第686回のスポットライトリサーチは、北海道大学大学院理学研究院化学部門 有機化学第一研究室(鈴木孝紀 研究室)の菊池モトさんにお願いしました!
周囲環境に応答して変化する材料や分子は、新しい機能性材料につながる可能性があります。今回紹介いただけるのはこの中でもなんと圧力に応答した化学反応を示す分子です。シクロファンと呼ばれるユニークな骨格に注目し、酸化還元反応が変化することを見出しました。まさに新しい分子骨格から新しい機能を引き出した好例と言えるでしょう。本成果はMater. Chem. Front.誌に掲載され、北海道大学プレスリリースでも成果の概要が公開されています。また、フロントカバーにも選ばれています!
“A redox reaction triggered by hydrostatic pressure in dicationic cyclophanes”
Moto Kikuchi, Tomoya Kuwabara, Gaku Fukuhara, Takanori Suzuki and Yusuke Ishigaki
Mater. Chem. Front., 2025,9, 2863-2870
菊池さんについて、指導教員である石垣侑祐先生から以下のコメントをいただいています。
菊池くんは丁寧で緻密な実験を進め、確実性の高いデータを積み上げていくことのできる非常に優秀な研究者です。我々のグループの研究についてこれまで何度か取り上げていただいていますが、個性あふれる先輩方の陰でコツコツと力をつけ、いまや研究室において中心的な頼れる存在に大きく成長しました。例えば、不安定な化学種の調査(得られないと思っていたラジカルカチオンの単結晶育成など)をさらっと達成するほどに優れた実験技術も身に付けています。また、新しい計算手法の習得に加え、学内計算機サーバーの利用に向けたシェルスクリプトの構築など、できることの幅をどんどん広げてきました。そして本研究においても、馴染みのなかった加圧下での測定を習熟するため福原グループへの研究留学に加え、その背景も丁寧に調べ上げ、本論文を執筆するに至りました。現象として珍しいことはもちろんですが、比較実験や丁寧な解析を行っていることから、今後どんどん引用されていくであろう論文に仕上がったと思います。論文も含めてぜひご覧ください!
それでは、菊池さんのスポットライトリサーチインタビューをお楽しみください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
本研究では、わずかな水分子の存在と分子構造変化を利用することで、圧力応答型の還元反応を初めて実現しました。
静水圧は身近な刺激の一つであり、例えば水中に潜るとその深さに応じて一定の圧力を受けます。
私たちの生体内においても圧力変化で様々な現象が生じているように、圧力は他の刺激(熱、光など)と比べ、精密な制御が可能であることから注目されてきました。そのような圧力応答性材料を新しく構築し、分子レベルでそのメカニズムを解明できれば、設計通りの機能創出に繋げられるだけでなく多彩な展開が可能と期待されます。
そこで本研究では、シクロファン型ジカチオンに着目しました。環状構造をもつシクロファン型分子は、直鎖状分子ではもち得ない物性を示す可能性があることから、幅広い分野において研究対象とされてきました。一方、電子のやり取りで駆動するレドックス反応も興味がもたれてきましたが、カチオンユニット間の静電反発によって近接させることが困難なため、カチオン性シクロファンの研究は、より大きな空孔をもつ分子に限られていました。そこで私たちは、カチオンユニットが近接して積層可能なシクロファン型ジカチオンをデザインし、環境応答性を調査することにしました。加えて、圧力応答性における対イオンの効果を明らかにするため、BF4−塩に加えてPF6−塩及びNTf2−塩を合成しました。

有機溶媒としてジクロロメタンを用い、それぞれの紫外可視吸収スペクトルを調査したところ、通常の大気圧下(1気圧 = 0.10 MPa)では対イオンの種類によらず溶液中の挙動に変化は見られませんでした。次に、BF4−塩を用いて圧力応答性を調査したところ、わずかな水分子の存在下、静水圧を280 MPaまでかけることで一電子還元が進行することが明らかになりました。一方、シクロファン型ではない非環状カチオンユニットを用いて同様に圧力応答性を調査したところ、還元反応は全く進行せず、シクロファン構造が重要であることが示されました。

また、PF6−塩でも同様に一電子還元が進行したのに対し、NTf2−塩では非環状カチオンと同様に還元反応が進行しませんでした。これらの結果から、一電子還元を駆動するにはシクロファン型ジカチオンへ水分子が溶媒和することが重要であると考えられます。すなわち、対イオンとしてNTf2−を用いた場合、水分子がNTf2−へ溶媒和してしまうために還元反応が進行しなかったことが示されました。以上より、有機分子における圧力応答型レドックス特性を初めて明らかにしました。

Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
本研究で一番思い入れがあるところは、夏の高い湿度がきっかけとなって圧力応答型の還元反応を発見できたことです。本研究は当初、シクロファン型ジカチオンに圧力をかけることで、環状構造に由来する特異な挙動が観測されることを期待して進めていました。研究が始まって初期のころは、脱水溶媒を用いて検討しましたが結果の再現性に乏しく、季節によって異なる挙動を示しました。具体的には、夏場は還元が進行する場合としない場合がある一方、秋になると還元がまったく進行しませんでした。調査した結果、夏は湿度が高く大気中の水がわずかに測定サンプルに混入したことが原因と判明しました。共著者である桑原さんの多大な貢献のおかげで水が還元反応に関与していることが明らかになり、研究が進展した時は非常に感動しました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
加圧によるラジカルカチオンの生成を実証することが難しかったです。特に研究の初期段階では、還元剤の候補すら見当がつかず、本当にそのような現象が起こっているのか半信半疑のまま研究を進めていました。そこで実験の再現性を確認するだけでなく、加圧により生成したラジカルカチオンの再酸化や、ビラジカル種とジカチオンを等量混合することで調製したラジカルカチオンのスペクトルの測定、さらに様々なレベルの理論計算の実施といった調査を積み重ねることで明らかにすることができました。
また、本研究において、先生方や研究室メンバーとのディスカッションを重ねることでメカニズムの解明の糸口を見つけることができました。特に、国内留学の帰りの飛行機の時間ギリギリまで福原先生にディスカッションしていただいたことが強く印象に残っています。周りの皆様の支えにがあったからこそ論文掲載に至ることができ、感謝の念に堪えません。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
現在は、新しい応答系の構築を目指してカチオン性シクロファンの研究を進めています。博士後期課程は残り1年半(予定)ですが、面白い発見につながるような成果を発表できるよう、日々試行錯誤を続けています。
卒業後の具体的な進路はまだ決まっていませんが、研究職に従事したいと考えています。今回の研究を通して私は、共同研究によって自分にない新たな視点や知見を得られること、その積み重ねが成果につながることの面白さを実感しました。そこで将来は化学を究めるとともに、積極的に他分野の研究者や技術者と協働することで単独ではなしえない成果を生み出せる研究者になりたいです。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
研究を進める中で、私が痛感していることがあります。それは、自分一人だけでは研究活動が立ち行かないということです。実際、本研究も先生方や研究室メンバー、共同研究者の方々に支えていただいたからこそ、論文化までたどり着くことができました。様々な形で身の回りの人に支えていただいているおかげで、日々の研究活動を続けることができ、心から感謝しています。私も、周囲を支えられる研究者へと成長していきたいと思っています。本記事が皆様の研究や日常の励みになりましたら幸いです。
最後に、本研究を遂行するにあたり多大なご指導とご助力を賜りました石垣侑祐先生、鈴木孝紀先生、福原学先生にこの場を借りて深く感謝申し上げます。石垣侑祐先生には日頃より研究のご指導に加え、論文執筆に関しても丁寧なご指導を賜りました。鈴木孝紀先生には温かく見守っていただくとともに、時に深いディスカッションを交わさせていただきました。福原学先生には静水圧に関する貴重な知見をご教授いただきました。また、これまで支えてくださった鈴木研究室の皆様、私に実験技術を教えてくださった桑原さんをはじめとする福原グループの皆様、そして本成果のきっかけとなる国内留学のきっかけを与えてくださった高密度共役の科学の関係者の皆様をはじめ、π分子複雑性の追求が紡ぐ機能科学の関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。並びに、研究紹介の機会を与えてくださったChem-Stationの皆様に深謝いたします。
【研究者の略歴】

名前:菊池モト
所属:北海道大学大学院総合化学院 有機化学第一研究室(鈴木孝紀研)
博士後期課程2年
専攻: 構造有機化学
略歴:
2022年3月 北海道大学理学部化学科 卒業
2024年3月 北海道大学大学院総合化学院 博士前期課程修了 [有機化学第一研究室(鈴木孝紀 研究室)]
2024年4月 北海道大学大学院総合化学院博士後期課程 進学 [有機化学第一研究室(鈴木孝紀 研究室)]
2025年4月~ 日本学術振興会 特別研究員DC2
【関連リンク】
・研究室HP
・プレスリリース「有機分子の還元反応が”加圧”により進行することを発見!~圧力応答性材料開発に向けた新たな設計指針を提供~」
・報告論文 Mater. Chem. Front., 2025,9, 2863-2870




























