三ツ沼 治信(みつぬま はるのぶ)は、日本の有機化学者である。神戸大学大学院理学研究科化学専攻准教授(2026年8月現在)。光触媒、水素原子移動(HAT)触媒、遷移金属触媒など複数の触媒を協奏させる触媒システムを開発し、従来反応性に乏しいと考えられてきたsp³炭素–水素結合の直接変換や、単純アルケンを原料とする炭素–炭素結合形成反応を開拓している。近年は、複数の分子がネットワークとして協働する「分子システム」を設計することで、新しい分子変換・機能性物質・生命様分子システムを創出する研究へ展開している。第63回ケムステVシンポ講師。
経歴
2006年 東京大学薬学部 入学
2010年 東京大学薬学部 卒業
2012年 東京大学大学院薬学系研究科 修士課程修了
2012–2015年 日本学術振興会特別研究員 DC1
2015年 東京大学大学院薬学系研究科 博士課程修了
2015–2017年 大日本住友製薬株式会社 創薬開発化学第一グループ
2017年10月–12月 東京大学大学院薬学系研究科 博士研究員
2018年1月–2023年3月 東京大学大学院薬学系研究科 特任助教
2022年10月–2026年3月 JSTさきがけ「調和物質変換」研究者(兼任)
2023年4月–2026年3月 東京大学大学院薬学系研究科 助教
2026年4月– 神戸大学大学院理学研究科化学専攻 准教授
受賞歴
2012年 日本薬学会第132年会 学生優秀発表賞
2012年 第10回次世代を担う有機化学シンポジウム 優秀発表賞
2015年 日本薬学会第135年会 学生優秀発表賞
2019年 有機合成化学協会 帝人ファーマ研究企画賞「単純アルケンを用いたカルボニル化合物への直接的触媒不斉アリル化反応の開発」
2020年 日本薬学会 次世代シンポレクチャーシップ賞
2025年 日本薬学会奨励賞「sp³炭素-水素結合官能基化反応を実現する触媒システムの創製」
2025年 化学情報協会 JAICI賞
2025年 日本化学会 若い世代の講演会
2025年 Chemist Award BCA 2025
2026年 Lectureship Award MBLA 2025
2026年 Thieme Chemistry Journals Award
2026年 長瀬研究振興賞
2026年 科学技術分野の文部科学大臣表彰 若手科学者賞
研究業績
三ツ沼の研究の特徴は、一つの触媒にすべての機能を担わせるのではなく、異なる役割をもつ複数の触媒・分子を協奏的に働かせることで、新しい反応経路を構築することにある。
光触媒による電子・エネルギー移動、HAT触媒によるC–H結合切断、遷移金属触媒による炭素–炭素結合形成など、それぞれ異なる素過程を組み合わせることにより、アルカンや単純アルケンといった安価だが反応性に乏しい原料を直接利用する分子変換を開発してきた。
1. 可視光とハイブリッド触媒による単純アルケンの直接利用
石油化学原料として大量に供給されるアルケンは、有機合成にとって理想的な炭素源である。しかし、特定のC–H結合を選択的に切断し、その位置で新しい炭素–炭素結合を形成することは容易ではない。
三ツ沼らは2019年、有機光レドックス触媒とキラルクロム触媒を組み合わせることによって、単純アルケンをアルデヒドへ直接付加させる触媒的不斉アリル化反応を報告した。可視光によってアルケンのアリル位C(sp³)–H結合をラジカル化し、それをクロム触媒が捕捉することによって、アルデヒドとの炭素–炭素結合形成へ接続する。
この反応の重要な点は、反応性の低いC–H結合をあらかじめハロゲン化物などへ変換することなく、「光でラジカルを作る触媒」と「不斉炭素–炭素結合を作る触媒」を分業させたことである。
Mitsunuma, H.; Tanabe, S.; Fuse, H.; Ohkubo, K.; Kanai, M.
“Catalytic Asymmetric Allylation of Aldehydes with Alkenes Mediated by Organophotoredox and Chiral Chromium Hybrid Catalysis.”
Chem. Sci. 2019, 10, 3459–3465.
その後もクロム触媒とラジカル生成系の組み合わせを発展させ、単純アルケンから直鎖選択的にアリル化生成物を得る反応など、原料アルケンを直接利用する合成法へ展開している。
2. HAT触媒を利用した不活性sp³ C–H結合の変換
三ツ沼らの研究を特徴づけるもう一つの重要な概念が、Hydrogen Atom Transfer(HAT、水素原子移動)である。
アルカンのC(sp³)–H結合は結合エネルギーが大きく、通常の有機反応条件ではほとんど反応しない。しかし、適切なラジカル種を用いて水素原子だけを引き抜くことができれば、アルキルラジカルを生成し、その後の触媒反応へ利用できる。
2022年には、三ツ沼らはチオリン酸誘導体からなるHAT触媒系について詳細な機構解析を行い、HAT触媒自身が形成する電荷移動錯体が光を吸収し、活性種を生成する「self-photosensitizing」機構を明らかにした。
これは通常の「光触媒+HAT触媒」という二成分系とは異なり、触媒分子間の相互作用によって新しい光吸収・反応経路が生じる点が特徴である。
Fuse, H.; Irie, Y.; Fuki, M.; Kobori, Y.; Kato, K.; Yamakata, A.; Higashi, M.; Mitsunuma, H.; Kanai, M.
“Identification of a Self-Photosensitizing Hydrogen Atom Transfer Organocatalyst System.”
J. Am. Chem. Soc. 2022, 144, 6566–6574.
このように、単に個々の触媒の性能を高めるだけではなく、触媒同士の相互作用そのものを機能として利用する発想は、その後の「分子システム化学」へつながる重要な研究思想と見ることができる。
3. 常温・可視光でアルカンから水素を取り出す
HAT化学をさらに発展させた成果の一つが、アルカンの触媒的脱水素である。
アルカンからアルケンや芳香族化合物を得る脱水素反応は工業的に重要であるが、強固なC–H結合を切断する必要があるため、一般に数百度の高温条件を必要とする。
三ツ沼らは2025年、複数の光化学的素過程を組み合わせることによって、常温・可視光照射下で環状アルカンから最大3分子の水素を取り出し、芳香族化合物へ完全脱水素する触媒系を報告した。従来法が300 ℃近い高温や紫外光を必要としていたのに対し、可視光エネルギーによって反応を駆動できる点が特徴である。
Jagtap, R. A.; Nishioka, Y.; Geddis, S. M.; et al.; Mitsunuma, H.; Kanai, M.
“Catalytic Acceptorless Complete Dehydrogenation of Cycloalkanes.”
Nat. Commun. 2025, 16, 428.
この研究では単純な一段階のC–H活性化ではなく、複数回の水素引き抜き・脱水素過程を連続的に進める必要がある。したがって、複数の反応素過程を連携させて全体として一つの化学変換を成立させるという三ツ沼らの触媒設計思想を端的に示した成果といえる。
4. ブテンからポリプロピオネート骨格を作る
2025年にはさらに、より複雑な分子を単純な石油化学原料から組み立てる研究へと展開した。
ポリプロピオネート構造は多くの天然物・生理活性物質に含まれるが、メチル基とヒドロキシ基をもつ多数の不斉中心を正確に作り分ける必要があり、その合成は容易ではない。
三ツ沼らは、環状ヘミアセタールと安価な1-ブテンを原料として用い、可視光駆動型の触媒的不斉アリル化によってポリプロピオネート骨格を構築する方法を開発した。さらに触媒条件を切り替えることで、生成する複数の立体異性体を選択的に作り分けるstereodivergent synthesisを実現した。研究成果は2025年に Science に報告された。
Nakao, H.; Hassan, M. M. M.; Nakamura, Y.; Toyobe, M.; Higashi, M.; Mitsunuma, H.; Kanai, M.
“Visible Light–Driven Stereodivergent Allylation of Cyclic Hemiacetals with Butene for Polypropionate Synthesis.”
Science 2025, 390, 272–278.
「複雑な分子を作るためには、複雑な原料を用意しなければならない」という従来の考え方とは逆に、単純な炭化水素を触媒システムによって必要な位置だけ活性化し、複雑性を後から付与するという方向性を象徴する研究である。
「ハイブリッド触媒」から「分子システム」へ
2026年に神戸大学で独立した三ツ沼研究室では、これまでの複数触媒を協奏させる研究をさらに一般化し、「分子システム」を研究室全体のキーワードとしている。
研究室では、
- 分子システムを用いた精密分子変換
- 未開拓機能性高分子の創出
- 生命の全合成
という3つの研究方向を掲げている。
ここでいう分子システムとは、一つの分子そのものに機能を持たせるのではなく、複数の分子が相互作用し、情報やエネルギー、化学種を受け渡すネットワーク全体として機能を発現させるという考え方である。
この観点から見ると、三ツ沼のこれまでの光触媒研究も、光触媒、HAT触媒、金属触媒、基質がそれぞれ役割を分担して動く人工的な分子ネットワークと捉え直すことができる。現在の研究室が「生命の全合成」までを目標に掲げていることは、有機合成反応の開発を超えて、分子同士の協奏から機能そのものを作る化学へ研究対象を拡張しようとしていることを示している。
関連論文
- Mitsunuma, H.; Shibasaki, M.; Kanai, M.; Matsunaga, S. “Catalytic Asymmetric Total Synthesis of Chimonanthine, Folicanthine, and Calycanthine via Double Michael Reaction of Bisoxindole.” Angew. Chem. Int. Ed. 2012, 51, 5217–5221.
- Mitsunuma, H.; Tanabe, S.; Fuse, H.; Ohkubo, K.; Kanai, M. “Catalytic Asymmetric Allylation of Aldehydes with Alkenes Mediated by Organophotoredox and Chiral Chromium Hybrid Catalysis.” Chem. Sci. 2019, 10, 3459–3465.
- Tanabe, S.; Mitsunuma, H.; Kanai, M. “Catalytic Allylation of Aldehydes Using Unactivated Alkenes.” J. Am. Chem. Soc. 2020, 142, 12374–12381.
- Fuse, H.; Mitsunuma, H.; Kanai, M. “Catalytic Acceptorless Dehydrogenation of Aliphatic Alcohols.” J. Am. Chem. Soc. 2020, 142, 4493–4499.
- Fuse, H.; Irie, Y.; Fuki, M.; et al. “Identification of a Self-Photosensitizing Hydrogen Atom Transfer Organocatalyst System.” J. Am. Chem. Soc. 2022, 144, 6566–6574.
- Jagtap, R. A.; Nishioka, Y.; Geddis, S. M.; et al. “Catalytic Acceptorless Complete Dehydrogenation of Cycloalkanes.” Nat. Commun. 2025, 16, 428.
- Nakao, H.; Hassan, M. M. M.; Nakamura, Y.; Toyobe, M.; Higashi, M.; Mitsunuma, H.; Kanai, M. “Visible Light–Driven Stereodivergent Allylation of Cyclic Hemiacetals with Butene for Polypropionate Synthesis.” Science 2025, 390, 272–278.




























