第711回のスポットライトリサーチは、九州大学大学院理学研究院 化学部門(分光分析化学研究室)・江原さん(当時D3)にお願いしました。
九州大学恩田研究室では、超高速分光と量子化学計算を用いてピコ秒~マイクロ秒で起こる物質のダイナミクスを解明する研究が展開されてきました。今回は、大阪大学の倉持光教授の協力のもと、ピコ秒からさらに一歩踏み込んだフェムト秒スケールで起こる構造のゆがみを明らかにしたという報告です。
本成果は非常に高く評価され、J. Am. Chem. Soc.誌に掲載されるとともに、九州大学のプレスリリースにも公開されています。
“Dynamic Excited-State Localization Induced by Jahn–Teller Distortion Observed by Coherent Vibrational Spectroscopy”
Takumi Ehara, Yusuke Yoneda, Tatsuya Yoshida, Tomohiro Ogawa, Yuto Konishi, Toshikazu Ono, Atsuya Muranaka, Hikaru Kuramochi*, Kiyoshi Miyata* and Ken Onda*
J. Am. Chem. Soc. 2025, 147, 30, 26446–26455
DOI: https://doi.org/10.1021/jacs.5c06020
本研究をけん引された宮田准教授から、江原さんについて以下のコメントを頂いています。
今回の光化学の研究は錯体の光化学を主題とした極めて奥深いもので、多くの共同研究者を巻き込んだ一大プロジェクトでした。担当してくれた江原君の粘り強く真摯に科学に立ち向かう姿勢のおかげで、違った専門性の共同研究者とともに議論を深めることができ、ここまで素晴らしい形にまとまりました。
江原君は実験に頑張って取り組んでくれるのはもちろん、基礎的な理解を大切にする姿勢は私がこれまで見てきた学生の中でもピカイチで、今は教員の私自身が日々のディスカッションで学ばされるほど圧倒的な成長を遂げました。この三月に学位を無事に取得し、研究者を目指して今も新しい研究に取り組んでくれています。シン・江原巧の、次のステージでの大活躍も心から応援しています!
それでは今回もインタビューをお楽しみください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
今回の研究では、分子の発光性能の鍵を握る“構造のゆがみ”が、光を吸収した直後にどのように現れるのかを、フェムト秒の時間分解分光技術を用いて観測しました。
対象としたのは、アルミニウム(Al)を2つ含む三重らせん型の錯体分子です。この分子は高い対称性(D3対称性)を持っており、強い蛍光を示すだけでなく、大きなストークスシフト(吸収と発光のエネルギー差)を持つというユニークな特徴があります。また、配位子にメチル基を修飾するだけで、発光色が大きく変わるといった特異的な性質も報告されています。
しかし、なぜこのような光物理特性が実現できるのか、その背後にある分子構造の変化についてはこれまで詳しく分かっていませんでした。
そこで本研究では、「コヒーレント振動分光」と呼ばれる手法を用いて、分子が光を吸収した直後に起こる動きをビート信号として捉えることに成功しました(図1)。この手法では励起状態において大きく構造変化する振動モードを抽出することが出来ます。
このビート振動を解析すると、140 cm-1の周波数の振動が最も顕著で非常に速く(410フェムト秒で)消失することがわかりました。振動数解析によって、この振動は3つの等価な配位子のうち1つの配位子の2面角が変化するようなねじれ振動であり、非全対称(e対称性)を持つことが明らかになりました。このことは、分子が光を吸収した直後に対称性を崩し、構造をゆがめる「Jahn-Teller歪み」が起きていることを強く示唆します。
このような対称性の破れとねじれ振動との強い結合が、励起状態における電荷分布の局在化を促し、さらに一部の配位子の二面角が平面化してπ共役が拡張することで、高い発光効率や大きなストークスシフトといった優れた光学特性を生み出していることが明らかになりました。本研究の成果は、対称構造をもつ分子が次世代の高機能発光材料の設計において極めて重要であることを示していることを示しました。

図1. 過渡吸収信号の時間変化及び振動成分のパワースペクトル(左上)。本研究で明らかになった励起状態の構造ダイナミクス(左下)と、状態エネルギーの二面角依存性(右)。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
フェムト秒のタイムスケールの分光計測です。本錯体がJahn-Teller効果を示しそうなことは量子化学計算から早い段階で示唆されていました。そこで、自分の研究室でピコ秒〜ナノ秒〜マイクロ秒における過渡吸収分光、時間分解赤外分光、時間分解発光分光などの測定を試みましたが、本錯体の一番の魅力である構造変化についての直接的な情報を引き出すことは出来ませんでした。従って、フェムト秒の時間スケールの分光計測を得意とする倉持先生・米田先生の研究室に伺い、素晴らしいデータをとって頂きました。過渡吸収信号を測定した際に、非常に大きい振幅で振動するコヒーレント振動が見えた瞬間はとても感動しました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
最も苦労したのはデータの解釈です。多くのコヒーレント振動として観測されましたが、その中でJahn-Teller歪みと深く関わっている振動モードを特定するのが難しかったです。自分自身コヒーレント振動の解析が初めてだったため、フーリエ変換時に窓関数を掛けて140 cm-1の振動を過小評価していました。学会への参加、論文の調査や度重なるディスカッションを経て、今回のような解釈につなげることが出来ました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
分光計測を通じて、物質の目に見えない魅力を見出していきたいと考えています。人の目では捉えられない電子や振動の世界を観測することで、見えない現象を見える形にし、物質の本質に迫る研究を続けていきたいです。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
本研究は、自分一人では到底たどり着けなかった成果です。共同研究や議論を通じて視点が広がり、分子が本当に面白い動きを見せてくれる瞬間に出会うことができました。化学は挑戦すればするほど新しい表情を見せてくれる学問だと思っています。ぜひ皆さんも、分子の可能性を信じて実験を重ねてみてください。
研究者の略歴

(左から)宮田准教授、江原さん、恩田教授
名前:江原 巧
所属:九州大学大学院理学府化学専攻・分光分析化学研究室
専門:超高速分光
略歴:
2021/03 九州大学理学部化学科 卒業
2023/03 九州大学理学府化学専攻 修士課程修了
2023/04- 九州大学理学府化学専攻 博士課程
2023/04- 日本学術振興会特別研究員(DC1)
2026/04- 九州大学大学院理学研究院 化学部門 特別プロジェクト助教






























