第666回のスポットライトリサーチは、東北大学多元物質科学研究所(芥川研究室)笠原遥太郎 助教にお願いしました。
今回ご紹介するのは、三回対称性(C3対称性)分子の分子配列制御に関する研究です。
120 °回転するともとに戻るC3対称性の分子は秩序だった集合体を作りやすいとされている他にも、分子間相互作用を利用した様々な分子配列を取ることが報告されています。C3対称性の分子を分子間相互作用により同一分子から異なる分子配列に制御することは挑戦的な課題とされてきました。今回、アミド基を持つC3対称性の縮環芳香族炭化水素(PAH)を合成し、異なる分子配列を溶媒を変えることによって制御する手法を報告されました。また、分子配列の違いによる各分子集合体の異なる光学特性の観測や、分子動力学シミュレーションによる構造形成メカニズムの解析を行われています。
本成果は、J. Am. Chem. Soc. 誌 原著論文およびプレスリリースに公開されています。
“Supramolecular Polymorphism of the Hydrogen-Bonded C3-Symmetrical Hexadehydrotribenzo[12]annulene Derivative”
Kasahara, Y.; Takeda, T.; Dekura, S.; Ishii, Y.; Anetai, H.; Takai, A.; Hisaki, I.; Takeuchi, M.; Akutagawa, T. J. Am. Chem. Soc. 2025, 147, 18783–18795. DOI: 10.1021/jacs.5c02529
研究を指導された武田貴志 准教授(信州大)と芥川智行 教授(東北大)から、笠原先生について以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!
武田先生
笠原君は芥川研究室に卒研生として配属して以来、一緒に化合物の合成、物性評価を行ってきました。物性化学の研究室で、有機合成と物性評価を両方できる研究テーマを強く希望してくれたことを思い出します。研究の過程でうまくいかないこともありましたが、粘り強く研究に取り組み続けた結果が今回の成果につながったと思います。笠原君の良いところはこだわりを持ち、一度やると決めたことには納得いくまで情熱をもち続けて取り組むこと、高い社交性を有していることだと思います。この長所を活かして、アカデミック研究者として活躍してほしいと願っています。
芥川先生
笠原君は、芥川研究室出身者として14人目の博士号取得者となります。物性化学の研究室において有機合成を専門分野として、三角形分子に特化した独自性の高い研究を展開してきました。学生時代はアメリカンフットボール部に所属していたこともあり体格に恵まれ、研究者としての経験を積むにつれて風格を増し、後輩学生からの信頼も厚い存在感のある人物です。現在は、アカデミアでさらなる活躍の場を求めて、論文執筆と就職活動に精力的に取り組んでいます。近年、大学における若手教員の志望者が急激に減少している状況において、今後の科学技術発展を担う貴重な人材であると期待しています。博士課程在籍中に結婚し、家族に対する責任もありますが、研究者として夢を持って前進して欲しいと願っています。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
本研究は、分子の対称性と分子間相互作用に着目し、「分子の並び方(分子配列)」を制御することを目指したものです。
「C3対称性」とは、正三角形のように120°回転すると元の構造と一致する対称性のことです(ケムステにも点群に関する解説記事があります)。C3対称性分子は、ハニカム構造のような秩序だった集合体を形成しやすい一方で、置換基の設計やゲスト分子(溶媒和・添加剤)によって、3次元ネットワークや1次元柱状構造といった、異なる集合構造をとることも知られています(図1)。上記にみられる「分子間相互作用の柔軟性」を生かすことで、外部刺激(熱・ゲスト・電場など)に応じて分子配列の変化に伴い物性(発光強度・色調・誘電特性など)が切り替わる「スマートマテリアル」の構築にもつながると考えられています。しかし、C3対称性分子における分子間相互作用をうまく操り、同一分子において分子配列の切り替えを意図的に引き出すこと(超分子多形)は容易ではなく、挑戦的な課題とされてきました。

図1 C3対称性分子の相互作用・分子配列の特徴とそれを生かしたスマートマテリアル設計指針
本研究では、C3対称性をもつ縮環芳香族炭化水素(PAH)「ヘキサデヒドロトリベンゾ[12]アヌレン([12]DBA)」に、アルキルアミド基を置換した分子1aを新たに設計しました(図2)。エチニル(三重結合ユニット)によりベンゼン環を架橋した[12]DBAは、分子中心に空孔を有するため、一般的なPAHとは異なる電子構造、分子間相互作用が期待されます。分子1aは溶媒の種類を変えるだけで、異なる分子配列を誘起できるという、明確な超分子多形現象を示しました。この配列の分岐には、[12]DBAの中心コア間の相互作用に加え、アミド基を介した水素結合の働き(分子間アミド水素結合の1分子あたりの点数)も重要な役割を果たしています。図2でも軽く触れておりますが、詳細はプレスリリースや論文をお読みください。

図2 本研究で用いた分子1a ([12]DBAのトリアルキルアミド置換体)と観察された多形現象
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
本研究において特に力を入れたのは、イントロダクションの執筆やデータの並べ方といった、「いかにこの研究が面白いか」を伝えるストーリー作りです。今回観察された超分子多形現象は、一見するとよくある分子配列の変化にも見えます。しかし、[12]DBAと他の三角形分子との違いを丁寧に比較検討することで、この分子ならではの現象として意味づけることができました。共著者や学会、学位審査の先生方、さらにはJACSの査読者からいただいた貴重なフィードバックをもとに、[12]DBAのユニークな構造・電子状態・分子間相互作用に焦点を当てて議論を深めることができました。この研究は、周囲の方々との議論や共同研究、そして化学コミュニティとのつながりがあってこそ形になったものです。環境と運にも恵まれた研究であったと感謝しています。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
1つ目は、化合物1a (図2)の合成です。当初は、[12]DBAのアミノ体をアミド化する手法を試みましたが、[12]DBAのアミノ体のみならず、環化前駆体となるアニリン誘導体が不安定であるため、満足な収率が得られませんでした。さらに、その間に他グループから類似分子の研究が報告され、焦る気持ちもありました。結果的に、そのグループが採用していた「アミド化を先に行い、安定化させた前駆体から環化する合成スキーム」に切り替えたことで、物性測定などの実験に十分な量を確保できるようになりました(もっとも、そこからの精製にも大変苦労しましたがね(笑))。
2つ目は、1aの分子集合構造の解釈です。クロロホルムから濃縮して得た試料と、クロロホルム・アセトニトリル混合溶媒で再結晶した試料とで、分子集合体構造が大きく異なっていました。今となってはこれが超分子多形現象の始まりだったのですが、最初の実験結果に引きずられてしまい、なかなか本質にたどり着けませんでした。最終的には、種々の実験を組み合わせることで、全体像を整理することができました。本研究の終盤にあたる2024年8月ごろに、分子動力学シミュレーション(図2, 石井先生との共同研究)により超分子多形の可視化と再現ができたときには、大きな興奮と達成感がありました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
分子間相互作用の自在制御に基づく、機能性材料をたくさん開発できる研究者になりたいと思います。特に、物理学・伝導体分野におけるビス(エチレンジチオ)テトラチアフルバレン(BEDT-TTF)にあたるような、広い研究分野にまたがって利用されるような分子を作ってみたいと思います。夢の実現に向けて、有機合成・物性化学の実験技術、知識をさらに身に着けていく所存です。
同時に、学生に研究の面白さを伝え、将来は国の礎となる人材を育てられるような教育者・研究者になりたいと思っています。
芥川研究室は、メンバー全員が活発に研究に取り組んでおり、楽しく充実した研究生活を送りたい方にはこれ以上ない環境だと僭越ながら思います。先生方だけでなく、先輩・後輩の皆さん(ケムステに記事がある方だと、小野寺君1、阿部さん2。古川先生の動画に出演された呉さん3。)からも多くの刺激を受けて、時に“強すぎる”ほどでした(笑)。また、学会や共同研究にも多く参加させていただき、凄まじい研究者の方々とつながり(そして一緒にお酒を飲み)、視野を広げる機会にも恵まれました。こうした環境の中で、楽しく前向きに研究を続けられたことは、私が無事に学位を取得できた大きな要因のひとつだと実感しています。今後は、芥川先生、武田先生、星野先生、出倉先生、佐藤 鉄先生といった、自分自身もお世話になった先生方のように、研究を楽しむ姿勢を見せ続けられる化学者になりたいと思います。
また、皆さんとは今後も学会などでお会いする機会があるかと思います。その際は、面白い分子や物性を“お土産”に、酒を片手に語り合えることを楽しみにしています。飲み会のお誘い、お待ちしています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
大学院生時代には、思い通りにいかないことや、苦手にぶつかることも多いと思いますが、地道に積み上げることで少しずつできるようになります。ただ、それ以上に大切なのは、努力を続けるなかでも「自分の好きなこと」や「得意だと感じること」「面白いと感じること」を、どうか忘れずに大切にしてほしいということです。私自身も、「有機合成」や「三回対称性・三角形分子」「DBA」など、自分が面白いと感じる対象に情熱を注ぎ続けたからこそ、今回の成果にたどり着けたと感じています。
皆さんも、自分の中にある“熱いもの”を大切にしながら、ぜひ研究に取り組んでください。学会や論文発表の場で、皆さんの成果に触れられる日を楽しみにしています。
最後になりましたが、貴重な寄稿の機会を頂きましたケムステスタッフの皆様、誠にありがとうございました。
本研究の実施にあたり、芥川先生、武田先生をはじめとする芥川研究室のスタッフ・メンバーの皆様、共同研究でお世話になったNIMSの竹内先生、高井先生、姉帯先生、大阪大学の久木先生、北里大学の石井先生に、心より御礼申し上げます。
また、妻をはじめとした家族には、経済的にも精神的にも大きく支えてくれました。この場を借りて、深く感謝申し上げます。
研究者の略歴
名前:笠原 遥太郎 (かさはら ようたろう)
所属:東北大学 多元物質科学研究所 助教
略歴:
2020年3月 東北大学工学部化学・バイオ工学科 卒業
2022年3月 東北大学大学院工学研究科 応用化学専攻 博士前期課程 修了
2025年3月 東北大学大学院工学研究科 応用化学専攻 博士後期課程 修了