第717回のスポットライトリサーチは、新潟大学大学院自然科学研究科(無機ナノ材料研究室)博士前期課程2年の井手 玲花(いで れいか) さんにお願いしました。
今回ご紹介するのは、可視光を利用して酸素を過酸化水素(H2O2)へ変換する有機高分子光カソードに関する研究です。独自に開発したin situ重合法により、高性能な有機高分子光カソードの作製に成功しました。さらに、この光カソードと水の酸化光アノードを組み合わせることで、外部からの電圧印可なしで水と酸素からH2O2を合成することを実現しています。本成果は、Angew. Chem. Int. Ed.誌に掲載され、Hot paperにも選出されています。また、新潟大学よりプレスリリースも公開されています。
“An in situ deposited covalent triazine framework photocathode for electric bias-free solar-to-hydrogen peroxide conversion in a photoelectrochemical cell”
Yuta Tsubonouchi, Reika Ide, Kazuma Takakura, Katsunobu Takahashi, Debraj Chandra, Zaki N. Zahran, Masayuki Yagi
Angew. Chem. Int. Ed. 2026, e9303504 DOI:10.1002/anie.9303504
本研究を主導された坪ノ内 優太 准教授から井手さんについて以下のコメントを頂いています。
これまで金属錯体や金属酸化物をベースに光-物質変換に関する研究を進めてきましたが、「何か新しい材料に挑戦したい」という思いから、数年前に有機高分子光カソードの研究を立ち上げ、ようやくその成果をお披露目することができました。
井手さんは、昨年度卒業した先輩からこの研究テーマを引き継ぎ、光カソードの作製条件や評価方法の最適化に地道に取り組んでくれました。特に査読対応では、追加実験が思うように進まず、苦しい時間が続きました。それでも井手さんは、常に前向きな姿勢で一つひとつ課題を乗り越え、最後まで走り抜けてくれました。私自身、井手さんの研究に対するひたむきな姿勢や柔軟な発想から学ぶことが多く、教員でありながら刺激を受ける場面が数多くありました。一緒に研究できる幸運に深く感謝しています。
井手さんは、今回ご紹介した成果以外にも、すでにいくつもの面白い研究を進めています。将来が非常に楽しみな若手研究者の一人ですので、ぜひ今後のさらなる活躍にもご注目いただければと思います。
それでは今回もインタビューをお楽しみください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
H2O2は私たちの生活を支える重要な化学品ですが、現在の工業的な製造法は化石燃料に依存しているため、太陽光などの再生可能エネルギーを利用した持続可能な製造技術の開発に期待が寄せられています。有機高分子半導体は、従来の無機半導体に比べ、電子状態を分子設計によって精密に制御できることから、有機高分子光カソード材料として注目されています。しかし、これまで効果的に酸素を還元してH2O2を生成する有機高分子光カソードの開発は十分に進んでいませんでした。
本研究では、重合反応と同時に基板上へ有機高分子膜を直接形成するin situ重合法を開発し、この手法により有機高分子(Cz-CTF)光カソードを簡便に作製することに成功しました(図1A)。作製したCz-CTF光カソードが、可視光照射下で酸素をH2O2へ選択的に還元することを明らかにしました。さらに、このCz-CTF光カソードと、水を酸化して酸素を発生する金属酸化物(BiVO4)光アノードを組み合わせた光電気化学システムを構築し、外部電気バイアスを印加することなく、可視光を利用して水と酸素からH2O2を合成することに成功しました(図1B)。本システムは、有機高分子光カソードを用いて、中性水溶液中で可視光のみをエネルギー源として水と酸素からH2O2合成した初めての例です。

図1 (A) in situ重合法によるCz-CTF膜被覆meso-ITO電極の合成のスキーム、(B) Cz-CTF光カソードと助触媒担持BiVO4光アノードを組み合わせた光電気化学セルによる太陽光H2O2合成
Q2. 本研究テーマについて、思い入れがあるところを教えてください。
特に思い入れがあるのは、in situ重合法の開発です。従来、有機高分子電極の作製には、有機高分子の粉末をNafionなどの高分子バインダー溶液に分散させ、電極表面に塗布する方法が広く用いられてきました。しかし、この方法では有機高分子の粒子と電極基板との界面抵抗が大きく、界面で電子が移動しにくくなるため、光電気化学性能の向上が困難であるという課題がありました。
そこで私は、高分子バインダーを用いることなく有機高分子膜を形成する新たな手法として、有機モノマーを溶解した溶液に、多孔質酸化インジウムスズ(meso-ITO)層で被覆した透明導電性電極を浸漬し、基板上で重合反応を進行させるin situ重合法を考案しました。meso-ITO層の厚さや有機モノマーの濃度などについて数多くの最適化実験を重ねた結果、高性能なCz-CTF光カソードの作製に成功しました(図1A)。一方、meso-ITO層を用いない場合にはCz-CTF膜はほとんど形成されず、meso-ITO層が均一かつ密着性の高いCz-CTF膜の形成に重要な役割を果たすことを明らかにしました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
査読段階で、提案した反応機構を裏付ける実験データを収集することに苦労しました。初回投稿時にも反応機構を支持する実験結果をいくつか示していましたが、査読者からはさらなる検証のために数多くの追加実験を求められました。その中には、研究室でこれまで実施したことのない実験も複数含まれており、一から測定手法や解析方法を検討する必要がありました。思うようなデータが得られない日々が続き、査読対応の期限が迫る中、実験中に思わず涙が出そうになることもありました(笑)。そのような状況でも、データが得られない原因を一つずつ整理・検証するとともに、代替手法も検討し、先生方と議論を重ねながら試行錯誤を続けました。求められたデータを全て揃えて論文を再投稿し、アクセプトの通知を受け取ったときは、本当に肩の荷が下りる思いでした。同時に、研究では知識や技術だけでなく、粘り強く挑戦し続ける姿勢の大切さを実感し、少しだけ研究者としての「根性」が鍛えられたように思います(笑)。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
直近では、有機高分子材料の高い分子設計自由度を活かし、より高性能なH2O2生成光カソードを開発するとともに、これまで実現が難しかった触媒反応への応用にも挑戦していきたいと考えています。また、修士課程修了後は博士課程へ進学し、将来的には化学を基盤として基礎研究から社会実装までを一貫して推進できる研究者を目指しています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
共著者の皆様に支えていただいたおかげで、このような研究成果を論文として発表することができました。正直なところ、研究は苦しいことの方が多いですが、その分、成果が得られたときの喜びや面白さがあるからこそ、研究はやめられないなと思っています(笑)。また、今回の研究や査読対応を通して、一見遠回りに思える試行錯誤や失敗の積み重ねも、後から振り返ると決して無駄ではなかったと感じています。これからも好奇心を大切にしながら研究に取り組み、一歩ずつ成長していきたいと思います。
最後になりますが、ご指導を賜りました坪ノ内優太准教授ならびに八木政行教授、そして研究室の皆様に心より感謝申し上げます。また、このような機会をいただきましたChem-Stationスタッフの皆様にも厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
関連リンク
研究者の略歴

名前:井手 玲花(いで れいか)
所属:新潟大学自然科学研究科 材料生産システム専攻 無機ナノ材料研究室所属
専門:光物質変換
略歴:
2025/03 新潟大学工学部工学科 卒業
2025/04 新潟大学自然科学研究科 博士前期課程入学






























