概要
スーパーシリル基(super silyl group)は、中心ケイ素原子に3個のトリメチルシリル基が結合したトリス(トリメチルシリル)シリル基 (Me₃Si)₃Si–(略号 TTMSS)の通称である。有機合成分野では山本尚らがこの呼称を用いて立体制御基・保護基として体系的に展開した。同一の基は無機・典型元素化学では「ハイパーシリル基(hypersilyl)」、光除去性アルコール保護基としては「シシル基(sisyl)」とも呼ばれる。
スーパーシリル基 (Me₃Si)₃Si– は、通常のトリアルキルシリル基(TMS, TES, TBS, TIPS, TBDPS など)とは一線を画す、極端に嵩高いポリシラン型のケイ素置換基である。中心ケイ素が3本のケイ素–ケイ素結合でトリメチルシリル基とつながっているため、(i) 3次元的に極めて大きな立体障害(メチル基が分子表面を覆う、いわゆる「H₃C-skin」)、(ii) Si–Si σ結合に沿った電子の非局在化(σ共役)に由来する強い電子供与性と紫外部吸収、という二つの特徴を併せ持つ。[1]
この基の中心的な用途は二つある。第一に、アルコールやカルボン酸の保護基としての用途で、酸・塩基・還元剤・酸化剤・有機金属試薬に対して高い耐性を示す一方、フッ化物イオン(TBAF)や紫外光照射で除去できるという直交的な脱保護特性をもつ。[1][2] 第二に、山本らが見いだしたジアステレオ選択的アルドール/逐次(カスケード)反応の立体制御基としての用途で、アルデヒドのスーパーシリルエノールエーテルを用いると、従来困難であったアルデヒド同士の交差アルドール反応をワンポットで制御できる。[3][4]
母構造となる (Me₃Si)₄Si や (Me₃Si)₃SiLi は1960年代に H. Gilman らによって初めて合成された。[5] 「スーパーシリル」という呼称は、1993年に H. Bock らがオリゴシラン (R₃Si)₃Si–Si(SiR₃)₃ の構造と電子物性を報告した論文に由来する。[6] これを有機合成の道具として再定義したのが、2005年以降の山本らの一連の研究である。[3][4][7]
反応機構
スーパーシリル基の特異な反応性は、その電子構造に根ざしている。ケイ素–ケイ素結合はケイ素–炭素結合よりもさらに良い電子供与体であり、Si–Si σ結合に沿って電子が非局在化する(σ共役)。このため、隣接するπ系やカチオン中心、酸化により生じるラジカルカチオンに対して強い安定化効果を及ぼす。[1][6] スーパーシリルエノールエーテルでは、この Si–Si σ結合とエノールエーテルの C=C π結合とのあいだの軌道相互作用が、高い立体選択性の起源になっていると計算化学的に議論されている。[8]
山本らのアルドールカスケード反応の触媒サイクルは、次のように理解されている。[1][3][9]
第一に、真の触媒はブレンステッド酸そのものではなく、ケイ素カチオン等価体である。触媒として加えるトリフルイミド HN(SO₂CF₃)₂(HNTf₂)はプレ触媒に過ぎず、スーパーシリルエノールエーテルとの反応(プロト脱シリル化)で生じるスーパーシリルトリフルイミド (Me₃Si)₃Si–NTf₂ が実際の活性種である。事実、この (TTMS)NTf₂ を単離して直接触媒に用いても HNTf₂ と同一の結果が得られる。[1] 触媒サイクルは、(i) アルデヒドのカルボニル酸素がケイ素カチオンで活性化され、(ii) スーパーシリルエノールエーテルが求核付加し、(iii) 生じたアルコキシドへケイ素カチオンが転移して生成物がスーパーシリルエーテルとして保護されると同時に触媒種が再生する、という流れをとる。
第二に、この「プロト脱シリル化による自己修復(self-repair)」機構により、系中に微量の水などのプロトン性物質が混在しても活性種が再生されるため、触媒量を 0.05 mol%(基質対触媒比 2000:1) という極めて低い水準まで下げられる。[1][3]
第三に、ジアステレオ選択性の起源は巨大な傘状の (Me₃Si)₃Si 基による配座制御にある。局所的な立体効果は tert-ブチル基に匹敵するとされ、α位に不斉中心をもつアルデヒドに対しては極めて高い Felkin(Cram)選択性を示す。[1] さらに β-シロキシメチルケトンを用いた反応では、条件を選ぶことで 1,5-syn と 1,5-anti の完全な作り分けが可能であることが報告されており、スーパーシリル基が遠隔位の立体化学まで規定しうることを示している。[10] これらの選択性は密度汎関数理論(DFT)計算による遷移状態解析でも支持されている。[7] また後年、共触媒としてヨードベンゼンを加えた系では、²⁹Si NMR により [PhI–Si(SiMe₃)₃]⁺ 型のケイ素カチオン活性種が直接観測され、機構的理解が深められた。[11]
特徴・適用範囲・類似反応との比較
保護基としての安定性プロファイル
スーパーシリルエーテルは、水素化ホウ素ナトリウム(NaBH₄)、DIBAL-H、L-セレクトリドなどの還元剤、Dess–Martin ペルヨージナンや四酸化オスミウムなどの酸化剤、セリウム・マンガン・銅系の有機金属試薬に対して安定である。一方で、n-BuLi や水素化アルミニウムリチウムへの長時間曝露に対しては安定性に限界がある。[1] 一般的な酸性・塩基性条件に対しても頑健である。
直交的な脱保護
スーパーシリルエーテルの最大の特徴は、除去のしかたが通常のシリル保護基と異なる点にある。テトラ-n-ブチルアンモニウムフルオリド(TBAF)を作用させると1分未満で速やかに切断されるが、CsF や KF/18-クラウン-6 といった穏和なフッ化物源には比較的安定である(”裸”のフッ化物イオンのみが切断する)。[1] さらに、メタノールを含むジクロロメタン中で254 nmの紫外光を照射することで選択的に除去でき、この条件では TBS や TIPS エーテルは切断されない。[1] Si–Si σ結合が紫外部に吸収をもつため、薄層クロマトグラフィー(TLC)で紫外検出しやすいという実務上の利点もある。
なお、Brook らが「シシル(sisyl)エーテル」として報告した初期の研究では、この基は「フッ化物耐性(fluoride resistant)」の光解離性保護基と位置づけられていた。[2] 山本らの「TBAF で速やかに切断される」という記述と一見矛盾するが、これは「穏和なフッ化物源(CsF/KF)には耐えるが、強い TBAF には弱い」と解釈すると整合的である。ただし両報告の測定条件を直接対照した検証は要確認である。
類似のシリル保護基との比較
シリルエーテルの酸性加水分解に対する安定性は、一般に TMS < TES < TBS(TBDMS) < TIPS < TBDPS の順に増大する。スーパーシリル/シシルエーテルはこの「酸に対する安定性」の系列とは別の軸、すなわち「フッ化物・光に対する除去のしやすさ」という直交的な特性で位置づけられる点が本質的に異なる。したがって使い分けの指針としては、通常の合成では TBS/TIPS を用い、(a) 多数のシリル保護基が共存する系で特定の一つだけを光やフッ化物で選択的に外したい場合、あるいは (b) アルドール反応の立体制御そのものにケイ素基を積極利用したい場合に、スーパーシリル基が選択肢となる。
| 項目 | TMS | TBS (TBDMS) | TIPS | スーパーシリル (Me₃Si)₃Si |
|---|---|---|---|---|
| 立体的嵩高さ | 小 | 中 | 大 | 極大(t-Bu 基に匹敵する局所立体効果)[1] |
| 酸性加水分解への安定性 | 低 | 高 | 非常に高い | 高い(穏和な酸・塩基に頑健)[1] |
| TBAF での脱保護 | 速い | 中程度 | 遅い | 1分未満で速やかに切断[1] |
| 光(254 nm)での脱保護 | 不可 | 不可 | 不可 | 可能(>88%)[1] |
| 主な用途 | 汎用保護 | 汎用保護 | 頑健な保護 | 直交的保護+アルドール立体制御[1][3][4] |
反応例
アルデヒド交差アルドールカスケード反応
山本らは、アセトアルデヒド由来のスーパーシリルエノールエーテル CH₂=CH–OSi(SiMe₃)₃ を、HNTf₂(0.05 mol%)触媒下でアルデヒドと反応させると、逐次的な二重アルドール反応が進行し、β,δ-ビス(シロキシ)アルデヒド(2:1 付加体)が高いジアステレオ選択性で得られることを見いだした。[3] 一段目のアルドール付加の後、生成したアルデヒドの β 位に嵩高いスーパーシリルオキシ基が残るため、二分子目の付加が立体的に減速される。この効果によって、通常であればオリゴマー化(ポリアルドール化)してしまうアルデヒド同士の交差アルドール反応が制御可能となり、カスケードは 2:1 付加体で自律的に停止する。スーパーシリルエノールエーテルを1当量に絞れば 1:1 付加体(β-シロキシアルデヒド)が高収率で得られる。[3][9]
ワンポット逐次反応による複雑キラル骨格の構築
上記アルドール反応で生じた中間体を単離せず、同一容器内で別の求核剤によりトラップすることで、複数の不斉中心をもつ複雑な骨格をワンポットで一挙に構築できる。トラップ剤としては Grignard 試薬(アリル、ビニル、アルキニル、アリールなど)、異なるスーパーシリルエノールエーテル、Danishefsky 型ジエンによるヘテロ Diels–Alder 反応などが報告されており、3〜4成分の連結が可能である。
ケトンスーパーシリルエノールエーテルによる第三級カルビノールの構築
ケトン由来のスーパーシリルエノールエーテルを用いる逐次反応では、第三級アルコールをワンポットで立体選択的に構築できる。シクロヘキサノン由来の系では、前例の少ない anti 選択的な向山アルドール反応が実現している。[7]
遠隔位立体制御・多官能基化
β-シロキシメチルケトンを用いると 1,5-syn/1,5-anti を完全に作り分けることができ[10]、ビス(スーパーシリルオキシ)エノールエーテルを用いると α,β-ジオキシアルデヒドや 1,2,3-トリオールが高い syn 選択性で得られる。[11] また、α-ハロスーパーシリルエノールエーテルを用いれば β-シロキシ-α-ハロアルデヒドをワンポットで合成できる。[14]
標的志向合成への応用
山本らはこれらの反応を鍵段階として、トリプルアルドールカスケードによるポリケチド骨格の迅速構築[15]や、「スーパーシリル化学を利用した迅速全合成」[16]、ポリプロピオネートの立体化学的に柔軟な合成[17]、アベルメクチン類への立体分岐的アプローチ[18]などを報告している。

論文[18]より引用
カルボン酸の保護基(スーパーシリルエステル)
求核剤・塩基に安定なエステル等価体として立体選択的アルドール/Mannich 反応に応用されている。[12] 近年ではペプチドの C 末端・N 末端双方の保護と、疎水性タグを利用した液相ペプチド合成への展開も報告されている。[13]
実験手順
スーパーシリルエノールエーテルの調製[1]
スーパーシリルトリフラート (Me₃Si)₃SiOTf を用いる。この試薬は市販されていないため、トリス(トリメチルシリル)シラン (Me₃Si)₃SiH にトリフルオロメタンスルホン酸(TfOH)を作用させ、水素ガスを放出させながら系中(in situ)で調製する。続いてアルデヒド(またはケトン)とトリエチルアミン(Et₃N)を加える穏和なエノール化条件(ソフトエノール化)により、対応するスーパーシリルエノールエーテルが得られる(報告収率の目安 58〜74%)。
アルデヒド交差アルドール反応[9]
求電子剤となるアルデヒドに対し、スーパーシリルエノールエーテル(1:1 付加体を狙う場合は約1当量、2:1 カスケードを狙う場合は約2.2当量)を、触媒トリフルイミド HNTf₂(0.05 mol%)存在下、ジクロロメタン中で反応させる。反応は通常15分以内に完結する。
アルコールの保護[1]
アルコールをスーパーシリルエーテルへ変換する場合は、スーパーシリルクロリド (Me₃Si)₃SiCl と塩基を用いる。立体障害の小さい第一級アルコールでは、アルコール1当量に対しクロリド1当量・DMAP 1.2当量(またはトリエチルイミダゾール系)を THF またはジクロロメタン中で作用させる。
実験のコツ・テクニック
- 触媒トリフルイミド HNTf₂ は極めて少量(0.05 mol%)で機能し、反応が15分程度で完結する点が実務上の大きな利点である。[9] ただし極微量ゆえ、正確な仕込みのためにはあらかじめ調製したストック溶液として扱うのが実際的と考えられる。
- スーパーシリルトリフラートは単離された市販試薬ではなく、(Me₃Si)₃SiH と TfOH から用時調製する。[1]
- 原料となるトリス(トリメチルシリル)シラン (Me₃Si)₃SiH(TTMSS)は空気・水分に対する感受性が高く、アルゴンまたは窒素雰囲気下での取り扱い・保存が推奨される。精製が必要な場合は減圧蒸留(1 mmHg、38 ℃前後)が用いられる。[19] なお本試薬の「自然発火性(pyrophoric)」の有無については情報源によって記載が分かれており、使用するロットの安全データシート(SDS)で最終確認することが望ましい。[20]
- スーパーシリルエノールエーテルの一部は市販されている。例えばアセトアルデヒド由来のスーパーシリルビニルエーテルや、2-プロペニルオキシ体(isopropenyloxytris(trimethylsilyl)silane)は試薬メーカーから入手可能で、後者は 2-フェニルプロパナールとの酸触媒アルドールでほぼ単一のジアステレオマーを与え、続く PhMgBr 付加で anti 選択的な三成分付加体を与えることが製品資料で紹介されている(。[21]
- スーパーシリルエーテルは Si–Si 結合に由来する紫外吸収をもつため、TLC 上で紫外検出しやすいという副次的な利点がある。[1]
参考文献
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- Brook, M. A.; Gottardo, C.; Balduzzi, S.; Mohamed, M. The Sisyl (Tris(trimethylsilyl)silyl) Group: A Fluoride Resistant, Photolabile Alcohol Protecting Group. Tetrahedron Lett. 1997, 38, 6997–7000. DOI: 10.1016/S0040-4039(97)01673-0
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