第698回のスポットライトリサーチは、名古屋大学大学院工学研究科(大井研究室)博士後期課程1年の川口竜寛 さんにお願いしました。
今回ご紹介するのは、ジチオカーバメート構造を持つ分子性触媒に関する研究です。
ジチオカーバメートはNC(=S)S 構造を持つ化合物であり、これまで分子性触媒としての開発は進んでいませんでした。今回、川口さんの所属されるグループでは、ジチオカーバメート構造類縁体”チアゾール-2-チオン”のラジカル共有結合触媒としての反応性を報告されました。さらに詳細な機構解析により、鍵中間体が励起三重項状態ビラジカル種であることを明らかにされています。本成果は、J. Am. Chem. Soc. 誌 原著論文およびプレスリリースに公開されています。
“Designer Dithiocarbamates as Radical Covalent Catalysts via Excited-State Triplet Biradicals: Application to Skeletal Reorganization of Vinylaziridines”
Kawaguchi, T.; Shioda, Y.; Hanai, Y.; Nakashima, T.; Ooi, T. J. Am. Chem. Soc. 2026, 148, 5585–5593. DOI: 10.1021/jacs.5c20284
研究を指導された中島翼 助教から、川口さんについて以下のコメントを頂いています。(中島先生は第209回スポットライトリサーチにご寄稿いただいています。)それでは今回もインタビューをお楽しみください!
本論文の主役の1人である川口くんは、学部4年生の頃から新規ラジカル触媒の開発に関わってくれています。配属当初は今回とは全く異なる触媒骨格の設計・合成から研究がスタートしましたが、その時から絶対に諦めない姿勢は人一倍強く感じました。今回のジチオカーバメート触媒も、研究を開始してすぐにいくつかの反応系で触媒活性を見出していたものの、他の硫黄中心ラジカルとの差別化や反応システムの新規性という観点で論文化できていませんでした(完全に私の力不足です)。こうした我々の強いこだわりという制約の中でも、川口くんは実験結果に対して常に真摯に向き合い、その姿勢を崩さなかったことが間違いなく今回のビラジカル触媒の発見に繋がったと思います。
以前私が同インタビューを受けた際には、当時の直属のスタッフだった大松先生(現・慶應大)に私の実験台がとても汚いことを公に暴露されてしまいました(ケムステ記事リンク)。私自身はそういうことをするつもりはありませんし現在もお世辞にも綺麗なドラフトとは言えませんが、先日、大学の広報の方が我々の研究室に撮影に来た際、川口くんのドラフトは汚くて写せないとのことでした。みなさん、川口くんの今後の活躍に期待してください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
ジチオカーバメートはチオカルボニル(C=S)構造に窒素原子と硫黄原子が結合したNC(=S)S構造を持つ化合物であり、チオカルボニル基の塩基性と窒素原子の電子供与性を活かし、金属錯体の配位子や保護殺菌剤などの農薬の主骨格として広く用いられています。また、この骨格はラジカル種と可逆的に共有結合を形成する反応性も知られており、RAFT重合と呼ばれる精密重合の連鎖移動剤として利用されています。このような背景の下、私たちの研究室ではジチオカーバメートの合成化学における有用性とラジカル種との親和性に関心を持ち、これまでほとんど注目されてこなかった分子性触媒としての可能性に着目しました。
本研究においては、チアゾール-2-チオンと呼ばれるジチオカーバメートの構造類縁体が、ラジカル共有結合触媒反応において高い活性を備える骨格であることを見出しました。実際に、適切な位置に電子求引性基を有するチアゾール-2-チオンを触媒として、イリジウム光レドックス触媒を用いることで、青色LEDの照射下、窒素原子を含む3員環骨格であるビニルアジリジンを、窒素原子が置換した炭素5員環骨格であるアミノシクロペンタンへと効率的に変換することができます。さらに詳細な反応機構を解明するため、種々の解析実験と計算科学を利用した検証を行った結果、光レドックス触媒からの三重項エネルギー移動により発生するチアゾール-2-チオン由来の励起三重項状態ビラジカル種が、鍵中間体として作用し得ることを明らかにしました。

Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
反応溶媒の選定には特に思い入れがあります。反応探索の初期段階では、光レドックス反応で一般的に用いられるアセトニトリルや1,2-ジクロロエタンを用いて様々な条件を検討しました。しかし、どのような反応条件を用いても、触媒量と同じ5%程度で反応の進行が止まってしまい苦戦したことを覚えています。そこで、スルホンアミジルラジカルの水素原子移動(HAT)に関する論文を隈なく調査していたところ、ヘキサフルオロイソプロパノール(HFIP)が特異的な効果を示す論文をいくつか見つけました。そこで自分の反応系でも試してみたところ、収率が79%まで大きく向上しました。この経験を通じて、研究に行き詰まった際には、自分の中の常識にとらわれず少し視点を変えて検討することで、初めて見えてくるものがあることを実感しました。今後の研究においても大切な教訓として活かしていきたいと考えています。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
触媒の作用機序の解明には苦労しました。当初は、過去の自分たちの実験結果をもとにラジカルカチオン種の関与を示唆する知見を得るために機構解析実験を行っていましたが、期待した結果がなかなか得られず頭を抱えました。しかし、計算科学を利用した検証により、当初は全く想定していなかった三重項エネルギー移動により活性種が生成している可能性が示唆されました。この仮説が生まれたことをきっかけにこれまでの考え方を見直したことで、三重項励起状態に相当するビラジカル種が真の活性種であることを明らかにすることができました。それまで説明が難しかった実験結果を一貫して理解できるようになり、霧が晴れたような気持ちになりました。

Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
この分野に進んだのも、もともと有機化学に興味があり、有機化学と関係のある仕事に携わるのであれば、最もコアな部分から学びたいと考えたことがきっかけでした。将来は低分子合成分野で得たスキルを基盤としながら、他分野と融合させる形で活かしていきたいです。そのためには、まだまだ身につけるべき知識やスキル、経験は山ほどあるかと思いますが、現在自分が専門としている分野を軸にしてユニークな研究を生み出せるような研究者へと成長していきたいです。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
研究室に配属され4年が過ぎ、短いながらも自分が何をしてきたかを振り返ってみると、その大半は想定とは異なった結果との睨めっこでした。しかし、今回このような形で論文としてまとめ上げることができた経験を通じて、例えその瞬間では望ましい結果でなかったとしても、そこで得られた知見が後に重要な意味を持つ可能性があることを実感しました。私自身、そうして蓄積されてきたデータを体に染み込ませることで初めて自分の触媒の「てざわり」を私なりに理解し、触媒化学における反応開発のスタートラインに立てたと感じています。
最後に、本研究を遂行するうえで様々なご指導、ご助言をいただいた大井先生、中島先生、武藤先生、荒巻先生、南先生、日々の研究室生活で刺激をくれる研究室メンバーや、毎週金曜日に一緒にランニングしてくださるITbMマラソン部メンバーの皆様に心より感謝申し上げます。また、本研究を取り上げてくださったChem-Stationのスタッフの皆様にも深く感謝いたします。
研究者の略歴

名前:川口 竜寛(かわぐち たつひろ)
所属:名古屋大学大学院 工学研究科 有機・高分子化学専攻 有機反応化学講座(大井研究室) 博士後期課程1年
略歴:
2023年3月 名古屋大学 工学部 化学生命工学科 卒業
2025年3月 名古屋大学大学院 工学研究科 有機・高分子化学専攻 博士前期課程 修了
2025年4月〜現在 名古屋大学大学院 工学研究科 有機・高分子化学専攻 博士後期課程 在学中





























