有馬温泉の金泉は、塩化物濃度と鉄濃度が日本の温泉の中で最も高い温泉で、黄褐色を呈する温泉です。この記事では、有馬温泉の金泉について化学者の目線でレビューします。
前回までのあらすじ
前回の記事では、有馬温泉の概要と銀泉そして放射能泉による被曝量について考察しました。要約すると有馬温泉は、黄褐色を呈する金泉と二酸化炭素と放射性のラドンを含んだ無色透明の銀泉の2種類の温泉を楽しめる温泉街であり、放射能泉の源泉に 100 時間程度入浴してようやくその被曝量は医療用の胸部 X 線撮影と同程度の被曝量になる、ということでした。今回は金泉についての旅の記録です。
温泉街の様子
有馬温泉の温泉街を歩いていると、排水溝が茶色っぽいことに気づきます (左の写真)。これは泉源から流れた温泉から、鉄分が沈殿して堆積したものだと考えられます。有馬温泉の金泉は鉄イオン Fe が含まれていることで有名なのです。

金の湯について
というわけで、金泉が楽しめる共同浴場「金の湯」へ行きました。前回お話した銀泉が楽しめる共同浴場「銀の湯」とセットで楽しめるチケットがお買い得です。

金泉の高い塩分濃度
金の湯の温泉分析書がこちら。

まず注目すべきところは塩化物イオンの濃度。21,130 mg/kg の塩化物イオンが入っているそうです。温泉の基準の一つにガス性のものを除いた溶存物質の量が 1000 mg/kg 以上という基準がありますが、塩化物イオンだけで軽くこの基準を 20 倍も超えてしまいます。当然電荷のつり合いを取るための陽イオンも存在するわけで、ナトリウムイオン10470 mg/kg, カリウムイオン 2005 mg/kg, カルシウムイオン 1725 mg/kg などを付随します。溶存物質の合計は 36 g/kg ということになっています。
この塩分濃度は日本の温泉の中で一番高いです。ちなみに海水の塩の濃度は約 3.2–3.8wt% なので1、この金泉の塩分濃度は海水の塩分濃度に匹敵することになります。そのうちわけのほとんどは塩化ナトリウムで、塩化ナトリウムだけをみても約 30,000 mg/kg ~ 3 wt% となります。このことから、金泉は塩辛いということが想像できます。
塩分濃度が温泉にもたらす効果
ところで、半透膜 (水は通すが溶質は通さない) のようなもので 2 つの液を仕切ったときに、濃度が高い液の濃度を薄めるように低濃度側から水が押し出される現象 (= 浸透圧) は高校化学でもお馴染みかと思います。そして、有馬温泉の金泉の塩分濃度は体内の塩分濃度よりも高いので、金泉は浸透圧が高い高張液ということができます。ここまでは間違いないです。
ただし、筆者が金泉に関する効能を調べ (て、既存の温泉情報サイトと差別化を図) るために一般的なウェブサイトを調査していたところ、いくつかのウェブサイトには、「塩分濃度が高い温泉に浸かると、浸透圧によって体から水分が抜けていく」といった記述がちらほら見受られました。これは間違いなので注意が必要です。
確かにナメクジに塩をかけると浸透圧の影響で水分が出ていってしまうことはありますが、人体を覆う皮膚は半透膜ではなくて基本的に水を通しません。前回の放射能線に関する記事を書くときもそうでしたが、温泉の効能に関して科学的っぽい説明をしているものの中には怪しい記述もあるので注意が必要です。
いくつかのインターネットの記事では有馬温泉の金泉の塩分濃度は 6% 程度で、海水の濃度の 1.5–2 倍! と書いているものもあったので、泉源によってはさらに高い泉質の温泉もあるようですが、少なくとも「金の湯」に張り出されていた最新の温泉分析書によると海水と同程度でした。
塩化物泉の効能については、以前の月岡温泉の記事でも触れました。代表的なものは保温効果です2。塩化物泉に入った後は体のポカポカが長続きします。
鉄イオンによる色の影響
温泉分析書に話を戻します。塩分濃度が全体的に高いことについては上で書いた通りです。そしてもう一つ注目すべき点は鉄(II)イオンが 40.5 mg 含まれていることです。鉄イオンの総量 (Fe(II) と Fe(III)) が 20 mg を超えている場合は含鉄泉に含まれることから、有馬温泉の金泉は含鉄泉の基準を満たしています。
金泉の黄褐色は紛れもなくその鉄分から由来します。しかし温泉分析書には Fe(II)の含有量しか書かれていません。ここで高校レベルの無機化学の無機イオンの性質を思い出してみると、Fe(II) の水溶液は淡緑色のはずです。そもそも 40 ppm 程度ならほぼ無色でしょう (きれいな写真がこちらのサイトで見れます: 鉄のカラフルな反応~鉄はカメレオン? 七変化を見せる鉄~(高純度化学研究所公式ブログ))。にもかかわらず有馬温泉の金泉の黄褐色となります。どうしてでしょうか。
一般的な温泉紹介のページを見ると、「金泉の黄褐色はは地上へ湧水した温泉に含まれる Fe(II) は、空気にさらされると酸化されて Fe(III) を生じるから」とあります。具体的には「水酸化鉄の沈殿だ」と書かれています(参考: 有馬温泉旅館 欽山, 有馬温泉のヒミツ&豆知識)。Fe(III) の水酸化物ということなので、高校レベルの化学の知識を使えば、それは Fe(OH)3 という化学種であることを想像できます。
この説明もあながち間違いではないのですが、せっかく無機化学を専門とする大学院生による温泉のレビューなので、大学学部の基礎レベルの知識を無駄に使って、鉄イオンの水溶液の化学をさらに深堀してみましょう。
「Fe(II) は、空気にさらされると酸化されて Fe(III) を生じる」とは、具体的には Fe3+/Fe2+ の還元半反応の電位が +0.77 V (vs. 2H+/H2), そしてO2+4H+/2H2O の還元半反応の電位が pH 7 付近では +0.817 V であるため、下に示す酸化還元反応が自発的に進むことを意味します。

こうして生成した Fe3+ イオンは厳密には水分子が配位したアクア錯体 [FeIII(H2O)6]3+ です。そしてその Fe3+ に配位した水分子は pKa が通常の水分子よりも小さいです。言い換えるとすなわち H+ を放出したがっています。なぜなら高酸化状態の Fe3+ が水分子の O–H 結合の電子をより酸素原子側にひきつけ、水素原子がより H+ の性質を帯びるからです。ちなみにこのように金属イオンに水分子が配位することで水分子の酸性度が上がることは、あらゆる金属イオンで一般的です。

そうして 鉄(III)アクア錯体 [FeIII(H2O)6]3+ は中性付近の水溶液では H+ を放出して上の式に示す水酸化物イオン OH− の錯体 [FeIII(H2O)3(OH)3] となります。
ただし[FeIII(H2O)3(OH)3]という化学種は、実際には脱水反応などによって凝集して多核クラスターとなり、ナノメートルサイズのコロイドとなります。これが、一般的な温泉のサイトで書かれているところの “水酸化鉄(III)” の正体です。実際には、そのコロイドの組成は、FeIIIOOH (ゲーサイト: Goethite (mindat.org))と Fe10O14(OH)2 (フェリハイドライト: Ferrihydride (mindat.org)) の間のなにか、という複雑な組成だそうです5,6。

フェリハイドライトの鉱物の写真を見てみると、たしかに赤褐色で、有馬温泉の温泉街の排水溝でみた沈殿物とよく似ていることが分かります。
ちなみに実はこういった Fe の水溶液中での安定な化学種はプールベ図で示されます3。よく調べてみると、上では Fe3+/Fe2+ 系の酸化還元を考えましたが、厳密には pH が 3 より大きい場合は Fe(OH)3,H+/Fe2+,H2O 系の酸化還元について考える必要があるようです。
実際に入ってみた
さて、鉄の化学についてはこのあたりにして、金泉を温泉としてレビューしようと思います。まずは温泉の色。こちらの有馬温泉の公式サイトからその金色をご覧になっていただきたいと思います (有馬温泉 金泉源)。透明な黄色、というよりは濁った色です。その理由は、前述の通り黄褐色は FeIII のコロイドによるものだからです。面白いと思ったのは、注がれてくる新鮮なお湯はほぼ無色であったということです。確かに、汲み上げられた Fe2+ を含んだ温泉が空気酸化されることでその黄褐色が現れるのだな、と感心しました。
その湯の肌ざわりは、銀泉と比べると、ヌメり感は確かに感じることができました。しかし、アルカリ性の下呂温泉などと比べると弱いヌメリで、レビューをするぞ、と意気込んで注目しない限りは見逃してしまうほどでした。湯をすくった手のにおいを嗅いでみると、ほんのり鉄錆っぽい匂いがするような気がします。
最後に味です。味見をしようとしたわけではないのですが、不意に唇を少しなめたときに、しっかりと塩味を感じました。さすが海水レベルの塩分濃度なだけあります。ちなみに含鉄泉は飲むことで貧血などに効果があるそうなのですが、多分有馬温泉の金泉は塩分濃度が高すぎるので飲むのはおすすめされない気がします。
有馬温泉での温泉施設
この記事を見て有馬温泉に行きたくなった人向けに、有馬温泉の共同浴場について少しご紹介します。
有馬温泉には日帰り客用の共同温泉施設として太閤の湯、金の湯、銀の湯などがあります。太閤の湯では、金泉と銀泉が同じ施設内で楽しめるほか、露天風呂、岩盤浴、ハーブ風呂など多様なお風呂を楽しめる温泉アミューズメント施設になっていて観光客に人気を集めています。しかし、温泉施設の入場料が ¥2750 とやや高めです。
一方、金泉や銀泉がそれぞれ楽しめる「金の湯」および「銀の湯」は、一施設内で入り比べることができない点でやや不便ですが、値段もリーズナブル (二館入場券が ¥1200) であまり混雑もしていません。家族連れや友達で来る場合はワイワイと楽しい太閤の湯がおすすめな気がしますが、温泉の泉質そのものを楽しみたい場合は金の湯と銀の湯をそれぞれ回る方がいいとも思います。
おわりに
有馬温泉は、全く異なる二種類の泉質を楽しめる温泉地ということで、総じてエンターテイメント性が高い温泉地です。有馬温泉は、新幹線や公共交通機関でのアクセスもよいので、この冬一度訪れてはいかがでしょうか。
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参考文献
- 海洋の塩分 (北海道大学水産学部·水産化学研究院のページ)
- 塩化物泉 (温泉検索どっとこむ)
- Weller, M.; Overton, T.; Rourke, J.; Armstrong, F. “5. 酸化と還元,” シュライバー·アトキンス無機化学 (上) 第6版, 2016, 東京化学同人, pp. 182–221
- Housecroft, C. E.; Sharpe, A. G. “7 Acids, bases and ions in aqueous solution” in Inorganic chemistry,5th edition, 2018, Perason, pp. 218–254
- Rehder, D. “Iron: generic features of its inorganic chemistry and biochemistry” in Bioinorganic chemistry, 2014, Oxford, pp. 34–51
- 「Q380★教科書のコロイド溶液の作成や、この質問コーナーの回答の中においても、水酸化鉄(Ⅲ)Fe(OH)3という名前が出てきますが、本当は酸化水酸化鉄(Ⅲ)FeO(OH)のことを指しているのでしょうか? そうであれば、なぜそのように教えるのでしょうか?」日本化学会近畿支部 小·中·高校生の化学のページ, 中高生からの質問
- 鉄のカラフルな反応~鉄はカメレオン? 七変化を見せる鉄~(高純度化学研究所公式ブログ)
- 有馬温泉, 金の湯·銀の湯































