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科学捜査! ― 見えない指紋を化学の力で光らせよ ―

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近年、分子構造に起因した発光メカニズムの解明が進み、単一分子で複数の機能を有する分子の研究が活発化し、さらには材料分野への応用展開が進められています。今回、そのような機能性分子が “科学捜査の現場” での使用を想定して検討された材料開発の一例をご紹介したいと思います。

見えない指紋 ”潜在指紋” とは?

指紋は、生涯を通じて変わらない個人の特徴です。そのため、個人の”ID”や”情報バンク”などの情報機能として活用されており、100年以上にわたり捜査の重要な証拠となってきました1
指紋は指の毛穴から分泌される汗や皮脂成分などに由来するため、手を拭いても物体に触れれば容易に転写されます。その中でも肉眼ではほとんど見えない指紋は特に ”潜在指紋 (latent fingerprints , LFP)” と呼ばれ、事件現場などにおいて可視化(現像)して初めて証拠となりえます2

潜在指紋は検出される特徴の細かさで、情報は次の3段階に分けられます。

<潜在指紋のクラス分け>
・第1レベル: 渦巻き・ループ・アーチなど指紋全体のパターン情報
・第2レベル: コア、デルタ、分岐、端点、独立隆線、隆線ドット、レイクなど、個々の隆線に由来する特徴情報
・第3レベル: 汗孔そのものや、隆線の輪郭といった微視的な特徴情報
*具体的な構造概要は後述Fig. 5 参照

文献によると、科学捜査では、第2レベルと第3レベルの特徴が個人識別に用いられ、とりわけ第3レベルの情報まで読み取れれば、識別の信頼性が高まると報告されています1。一方で、後述するように、低濃度かつ低毒性の条件でこのレベルまで明瞭に検出できる材料はこれまで限られていました。

蛍光性有機材料の有用性

潜在指紋の現像には古くから粉末法やシアノアクリレート燻蒸法が使われてきましたが、(よくドラマやアニメなんかで鑑識が”ポンポン”と浮かびあがらせているアレのことですかね) 粉末法は隆線の微細構造を傷つけやすく、舞い上がる粉体が作業者の健康に影響しうる点が課題とされてきました1,3。そこで、高コントラスト・高感度で装置依存性も小さい “蛍光イメージング” が注目されます。蛍光材料には重金属量子ドットや希土類・貴金属ナノ粒子もありますが、原料の入手性や毒性に制約があり、近年は環境にやさしく生体適合性が高い蛍光性有機材料へと関心が戻っています。捜査現場で求められる特性は、おおよそ次のとおりです。

<求められる検出材料>
✔ 低毒性で、準備・操作が簡便なこと
✔ 有機溶媒や安定剤の含有が少ないこと
✔ オン/オフのコントラストが明瞭で、長波長で発光すること
✔ 多様な表面に適応し、長期保管にも耐えること   等々…

Fig. 1. 蛍光性有機材料による潜在指紋(LFP)イメージングの概念図.指紋残留物に蛍光材料を付与し,365 nmのUV照射下で隆線を選択的に発光.(出典:[1] Fig. 2A 一部改編)

 蛍光性有機材料の系統と、近年の注目例FHBY

潜在指紋イメージング用の蛍光性有機材料は、化学構造から大きく 低分子系 と 高分子系 に整理されます(Fig. 2)。低分子系には、その代表例として、色素をデンプン・粘土・シリカ粒子に載せて使う粉末法型と、溶液に浸す湿式法の AIE(詳細は後述)が挙げられ、今回紹介するL-チロシン類似体FHBYは後者にあたります。

Fig. 2. 潜在指紋イメージング用の蛍光性有機材料の分類とAIE型低分子の系譜.

AIEとESIPT ― 二つのしくみの適用

平面性の高い芳香族色素の多くは、凝集するとπ–πスタッキングなどを介して消光します。一方、凝集誘起発光(Aggregation-Induced Emission; AIE)色素はこれと逆に、凝集によって分子内回転・振動が抑制され、非輻射失活経路が塞がれることでかえって強く発光します3。隆線上で凝集した際に発光するため、溶液に浸すだけの湿式法に適します。もう一つの 励起状態分子内プロトン移動(Excited-State Intramolecular Proton Transfer; ESIPT)は、励起状態でエノール体からケト体への分子内プロトン移動が起こり、吸収帯と発光帯が大きく離れる(大きなストークスシフト)ため、自家蛍光などの背景光に埋もれず高コントラストが得られます。
総説文献[1]によれば、AIE型による潜在指紋検出は活発ですが、初期の色素(Fig. 2のDPPS-1・DPSAなど)は第2レベル止まり、mMオーダーの例が多いのが実情でした。第3レベルに到達した例としてイミダゾール型AIE色素4や水溶性のTPA-1OH5が知られますが、いずれも生体由来骨格をもたず、ペプチド合成に組み込めるプローブという観点では別のアプローチが求められていました。

 L-チロシン類似体FHBYによる潜在指紋の検出

“Visualization of third-level information in latent fingerprints by a new fluorogenic L-tyrosine analogue”
H. Singh, S. Verma, Chem. Commun., 202157, 5290-5293. DOI: 10.1039/d1cc01910d

SinghとVermaらが設計したのは、アミノ酸の一種L-チロシンを母体とする2つの蛍光プローブBHBYとFHBYです(Fig. 3)。蛍光団には 2-(2′-ヒドロキシフェニル)ベンゾチアゾール(HBT)を採用し、アミノ基をBHBYではBoc基、FHBYではFmoc基で保護しています。生体由来アミノ酸を骨格にもつため、ペプチド固相合成にそのまま組み込めるのも利点であり、生体分子骨格で第3レベルの可視化に踏み込みました。

Fig. 3. 蛍光プローブFHBYの構造とエノール/ケト互変異性の模式図.蛍光団としてはたらくHBT部位.(出典:[2] 一部改編)

FHBYの鍵は、溶解状態と凝集状態で発光が大きく切り替わることです。良溶媒のメタノール中ではほとんど発光しませんが、水の比率を上げると、head-to-tail 型に並んだ J会合体 の形成が示唆され、HBTのケト体からのESIPT発光が立ち上がります。発光極大は390 nm(メタノール中のエノール発光)→ 475 nm(HBTの–OHの水素結合・脱プロトン化に由来)→ 525 nm(水比99%でのケト体のESIPT発光)と段階的に長波長化し、蛍光量子収率はΦF = 0.0065から0.14へ約20倍に増大しました(Fig. 3Fig. 4)。このAIEは、フルオレニル基由来の疎水的なπ–π相互作用に支えられています。対照のBHBYは525 nm発光を示さないことから、フルオレニル基がESIPT発現のカギだと考えられます。

Fig. 4. 水比率の増加にともなうFHBYの蛍光挙動(λEX = 350 nm).凝集(CH3OH:H2O = 1:99)にともなう525 nmのESIPT発光の増強.(出典:[2] SI一部改編)

実際の指紋上ではどうでしょうか?
アルミ基板に転写した潜在指紋を、0.1% DMSOを含むFHBY水溶液で処理して365 nmのUVを照射すると、皮脂を含む隆線が選択的に発光し、谷は暗いまま残ります。これは皮脂残留物(ワックスエステル・スクアレン・リン脂質など)とFHBYの疎水性相互作用によると説明されています。10〜100 µMを比較した結果、コントラストの観点で25 µMが最適とされ、これは従来よく使われてきたミリモル濃度域(およそ0.25〜1 mM)の1/10〜1/40にあたり、この用途で報告された中でも最も薄い部類です。25 µMのFHBYでは、ガラス・アルミ箔・ステンレス・プラスチックといった多様な表面で、第3レベルの情報まで明瞭に得られました(Fig. 5)。第3レベルとは Fig. 5(B)の 汗孔 のような微細特徴で、孔の開閉まで判別できます。3週間後も像の劣化は小さく、保存安定性も確認されました。

Fig. 5. FHBYで染色した潜在指紋のUV照射下での像.第1〜第2レベルに加え,(B)では第3レベル情報の汗孔を観察.(出典:[2]

おわりに

このように本稿では、従来は両立が難しかった課題に対し、近年の基礎研究から見出されたAIEやESIPTなどの複数の機能を組み合わせ、分子設計の工夫一つで乗り越えて応えた研究例としてL-チロシン類似体FHBYを紹介しました。もちろん、これらの研究はまだ原理を示した段階で実用化はこれからかもしれません。基礎から応用へと繋がり、こうした化学的アプローチから見出された材料が科学捜査の現場で役に立つ。そんな日もそう遠くないのかもしれません。

参考文献

  1. Lian, J.; Meng, F.; Wang, W.; Zhang, Z.  Chem.20208, 594864. DOI: 10.3389/fchem.2020.594864
  2. Singh, H.; Verma, S.  Commun.202157, 5290–5293. DOI: 10.1039/d1cc01910d
  3. Mei, J.; Leung, N. L. C.; Kwok, R. T. K.; Lam, J. W. Y.; Tang, B. Z.  Rev.2015115, 11718–11940. DOI: 10.1021/acs.chemrev.5b00263
  4. Ravindra, M. K.; Darshan, G. P.; Lavanya, D. R.; Mahadevan, K. M.; Premkumar, H. B.; Sharma, S. C.; Adarsha, H.; Nagabhushana, H.  Rep.202111, 16748. DOI: 10.1038/s41598-021-96011-5
  5. Wang, Y.-L.; Li, C.; Qu, H.-Q.; Fan, C.; Zhao, P.-J.; Tian, R.; Zhu, M.-Q.  Am. Chem. Soc.2020142, 7497–7505. DOI: 10.1021/jacs.0c00124
  6. Sedgwick, A. C.; Wu, L.; Han, H.-H.; Bull, S. D.; He, X.-P.; James, T. D.; Sessler, J. L.; Tang, B. Z.; Tian, H.; Yoon, J.  Soc. Rev.201847, 8842–8880. DOI: 10.1039/c8cs00185e

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世の中の課題に対して分子レベルでのモノづくりからの解決を夢見る有機材料屋さん。
興味の対象は構造と物性およびそのその発現メカニズム。
好きな読み物は月刊化学のシリーズ連載。

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