第 671 回のスポットライトリサーチは、北海道大学大学院 理学研究院 化学部門 理論化学研究室 (前田 理 研究室) 博士研究員の 神名 航 (かんな・わたる) さんにお願いしました!
前田研といえば反応経路自動探索法の「人工力誘起反応法(AFIR法)」が持ち味ですが、計算結果は実際に合成してみるまで真偽のほどは分かりません。神名さんは前田研で量子化学計算をこなしてβ-アミノ酸の新規合成法を設計し、さらに同大学の 美多 剛 先生 のもとで有機合成化学を実践してその理論を実証し、さらに静岡大学グリーン科学技術研究所の 間瀬 暢之 先生のもとでファインバブルフロー合成による効率的合成を実現したつわもの研究者です!
医薬品や機能性ペプチド合成において重要なβ-アミノ酸の合成理論構築から高効率合成までの一連の流れを達成した本研究成果は高く評価され、ACS Catalysis 誌に原著論文が掲載されるとともに、フロントカバー (アイキャッチ画像参照) にも選ばれています!また、北海道大学および静岡大学からそれぞれプレスリリースもされました (北海道大・静岡大)
Computationally Guided Development of an Alkene Aminocarboxylation with CO2: Synthesis of a β-Amino Acid Derivative
Wataru Kanna, Yu Harabuchi, Kosaku Tanaka III,,Hiroki Hayashi, Hideaki Takano, Tomoki Kozuka, Hiroto Sakurai, Nobuyuki Mase, Satoshi Maeda*, Tsuyoshi Mita*
ACS Catal. 2025, 15, 12180–12191,
研究を指導された、北海道大学 総合イノベーション創発機構化学反応創成研究拠点 (WPI-ICReDD) の教授の前田先生と美多先生より、神名さんについてのコメントを頂戴しております!
前田 理 先生より
神名君は、当研究室に配属されて以来、理論設計に基づく有機合成研究に取り組んできた学生です。学部生時代には、量子化学計算を用いた遷移金属錯体の反応性予測に従事していましたが、計算による予測を自身の手で実証したいという強い意欲を抱くようになり、WPI-ICReDDの融合的な研究環境を活かして、理論化学研究室に所属しながらも、美多教授のご指導のもと実験にも取り組むという、ユニークな研究スタイルを確立してくれました。この先駆的な姿勢は後輩たちにも良い影響を与え、現在では複数の学生が同様のスタイルで研究を進めています。理論と実験の双方を深く理解するという彼の特性は、ICReDD の MANABIYA 制度においても大きな力となりました。実験を主なフィールドとする研究者が当研究室を訪問した際にも、神名君は的確なサポートを行い、多くの成果につなげてくれました。今回のβ-アミノ酸合成法の研究においては、ポテンシャル交差点に基づく光触媒の反応機構解析をさらに発展させ、プロトン共役電子移動過程を CO2 共役電子移動過程へと置き換えるという大胆な仮説を提案。このアイデアを最初に聞いた際、私自身は「不可能ではないか」と懐疑的なコメントをしていましたが、彼は理論的に可能性を丁寧に検証し、それを実験実証へとつなげてくれました。今後も、理論と実験を自在に行き来するユニークな人材として、大いに活躍してくれると確信しています。
美多 剛 先生より
神名航君は学部4年次に前田理研究室に配属されて以来、私たちのグループと協力して研究を進めてきました。当初は計算化学に関心を持っていましたが、私が主催する勉強会において有機化学や遷移金属化学を基礎から徹底的に学び、理論と実験の両面を自在に操る優秀な研究者へと成長しました。計算と実験の双方に精通し、ICReDD の融合研究を牽引しうる、極めて貴重な人材です。計算化学者でありながら、実験的思考力と現場感覚も併せ持つ神名君は、フロー合成にも果敢に挑戦し、静岡大学・間瀬先生との共同研究では、ファインバブルを用いた気液フロー合成の開発に成功しました。得意の機械操作を活かし、ファインバブル発生装置を巧みに扱いながら、計算化学的知見を基盤に CO2 を原料とした新たなβ-アミノ酸合成法を開発し、バッチ反応からフロー反応へと展開させました。本研究はこのたび、ACS Catalysis 誌に受理されました。
また、ICReDD が提供する短期滞在型学習プログラム「MANABIYA」においても、神名君の能力は際立っていました。多くの若手研究者に最先端の計算化学を指導し、明快な説明と的確な助言によって学生から厚い信頼を集めています。その実力は、「神名君に勝る計算科学者はいない」と断言できるほどです。
さらに英語にも堪能で、Hokkaido Summer Institute で来札されたプリンストン大学・Robert Knowles 教授とのディスカッションでは、自身の研究内容を堂々と説明し、深い議論を交わしていました。国内外の研究者と対等に議論できる、次世代を担うグローバル型研究者です。
神名君は、理論と実験、有機化学と反応工学、教育と国際交流といった多様な領域をいずれも高いレベルで実践できる、極めて稀有な人材です。今後のさらなる飛躍を心から期待しています。
それでは、今回もインタビューをお楽しみください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
β-アミノ酸は人工ペプチドや医薬品研究において重要な構造単位ですが、その合成法は限定的であり、特に CO2 を直接原料として利用する反応は未開拓でした。本研究では、光電子移動触媒と青色 LED 照射を用い、アミノアルケンと CO2 から温和な条件下でβ-アミノ酸誘導体の合成に成功しました。
と、ここまでが反応の説明なのですが、今回の研究ではポテンシャル交差点の計算を活用して反応開発に取り組んでおり、その計算の過程で新たな計算法を提案することでジアステレオ選択性決定段階を定量的に評価しました。さらに、最終的には静岡大学の間瀬先生との共同研究で気液フロー合成にまで展開しました。こんな具合に、あれもこれもやってみようと様々な要素を盛り込んでしまったので、最終的にはトッピング全部乗せみたいな論文になってしまいました。
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Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
特に思い入れがあるのは交差最適化の計算です。マーカス理論の枠組みでは、電子移動過程は、反応座標に沿った2つの異なるポテンシャル曲線の交差点を通って進行すると説明されます。これに基づくと、本反応のジアステレオ選択性決定段階である一電子還元とカルボキシル化のステップも同じくポテンシャル交差点として得られるはずですが、この計算がなかなか上手くいかず、何度最適化を行っても求められるのは還元後に開環して双性イオンを解消する交差点ばかりでした。どうにか還元後にそのままカルボキシル化するような交差点を探そうと「CO2 が近くにいる交差点」を狙った計算ジョブを何度も投げていたある日、原渕先生とのディスカッションの中で「弱い AFIR で CO2 を近づけながら交差点を最適化してみよう」と思いついた瞬間を今でも覚えています。そこからの計算は一本道で、すぐに目的の交差点を求めることができ、ジアステレオ選択性決定段階を定量的に評価することができました。
一電子還元過程におけるポテンシャル交差点の概略図 |
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
フロー合成への展開にはかなり苦戦しました。初期検討では、手元にあったT字ミキサーで気液を合流させて反応を試してみたのですが、収率は30%程度で頭打ちになっていました。バッチ条件での結果と照らし合わせると低収率の原因が CO2 の濃度不足であることは明らかで、フロー合成は半ば諦めかけていました。この状況に風穴を開けてくれたのがウルトラファインバブル発生装置でした。この装置は静岡大学の間瀬先生が開発したもので、デジタル有機合成の縁もあって共同研究することになりました。そこで早速 2022 年の 10 月、当時美多グループの特任助教であった髙野先生とともに、静岡大学の間瀬研究室へ修行に行きました。わずか4日間の滞在でしたが、当時の間瀬研2大エースである小塚君と櫻井君のおかげですぐに実験に取り掛かることができ、滞在中の結果で「この装置ならいける」と確信できました。その後、我々も研究室にウルトラファインバブル発生装置を導入し反応条件の最適化まで行いましたが、この装置が今日まで大きなトラブルなく運用できているのは「困ったら分解できるところは全て分解して洗う」というシンプルながらも最重要な原則を彼らから教えてもらったおかげです。彼らには感謝してもしきれません。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
本研究では量子化学計算と合成化学実験、最終的にはフロー合成までも自分の手で行ったことで、分野にまたがって研究を進める楽しさを学びました。また、研究を進めるうえで、計算していて学んだことが実験での反応設計に活きることもあれば、逆に実験をしていて得た感覚によってスムーズに計算を進められたこともありました。この研究を通して、計算化学も有機化学も同じ「化学」であり、それぞれ違った目線から「化学」をしているだけに過ぎないのだと実感させられました。今後は、この研究で得た経験を活かして広い視点で「化学」を捉えて研究を進め、さらには研究を進める中でまた新たな視点を獲得して成長しながら化学と向き合っていきたいです。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします!
人工力を付した交差最適化の計算、CO2 を原料にしたアミノ酸合成、さらには気液フロー合成と、いろいろ詰め込みすぎて長い論文になってしまいました。興味のある部分だけでもいいので読んでもらえたら嬉しいです。
最後に、この研究が行き詰まるたびに手を貸してくださり、一緒に研究を推し進めてくださった 原渕先生、林先生、髙野先生、田中先生、フロー合成への展開を実現するために尽力してくださった間瀬先生、小塚くん、櫻井くん、計算と実験どちらもできる環境を用意し、一から指導してくださった前田先生、美多先生、日頃からお世話になっている理論化学研究室のメンバーや ICReDD のメンバーにこの場を借りて感謝申し上げます。
研究者の略歴
名前:神名 航 (かんな わたる)
所属:北海道大学 理論化学研究室 博士研究員
2020年3月 北海道大学 理学部化学科 卒業
2022年3月 北海道大学大学院 総合化学院 修士課程 修了
2024年4月 – 現在 日本学術振興会特別研究員(DC2)
2025年3月 北海道大学大学院 総合化学院 博士課程 修了
研究者らの近影
左より、原渕祐先生、神名航さん、前田理先生 |
左より、美多剛先生、神名航さん、間瀬暢之先生 |
神名さん、前田先生、美多先生、インタビューにご協力いただきありがとうございました!
それでは、次回のスポットライトリサーチもお楽しみに!
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