機械学習ポテンシャルが変える計算化学の現在
近年、DFT計算による反応機構解析は広く行われるようになった。しかし、DFT計算は高精度である一方、計算コストが大きく、遷移状態探索から反応経路解析までに数日以上かかることも珍しくない。
この状況を変えつつあるのが、機械学習ポテンシャルである。機械学習ポテンシャルを利用すれば、DFT計算に近い精度を保ちながら、反応機構解析を数分で実行できる。本記事では、低分子反応と酵素反応を対象とした、手軽に利用できる最新ツールを紹介する。
機械学習ポテンシャルとは?
機械学習ポテンシャルは、簡単に説明すると大量の量子化学計算データから、分子の三次元構造とエネルギー・力の関係を学習したモデルである。分子構造を入力すると、その構造のエネルギーと各原子に働く力を瞬時に予測できる。
毎回電子状態を計算するDFT計算とは異なり、1回のエネルギー計算はほぼ一瞬で終了する。Gaussian16 で数分〜数時間かかっていた計算が機械学習ポテンシャルを用いると数秒〜数分で完了する、しかも同等の精度で!機械学習ポテンシャルは無機化学・材料化学などでは以前から利用されてきたが、構造の複雑な有機分子への適用は容易ではなかった。
Metaが発表した汎用原子モデル「UMA」
2025年5月14日、Meta社(旧Facebook社)は、1億2千万分子からなる大規模データセット OMol25 [1]とそれを用いた汎用機械学習ポテンシャルUMA(Universal Model for Atoms)[2]を発表した。OMol25 の特徴は、有機分子や生体分子に対応した点である。
驚くべきことに、そのわずか26日後の6月9日、東京大学の寺田透教授・佐藤玄准教授らの研究グループは、UMAを実際の反応機構解析に応用したプレプリントを発表した。これは、UMA/Omol25を用いて有機化学反応の詳細な反応機構を解析した世界初の研究例であった。[3]
1反応あたり平均4分の高精度反応機構解析

寺田・佐藤グループは、分子科学研究所の甲田慎一博士らが開発したダブルエンド型反応経路探索法Direct MaxFlux(DMF)法[4][5][6]とUMA[2]を組み合わせた。
DMF法は、反応物と生成物の構造から両者を結ぶ反応経路を探索し、その途中にある遷移状態を特定する手法である。通常は探索中に何度もDFT計算を行う必要があるため時間がかかるが、エネルギーと力の計算をUMAに置き換えることで、大幅な高速化が可能となった
その結果、従来は数日を要した反応機構解析が、1反応あたり平均約4分で完了するようになった。遷移状態構造のRMSDは平均0.24 Å、活性化エネルギーの平均絶対誤差は1.65 kcal/molであり、DFT計算とよく一致していた。
最終的な論文データにはDFT計算による確認が望ましいものの、UMAで得た構造を初期構造に用いれば、その後の遷移状態最適化やIRC計算も短時間で収束する。UMAはDFT計算を完全に置き換えるというより、DFT計算すべき構造を高速かつ正確に見つける案内役といえる。
ブラウザから使える計算化学ツール「ColabReaction」

寺田・佐藤グループは、DMF法とUMAを組み合わせた反応経路探索を、より多くの研究者が利用できるようにするため、ColabReactionを開発した。[7]
ColabReactionはGoogle Colaboratory上で動作するため、高性能な計算サーバーを用意したり、複雑な計算環境を構築したりする必要がない。反応物と生成物の三次元構造をアップロードし、Jupyter Notebookを順に実行するだけで、反応経路と遷移状態候補を探索できる。これまで相応の計算環境と専門知識を必要としていた遷移状態探索を、ブラウザ上で直感的に操作できるインターフェイスを使って試せる形にした点は特筆に値する。
Google ColaboratoryのGPUを利用できるため、計算化学を専門としない有機化学者や学生にとっても、反応機構解析へ踏み出すハードルは大きく下がった。単に計算を高速化しただけでなく、計算化学への入り口そのものを広げたことも、ColabReactionの大きな意義だろう。
さらに、やや上級者向けではあるが、遷移状態最適化(TS optimization)、固有反応座標計算(IRC)、Gaussian 16のModRedundantを用いたスキャン計算などに対応する次世代版、LocalColabReactionXも公開されている。実際に筆者は、Codex(OpenAIのコーディングアプリ、現在はChatGPTアプリに集約されている)の補助を借りて1~2時間程度で構築できました。
頑張って構築したLocalColabReactionXを使ってみると、今までGaussian16やReaction Plusで時間をかけて行っていた遷移状態探索がものの数分で終わり、衝撃を受けました。
ColabReaction では、出発物と生成物の原子のナンバリング(atom index)を揃える必要があり、これが手間だった。こちらを自動化した分子科学研究所の甲田慎一博士らの開発したSlapMapperというツールがある。[8] また、SlapMapper に GUI をつけたColabMapper というツールも寺田・佐藤グループが公開する予定だそうだ。
酵素反応への応用「ML/MM toolkit」「pdb2reaction」
勘の良い読者ならQM/MM 計算など大規模系の計算も機械学習ポテンシャルを使って高速化できるのでは?と思うだろう。
実は、それらのツールもすでに開発・公開されている。寺田・佐藤グループの博士課程2年生の大村拓登さんが開発したML/MM toolkit [9]とpdb2reaction [10]である。
タンパク質を含む酵素反応ではQM/MM計算や Large Cluster Modelが一般に用いられる。しかし、活性部位の量子化学計算に大きなコストがかかるため、一連の解析には長い時間(数週間から数ヶ月)を要する。
ML/MM toolkitでは、活性部位をUMAなどの機械学習ポテンシャルで扱い、周囲のタンパク質を分子力場で計算する。これにより、従来は月単位の時間を要したQM/MM計算が、1日程度で終了するようになった。
pdb2reactionは、研究者が準備したPDB構造から、酵素反応モデルの構築、反応経路探索、遷移状態解析までを一貫して自動化するオープンソースのPythonツールである。これまで数週間かかっていたLarge Cluster Modelによる解析を、数時間まで短縮できる。
計算化学の民主化
これら3つのツールに共通するのは、機械学習ポテンシャルを単なるエネルギー予測モデルではなく、実際の反応機構解析を高速化する研究ツールとして実装している点である。
これまで、公開された計算化学ツールを利用するには高度な専門知識が必要だった。しかし、ColabReactionのようなブラウザツールや、AIを利用した環境構築支援によって、専門家以外でも高度な計算を試せるようになりました!
機械学習ポテンシャルUMAの限界
一方、機械学習ポテンシャルUMAにも限界がある。83元素をカバーしているが、それ以外の元素には使うことができない。また、金属を含む系ではエネルギー誤差が大きくなる場合があり、複数の遷移金属を含む系では構造誤差にも注意が必要である。
また、扱える原子数はGPUのメモリ容量に依存する。Metaの公式発表[2]では、UMAは10万原子の系も取り扱うことができている。
したがって、機械学習ポテンシャルの結果を無条件に信頼するのではなく、その適用範囲を理解し、必要に応じてDFT計算による検証を組み合わせることが重要である。
以下、ColabReactionの論文の責任著者である東京大学の佐藤玄准教授に、研究の背景や開発時のエピソード、今後の展望についてお話を伺いました。
スポットライトリサーチのインタビュー形式でお届けします!
今回対象となったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
機械学習ポテンシャルを用いて、反応機構解析を高速化する研究です。
従来のDFT計算では、遷移状態探索や反応経路解析に数日かかることもありました。今回の研究では、機械学習ポテンシャルを利用することで、こうした計算を数分で実行できることを示しました。
また、単に計算を高速化するだけでなく、計算化学を専門としない研究者でも利用できるツールとして、ColabReactionを公開しました。
本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
この研究には、いろいろと思い出深いエピソードがあります。
私たちは、UMA/OMol25の発表後、世界で最も早くUMAを反応機構解析に応用したプレプリントを発表しました。[3] その後、UMAの学習データセットであるOMol25 [1]の責任著者、Samuel Blau博士から祝福のメッセージをいただきました。これは非常にうれしかったです。
やはり、”世界初”の研究成果を発表することは、多くの方に注目していただくうえで大きな意味があるのだと実感しました。
その後、Metaの開発チームからもメールをいただきました。Metaの研究者の方々とZoomで直接お話しし、UMAについてさまざまな質問ができたことも、非常に貴重な経験でした。
共同研究者である山梨大学のレオ先生、博士課程2年生の大村くんとともに、少し緊張しながら早朝に Meta とのZoom会議に参加したことを、今でも鮮明に覚えています。
zoomの際に、UMA [2]の責任著者である Zachary W. Ulissi博士からも我々のプレプリントを出すスピードに驚いていたと聞いて、非常に嬉しかったです。また、彼の学会発表のスライドで我々の論文の Figure を引用して使っていることも教えてもらい、こちらも大変嬉しかったです。
研究テーマの難しかったところはどこですか?また、それをどのように乗り越えましたか?
最も難しかったのは、計算化学を専門としない実験系の方でも使えるツールに仕上げることです。
研究者が自分で使用するだけであれば、多少複雑な操作や設定が残っていても問題ありません。しかし、公開ツールとして多くの方に使っていただくために、入力方法を分かりやすくし、必要な設定を減らし、途中でエラーが起きにくい仕組みにしました。
また、Google Colaboratory上で動作する分子ビューアーを開発したことも重要なポイントです。こちらは、山梨大学のレオ・チー・シャン先生にお願いしました。AI によるコーディングが一般化した現代ですが、やはり難しいものを作る際はプロの協力が必要でした。(レオ先生はterminalの描画が追いつかないほどのタイピング速度でコードを書く人です。)
将来は化学とどう関わっていきたいですか?
しっかりとした化学的なディスカッションができる学生を育てていきたいと考えています。
計算化学が一般化し、誰でも計算を実行できる時代になりました。しかし、得られた結果を適切に解析し、化学的に解釈できる人は、まだそれほど多くないという印象があります。
これまでさまざまな方に計算化学を教えてきましたが、活性化エネルギーを求めただけで解析が終わってしまい、構造や軌道、反応駆動力などについて十分に議論されないことが少なくありませんでした。せっかく計算を行っているのに、非常にもったいないと感じていました。
様々な新しい計算手法が次から次へと登場し、そちらに気を取られてしまいがちだとは思いますが、それ以上に確かな化学の知識に基づいて結果を深く議論する力も重要だと思います。そのような力を持つ学生を育てていきたいと思っています。
最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
ColabReactionを多くの方に利用していただけると、非常にうれしいです。また不具合等ありましたら、気兼ねなく佐藤にご連絡して頂ければと思います。
2026年10月23日(金)にAMED BINDS主催のzoomオンラインセミナーで ColabReaction の講習会を行います。参加無料ですので、ぜひ多くの人に参加して頂ければと思っております。[11]
参考文献
- OMol25 Daniel S. Levine, Muhammed Shuaibi, Lawrence Zitnick, Samuel M. Blau, Brandon M. Wood et al. https://arxiv.org/abs/2505.08762
- Wood, B. M.; Dzamba, M.; Fu, X.; Gao, M.; Shuaibi, M.; Barroso-Luque, L.; Abdelmaqsoud, K.; Gharakhanyan, V.; Kitchin, J. R.; Levine, D. S.; Michel, K.; Sriram, A.; Cohen, T.; Das, A.; Rizvi, A.; Sahoo, S. J.; Ulissi, Z. W.; Zitnick, C. L. UMA: A Family of Universal Models for Atoms. arXiv 2025, arXiv:2506.23971. https://doi.org/10.48550/arXiv.2506.23971
- M. Nakano; M. Karasawa; T. Ohmura; T. Terada; H. Sato* ChemRxiv 2025, DOI: 10.26434/chemrxiv-2025-md8k6-v2
- Koda, S.; Saito, S. Locating Transition States by Variational Reaction Path Optimization with an Energy-Derivative-Free Objective Function. J. Chem. Theory Comput. 2024, 20 (7), 2798-2811. DOI: 10.1021/acs.jctc.3c01246
- Koda, S.; Saito, S. Flat-Bottom Elastic Network Model for Generating Improved Plausible Reaction Paths. J. Chem. Theory Comput. 2024, 20 (16), 7176-7187. DOI: 10.1021/acs.jctc.4c00792
- Koda, S.; Saito, S. Correlated Flat-Bottom Elastic Network Model for Improved Bond Rearrangement in Reaction Paths. J. Chem. Theory Comput. 2025, 21 (7), 3513-3522. DOI: 10.1021/acs.jctc.4c01549
- M. Karasawa; C. Siang Leow; H. Yajima; S. Arai; H. Nishizaki; T. Terada;* H. Sato* J. Chem. Inf. Model. 2025, 65(21), 11908–11914. DOI 10.1021/acs.jcim.5c02398
- S. Koda; S. Saito ChemRxiv https://doi.org/10.26434/chemrxiv-2025-hthwn
- Takuto Ohmura, Sei Inoue, Tohru Terada* ChemRxiv 2025, https://doi.org/10.26434/chemrxiv-2025-jft1
- Takuto Ohmura, Hajime Sato, Tohru Terada*ChemRxiv, 2026, https://doi.org/10.26434/chemrxiv.15003538/v1
- https://www.binds.jp/files/Information/pdf/d80779bd297c798e3d159d8b30d6ee47.pdf
生物情報工学研究室(寺田透教授・佐藤玄准教授の研究室):https://www.bi.a.u-tokyo.ac.jp/





























