[スポンサーリンク]

化学者のつぶやき

手術中にガン組織を見分ける標識試薬

[スポンサーリンク]

手術医「メス!汗!…ガン標識試薬!!」

スプレーするだけで、短時間のうちに、ガン組織だけを光らせ、正常な組織の区別をはっきりさせる標識試薬(chemical probe)が、日本を中心とした研究チームの手で開発中です。外科手術のおともになるか、ガン細胞を識別するための、周到なその分子設計を、紹介します。

ガン組織と、正常な組織の境界を、人間の目だけで判断する能力には、限界があります。そのため、手術に際して、小さなものも含め病巣をはっきりさせる方法があれば、より正確にガン組織を切り出せるようになることでしょう。

手術でどこを切るべきか瞬時に分かれば、かのブラッ●・ジャックほどの腕がなくても、洗練されたメス裁きが可能になるのです。もちろん、ブ●ック・ジャックほどの技術を持った執刀医ならば、鬼に金棒開腹から縫合まで、より患者の負担が少なくスピーディーに、外科手術を執り行うことができるようになるでしょう。そして、依頼を受けた患者のためならば医学会に公認されていない方法まで使おうとするブラック・ジャックのことですから、たとえ臨床試験をパスしていなくても使ってしまいそうです。

 

GREEN20120520chemprobe01.png

あの●ラック・ジャックも愛用しそう!?

 

何を目印にガン細胞だけを光らせるのか?

短時間でガン組織だけをはっきりと染色し分ける方法は、今までほとんど存在しませんでした。ひとつめの困難は、何を目印にガン細胞を識別するか、です。

GREEN20120520chemprobe02.png

開発が進められている標識試薬ケミカルプローブ)の化学構造を見てみると、グルタミン酸のガンマ位にあるカルボキシル基に、蛍光原子団のアミノ基がアミド結合しています。これは、老廃物などの有害物質を解毒する役割を持った生体物質であるグルタチオンと同じ化学構造です。実は、標識試薬がガン細胞だけを識別する鍵はここにあります。

GREEN20120520chemprobe03.png

ガン細胞とは、端的に言えば、周りにある通常の細胞と協調できないジコチューな細胞のことです。たいていの場合、周囲のことはおかまいなしに、大量のエネルギーを消費して、ガン細胞は活発に代謝しています。このため、ガン細胞では、たくさんの老廃物も生じます。その解毒のため生合成されたグルタチオンは、ガン細胞ではさかんに使われ続けます。そして、多くの場合、ガン細胞ではグルタチオンの代謝に関わる酵素が、大量に発現しています。

GREEN20120520chemprobe04.png

グルタチオンの代謝に関わる酵素(gamma-glutamyltranspeptidase)の立体構造

結晶構造解析データはProtein Data Bankより

 

ガンマ位のカルボキシル基はグルタチオンに特有な化学構造です。この反応に関わる酵素のひとつは、都合のよいことに、細胞膜の表層にあります。そして、グルタチオンの代わりに、標識試薬を基質に酵素が作用してしまえば、ガン細胞ばかりを蛍光物質で光らせることができるという寸法です。

 

光るか光らないかをどう素早く制御するのか?

生成物の一方は、20種類ある標準アミノ酸の1つ、グルタミン酸です。もう一方はと言うと、かつては鮮やかな蛍光色の入浴剤としてもおなじみローダミンに似た蛍光分子であり、励起光を当てることで特有の波長を持った蛍光の輝きが観察されます。どちらも生活の中でなじみの物質です。

GREEN20120520chemprobe05.png

今まで、手術中にガン細胞を試薬で標識することが困難だったもうひとつの理由は、光るか光らないかを決める反応のスピードです。手術の場面を想定した場合、未反応の試薬を洗い流すという操作は絶望的で、ほとんど不可能です。そのため、化学反応の前後で、未反応の標識試薬は光らず、反応後の生成物だけが光るように、分子を設計しなければなりません。ここで、開腹したまま縫合せずに一晩を待てば白黒はっきりつくよ、といったような遅い化学反応は、標識試薬に適用できないという現実の壁が、さらに立ちはだかります。結果として、ものの数分で、正常な組織とガン組織とを識別できるような反応が、標識試薬の設計に要求されます。

基質として組織にスプレーする標識試薬の構造を見てみると、共役系が連続していません。そのため、未反応の場合は励起光を当てても輝かず、反応の生成物だけで強い蛍光が観察されます。そして、反応のスピードは、環と環をつなぐスピロ炭素原子が最終的な決め手になります。反応機構はおそらく次のような流れだと思われます。スピロ環の開裂によって、共役系が同一平面上に並び、蛍光を出すようになります。

GREEN2012irai.png

クリックで拡大

 

「あるがまま」から「なすがまま」に

このようにして設計した標識試薬(ケミカルプローブ)を用い、実験動物で試したところ、数十秒から数分間の短時間で、ガン組織を蛍光標識することができました。蛍光は十分に明るく、目ではっきりと判別することができます。

あるがままの生命現象を解析する立場から、化学の道具を活用してなすがままに生命現象を制御する立場へ。その中でもケミカルプローブが活躍できる場所は、他にもまだまだたくさんあることでしょう。

 

参考ウェブサイト

東京大学大学院薬学系研究科薬品代謝化学研究室(http://www.f.u-tokyo.ac.jp/~tlong/index.html)

東京大学大学院医学系研究科生体情報学研究室(http://cbmi.m.u-tokyo.ac.jp/research.html)

科学技術振興機構プレスリリース「スプレーするだけでがん細胞が光り出す蛍光試薬を開発-外科・内視鏡手術における微小がん見落としの問題に大きく貢献-

 

参考論文

[1] “Rapid Cancer Detection by Topically Spraying a γ-Glutamyltranspeptidase–Activated Fluorescent Probe” Yasuteru Urano et al. Sci. Transl. Med. 2011 DOI: 10.1126/scitranslmed.3002823

 

Avatar photo

Green

投稿者の記事一覧

静岡で化学を教えています。よろしくお願いします。

関連記事

  1. 【書籍】イシューからはじめよ~知的生産のシンプルな本質~
  2. 日本農芸化学会創立100周年記念展に行ってみた
  3. 膨潤が引き起こす架橋高分子のメカノクロミズム
  4. Carl Boschの人生 その1
  5. 新たな特殊ペプチド合成を切り拓く「コドンボックスの人工分割」
  6. 【クラリベイトウェブセミナー】 新リリース! 今までの研究開発に…
  7. ケムステV年末ライブ2023を開催します!
  8. 産官学の深耕ー社会への発信+若い力への後押しー第1回CSJ化学フ…

注目情報

ピックアップ記事

  1. 観客が分泌する化学物質を測定することで映画のレーティングが可能になるかもしれない
  2. 研究者のためのマテリアルズインフォティクス入門コンテンツ3選【無料】
  3. 長井長義の日記など寄贈 明治の薬学者、徳島大へ
  4. ライオン、フッ素の虫歯予防効果を高める新成分を発見
  5. カルベンで炭素ー炭素単結合を切る
  6. 化学系ラボの3Dプリンター導入ガイド
  7. 条件最適化向けマテリアルズ・インフォマティクスSaaS 「miHub」のアップデート情報をご紹介 -分子構造を考慮した解析、目的変数の欠損値補完編-
  8. 第九回ケムステVシンポジウム「サイコミ夏祭り」を開催します!
  9. 研究者のためのCG作成術③(設定編)
  10. 【6月開催】第九回 マツモトファインケミカル技術セミナー 有機金属化合物「オルガチックス」の密着性向上剤としての利用 -添加剤としての利用-

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2012年7月
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  

注目情報

最新記事

アンモニウム構造によりラジカル種の発生位置を完全に制御!

第710回のスポットライトリサーチは、関西学院大学理工学研究科 村上研究室の榊原 陽太(さかきばら …

化学つれづれ草【ある研究者の回想】

概要物理化学者で量子機能材料を専門とする著者によるエッセイ集.化学者としての研究,教育,人生…

第60回有機反応若手の会

開催概要有機反応若手の会は、有機化学分野で研究を行う全国の大学院生を中心とした若手研究者が集い、…

ノーベル賞受賞者と語り合う5日間!「第18回HOPEミーティング」参加者募集!

申し込みはこちら概要主催:独立行政法人 日本学術振興会(JSPS)開催地:神奈川…

光触媒による高効率なCO2還元の実現―まさかの光を弱く当てることが重要だった―

第709回のスポットライトリサーチは、東京科学大学 理学院(前田研究室)博士後期課程2年の仲田竜一 …

「π-πスタッキング」という言葉が生む誤解【芳香環の相互作用を見直す: 前編】

芳香環が平行に並んで近接しているとき、その構造を「π–π スタッキング」と表されることがよくあります…

一重項酸素によるC(sp2)−P結合切断を用いた長波長光によるリン化合物のアンケージング

第 708 回のスポットライトリサーチは、同志社女子大学 薬学部 医療薬学科 5…

マテリアルズ・インフォマティクスにおける画像解析の活用ガイド

開催概要材料開発において、電子顕微鏡やX線トモグラフィーを用いて材料の微細構造を観察するために画…

世界初のPROTAC医薬、ついに承認 ―「タンパク質を阻害する」から「分解する」時代へ

2026年5月、創薬化学の歴史に残る大きな出来事が起きました。米国 FDA は、…

有機蛍光とは異なる新しい有機りん光の分子設計指針の発見

第707回のスポットライトリサーチは、電気通信大学 情報理工学研究科(牧昌次郎研究室)の林希久也 助…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP