ポスドクとして海外に留学する場合、希望する研究室の教授に直接連絡を取り、面接などを通して適性を判断されます。この記事では、アメリカの研究室に所属している身から、私の現所属に来るポスドクがどのような選考を経ているかについてもお話します。さらに自分自身のポスドク先が決まった成り行きについてもお話します。
はじめに
本記事は不定期で投稿しているアメリカ大学院留学の様子をつづるシリーズの、進路編です。最近は留学生活に関する記事はほとんど書いていませんでしたが、2026 年 5 月に PhD 課程を修了し、博士号を取得しました!大学院受験の頃から応援してくださった読者の皆さんありがとうございます (大学院留学実現などの経緯はこちら: アメリカで Ph.D. を取る -結果発表ッー! の巻-)。今回は大学院留学生の進路編ということで、自分自身の例を交えながら海外ポスドク (アメリカの例) に応募する過程などについてつづろうと思います。
ここからは、まず典型的な流れの例ということで、私が大学院で所属していた研究室でのポスドクの採用過程についてもお話します。しかしその採用過程は当然研究室ごとに異なると思います。現所属の例は、学生やポスドクを含めて~50 名程度いる巨大ラボの採用過程の一例、ということで参考程度に。もちろん、同じ研究室であったとしても、教授同士のツテのあるなしや様々な事情で研究者一人一人にストーリーがあることでしょう。それらについては、ケムステの海外研究記なども参考にご覧ください。私自身の体験談については、このあとでお話します。
Step 1: メールを送る
ポスドクにアプライする最も一般的な始め方はメールを送ることです。CV (履歴書) を添えて、簡単なこれまでの研究の紹介とポスドクとしてどういう研究をしたいかを記したメールを直接 PI に送ります。これまでの研究と動機に関しては、メールの本文に書く人もいれば、添付ファイルとして作成する人もいるようで、特に決まりはないと思います。
もし希望先のPI と何らかのつてがある場合は、そちらから軽く挨拶を入れてもらってからメールを送るというのもよくあるそうです。
Step 2: セミナーと面接
メールを受け取ったうち、どれほどが無視されるかはわかりません。もし奨学金を持っていない状態でアプライしてきた志願者のうち書類上よさそうだとPI が判断すれば (あるいは信頼できる知り合いからの紹介ならば?)、まず 50 分程度での研究発表のセミナーと質疑応答を研究室のメンバー全員に対して行われます。その後、研究室数人の学生や PIとそれぞれ 30分程度の 1 対 1 の面談をします。セミナーや面談は対面で行うこともありますが、最近はオンラインで行うことがほとんどです。セミナーではPhD での研究成果に加えて、ポスドクとして行いたい研究の方向性や PhD の仕事との繋がりが見える場合に高評価につながっているケースが多いと思います。
私が1対1の面談で志願者とお話するときは、相手が何も準備してきていなければとりあえず自分の現在の研究を紹介して、質問があったら答えて、そのあとどんな研究をしたいのかディスカッションする、という感じです。用意周到な人は、あらかじめ自分の論文を読んできてくれていて、向こうから「お話できてうれしい」といった感じでディスカッションを持ち掛けてくれます。
学生との面談は、面接というよりはカジュアルな雰囲気で行っている場合が多いです。しかし、その感想はしっかりボス (= PI) に送られます。私の場合は志願者のPhD の研究経験が私たちの研究に活きそうか、そもそも私たちの研究を理解しているのか、ということを重視しながらボスに感想をシェアすることが多いです。
Step 3: 合否判定
学生の声を参考にしながら最終的に PI が合否を決めます。もし奨学金を持ってきている状態であれば、セミナーや面接もなくポスドクを受け入れることもあります。むしろほとんどすべてのポスドクは自前で奨学金を持ってきており、奨学金なしで雇われ始めるポスドクは少ないです。
日本から海外の研究室でポスドクをする場合、海外学振という選択肢があります。海外学振の場合、事前に受け入れ研究者の承諾が必要です。こういう場合には、PI は受け入れの承諾の書類にサインして、研究室のメンバーで奨学金申請のお手伝いもします。しかし、もし最終的に奨学金が取れなかったら受け入れないということもありえます。
というわけで以上が典型的なポスドクの採用の大まかな流れです。日本から応募する場合、もっとも不安になるのは英語力であろうかと思います。大学院受験の場合と違って、TOEFL や IELTS といった英語の試験を受ける必要がない分、ポスドク留学を応募するのに必要な英語力のハードルは低いと思います。それでも、50 分程度の研究発表を英語でしたり、面接があるので、聞き取りや英会話のような実践的な英語力は必要です。
進路について考え始める
ここからは、私自身の例です。始めに卒業後の進路について考え始めたのはPhD の3年生くらいのころです (日本的に言うと D1 相当)。現在の所属研究室では、1年に一度指導教官の先生と 1 対1で面談をする機会があり、そのときに卒業後の進路について聞かれたからです。
学部の頃はそもそも海外大学院へ行くことを目標にしていたので、その先があることを深く考えていませんでした。とりえあず、研究は面白いし、アカデミックな方向に進むことは前向きに考えていました。その理由は、一つのことに没頭して考えたり調べたりすることは性格に合っていると感じていたことと、研究室自体の風土的に多くの卒業生がその道に進んでいるためその進路に特別感はなかったこと、周りに仲良くしてくれるポスドクが多くいて彼らが楽しそうであったこと、TA の業務で教えるという仕事にもそこそこ楽しみを見出していたことなどなどいくつかありました。
そういった背景もあったので、指導教官との面談で進路について聞かれたとき、事前に考えていたわけではありませんが、「まだ絞ってはないけど、とりあえずの方向性としてアカデミックな方向」みたいなふわっとした回答をしたところ、「まぁその調子で頑張ったらいけるよ」的な軽い答えでその場はいったん流れました。
頑張ったらいけるものなのか、ということはさておき、アカデミックな方向に進むとあれば、典型的にはポスドクをすることになります。アメリカではPhDの所属機関とポスドクの所属機関は変えることが一般的なので、それに従うならばポスドク先の研究室を考えなければなりません。なので、ポスドク先の候補を積極的に探すように、、、なったわけではなく、とりあえず目の前の研究に集中する日々が続きました。
とある研究室の論文のファンになる
そんなか、定期的に行っている最新論文のチェックの最中に、「これは面白い!」と思う論文を発見しました。その論文を簡単にまとめると「とある金属酵素の活性中心である金属クラスターが、穏和な条件で小分子 (N2 や CO) の活性化を行うことができる理由」に関して、モデルクラスターを合成して無機化学の手法でその電子状態を調査して鮮やかな答えを示していました。
PhDの研究では、金属-有機構造体の金属サイトでの小分子の配位について研究していたため、金属とガス分子の相互作用についてはかなり馴染みがありました。なので、その金属クラスターにおけるガス配位の論文のリサーチクエスチョンに共感しました。それだけでなく、その詳細な構造評価と論文の書き方が自分の好みに刺さりました。
それからというもの、ポスドク先の研究室の候補という意図は特になく、その研究室の論文に注目するようになりました。当時その研究室は設立当初で、評判はまだ固まっていませんでした。新進気鋭やライジングスターというと聞こえはいいかもしれませんが、現在所属する大御所ラボとは対照的な若い研究室です。
それから月日は流れ、また進路について考えることは当分ありませんでした。というのも目の前のテーマの論文化について頭がいっぱいだったことと、現在の研究室の環境がよいので急いで卒業する理由がなかったからです。いい雑誌に論文を通すこととそのお作法を学ぶことが、直接キャリアに繋がると思っていたので、急いで卒業するのではなく、ある意味のんびりと過ごしていました。5 年生のころの指導教官とのミーティングの時点でも具体的な卒業後のプランはありませんでした。さすがにそれはまずかったらしく、指導教官からポスドク先として興味がある研究室はないのか聞かれたときに、慌てて思考をめぐらして、追っかけをしていた上述の研究室の名前を一つだけ出してその場を乗り切りました。
追っかけをしていた教授がサバティカルで向こうから来た!!
そうこうしていると、その1年後その研究室の PI (以降 S 教授) が、サバティカルで半年ほど Berkeley に滞在するという謎の奇跡がおこりました。奇しくも、研究室内での報告会やグループミーティングを利用して、自分のことをアピールできる境遇になりました。そうしてある程度時間が経って、自分のことをわかってもらえたタイミングでポスドクとしていくことに興味があると伝えると、「お金がないから奨学金を取ってきてくれたら」という条件付きの了承をもらいました。
こうして、私のポスドク先の就活はメールで履歴書 (CV) を送ることも面接もなく、あっさりと決まりました。現ボスはあらかじめ私が S 教授の下でポスドクをすることに興味があると伝えていたようなので、あえて面接があったというならば、S 教授のサバティカルの滞在期間の半年がまるっきりすべて面接だったのかもしれません (誤解のないように明記しておくと、S 教授が Berkeley に来たこと自体は偶然です)。
「ポスドク希望先の教授が博士課程の所属研究室にサバティカルで来る」という状況はかなり珍しいことだと思います。一方、私は S 教授がこちらに来ると聞いたときに「自分の直感は正しかった」と謎の安心感がありました。現所属の研究と S 教授の研究では、研究対象こそ異なっていますが、根幹として化学結合論や配位化学の基礎に根差している点で共通しているからこそ、S 教授はサバティカルとして私の博士課程の所属研究室に来ようと思ったし、私も S 教授の研究に惹かれた訳で、ポスドク先のラボの選択は突拍子もない選択ではなかったと自分では解釈しています。
論文を通して研究室の哲学を感じ取って決めた
学部から博士課程の研究室を探すときと決定的に異なるのは、ポスドク先の場所は「論文を読んで選んだ」ということです。博士課程のときは、先に大学ランキングの上位校の研究室を片っ端から調べて「なんとなくこの研究分野が面白そう」という探し方でした。もちろん目を付けた研究室の論文も読みはしましたが、どちらかというと当時はテーマやインパクト重視でした。しかし、ポスドク先を決める際には論文の書き方や議論の仕方に共感して、さらにどういった分析手法や専門性が得られるのかまで俯瞰的に読みました。
そういった観点は、理想的には大学院での研究室を選ぶときにも必要だと思います。しかし、学部生のときには論文の細部に目を通す能力はありませんでした。大学院生として、自分で論文を書くようになってから、論文を通して研究者の人となりや研究室の哲学を読むことができるようになったと思うと、少しは成長したかなと感じています。大学院留学のときは「留学したいから留学する」という選び方でしたが、ポスドク先の決まり方は「興味を持った研究室がアメリカにあったからアメリカに残る」という感じです。
そんなこんなで、2024 年の12 月頃には奨学金の獲得を条件に口約束でポスドク先が決まることになり、いくつかの奨学金をアプライしたのちに無事に令和8年度の海外特別研究員 (いわゆる海外学振) に内定をいただき、2026年の10月からボストンの研究機関でポスドクを始めることとなりました。
幸運続きの留学生活
大学院への学位取得留学自体から、幸運が続いているなぁとしみじみ思います。というのも、一度目の大学院出願のときはかなわずに、メールで訪問学生としての受け入れを頼んだ際に今のボスが奇跡的に承諾していただいたことから、大学院留学は始まったからです。ポスドク先の決定に関しても、かなり珍しい経緯で、また運が味方してくれたなぁと感じています。
というわけで、アメリカでの研究生活はまだしばらく続きそうなので、これからも不定期で留学の日常について綴っていこうと思います。
本シリーズの記事
- 大学院生が博士候補生になるまでの道のり【アメリカで Ph.D. を取る ~Qualification Exam の巻 前編】
- アメリカで Ph.D. を取る -結果発表ッー! の巻-
- アメリカで Ph.D. を取る -Visiting Weekend 参加報告 (後編)-






























