[スポンサーリンク]

一般的な話題

研究室の安全性は生産性と相反しない

[スポンサーリンク]

研究室での安全性と研究生産性は、しばしばトレードオフの関係にあると考えられがちです。しかし、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の事例では、厳格な安全規則が導入されたにもかかわらず、研究成果に大きな影響は見られませんでした。これは、安全性と生産性が必ずしも相反するものではないことを示しています。むしろ、安全な環境が研究生産性を維持するために重要であるという視点が提唱されています。
以前よりケムステではUCLAで起きた事故について紹介しています。(記事1, 記事2, 記事3)その後の調査に関する報告[1]がChemistry Worldに紹介されておりましたので、簡単にまとめたいと思います。

Research productivity is not a hostage to good safety in the lab
Rebecca Trager
Chemitsry World, 2023/6/29: 記事へのリンク

安全規則の強化と研究生産性

2009年、UCLAの研究助手Sheharbano Sangji氏が実験中の事故で亡くなるという悲劇が起きました。これを受けて、UC全体で安全規則が強化されました。しかし、それにもかかわらず、化学系研究室の研究成果に大きな影響は見られませんでした。具体的には、事故が報告された2008年以降、UCのウェットラボ(化学物質や生物を扱う実験室)での年間出版物は約3%減少しましたが、これは統計的に有意ではありませんでした。これは、安全規則の強化が研究生産性を必ずしも低下させないことを示しています。 一部の研究室では、危険物質の使用を減らし、リスクの高い物質を含まない研究プロジェクトを選ぶようになりましたが、全体としての研究成果には影響がなかったのです。これは、安全規則の強化が研究者のリスク認識を高め、研究の選択肢に影響を与えることを示しています。

安全規則の強化と法的責任

Sangjiさんの事故は、研究室の安全性と法的責任についての認識を高めました。事故後、UCLAの教授は安全上の不手際に対する初の刑事訴訟を受け、その結果、UCLAとUC全体は安全プログラムの大幅な改善を行いました。これには、検査の頻度の増加、危険な化学物質に対するより厳格なプロトコルの実施、追加のトレーニングなどが含まれます。研究室の安全性が単なる倫理的な問題だけでなく、法的な問題でもあることは疑いの余地がありません。 事故の結果、UCLAの教授は刑事訴訟を受け、最大で4年半の刑務所に入る可能性がありましたが、2014年に和解に達し、刑事訴訟は取り下げられました。

和解条件として、彼は5年間、都市部の高校卒業生に有機化学を教え、800時間の非教育コミュニティサービスを完了し、UCLAの学生に対して研究室の安全性の重要性について話し、Sangji氏が治療された地域の病院に罰金を支払うことが求められました。2018年、裁判官は教授が合意の条件を満たしたと判断し、彼に対する刑事訴訟を9ヶ月早く取り下げました。

一方、UCLAに対する訴訟はすでに2012年に解決しており、大学は事故の責任を認め、Sangji氏の名前で奨学金を設立し、一部の訴訟費用を支払い、UC全体の大学で特定の研究室の安全対策を実施することが求められました。

安全規則のコストとその必要性

安全規則の強化は、研究のコストにも影響を与えます。しかし、これは「ビジネスのコスト」として受け入れられるべきです。事故の結果として発生したコスト(医療費、設備の修理や交換、事故調査の時間、法的行動の脅威、研究の中断など)は、研究機関にとって非常に重大なものです。基本的な安全対策を守ることは、科学的生産性を損なうかどうかに関係なく、どの組織も研究を行う際には基本的な安全対策に注意を払うべきです。これは、研究を行うための「ビジネスのコスト」であり、これなしに研究は存在しえません。 安全性と生産性は相反するものではなく、むしろ相互に補完し合う関係にあると考えることができます。研究者は、自身の研究活動が法的な規範に適合していることを確認し、必要な場合には適切な対策を講じることが求められます。

UCLAの有機化学者であり、UC研究室安全センターのエグゼクティブディレクターであるCraig Merlic氏は、安全性と生産的な科学が相反するものではないと述べています。彼は、「UCLAでは安全性を改善するために多くの変更を行いましたが、その構造が整っているため、研究者たちは以前と同じくらい生産的であることに驚きはありません」と述べています。

また、基本的な安全対策の遵守が科学的生産性に悪影響を及ぼすかどうかは問題ではなく、どの組織も基本的な安全に注意を払いながら研究を行うべきであると、セントルイス大学の化学者Paul Bracher氏は述べています。彼は、「研究者が適切な安全対策を実施するために費やす時間は、その運営の避けられない間接コストです。それはビジネスのコストです。それなしに研究は存在しえません」と述べています。

お金の問題もありますし、時間の問題もありますが、研究室の安全より優先されるものは存在しないと筆者も考えております。

参考文献

    1. Galasso, A.; Luo, H.; Zhu, B. The National Bureau of Economic Research. DOI: 10.3386/w31313

関連書籍

Avatar photo

ペリプラノン

投稿者の記事一覧

有機合成化学が専門。主に天然物化学、ケミカルバイオロジーについて書いていきたいと思います。

関連記事

  1. 有機合成化学協会誌2020年9月号:キラルナフタレン多量体・PN…
  2. 花粉症の薬いまむかし -フェキソフェナジンとテルフェナジン-
  3. 深紫外光源の効率を高める新たな透明電極材料
  4. ペプチドのN末端でのピンポイント二重修飾反応を開発!
  5. アメリカの大学院生だってパーティするっつーの! 【アメリカで P…
  6. マクロロタキサン~巨大なリングでロタキサンを作る~
  7. なんと!アルカリ金属触媒で進む直接シリル化反応
  8. 植物繊維を叩いてアンモニアをつくろう ~メカノケミカル窒素固定新…

注目情報

ピックアップ記事

  1. ポンコツ博士の海外奮闘録 ケムステ異色連載記
  2. 褐色の要因となる巨大な光合成膜タンパク質複合体の立体構造の解明
  3. フッ素ドープ酸化スズ (FTO)
  4. 触媒がいざなう加速世界へのバックドア
  5. ニセ試薬のサプライチェーン
  6. 国際化学オリンピックのお手伝いをしよう!
  7. 中村 浩之 Hiroyuki NAKAMURA
  8. 元素紀行
  9. 骨粗しょう症治療薬、乳がん予防効果も・米国立がん研究所
  10. 化学企業のグローバル・トップ50が発表【2022年版】

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2023年8月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  

注目情報

最新記事

はじめから組み込んじゃえ!Ambiguine P の短工程合成!

Ambiguine Pの特徴的な6-5-6-7-6多環縮環骨格を、生合成を模倣したカスケード環化反応…

融合する知とともに化学の視野を広げよう!「リンダウ・ノーベル賞受賞者会議」参加者募集中!

ドイツの保養地リンダウで毎年夏に1週間程度の日程で開催される、リンダウ・ノーベル賞受賞者会議(Lin…

ダイヤモンド半導体について調査結果を発表

この程、TPCマーケティングリサーチ株式会社(本社=大阪市西区、代表取締役社長=松本竜馬)は、究極の…

有機合成化学協会誌2025年6月号:カルボラン触媒・水中有機反応・芳香族カルボン酸の位置選択的変換・C(sp2)-H官能基化・カルビン錯体

有機合成化学協会が発行する有機合成化学協会誌、2025年6月号がオンラインで公開されています。…

【日産化学 27卒】 【7/10(木)開催】START your ChemiSTORY あなたの化学をさがす 研究職限定 Chem-Talks オンライン大座談会

現役研究者18名・内定者(26卒)9名が参加!日産化学について・就職活動の進め方・研究職のキャリアに…

データ駆動型生成AIの限界に迫る!生成AIで信頼性の高い分子設計へ

第663回のスポットライトリサーチは、横浜市立大学大学院 生命医科学研究科(生命情報科学研究室)博士…

MDSのはなし 骨髄異形成症候群とそのお薬の開発状況 その2

Tshozoです。前回はMDSについての簡易な情報と歴史と原因を述べるだけで終わってしまったので…

水-有機溶媒の二液相間電子伝達により進行する人工光合成反応

第662回のスポットライトリサーチは、京都大学 大学院工学研究科 物質エネルギー化学専攻 阿部竜研究…

ケムステイブニングミキサー 2025 報告

3月26日から29日の日本化学会第105春季年会に参加されたみなさま、おつかれさまでした!運営に…

【テーマ別ショートウェビナー】今こそ変革の時!マイクロ波が拓く脱炭素時代のプロセス革新

■ウェビナー概要プロセスの脱炭素化及び効率化のキーテクノロジーである”マイクロ波…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP