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一般的な話題

MDSのはなし 骨髄異形成症候群とそのお薬の開発状況 その1

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Tshozoです。今回はかなり限定した疾患とそれに対するお薬の開発の中身をまとめておこうと思います。お付き合いください。

注:個人の経験等をもとに国内外情報を収集し注意して記載いたしますが、筆者は正式に医学・薬学を専攻しておりません・多分に誤解、抜けや漏れが存在しますのでご注意願います

MDSとは: 「骨髄異形成症候群 Myelodysplastic Syndromes」

オペラ歌手 ホセ・カレーラス、歌舞伎役者 12代市川團十郎・坂東竹三郎、アナウンサー 磯村尚徳、小説家 花村萬月、落語家 笑福亭仁鶴、元読売巨人 鈴木康友、プロゴルファー 中溝裕子、元東京都知事 青島幸男…これらの方々が共通に苦しまれた疾患が”骨髄異形成症候群”と呼ばれるものです。がんの一種で特に血液がんに分類されますが名前がわかりにくい。英語もMyelo-Dysplastic Syndromes(直訳:骨髄(細胞)の異常形成の症候群)と初学者に辛い単語。その原因も様々、治療方法も選択肢が限られるのですが様々、そして重症だとほぼ手の打ちようがなくなってしまう点でも、患者ご本人とそのご家族にはとても辛い病気です。最近では分析や分類が進んだおかげもあるのですが発生割合が2019年時点で10万人に5人程度(世界全体)まで増えていて、決して無視できるレベルではなくなっています。

ただそれでも様々な努力がなされており、たとえば日本ではMDSにかなり似通った症状を発症し得るAML(Acute Myeloid Leukemia 急性骨髄性白血病)の治療薬開発を行う協和発酵キリン殿がわかりやすいサイト(こちら)を、また以前採り上げたアザシチジン(商品名ビターザ)の販売を行う日本新薬殿のサイト(リンク)、そしてサリドマイドを応用したレナリドミドを販売する沢井製薬殿がまとまった資料(こちら)を展開して下さっているのでまずはこれらで概要を掴んでいただくのがよろしいかと。そのうえで個人的興味に基づきどういう病気であるか、どういう薬があるのかをまとめてみることにしました。

繰返しになりますがMDSは「血液がん」の一種で、その原因が「血液をつくる骨髄内の造血細胞」に何らかの(具体的には染色体含む遺伝子レベルでの)異常が発生し、それが血液を正しく作れないことにつながり結果的に「治りにくい貧血」として症状が現れるがん(特に造血に関わる骨髄の場所は下図人体内の↓赤色部)のことです。正式にはクローン性造血幹細胞疾患というものの一種と定義されているようですが過去には”くすぶり白血病”と呼ばれ、主訴として疲れやすい、階段をちょっと上る程度で発生する酷い息切れ、強いむくみやだるさ、打ち身なども含めた内出血や傷が治りにくい等の症状があるのですが、気づきにくく症状が出た時には手遅れというケースも。血液がんというと一般に白血病のイメージが付きまといますがそれらは表面的なものの一つであり(当然下図のように急性白血病(顆粒球の異常増殖など)が連動してあらわれることはありますが)、特にMDSの根本原因は長期造血幹細胞(Myelo)の形成異常(Dysplastic/Dysplacia)で、血球像形態異常(=異形成像)が現れることを特徴とするものであります。

体内で血液に関わる細胞が作られる分化ルートのイメージ (文献1)の図を筆者が編集して引用
真ん中と右側のケースがMDSで、根元に異常が発生するので下流のほぼ全部が影響を受ける
(AMLにならないケースもあり実際の分類は相当細分化している)

あとこのMDS、そこそこ「新しい」疾患です。まとまった形で分類(Classified)の試みが始まったのは1980年前後、世界的な認識としてその分類がまず確定したのはたった17年前(文献2)。ただ治療薬の開発自体はMDSの正式な定義に関わらず続けられていて、例えば有名なビターザが登場したのは1970年代で(前回記事)。しかし実はこの後のレナリドミド以外にめぼしいものが出てきていないのが現実。これはどういうことなのでしょう。

ということでまずMDSの歴史を。これを調べる中で主に読み込んだ(文献3)は非常に素晴らしく古代に遡り現代まで、関連した疾患がグループ化されていく100年近くにわたる流れを詳細に説明しており一読をお勧めいたします。ただこれを逐一たどることは本記事の本意ではないので内容をかいつまんでみてみましょう。

〇昔 :前近代から”貧血”という形で現れていたのがそもそもの状態で、白血病という概念は1850年あたりには既に存在していたものの当然この時はMDSのエの字もなかった  また「難治性貧血(refractoryanemia)」という分類はあり、その中に実はMDS患者がいた可能性はある
〇発端:1900年前後、Wilhelm Olivier Leubeというドイツの小児科医が難病の子供を診ていた際その急激な症状の悪化に気づき「これはどうも普通の貧血や白血病などではない」と報告書に認めたのがMDS史上初の記録と言われている(他の文献類もほとんど同様に彼の貢献を書いており、おそらく現時点でこの記述は正しい)

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歴史上はじめてMDSの存在に気づいたと考えられるDr. Wilhelm Olivier Leube(リンク)
記録自体は病院週報(Kliniken Wochenschreiben)だったらしく見つけられなかった

なお彼が診た患者の中に10歳(!!!)の少年がいて、MDSになるには相当レアケースの齢であり
何らかの遺伝的要因、または特定の化学物質などに関わっていた可能性がある(後述)

〇模索:1956年前後、スウェーデンのSven-Erik Fredrik Björkmanという若い医師が芽球細胞の異常を伴う難治性(不応性)貧血の症状を複数記録したものの、MDSに直結する記録とはならなかった
〇明示:1970年代、フランス、アメリカ、フィンランドで数は少ないながらも特徴的な症状を持つ急性白血病の報告が見受けられるようになり、その中でアメリカの”Harriet Gilbert”という研究者がこうした症状に対し“myelodysplastic disease”(骨髄異形成病)という分類を提案 この1つ目の単語が研究者間で共通のキーフレーズになっていく
〇連携:1980年付近にFAB(French-American-British)という7名の研究者間での連携により、”myelodysplastic disease“を定義づけする活動が始まる これが国際的な活動の基礎かつ発端となり、最終的に2008年に定義されたWHOでの国際分類の下敷きとなる
〇再定義:2016年に更にWHOにより再度見直し 該当疾患に”MDS”という名称が入り、ここに至りようやく定義の目処が立った

 

MDSに係る歴史的な定義づけの簡単な流れ (文献3)(文献4)(文献5)(文献6)の内容を筆者が編集して引用
分類イベントの名称、カテゴリー数の増加傾向、重なる修正の跡、そしてMDS-Uの存在から
このMDSというものがいかに理解しづらく定義・分類しにくいかがうかがえる

…という流れですね。念のため2008年時点でのMDSと診断されるWHO分類((文献5)参照)をちゃんと書いておくと、RA(Refractory Anamia:不応性(難治性)貧血), RARS(Refractory Anamie with ringed sideroblasts:環状鉄芽球性不応性貧血), RAEB-1(refractory anemia with excess blasts:芽球増加を伴う不応性貧血 芽球割合小), RAEB-2(refractory anemia with excess blasts:芽球増加を伴う不応性貧血 芽球割合大 等), RN(refractory neutropenia:不応性好中球減少症), RT(refractory thrombocytopenia:不応性血小板減少症), RCMD(refractory cytopenia with multilin-eage dysplasia:多血球系統の異形成を伴う不応性血球減少症), Childhood MDS(Childhood Myelodysplasia Syndrome:小児性骨髄異形成症候群), MDS del5q(myelodysplastic syndrome associated with isolated del(5q):染色体5(番目)のq-型欠損異常を伴う骨髄異形成症候群), MDS-U(myelodysplastic syndrome-unclassifiable:分類不能型骨髄異形成症候群), t-MDS/t-AML(:治療関連骨髄異形成症候群)の11種類。ややこしいいい!

結局更なる改訂の結果、2016年のWHO最新定義では正式に名称の頭に”MDS”が入りました(文献6・上図)。大分類は6種に減り、略称もやめて、MDS with single lineage dysplasia(1系統異形成MDS), MDS with multilineage dysplasia(複数系統異形成MDS), MDS with ring sideroblasts(高い環状鉄芽球発生を伴うMDS), MDS with excess of blasts(過剰芽球発生を伴うMDS),  MDS with isolated del(5q)(染色体5(番目)のq-型欠損異常を伴うMDS),  MDS unclassifiable(分類不能型MDS)に。これに暫定分類(Provisional Entity)としてRefractory Cytopenia of childhood(小児性難治性血球減少症)が加えられた、と。あーしんど。とはいえこれでだいぶわかりやすくなったのではないでしょうか(詳細は日本血液学会殿のページを参照・具体的には重めの貧血症状に加え7種類の血球のいずれか一つの(顕著な)数量減少、かつ、血球のいずれかの異形成or染色体異常or芽球増加、によって診断が確定されその後疾患リスクが決定されます)。(筆者注:t-MDS(治療関連性MDS)がこの2016年改定でMDSとは別の「急性骨髄性白血病(AML)と関連腫瘍」グループ内直下の「t-MN(therapy-related myeloid neoplasms:治療関連骨髄性腫瘍)」に割り当てられているのには注意が必要です・AMLの特徴は芽球急増なのですがt-MDSも基本的にその症状がみられるようで、芽球の多さの閾値(>20%)により分類したらしいのですが…治療関連性の結果としてはt-AMLなどが派生して発生し得るためt-MNとしてまとめた、とする記載もありましたが真偽不明です・個人的にはこの采配には疑問が残り、以下は2016年分類には反しますがこのt-MDSも本記事内ではMDSに含まれると勝手かつ恣意的に仮定し話を進めます)

いずれにせよ最終診断は経験豊富な専門医による、骨髄細胞の染色体調査などを含めた詳細検査に基づく適正な判断が不可欠。 詳細はこちらの”難治性疾患政策研究事業 特発性造血障害に関する調査研究班”によるガイドラインや医学書(「骨髄異形成症候群(MDS)診療up-to-date中外医学社殿が素晴らしい)にお任せするとしまして、特筆すべきは上述のLeubeによる着眼点の「赤血球数低下、極端に低いヘモグロビン値、巨赤芽球様変化(赤血球形成異常の一種)、発熱性疾患による死亡」という非定型性白血病(atypical leukemia/おそらく上記環状鉄芽球性MDSに相当)に該当する疾患のポイントを、20世紀初頭の分析機器も未発達な時代に把握していた点でしょう。また「〇連携」で1980年に分類活動を呼びかけたのはRochester大学(当時)のJohn M. Bennett博士を中心とした七人衆ですが、この方々のおかげで疾患の特徴、治療法必要性の決定方針に繋がっていくわけで、視点を広げたこういう活動は大事だとつくづく思います。たとえその取組みが間に合わなくてもいろんな方々の無念を紡ぐことに繋がりますので。

ところがMDSがどういうもんかわかったもんの、現時点で”完治”可能性のある治療法は実は骨髄移植「だけ」(ただし移植関連死(拒否反応や敗血症など)という高リスクがあるため56歳以上では実施不可)。これは骨髄という非常に治療しにくい部分に根本原因があるためで、臓器で例えれば弱りつつある心臓を内服的な何かでよみがえらせることが出来るのか、というレベルで難易度が高いからです。もちろん様々なお薬が開発されてはいるものの、この病気を完治させるということは言うなれば生命の根幹である細胞を「生き返らせる」行為に等しいため、MDS(特にハイリスク群)を対象とした治療薬の治験は最近のものでも主要項目未達の臨床試験例が何個もあるという「超」がつくレベルの難病なわけです(後述)。

なんでMDSになってしまうのか

となると予防するしかないのですが、現状残念ながらMDSになる根本的な原因はその8割くらいがよくわかっていません。ただ確実な因子が2個だけあり、それは「加齢(老齢ほど罹患しやすい)」と「性別(男の方が統計的に罹患しやすい)(あと遺伝的要因もありますが今回は割愛)。実際冒頭で述べた方々の大半が高齢者ということを考えるとそりゃそうなのですが…人体は弱いところから弱る、とは言いますが肺とか腰とか肩とかならまだしも骨髄が弱るというのは一体どういうことなのやら。とはいえ上記以外の確実性の高い要因だけは列挙出来る気がしていますので、3点ポイントを絞り国内外情報をベースに整理をしとこうと思います。その3点とは①放射線、②化学物質、③抗がん剤です(これらを完璧に避けたとしても罹患リスクがゼロになるわけではありません・ご注意ください)。

まず、歴史的にもMDSの確実な要因であろうとみなされているのは①(放射性物質による)放射線。死因が「MDSだろう」と史上初めて推定された著名人はマリア・サロメア・スクウォドフスカ=キュリー、つまりキュリー夫人ではないかと言われています(文献3)。もちろん当時MDSという概念が無いのですが、本人が亡くなられたサナトリウムでの症状を見てみると “Francois Tobe, the director of the sanatorium…stated that a medical expert from Geneva had diagnosed Curie with “an aplastic pernicious anemia of rapid, feverish development”.”とあり重度の進行性再生不良性貧血だった可能性が高い→MDSだったのでは、と推定出来る。よこたとくおさんの描かれた学研まんが「キュリー夫人」で、旦那さんのピエール・キュリーとお互いの体調の悪さ(マリーは手の軽いケガが長いこと治らない点、ピエールの方は頭痛や常時疲れやすい点)のシーンがあり、綿密に監修されている同シリーズですから彼らの体調不良はよく知られた事実だったのでしょう。そりゃ放射性物質を含んだ大量のピッチブレンドの近くに常時居て精製作業を長時間行って(=強い放射線を常時浴び続け染色体等が傷つくリスクがめちゃ高まる)いたのですから無理もない話ですが…。

ただこれだけだとキュリー夫人がMDSだった確実性は低いのですが、彼女の死から少し経った時代のアメリカで、US Radium Corporationという会社が製品化した発光材料”Undark”による史上初の、現代で考えても最悪レベルの「一般商品が引き起こした」放射線被害があったためその仮説が補強されることになります。つまりこのUndarkが発生させた被害者の中にMDS(と考えられる症状)の方が多くいたことでキュリー夫人がMDSであったのではないかとする説の蓋然性が高まったとするのが(文献3)の立場です。

Wikipediaより引用 暗いところ用のペンライト、時計などの蛍光塗料として結構な量が
使われたらしい     Shines in the Darkじゃねぇよ

というのもこのUndarkはラジウム粉と硫化亜鉛粉を混ぜたものが主成分でラジウムからの強い放射線で硫化亜鉛が発光する仕組みなのですが、このラジウムこそ上述のキュリー夫妻が発見した材料でそら症状似ますわな、と… 。特にこの蛍光塗料を使用していた女性工員の方々の被害者50人、うち死者十数人が発生するという凄惨な結果に。それもこれも作業プロトコルが最悪でUndarkの粉を経口摂取してしまった(!)ためで、この結果体内に入ったラジウムからの放射線により骨髄などが大きな影響を受け、造血機能に深刻な不具合をきたし、症状もMDSと酷似していたということです(この被害者は”Radium Girls”という不名誉な呼び方をされている・リンク)。

ただこれはさすがに極端な例すぎる。ということで2点目として考えられるのが②化学物質。血液関係の化学物質に関わる労働災害では特にベンゼンにより起きたものが悪い意味で有名。代表的な案件が”ヘップサンダル事件”(文献7)。ある映画のヒットで流行になったサンダルを作っていた家庭内事業者に、接着用ゴムに含まれたベンゼンが原因で”再生不良性貧血”という診断を受けた人が多数出て死者も出たというもの。ただ問題は当時の診断がどこまで正しかったのか。というのも1998年に発行された米国EPA報告書(文献8)にバッチリ「(結構な低濃度でも)MDSの原因になりえる」と書かれていて、血液系だけでなく骨髄系にベンゼンが悪影響を与えるのはおおむね世界的なコンセンサスになっている。加えて、その後石油産業に関わった人を大規模追跡調査した(文献9)や、中国での病院での疾患を中心に調査した(文献10)によってその暴露期間・暴露濃度依存性(下図)に対するMDSやAML罹患率が発表されるに従い、診断や分類が未成熟だった時代のヘップサンダル事件でも実はMDSだった人がかなりいるのではないかという疑念がわいてくるわけです。

(文献9),(文献10)より引用 
ベンゼンへの暴露濃度と暴露期間の強度が強い
ほどMDS罹患のオッズ比が高まる
ただしオッズ比であり、「危険性が何倍」と言い切れる表現ではないので注意

人間体内でのベンゼンの代謝挙動 (文献11)より引用
(文献11)ではこうした代謝は主に肝臓で起き
その結果発生した化学種が骨髄に移行し悪影響を与えうるとしている
赤枠部のフェノール系とそこから酸化されたベンゾキノン等も問題と言われている

加えて気になるのがベンゼン様材料。ベンゼンは体内でこの↑ように代謝されると推定され、このうちヒドロキノンとその類体類であるベンゾキノンもMDS発症に関わる可能性が高いとする見解があります(文献11)。筆者はこれを非常にあり得ると考えており、というのもヒドロキノンは工業的に広く使用され、化学原料はもちろん酸化防止性を持つことから一般的なゴム製品の老化・変色防止剤にも大量に使われているためです。ヒドロキノンはベンゼンやフェノールと違い常温で粉状ですが水溶性かつ脂溶性であり気管や粘膜からすばやく吸収されるため、製造現場などで長く関わった方は特に注意が必要なのではないかと。このヒドロキノンが骨髄内で細胞のはたらきを阻害する可能性があると述べている文献は他にもあり(たとえば文献12, 13, 14)ベンゼン以外にも注意が必要なのではないでしょうか。

ただヒドロキノンは一般のMSDS上では”区分2=発がん性が疑われる”レベルで「分類上は」リスクが低め。その一方で(文献15)を見てみるとAmes試験以外での他の発がん性検査ではヒドロキノンやフェノールもちょっとアカンのとちゃうか、という結果になっている(下表)。もちろんin vitroであるため確定的な情報でないのは認識しておりますが、上記(文献11-14)のことも踏まえヒドロキノンについても紐づけ調査を行った方がいいのではと思うのですが今のところ論文が出ているのみの状態なのは残念な限りです(筆者注:このヒドロキノンの材料系統に過去関わっていて、何か本件で気になられる方がおられましたらコメントにご一報頂けると有難いです)。

(文献15)より筆者が加筆して部分的に引用
ヒドロキノン(最下段)の細胞毒性はベンゼンと同等以上であることが推定される
ただしこれらin vitroで陽性だからと言って確実に発がん性があるとは言えないことに注意

もちろん上記は筆者の思い込みが含まれていて、たとえば米国CDCによる(文献16)は(文献11-14)とはテンションが異なりベンゼン自体でMDS罹患リスクが上昇するとしている文献は相対的には多くなく(文献9,10)以外は”NR(Not Reported)”としていて、更に前述のDow Chemicalによる総合報告とも言える(文献15)では上記のようにヒドロキノンを疑いつつ変異原性自体の判断方法について問題提起し、冷静な前提、試験方法や情報整理が必要だとしており、何がMDSの本因であるかは更に議論が必要であるとしているようにみえます。とは言え分析技術も進んできているのですから安全性を正確に判断する取り組みは継続して頂きたい次第であります。

ただ、この②も化学会社などで溶媒や化学品関連の業務に近い立場だった場合に罹患確率が上がりうるケースで上記の著名人が業務や生活の中で関わっていたとは少しし考えにくい。では他に何かあるか、ということで3点目が③治療薬、つまり「抗がん剤」によるもの。実はこれは十分あり得る。抗がん剤には大きく分けて4つ、細胞障害性抗がん薬、分子標的薬、内分泌療法薬、免疫チェックポイント阻害薬があるのですがこのうち1番目の細胞障害性(特にアルキル化剤、トポイソメラーゼⅡ阻害剤、代謝拮抗薬、微小管阻害剤)のものがMDSとの関連を強く疑われています(文献17)。いずれもDNAやその付近に直接作用して細胞のはたらきに影響を与えるものである以上、がん細胞と一緒に通常細胞にもダメージを与えうるわけで、それが不可逆的なものであればあるほどMDS(t-MDS:Therapy related MDS)につながりやすくなる、という考え方に基づくものです。このt-MDSは世界中で真剣に研究されており海外で研究が先行していたせいかかなり数が多く、実は日本語でちょっと検索してもゴロゴロ出てくることから稀なケースでは決してありません(似たような形でt-AML(治療薬関連性急性白血病)というのもあるのですがこれは診断されるタイミングによるのではないかと思っています)。

(文献17)、(文献18)より筆者が編集して再構成、引用

このt-MDSという観点はだいぶ前(1986年)にアメリカで提唱されており、調べていくと骨髄の染色体が破壊的におかしくなっている写真の例が多数出てくるなど、個人的にはかなりの衝撃でした。中でも不思議なのが複数の染色体においてひどい損傷が発生しているものが多数ある点。23個ある染色体の複数(3個以上)がボロボロになっている骨髄細胞が多数ある=造血機能を成していない、MDSでも重度の”複雑型”とよばれるものが見受けられました。ここまで進行してしまうと発症から余命半年くらいでもう維持療法しか残ってない(後述)。というか、原発性MDS(primary MDS)にはこういう複雑型はめったに出てこない(文献19)のも特徴であり、実質的にこのような複雑型を発症したケースは9割方t-MDSであることから、複雑型まで至るケースにおいては抗がん剤等の影響が極めて大きい、とみなしてよいのではないかと思います。

しかしこりゃお医者さんからしてみたら困りますよね、せっかくよく効く抗がん剤でも、それこそ投与から半年~15年後にMDSを発症してしまうというのは問題の付け替えをやっているということになってしまう。色々な方面で対策や通知はされているようなのですが、一般的にはまず目の前のがん治療が優先される場合がきっと多いのでしょう。こういう、あとになって更に大きな問題になってくるような”副作用”が出来るだけ低いものや低い組み合わせが見つかるといいのですが…

振り返って冒頭の著名人の方々の罹患歴を調べてみたのですが個人情報であるだけに明確なところはわからず、公開されていたうち投薬履歴があったのは青島幸男(過去、結核由来の悪性リンパ腫に罹患)、12代市川團十郎(変異原性のある亜ヒ酸の摂取歴あり)のお二人だけ。坂東竹三郎(89歳没)、磯村尚徳(94歳没)、笑福亭仁鶴(84歳没)のお三方は高齢が原因と推定されるほか、花村萬月、鈴木康友、中澤裕子各氏に至っては公開情報も少なく③との関連性は薄そう(おそらく原発性MDS)と考えられ、①②とも原因が薄そうで喫煙歴も無さそうであるため結局最初にコメントした「原因不明が8割」というのはこういうことを言うのかもしれません。色々書いてあるわりにはなんだつまんねぇな、と言われそうですがこの点は重要な情報にアクセス出来るかどうかだということで勘弁頂きたい所存でございます。

いずれにせよ、これら3点以外の影響(各種ストレス等)はあるでしょうが、前述のとおりMDSは病気の進行が長期にわたるケースがあることも追及を難しくしている理由なのだと思います。今後こうした原因追及が世界中で継続して行われることを切に願っています。

ということで長くなりすぎたので今回はここまで…次回こそ、このMDSという難病に対し世界の製薬会社がどう立ち向かおうとしているのかを書いていってみます。

参考文献

1. “Stem and progenitor cell alterations in myelodysplastic syndromes. “, Blood 2017; 129 (12): 1586–1594, リンク

2. “Myelodysplastic Syndrome”, Rare Disease Advisor, リンク

3. “Historical perspectives on myelodysplastic syndromes”, Leukemia Research 36 (2012) 1441–1452, リンク

4. “The 2016 revision to the World Health Organization classification of myeloid neoplasms and acute leukemia”;Arber DA,et al:Blood 127:2391-2405,2016, リンク

5. “骨髄異形成症候群”, 日本内科学会雑誌 104巻7号, 1425, 貧血:基礎知識から治療の最前線まで リンク

6. “骨髄異形成症候群の分子病態と治療”, 日本内科学会雑誌 109巻 9号, 1983,  リンク

7. “社会医学研究 はきもの労働者の労働環境と健康破壊”, 社会医学研究会, 1983年, リンク

8. “Carcinogenic Effects of Benzene: An Update”, National Center for Environmental Assessment–Washington Office, Office of Research and Development, U.S. Environmental Protection Agency, 1998, リンク

9. “Myelodysplastic Syndrome and Benzene Exposure Among Petroleum Workers: An International Pooled Analysis”, Journal of the National Cancer Institute ·, Vol. 104, Issue 22 November 21, 2012, リンク

10. “Hospital-Based Case-Control Study of MDS Subtypes and Benzene Exposure in Shanghai”, JOEM, Volume 59, Number 4, April 2017, リンク

11. “Stem Cell and Benzene-Induced Malignancy and Hematotoxicity”, Chem. Res. Toxicol. 2012, 25, 1303−1315, リンク

12. “Hydroquinone, a benzene metabolite, increases the level of aneusomy of chromosomes 7 and 8 in human CD34-positive blood progenitor cells”, Carcinogenesis. 2000 Aug;21(8):1485-90. , リンク

13. “The benzene metabolite, hydroquinone, induces dose-dependent hypoploidy in a human cell line”, Leukemia (1997) 11, 1540–1545, リンク

14. “Modulation of Ras signaling alters the toxicity of hydroquinone, a benzene metabolite and component of cigarette smoke”, North et al. BMC Cancer 2014, 14:6, リンク

15. “Utility of a Next Generation Framework for Assessment of Genomic Damage: A Case Study Using the Industrial Chemical Benzene”, Environmental and Molecular Mutagenesis 61:94-113 (2020) リンク

16. “Toxicological Profile for Benzene”, Agency for Toxic Substances and Disease Registry, Centers for Disease Control and Prevention, 2024 リンク

17. “治療関連白血病の病態と治療”, 日本内科学会雑誌107巻7号, 2018年, リンク

18. “Therapy-related leukemia and myelodysplasia: susceptibility and incidence”, haematologica/the hematology journal, 2007; 92(10), 1389, リンク

19. “Therapy-related MDS dissected based on primary disease and treatment—a nationwide perspective”, Leukemia (2023) 37:1103 – 1112, リンク

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Tshozo

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メーカ開発経験者(電気)。56歳。コンピュータを電算機と呼ぶ程度の老人。クラウジウスの論文から化学の世界に入る。ショーペンハウアーが嫌い。

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