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解毒薬のはなし その1 イントロダクション

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Tshozoです。最近、配偶者に対し市販されている自動車用化学品を長期に飲ませて半死半生の目に合わせた妻に対する裁判(の判決)があったことを知りました。某所で話題になったので調べればすぐ見つかるでしょうが、当人の動機の真偽はともかく現時点での関係性はさておき長期的なリスク管理の観点から筆者にとっても他人事ではないのではないか、という疑問がふと頭を過ったのです。

ということでもし万一、誤用も含めて万一飲まされたら飲んでしまったらどうすればいいのか、と考えてまずその化学品を調べていた際、ふと浮かんだ疑問が「あれ、解毒剤ってあるのか?」という点。結論から言うと上記の事件のケースは存在するのですが、実は摂取直後・早期に服用しないとあんまり意味を持たない、つまり長期的に少しずつ飲まされた場合には無効で限定的な効果しか無く心もとないツールであるということに気づいたのです。まぁそりゃ人体の組織が破壊されてしまった後では解毒も何もないのですが…

その後もほかに身の回りで危なそうなものが無いか調べていたところ、毒物や薬物に関する書物や紹介記事は結構あるのに解毒薬・解毒剤及びその適正な使用に係る方法論にポイントを絞ってまとめたものが意外と無いことに気づきました。もちろん某カルト教団が起こしたテロでその矜持を発揮された住友製薬(現 住友ファーマ)などによる解毒剤やそこに至る経緯などは国営放送でも深堀りされたりしていますが、一般にどういう毒物に対し何を使うのかはあまり記事としてまとまった形で見当たらない。世情と世間の不穏さが増していることもあり、自衛の意味も含めて記載しておくといいのではないかと考えて書いてみることにしました。お付き合いを。

注:筆者は正式に薬学、医学を修めておりません 国内外の文献をもとに誤りが無いよう記載していきますが、問題がありましたら是非ご指摘頂きますようお願い申し上げます

まずは毒のマップと分類イメージ

はじめにちょっと紹介したいのですが、生物に関係する毒物に関する初歩的な書物としては東洋大学 大野正男名誉教授が監修に入られた学研まんがの「有毒動物のひみつ」が(やや古いのですが)素晴らしい。筆者はこれで相当な数の生物毒の名前を覚えたのですが未だにコマの一つずつを思い出すことが出来る名著です。昔の学研まんがはテーマが広くしかも中二病を進行させる単語が数多く記載されているのに加え、かなり高度な内容を盛り込んでおり作る側としては大変だったでしょうが、確実に子供の心に刺さるものであったことは間違いありません。

んで毒の定義は様々なところで記載があるのでそちらにお任せするとし、ここではイメージしやすい形を優先して分類してみます。基本的に「自然由来」と「人口由来」のものがあり、「有機物」「無機物」に分かれ、更に「低分子」~「高分子」に分かれ、最終的にLD50(単位:ng/kgなど)という指標で位置づけされます。LD50(Lethal Dose 50%)は~3時間くらいの短時間でのマウス等小動物に対する毒性の強さを示す指標で、対象動物の50%を死に至らしめる暴露量・投与量(摂取の仕方で数値が違うので注意)の値のことを言います。これに関連する資料として(文献1)という素晴らしい資料があったため、今回はこれに倣いトピックの対象を有機物に絞り、「入手性」というキーワードを加え自己流にまとめ直してみました。冒頭の事件で使われたエチレングリコールは人口由来、有機物、低分子、低毒性(LD50は高い=短時間毒性は比較的低い)、入手は容易という位置づけになりますね。この入手容易という観点で言うと、たとえば過去にはエチレングリコールより強いものに農薬関係(例:パラチオン)などがありましたが様々な事件で悪用されてしまったため、現在は農薬としての使用自体が禁止されているものが多い。ただ合成は比較的容易に大規模に出来てしまうので、危険であることには変わりはないわけです。なお”お薬系”(医薬品に適用される/適用される可能性の高い物質・ケシなどから採れるオピオイド系等)もモノによっては毒の部類に入るのですが、その系統は別の機会に採り上げるため今回は詳細に記述しておりませんのでご了承ください。

(文献1)を筆者が抜粋、編集して引用
由来別に色分けしたもののうち毒性が比較的高いものを中心に記載
なお、ぜんぶ毒であるため左上に位置するからと言って全く安全ではないので注意

加えて”Dangerous”と脅すように書いていますが危険性は決してLD50や入手性だけで決まるものでもなく、その材料自体の安定性(熱、酸素、日光、水、酸/アルカリ、酸化剤/還元剤、漂白剤…に対して)が高いかどうか、残留しやすいか、吸収されやすいか、噴霧しやすいか、後遺症があるかどうか等によっても大きく変わりますのでご留意を。で、これらを総合的に勘案した最も”危険性”が高いものが上図右側中央部に存在するVXやサリン、タブン、ソマン等のいわゆる「化学兵器」で、合成のしやすさも歴史的にも人道的にも問題であるために西側陣営としてはその製造、管理、使用を極めて厳しく取り締まっているということになります(関連国際機関:OPCW Organization of Prohibited Chemical Warfare リンク)。某国で有名なノビチョクとかもこの類。この点は色々矛盾を孕むうえに嬉々として貯め込んでいると思われる連中が極東アジアの***をはじめとして世界に何か所かいるのですが本件とは趣旨がずれていますのでここらへんにしときます。

解毒剤、実際の使用優先順位について

上図に書き込んだものを分類すると、自然由来(非シアノバクテリア産生)有機物高分子、自然由来(シアノバクテリア産生)有機物低/中分子、自然由来(生物産生)-有機物中/高分子、自然由来(植物産生)-有機物高分子、人工由来有機物低分子という感じに分かれます。分子量での区分けは雑かもしれませんが・・・。なお上の図には入っていませんがハチの刺毒は自然由来生物産生有機低/中/高分子、ということになりますし、トリカブト等植物由来のアルカロイドは自然由来(植物産生)-有機物小分子という形で分類できますね。ただ、このように由来も分子量も作用機序も全部違うので全部に効くオールマイティ毒消しみたいなもんは存在するわけがない。あと上に少し書いたようにタイミングを間違う/遅れると全く意味が無かったりする。ではそもそもどういう対応が要るのか、ということを一般的な手順で一度整理してみることにします。

まずここに、事件か事故かその他の要因かで毒を摂取してしまった人がいるという報告と共に担ぎこまれてきた患者さんがいたとする。もちろんすぐに解毒剤を…というのはそりゃ映画の中での話。やらなくてはいけないことが医療的・科学的に相当数あり、これについては筆者がだいぶ昔にイラクの大学のサイトから手に入れた資料で簡潔に述べられていたので(文献2)、それを引用してみるとしましょう。

0.見た目正常のように見えても、致命的な状態に陥っている可能性があることを常に念頭に置く
  ・”救う側”の二次被害を防ぐ手立てを、防護手袋など何らかの準備が要るケースも 
  ・防護具が無い場合でも問題ない方向への換気の実施、接触を最小限にするなど工夫する
 
1.早急に患者さんのバイタル確保 = “解毒は後回し”
  ・支持療法が中心
心停止、呼吸停止、アレルギー、嘔吐、低/高血圧、ショック症状…が起きないよう徹底的に行う
  ・呼吸、循環、体温の維持を主軸に実施 いわゆるABCDEs(Airway, Breathing, Circulation, Disability, Exposure)
2.本当に毒が原因か? その場合どんな毒が原因か? 
  ・救急隊員や周囲の人から聞き込み等 実は違うかもしれないので
  ・状況に応じ原因物質の特定が必要 次の3.のアクションと並行してであったり、行ったり来たりするケースがほとんど
3.リスク判断と毒のこれ以上の摂取を食い止め、また分解を促す
  ・どのくらい緊急度が高いか、摂取量、状態、体重、持病なども勘案し判断
  ・衣類、装具物の排除や眼球も含む全身の洗浄 胃洗浄なども行う可能性あり
  ・バイタルサイン、神経反応などから手がかりをつかむ
  ・解毒剤がある場合には適用する 出来るだけ早く
4.状態マネジメント
  とにかく諸々の値が落ち着くまで経過観察継続

・・・という流れ。なんと、優先順位的には解毒剤はかなり後というかほぼ最後。ゲームとかやってると毒消し使ってすぐ回復、という安直な思考に染まるのですが現実は当たり前ながらそうはならん。つまり、0.に書いた通り見た目大丈夫であっても「死ぬかもしれん」ので(たとえば金正男暗殺事件のように襲撃直後は普通に移動・会話出来ていたケースもある)、バイタル安定→元凶(毒)の排除、が本当に最優先になり、そののち補助的に解毒剤が使われることになるわけで。ただ、緊急時+深い経験を持つ医師が居られる/助力される/除去が化学的に難しい神経性毒の場合だと時間との勝負で0→3が凄まじいペースで行われるケースも有り得るため(地下鉄サリン事件でのこのケースなど)、上記はあくまで標準的なステップだとお考えください。

どういう毒にどういうものを使うのか

ということで上記の流れで原因物質がわかった、ではどうするか、という事が本題。繰り返しになりますがドラ*ンクエストではなく*ァイナルファンタジーのように状態異常に応じきんのはりや乙女のキッスが必要になるイメージの方がかなり近い。とは言えその作用機序である程度はグループ分けが出来そうなので、下記のようにまとめてみました。ただ分類名は筆者の恣意的なものですのでご注意ください。

筆者が(文献2)及び(文献3,4)からの情報をまとめて作成
(分類名は専門家が使うものとは異なるので注意ください)
なお摂取後限界適用期限時間は基本的に早ければ早いほど良い

ざっと眺めていると、うーん凄いと唸らざるを得ない。よくもまぁそれぞれ人体や生物に有害なものに対し、特に人体内で起こるような現象を推定し「いろんな」実験を通じ経験的、科学的、化学的に確かなものにしていき、何とか使えるように仕上げていったのは様々な化学者、研究者、薬学者、そして病院で実際に関わられた方々によるものなのだ、がという考えが浮かんできます(経過については議論があるケースがありますが)。

ではどういうところでこういう化学物質の効果を確かめたのか。たとえば病院。エチレングリコール・メタノールに適用できるホメピゾールを最初に提案したのはそれぞれ1999年、2001年とかなり最近で(文献3,4)、アメリカの毒性学(Toxicology)に関わるメンバが明らかにしたもので、過剰摂取等で担ぎ込まれたそれぞれの患者に適用したところ、全員は救えなかったもののたとえばメタノールの場合だと8割方救えている(下図)。ただあくまでメタノールの受容体への結合を強く阻害するという作用のため「毒」としてのメタノールは体内から除くことは出来ず、エタノールとセットで使用されたり血液をろ過する人工透析が必要になるケースがありますのでやはり補助的な位置づけにある、という点は念頭に置くべきでしょう。

(文献4)より引用 時間が経ったケース(一番左赤枠)、
結構初期値がひどいケース(真ん中赤枠)でも

結果的に有効性(一番右赤枠)が発揮できたことがうかがえる
(透析を受けた/受けてない人が混じっているので注意)

そのほか効果を確かめられるケースは、あんまり言いたくないですが戦争や紛争ですかね。WWⅡも戦場だけでなく様々な場所で実質その草刈り場みたいになっていた例が噂されていますが、おそらく真実なのだと思います。しかしながら、人に「害を与える」ことの判断は戦争に向けた開発などで結構簡単(!)に出来てしまうものに対し、これを防ぐ盾の一つになる解毒剤というのは本当にこれは手間がかかる。この非対称性は化学物質を扱えるようになった人に存在する業でもあると思うくらいなのですが、毒物の数に対し解毒剤の数というのは非常に限られているのだと改めて実感した次第です。

それでは今回はこんなところで。次回は今回提示した分類のうちから時勢にあった毒物を焦点を絞って採り上げ、その機序や解毒剤の機能をトピック的に紹介してみるとします。

参考文献

1. “Biological Toxins and their Relative Toxicity”, OPCW(Organisation for the Prohibition of Chemical Weapons), リンク

2. “Clinical Toxicology Initial Evaluation & Management of poisoned patient”, Al-Mustaqbal University College of Pharmacy, 5th stage Clinical Toxicology

3. “FOMEPIZOLE FOR THE TREATMENT OF ETHYLENE GLYCOL POISONING”, The New England Journal of Medicine, 832, March 18, 1999, リンク

4. “FOMEPIZOLE FOR THE TREATMENT OF METHANOL POISONING”, Vol.344, No. 6 February 8, 2001, The New England Journal of Medicine, リンク

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Tshozo

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メーカ開発経験者(電気)。56歳。コンピュータを電算機と呼ぶ程度の老人。クラウジウスの論文から化学の世界に入る。ショーペンハウアーが嫌い。

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