概要
フィーゼルマン チオフェン合成(Fiesselmann Thiophene Synthesis)とは、ドイツの化学者 Hans Fiesselmann が1950年代に確立した、硫黄求核剤であるチオグリコール酸エステルの硫黄と活性メチレンの2つの反応点を利用して、一段階(ワンポット)でチオフェン環を組み上げる縮合反応である。典型的にはα,β-アセチレン系エステルに対し、塩基(ナトリウムアルコキシド、KOHなど)でチオグリコール酸エステルを脱プロトン化して反応させると、2位にエステル基、3位にヒドロキシ基をもつチオフェン(3-ヒドロキシチオフェン-2-カルボン酸エステル)が得られる。[1][2] 硫黄源としては、活性メチレンをもつHS–CH₂–CO₂R”(およびそのα-置換体)が用いられ、S原子とメチレン炭素がそれぞれチオフェン環のS1原子とC2炭素になると理解されている。[5]
出発物のカルボニル成分を変えることで、生成物の置換様式を制御できる点が特徴で、α,β-アセチレン系エステルのほか、β-ケトエステルやβ-クロロビニルケトンなども前駆体として用いられる。[3][4] また、エステル基をニトリルに置き換えると、3-ヒドロキシ体の代わりに3-アミノチオフェン-2-カルボン酸エステルが得られる(ニトリル変法)。[7] 3-ヒドロキシ/3-アミノチオフェン-2-カルボキシラートは医薬・材料化学で有用な多官能性チオフェン中間体であり、本反応はその代表的な構築法のひとつとされる。[5][7]
反応機構
まず、(1) 塩基によりチオグリコール酸エステルのチオール(–SH)が脱プロトン化され、生じたチオラートがα,β-アセチレン系エステルの三重結合へチオ-Michael型の共役付加を起こしてビニルスルフィド中間体を与える。[5] 続いて、(2) チオグリコール酸エステル由来の活性メチレン(S–CH₂–CO₂R”)が塩基で脱プロトン化され、生じたカルボアニオンが分子内で、もう一方のエステル(アセチレン系エステル由来の –CO₂R’) カルボニル炭素へ分子内Claisen/Dieckmann型縮合を起こして五員環を形成する。このときアルコキシド(R’O⁻)が脱離してケトン(3-オキソ体)が生成し、(3) 互変異性・芳香族化を経て3-ヒドロキシチオフェン-2-カルボン酸エステルが完成する。[1][5]
エステルの代わりにニトリルを用いた場合は、環化段階でC≡Nへの付加・互変異性を経て、3位がエナミン/アミノ基となり、3-アミノチオフェン-2-カルボン酸エステルを与えると理解されている。[7]
特徴・適用範囲・類似反応との比較
強み: チオグリコール酸エステルという安価で扱いやすい硫黄源から、一段階で2,3位が官能基化された(3-ヒドロキシ/3-アミノ-2-カルボキシラート型)チオフェンを直接構築できる。得られる3-ヒドロキシ/3-アミノチオフェン-2-カルボキシラートは、さらなる誘導化(脱炭酸、アシル化、クロスカップリング等)の足がかりとなる多官能性中間体であり、医薬骨格の構築に広く応用されている。[5][7]
弱み・注意点: 生成物の骨格が「3-ヒドロキシ(または3-アミノ)チオフェン-2-カルボン酸誘導体」という特定の置換パターンに実質的に規定される。無置換・単純アルキル置換のみのチオフェンを作る用途には不向きで、その場合はPaal-Knorr型やGewald型など他法が適する。強塩基条件を要し、位置選択性は基質依存で、置換基によっては位置異性体・副生成物を生じ得る。
| 反応 | 主な前駆体 | 生成物の型 | 長所 | 短所・注意 | 使いどころ |
|---|---|---|---|---|---|
| Fiesselmann チオフェン合成 | α,β-アセチレン系エステル/ニトリル(β-ケトエステル等)+チオグリコール酸エステル | 3-ヒドロキシ(3-アミノ)チオフェン-2-カルボキシラート | 2,3位官能基化体を一段階で構築、医薬中間体に有用 | 生成物型が特定パターンに限定、強塩基必要 | 3-OH/3-NH₂-2-CO₂R型の多官能チオフェン |
| Gewald チオフェン合成 | ケトン/アルデヒド+活性ニトリル+硫黄(S₈) | 2-アミノチオフェン(3位にEWG) | 2-アミノ基を直接導入、多置換に強い | 生成物型が2-アミノチオフェンに限定的 | 2-アミノ-3-置換チオフェン骨格 |
| Hinsberg チオフェン合成 | 1,2-ジカルボニル+チオジグリコール酸エステル | チオフェン-2,5-ジカルボン酸誘導体 | 2,5-ジエステル型を構築 | 生成物型が限定的 | 2,5-ジカルボキシル型チオフェン |
| Paal-Knorr チオフェン合成 | 1,4-ジカルボニル+硫黄導入剤(P₄S₁₀/Lawesson) | 2,5-(〜3,4-)置換チオフェン | 一段階・置換制御が明快 | H₂S発生・強い硫黄化試薬 | 1,4-ジケトンが得やすい2,5-置換チオフェン |
反応例
Nicolaouらは、本条件を利用して、抗腫瘍活性を持つ可能性のある環状アルキン・ゴルフォマイシンAの潜在的なDNA切断特性を示した。[8]
実験手順
代表的プロトコル
α,β-アセチレン系エステル(またはβ-ケトエステル)1当量に対し、チオグリコール酸エステル(概ね1〜1.2当量)と塩基(ナトリウムメトキシド/エトキシド、あるいはKOHなどを1〜2当量)を、無水アルコールやTHF等の溶媒中で混合し、室温〜加熱還流下で反応させる。チオ-Michael付加に続く分子内縮合・芳香族化が進行し、酸性化・後処理の後に3-ヒドロキシ(または3-アミノ)チオフェン-2-カルボン酸エステルを得る。[1][3] 反応の進行はTLC等で追跡する。
Lissavetzky変法では、環状β-ケトエステルとチオグリコール酸から、アルコール添加の有無でモノ付加体とチオアセタール(後にエステル化・KOH環化)を作り分けられると報告されている。[6]
実験のコツ・テクニック
- 塩基・溶媒の選択: 反応はチオラート生成と活性メチレンの脱プロトン化に依存するため、ナトリウムアルコキシド等の適切な塩基性条件が重要とされる。エステル交換を避ける観点から、エステルのアルコキシ基と対応するアルコキシド塩基(例: メチルエステルにはNaOMe)を用いる配慮が有効な場合がある。
- 基質カルボニル成分による生成物制御: α,β-アセチレン系エステル、β-ケトエステル、β-クロロビニルケトンなど前駆体の選択で置換様式を制御できる。目的チオフェンの置換位置から逆算して前駆体を設計するとよい。[3][4]
- エステル→ニトリルで3-アミノ体へ: 3-アミノチオフェン-2-カルボキシラートが欲しい場合は、カルボニル成分をニトリルに置き換える(ニトリル変法)。医薬骨格(キナーゼ阻害剤など)の構築に有用。[7]
- 位置異性体・副生成物への注意: 非対称な基質では位置選択性が問題となり得る。生成物の位置化学(2-, 3-, 5-位の割り当て)は必ずNMR等で確認すること。
参考文献
- Fiesselmann, H.; Schipprak, P. “Über Oxythiophencarbonsäureester, I. Mitteil.: Über die Anlagerung von Thioglykolsäureester an Fumarsäure-, Maleinsäure- und Acetylendicarbonsäureester.” Chem. Ber. 1954, 87, 835–841. DOI: https://doi.org/10.1002/cber.19540870608 (原著・命名の由来 Part I)
- Fiesselmann, H.; Schipprak, P.; Zeitler, L. “Über Oxythiophen-carbonsäureester, II. Mitteil.: Synthese und Reaktionen von 3-Oxy-thiophen-carbonsäure-(2)-estern.” Chem. Ber. 1954, 87, 841–848. DOI: https://doi.org/10.1002/cber.19540870609 (原著 Part II・3-ヒドロキシ体の合成と反応)
- Fiesselmann, H.; Pfeiffer, G. “Über Oxythiophencarbonsäureester, III. Mitteil.: Die Einwirkung von Thioglykolsäureester auf β-Ketosäureester.” Chem. Ber. 1954, 87, 848–856. DOI: https://doi.org/10.1002/cber.19540870610 (原著 Part III・β-ケトエステル基質)
- Fiesselmann, H.; Thoma, F. “Über Hydroxythiophencarbonsäureester, VI. Mitteil.: Darstellung von 3-Hydroxy-thiophencarbonsäure-(2)-estern aus β-Ketosäureestern.” Chem. Ber. 1956, 89, 1907–1912. DOI: https://doi.org/10.1002/cber.19560890816 (β-ケトエステルからの3-ヒドロキシチオフェンエステル調製)
- Li, J. J. Name Reactions: A Collection of Detailed Mechanisms and Synthetic Applications, 5th ed.; Springer International Publishing: Cham, 2014; pp 250–251. DOI: https://doi.org/10.1007/978-3-319-03979-4_104 (人名反応集・機構解説)
- Donoso, R.; Jordán de Urríes, P.; Lissavetzky, J. “Synthesis of [b]-Condensed Alkyl 3-Hydroxythiophene-2-carboxylates.” Synthesis 1992, 526–528. DOI: https://doi.org/10.1055/s-1992-26152 (Lissavetzky変法)
- Redman, A. M.; Johnson, J. S.; Dally, R.; Swartz, S.; Wild, H.; Paulsen, H.; Caringal, Y.; Gunn, D.; Renick, J.; Osterhout, M.; Kingery-Wood, J.; Smith, R. A.; Lee, W.; Dumas, J.; Wilhelm, S. M.; Housley, T. J.; Bhargava, A.; Ranges, G. E.; Shrikhande, A.; Young, D.; Bombara, M.; Scott, W. J. “p38 Kinase Inhibitors for the Treatment of Arthritis and Osteoporosis: Thienyl, Furyl, and Pyrrolyl Ureas.” Bioorg. Med. Chem. Lett. 2001, 11, 9–12. DOI: https://doi.org/10.1016/S0960-894X(00)00574-6 (ニトリル変法による3-アミノチオフェン・キナーゼ阻害剤応用)
- Nicolaou, K. C.; Skokotas, G.; Furuya, S.; Suemune, H.; Nicolaou, D. C. “Golfomycin A, a Novel Designed Molecule with DNA-Cleaving Properties and Antitumor Activity”. Angew. Chem. Int. Ed. 1990, 29 , 1064–1067. doi:10.1002/anie.199010641.
関連反応
- ゲヴァルト チオフェン合成 Gewald Thiophene Synthesis
- ヒンスバーグ チオフェン合成 Hinsberg Thiophene Synthesis
- パール・クノール チオフェン合成 Paal-Knorr Thiophene Synthesis
関連書籍
Chemistry of Heterocyclic Compounds: Thiophene and Its Derivatives
































