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大学院生が博士候補生になるまでの道のり【アメリカで Ph.D. を取る –Qualification Exam の巻 前編】

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Qualification Exam (通称 qual, あるいは candidacy) は、アメリカの Ph.D. 課程の最大の関門とも冠される試験で、これに合格しないと大学院を去ることになってしまう運命の別れ道です。この記事では、UC バークレー化学科の qual の試験内容とそれまでの過程についてお話しします。

はじめに: Qual を受けました

「アメリカで Ph.D.を取得するシリーズ」では私の海外大学院への受験の挑戦から始まり、その後の大学院生活を日記感覚で綴ってきました。先日、そんな留学生活の一つの山場を迎えました。それは qualification exam です (通称 qual, 学校によっては candidacy などと呼ばれることもあります)。多くのアメリカの大学院の PhD 課程では、2 年生のどこかのタイミングで、qual と呼ばれるを受ける必要があります。大まかにいうと、この試験は、研究者として必要な基礎知識や、これから行う研究の背景知識と今後の予定などを問うものです。これに合格すれば、晴れて PhD candidate (博士候補生) となり、あとは論文を書いて卒業するのみ、という段階へと入ります。

2019 Fall に UC バークレーの化学科に入学した私は、今年度中に qual を受ける必要がありました。「こんなもの (qual) は早く終わらせてしまう方が良い」と思い、2020 年の 10 月に qual を受けました。

というわけで、この記事では、UC バークレー化学科の qual がどんなものだったかを日記感覚で記録します。なお Caltech のケースについては、以前に kanako さんが記事を書いていらっしゃるので、是非ご参照ください (アメリカ大学院留学: 博士候補生になるための関門 Candidacy)。学校ごとに形式は大きく異なっているため、その違いについてもご注目ください。

Qualification Exam の概要と関連するスケジュール

UC バークレー化学科の qual に関する重要なスケジュールは次のようになっています。

  • 1 年生の終わりごろ: First Year Report 作成
  • Qual の 3 週間前: Graduate Research Seminar にて発表
  • Qual の 1 週間前: Outside Research Proposal 提出
  • Qual 当日: 自身の研究についての質疑応答と outside proposal についての質疑応答

Qual の日程は、研究の進捗状況などを踏まえて指導教官と相談したのちに、1年次の最後に学科に希望を提出して決まります。

査読付き First Year Report

要するに1年生の間に行った研究をまとめるレポートです。長さは、図を含めずに 10 ページと決められています。私が専攻している synthetic chemistry 専攻では、通常、新規化合物 3 種のキャラクタリゼーションが含まれていることが求められています。しかし、COVID-19 の影響で、2019年3月から 6 月ごろまで研究室が閉鎖されていたこともあり、今年度は実験結果に関する要件は緩められ、「研究背景や今後の予定に重点を置いてよし」となりました。

作成したレポートは、化学科の先生へと査読が回されます。査読の先生は数名希望することができたため、私は、MOF 研究の第一人者である Omar Yaghi 教授と、基礎有機金属化学を追究されている Don Tillley 教授を希望しました。その結果、私の希望は全く反映されず、バークレーのアクチノイド化学の new comer である Polly Arnold 教授と天然物合成の Thomas Maimone 教授 (?!) へと査読が回されました。「なんで Tom Maimoneぃぃぃ?」と思いましたが、私の世代は無機化学の学生が稀に見る大人数だったため、有機の先生が無機の学生のレポートを見ざるを得なかったのかなぁと勝手に想像しています。First year report の提出は、指導教官以外のバークレーのスーパースターな先生方から評価をいただける貴重な機会となっています。また、ここでの査読者は qual の審査委員会 (comittee) にもなります。

私の first year report を査読者にしてくださた Polly Arnold 教授 (左) と Thomas Maimone 教授 (右). 図は UC バークレーの化学科の教員のページから抜粋.

Graduate Research Seminar: GRS

20 分間の口頭発表と 5 分間の質疑応答を行うセミナーです。本来は Latimer 120 という、百人くらいを収容できる大きなホールで行います (下図左, 中央)。実はその Latimer 120 と言うホールは、新進気鋭の先生や、超がつく大御所の大先生をお招きしてセミナーを行う場所でもあります。バークレーに訪れたことがある人ならば、近くのコーヒーショップで提供される無料のコーヒーとスナックを片手に、セミナーに参加したことがバークレーの留学の思い出の一つなのではないかと思います。

セミナーが開催される Latimer120 とセミナーのたびに無料の軽食を提供してくれるCoffee Lab (COVID-19 のため休業中)

しかし、今年度は COVID-19 の影響で、この GRS は Zoom を利用したオンライン開催となりました。Latimer 120 という大舞台に立って研究発表ができると言うのは大変な名誉だと思って憧れていただけに、オンラインでの開催になってしまったことはとっても残念でした。ただし、オンラインであることを利用して、日本にいる家族を Zoom に招待できたので 、オンラインのセミナーもそれはそれで良かったのかもしれないとは思っています。

Outside Research Proposal

バークレーの qual では、自分自身の研究に加えて、分野外の研究のプロポーザル (通称 outside proposal) を行う必要があります。Outside proposal の内容は、現在の研究テーマから遠いだけではなく、自身の過去の研究や所属する研究室のテーマとも被っていないテーマを選ぶ必要があります。どのくらい分野外のテーマが許されるかどうかは、議長の采配次第になっています。なので、qualification exam の 1 ヶ月ほど前の段階で大まかなアイデアを 2, 3 用意しておいて、審査委員会の議長と相談して決めます。

私の審査委員会の議長は Polly Arnold 教授でした。慣例に従って 1 ヶ月前にミーティングのアポイントを取ってお話ししました。アイデアとしては、分子量子ビット1、動的核偏極(DNP) NMR に用いる核偏極剤2、そして金属錯体を用いた窒素の活性化3の 3 つを考えていることを Arnold 教授に伝えました。内心は、「分子量子ビットは Long 研の研究分野の一つの単分子磁石と関連があるから、却下されるだろう。窒素の活性化は、「ガス分子と金属の相互作用 = ガス吸着の肝」という観点で言うと今の研究 (水素貯蔵) と近いところがあるので、却下されるだろう。つまり消去法で DNP が本命か…」と思っていました。が、意外にも Arnold 教授は、「分子量子ビットも DNP も今の研究と全然関係ないよね。難しいから窒素固定がいいんじゃないかな。今の研究の知識も活きるし。」とおっしゃりました。というわけで、窒素固定のプロポーザルに取り組むことになりました。

Qual に向けてどのようなスケジュールで勉強しましたか?

5 月の時点で 10 月に qual を受けたいことを学科に伝えたところ、8 月の頭になってから qual の試験日が 10 月上旬であることを知らされました。準備期間は約 2 ヶ月。多くの学生は、qual の 1 ヶ月前になると、実験を一旦止めて、勉強に専念すると聞いていたため、私もその慣習に従いました。ただし、qual の大まかな日程が決まった時点で、「意外と時間ないな」と思い、コツコツと勉強を始めました。

どんな勉強をしなければならないのかと、先輩に聞いてみると、「基本的には学部の教科書のレベルと自身の研究の関連知識を身につけるように」ということでした。なので、シュライバーアトキンス無機化学、ハウスクラフト無機化学やハートウィグ遷移金属有機化学などの教科書をパラパラと読みつつ、研究の関連論文を遡って読んでいました。COVID-19 の影響により、研究室はシフト制を敷いていたため、シフト外は自宅で集中して勉強、研究室にいられる間は実験、というようにメリハリをつけて勉強していました。

読書以外にはどのような勉強をしましたか?

Long 研究室では、qual を模したリハーサルを、上級生と少なくとも2 回以上、Long 教授と 1 回行うことになっています。リハーサルは、試験と同様の手順で、はじめに自身の研究の要約を 5 分間話した後、90 分ほど自由に質疑応答を続けるという形式でした。COVID-19 の影響がなければ、qual はどこかの教室で開催されるはずでした。そして、説明に図が必要な場合は、黒板を利用して化学式や図を書きます。Power point は使いません。しかし、今回は Zoom を利用してオンラインで qual を行う必要があったため、10 枚まではパワーポイントのスライドを用意することが認められました。その他、必要に応じて、iPad を利用してパワーポイントに注釈をつけるなどしました。

質疑応答ではどんな質問を受けるのですか?

自分の研究に関係するあらゆる背景、あらゆる基礎知識、そして先端知識です。

例えば「その化合物はどうやって同定したの?」といった質問です。この質問自体は、研究を自分自身で行っていれば答えることができて当然でしょう。しかし、例えばここで「IR で XX を見て、ICP で XX を確かめて UV-vis でウンヌンカンヌン」と答えたならば、「ICP の装置の原理は?IR ってどんな測定技術? UV-vis の選択律は?」のような基礎知識を聞かれることもありました。これらの答えは教科書に載っているので、特に難しいことはないと思うかもしれません。しかし、「その化合物の水素の吸着エンタルピーは、分子軌道論的に考えるとどうなの?」といった、教科書や文献を探しても簡単には見つけられないような質問も多々ありました。それらに答えるには、教科書レベルの知識や最先端の論文の知見を、自分自身の系に当てはめて考える必要がありました。その過程は、自身の研究の中のブラックボックスな部分を潰していくような感覚でした。

そのほかにも、「MOF 以外の水素貯蔵材料はどんなのがあって、なんで MOF を使いたいの?」といった、一歩引き下がった視点での研究背景から、「水素の値段知ってる?」のような工学的な質問、さらには「その合成に使った原料の塩の空間群は?」のような、「知らんがな!」とツッコミたくなるようなありとあらゆる質問をリハーサルで浴びせられました。なので、リハーサルのたびに調べ物を繰り返して、どんな質問が来ても耐えられるように準備しました。くわえて、私は金属有機構造体 (MOF) という有機分子と金属からなる固体材料の研究をしているため、自分が扱う構造体の構造は、すべて手書きで説明できるように訓練しておきました。今回は power point で化合物の構造を準備できたため、qual 対策という意味では一見無駄な練習であると思うかもしれません。しかし、一見複雑な MOF の構造を手書きで説明できるレベルまで観察することは、原子の位置関係を頭に叩き込むためにいい訓練になりました。

研究対象である化合物の構造は, 手書きでもかけるくらい, しっかりと把握する必要があります. 上に示した M2(m-dobdc) という MOF は Long 研のお気に入りの MOF の1つです.4 自分自身の研究では扱っていないものの,  趣味の一環として練習しました.

Outside Proposal とは具体的にどのような試験ですか?

NIH F32 のポスドクのフェローシップの形式に従って、1 ページの “specific aim (プロポーザルの鍵になる具体的な目標をまとめたページ)” と 6 ページのプロポーザル (背景、重要性、研究デザイン、研究方法、結論など) を qual の1週間前に提出し、qual の当日にはそのプロポーザルについて、審査委員会と議論します。ただし、本来の NIF F32 の申請の際は、予備的な結果を乗せることが許されますが、outside proposal はプロポーザルの試験なので、予備的な結果を乗せる必要はありません。日本の大学院生にイメージしやすいような説明をするならば、学振を自分の研究とは全く関係のないテーマで書き上げて、さらにそのプロポーザルについて面接試験を行う、といったイメージで良いかと思います。

Outside proposal にはどのように取り組みましたか?

締め切りの2週間前までは、とにかく関連論文を読み漁り、アイデアを練ることを繰り返していました。なぜなら、outside proposal は、自分自身で分野を選んで、その分野の課題を見つけて、どのようにその課題に取り組むのかを考えなければならないのです。これは非常に難しかったです。例えば、自分自身の研究のプレゼンをするときは、自分自身のラボの独自の知見や先行研究を借りて来ることができます。学振に応募するときもそうでしょう。しかし、outside propsal ではそうはいかず、自力で課題や現状を把握する必要があるのです。

私が最初にしたことは、その分野の課題は何であるかを見極めることです。的外れな課題を選んでいても、いいプロポーザルはできません。分野の最新論文を読んで、その分野の研究者達が何をしようとしているのかを理解しなければなりません。なので、研究の流れを読むように努めました。

次にしたことは、上の段階で見つけた分野の課題をどのように解決できるかを考えることです。研究の流行に乗っかるのは、一つの手なのですが、流行に乗っかってみるだけだと、既に誰かが取り組んでいる可能性が大いにあります。徹底的な文献調査で、どういったアイデアは試されていないのかを探す必要がありました。この段階が一番難しかったです。何しろ、論文を読んで簡単に思いつくアイデアは、たいていの場合、誰かが先に研究しているからです。

最終的に、「こういうアイデアで行こう」と決まったのが、締め切りの1週間前。そこから、実際のプロポーザルの執筆に取り掛かり、最初の原稿が出来上がったのは、締め切りの2日前という切羽詰ったスケジュールになってしまいました。本来ならば締め切りの 1 週間前には原稿を完成させて上級生に添削をお願いしたかったところですが、そんな余裕はありませんでした。なにしろ、セミナーや自分自身の研究に関する勉強なども並行して進めなければならなかったので、慌ただしい日々を過ごしていました。

次回予告

話し始めると長くなってしまいましたので、今回はここで一旦区切ります。次回は、試験当日の様子と試験を終えた後の気持ち、そしてアメリカの大学院生のパーティについてお話しします (!?)。

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アメリカで PhD を取るシリーズ

関連文献

  1. (a) Graham, M. J.; Zadrozny, J. M.; Fataftah, M. S.; Freedman, D. E. Chem. Mater. 201729, 1885–1897. DOI: 10.1021/acs.chemmater.6b05433 (b) Wasielewski, M. R.; Forbes, M. D. E.; Frank, N. L.; Kowalski, K.; Scholes, G. D.; Yuen-Zhou, J.; Baldo, M. A.; Freedman, D. E.; Goldsmith, R. H.; Goodson, III, T.; Kirk, M. L.; McCusker, J. K.; Ogilvie, J. P; Schultz, D. A.; Stoll, S.; Whaley, K. B. Nat. Rev. Chem.20204, 490-504. DOI: 10.1038/s41570-020-0200-5
  2. Nishimura, K.; Kouno, H.; Kawashima, Y.; Orihashi, K.; Fujiwara, S.; Tateishi, K.; Uesaka, T.; Kimizuka, N; Yanai N. Chem. Commun202056, 7217-7232. DOI: 10.1039/D0CC02258F
  3. Chalkley, M. J.; Drover, M. W.; Peters, J. C. Chem. Rev. 2020, 120, 5582. DOI: 10.1021/acs.chemrev.9b00638
  4. Kapelewski, M. T.; Runčevski, T.; Tarver, J. D.; Jiang, H. Z. H.; Hurst, K. E.; Parilla, P. A.; Ayala, A.; Gennett, T.; FitzGerald, S. A.; Brown, C. M.; Long, J. R. Chem. Mater. 201830, 8179−8189. DOI: 10.1021/acs.chemmater.8b03276

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やぶ

やぶ

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PhD候補生として固体材料を研究しています。学部レベルの基礎知識の解説から、最先端の論文の解説まで幅広く頑張ります。高専出身。

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