかの点(相互作用サイト)で表す古典モデルです。1983年、Jorgensenらは複数の単純な水モデルを横並びで比較し、今日でも標準的に使われるTIP3P・TIP4Pというモデルを提案しました1。
これらのモデルでは、分子間の相互作用を、(i) 各サイトの電荷どうしのクーロン力と、(ii) 酸素間に1つだけ置いたLennard-Jones項(近づきすぎる原子は強く反発し、少し離れると弱く引き合う相互作用)だけで表します。電荷をどこに置くかで、モデルは3点・4点・5点に分かれます(Fig. 1)。
3点モデルの TIP3PやSPCはOとHに直接電荷を置きます(TIP3PはO–H距離0.9572 Å・H–O–H角104.52°・水素電荷+0.417/酸素電荷−0.834、SPCは角度を正四面体角109.47°)。4点モデルのTIP4Pは、負電荷を酸素から少し内側の仮想点M(Oから0.15 Å)へ移して水素結合の方向性を高めます。これほど単純なモデルでも、特に4点モデルが中性子回折で測った酸素間(O–O)の構造をよく再現することが報告されています1。さらに5点モデルのTIP5Pは、孤立電子対の位置に負電荷を2点置き、水の密度極大(約4 °C)を初めて狙って合わせ込みに成功しました2。

Fig. 1. 点電荷剛体水モデルの模式図.負電荷の置き方で 3点(TIP3P, SPC:O 上)/4点(TIP4P:Oの内側の仮想点M)/5点(TIP5P:孤立電子対の位置に2点)に分かれる.
もっとも、単純にサイト数を増やせばよいわけではなく、たとえば4点モデルをさらに磨いた TIP4P/2005などは、4サイト配置を保ちつつ、電荷量やLJパラメタを再最適化したものであり、密度極大から氷の相挙動まで広く再現し、VegaとAbascalらの横断比較でも非分極モデルとしては最良級の評価を得ています2。この他、長距離静電をEwald和で扱う計算に調整したTIP5P-Eなど、用途に応じた派生版や、分極を明示的に扱う分極モデル(AMOEBAなど)など、様々なモデルが開発されています。
答え合わせ — モデルが正しいかをどう確かめるか
モデルができたら、「本物の水」をどれだけ再現できているかを確かめる必要があります。最初の物差しで使われるのが、ある原子から距離rに別の原子が見つかる確率を表す動径分布関数g(r)です(Fig. 2)。これは回折実験では「構造因子」として測られ、g(r)と構造因子はフーリエ変換で結ばれます。

Fig. 2. 液体水の動径分布関数g(r)の模式図.第1配位殻(水素結合した最近接, r ≈ 2.8 Å)と,四面体的な配置を反映する第2配位殻(r ≈ 4.5 Å)にピークをもち,遠方ではg(r) → 1 に近づく.実験曲線と重ね合わせてモデルを検証する.
Soperは中性子回折で、220 Kから 673 K・400 MPaまでの広範囲で水と氷のO–O・O–H・H–H動径分布関数を、従来法より信頼性を高めて導きました3。計算で得たg(r)をこの実験曲線に重ねれば、モデルの良し悪しを定量的に判定できます。ただし後で見るように、g(r)が合うことは必要条件であって十分条件ではありません。「正しい答えを、正しい理由で」出せているかは、別に問う必要があります。
単純な水モデルで何が見えるか — 「電場で水が凍るその瞬間」
検証を経たモデルは、未知の現象を覗く道具にもなります。その一例がelectrofreezing(電場誘起凍結)で、1996年にSvishchevとKusalikらは古典モデル(TIP4P・SPC/E)の分子動力学(MD)計算で、過冷却水に約0.5 V/Å(凝縮相内部の局所電場1.5–2.0 V/Åのおよそ3〜4分の1)の電場をかけると、250 K付近で数百psのうちに極性をもつ立方晶の氷へ結晶化する様子を直接とらえました4(Fig. 3)。このような実験では捉えにくいこの瞬間も、計算機の中でなら条件を変えて再現が可能となります。

Fig. 3. 過冷却TIP4P水(0.95 g/cm3)に0.5 V/Åの電場をかけて生成した極性の立方晶氷.(a)結晶的なg(r),(b)(c)結晶面(001)・(101)から見た酸素配列.(出典: 参考文献 [4] Figure 3)
もっと速く — 粗視化という割り切り
静電相互作用の総和は計算が重く、稀な事象(氷の核形成など)を大きな系で何度も追うには古典モデルでも荷が重いとされます。そこで2009年にMolineroとMooreらが提案したmonatomic Water(mW)モデルは、水分子を1個の粒子で表して水素も電荷も取り去り、四面体的に並ぶ度合いを表す指標λ(=23.15)を含む少数のパラメタを実験に合わせて決めるだけで、液体水の構造を再現します5。λを変えれば水は炭素(λ=26.2)とシリコン(λ=21)の間に位置づけられ、静電計算が不要な分、最も計算コストの低い原子論モデルSPC/Eに対してもおよそ180倍速い。電荷も水素も捨ててなお構造が残るのは、水の多くの性質が四面体的な並び方に支えられているからです。ただし、その代償として、電荷を持たないこのモデルは誘電応答や水素結合の動的なふるまいを描けず、熱容量(実験の約44%)なども苦手となります。「何に最適化したか」を把握しておくことが使いどころを決めます。
もっと正確に — 量子計算、そして機械学習との両立
パラメタに頼る古典・粗視化モデルとは逆に、電子のふるまいから出発するのが第一原理(ab initio)MDで、各時刻の力を密度汎関数理論(DFT)などの量子化学計算で求めます。もちろん「量子で解けば自動的に正解」ではありません。Gasparottoらは、DFTでの水の精度を左右するのが分散(ファンデルワールス)力の補正・Hartree–Fock 交換・核の量子効果であり、なかでも分散補正がg(r)に最も効くこと、そしてg(r)が実験に合っても“正しい理由で合う”とは限らないことを示しています6。そして、第一原理は強力でも計算が重く、小さな系・短い時間しか追えません。
この「速さ」と「正確さ」を橋渡しする手法のひとつが機械学習ポテンシャルになります。LiuとChenらは、SCAN汎関数による第一原理MDのエネルギーと力を教師データとしてDeep Potentialを学習させ、第一原理MDに対する誤差を約1 meV/atomに抑えたまま、計算を数桁高速化しました。これにより、通常の第一原理MDでは難しい512分子・300 psのシミュレーションを行い、静的構造因子を実験値と定量的によく一致させました7 (preprint)。さらに教師データを上げる方向も進み、高精度量子化学に基づく多体ポテンシャルMB-polがクラスターから氷まで一貫した精度を示し8、2024年にはこれを教師としたNEP-MB-polが拡散・粘性・熱伝導といった輸送物性まで大規模に計算できると報告されました9 (preprint)。これらにももちろん課題があり、その精度は教師データ(DFTやCCSD(T)など)を回帰したものである以上、教師データの精度が上限になるという点です。
おわりに — 適材適所で選ぶ水のモデル
ここまでの手法は「どれが正解か」を競うものではなく、それぞれに得意な適用範囲があり、目的に応じて使い分けるものになります。大規模・長時間なら粗視化、電子レベルの正確さなら第一原理、その両立を狙うなら機械学習。こうして精度と速度のあいだで一手を選びます(Fig.4)。

Fig. 4. 各手法の精度と計算コストの概念図.古典力場と第一原理は右上がりの帯に、粗視化は低精度・低コスト端に並ぶ.機械学習ポテンシャルは古典MD並みのコストで第一原理に迫る精度を示すため帯の上方に配置.
冒頭に述べたように、水のシミュレーションの難しさは「“どの物理を”、どこまで忠実に写すか」、すなわち多体的な分極・水素結合の協同性・軽い核の量子性をどう捉えるかにあります。
最も身近な液体 “水” を計算機に写すこの試みは、溶媒・界面・触媒・生体分子の水和など、化学の広い領域を支える土台をカタチづくります。そして、これら手法の発展が、水という古くて新しい謎の理解も一歩ずつ深めていくための重要な鍵のひとつと言えるのでしょう。
参考文献
[1] Jorgensen, W. L.; Chandrasekhar, J.; Madura, J. D.; Impey, R. W.; Klein, M. L. J. Chem. Phys. 1983, 79, 926–935. DOI: 10.1063/1.445869 [2] Vega, C.; Abascal, J. L. F.; Conde, M. M.; Aragones, J. L. Faraday Discuss. 2009, 141, 251–276. DOI: 10.1039/B805531A [3] Soper, A. K. Chem. Phys. 2000, 258, 121–137. DOI: 10.1016/S0301-0104(00)00179-8 [4] Svishchev, I. M.; Kusalik, P. G. J. Am. Chem. Soc. 1996, 118, 649–654. DOI: 10.1021/ja951624l [5] Molinero, V.; Moore, E. B. J. Phys. Chem. B 2009, 113, 4008–4016. DOI: 10.1021/jp805227c [6] Gasparotto, P.; Hassanali, A. A.; Ceriotti, M. J. Chem. Theory Comput. 2016, 12, 1953–1964. DOI: 10.1021/acs.jctc.5b01138 [7] Liu, R.; Chen, M. arXiv 2023, arXiv:2303.13851. DOI: 10.48550/arXiv.2303.13851 [8] Reddy, S. K.; Straight, S. C.; Bajaj, P.; Pham, C. H.; Riera, M.; Moberg, D. R.; Morales, M. A.; Knight, C.; Götz, A. W.; Paesani, F. J. Chem. Phys. 2016, 145, 194504. DOI: 10.1063/1.4967719 [9] Xu, K.; Liang, T.; Xu, N.; Ying, P.; Chen, S.; Wei, N.; Xu, J.; Fan, Z. arXiv 2024, arXiv:2411.09631. DOI: 10.48550/arXiv.2411.09631
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過去記事 『水分子のふしぎ — 四面体性が生む水の特異性 —』





























