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化学者のつぶやき

「フラストレイティド・ルイスペアが拓く革新的変換」ミュンスター大学・Erker研より

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「ケムステ海外研究記」の第7回目は、ヴェストファーレンヴィルヘルム大学ミュンスター(ミュンスター大学)の上野篤史 博士にお願いしました。

上野さんは現在、海外学振研究員としてドイツで研究を行われています。つい先日のことですが、筆者がミュンスター大を訪問した際、同じ日本人という縁でディスカッション機会を設けて頂き、いろいろとお話をさせて頂きました。話の流れで、今回の寄稿を依頼したところ、有り難くも快諾頂きました。「一期一会」の重要性を感じ入るばかりです。

ミュンスター大は世界トップクラスのラボを多く抱える研究機関のひとつですが、今回登場するErker研もその一つです。現地の様子を、読者の皆さんもご堪能いただければと思います。

Q1. 留学先では、どんな研究をしていますか?

私は現在、ドイツのノルトラインヴェストファーレン州ミュンスターにあるヴェストファーレンヴィルヘルム大学のGerhard Erker研究室に所属しています。具体的には、新規FLP(Frustrated Lewis Pairs)の合成と小分子活性化法の開発を行っています。

FLPとは、嵩高いルイス酸・塩基対のことです。通常、ルイス酸と塩基は互いに配位結合して付加体を形成します。しかし、嵩高い構造を有する場合には付加体形成が阻害され、ルイス酸および塩基としての能力を有したまま、系中に存在することが明らかになってきました(Scheme 1)[1]。初期のFLP研究ではルイス塩基にリン、ルイス酸にホウ素を用いた化合物が用いられていますが、近年になってより多彩な元素から成るルイス酸・塩基対の研究も盛んに行われています。

Scheme 1. P/B FLPの概念図

Scheme 1. P/B FLPの概念図

更に、ある種のFLPは水素や二酸化炭素などの不活性小分子と反応し、対応する水素付加体や二酸化炭素付加体などを与えます。FLPおよびその水素付加体はイミンなどの含窒素不飽和有機化合物の水素化触媒として機能し、対応するアミン誘導体が高効率で得られます(Scheme 2)[2]。不飽和有機化合物の水素化還元反応は遷移金属触媒を利用するものが大多数ですが、重金属フリーの水素化触媒の例は極めて珍しく、エコフレンドリーな触媒系として非常に重要な研究対象です。そこで私は、本概念をより拡張させ、難還元性の化合物の還元反応や不斉還元反応へと展開していければ、と考え日々四苦八苦しています。

Scheme 2. FLPと水素との反応およびイミン類の水素化還元反応

Scheme 2. FLPと水素との反応およびイミン類の水素化還元反応

私の研究では、主にP/B由来のFLPを原料として用いた新規FLP合成に取り組んでいます。現在進行形の研究ですので詳細についてお話できないのが非常に残念ですが、いい結果が出てきたので近々論文として発表する予定です。

 

Q2. なぜ日本ではなく、海外で研究を行う選択をしたのですか?

 留学が決まる前は、自分が海外に行って研究をするというイメージが全くありませんでした。ただ単に、金属フリーの小分子活性化法を広範囲に展開するには、上で述べた研究は非常に理にかなっているという考えが頭にあったので、Erker研究室のあるドイツ・ミュンスターへの海外留学を選択しました。自分の研究を考えた際に、必要不可欠になる研究が海外にあったので、必然的に海外へと目が向いたわけです。単純に海外行きたい!という思いから出国した訳ではありません。私自身とても臆病なので、なるべくなら日本から出ずに研究生活を送りたい…というのが本音でした。現在ではその思考は小さくなったものの、「留学することで何を得られるか」という思いが重くのしかかっています。

 

Q3. 渡航前に念入りに準備したこと、現地で困ったことを教えてください。

 私は一人っ子ですので、渡航前には親族との連絡手段をどう構築するか、という点に気を遣いました。特に海外でスマートフォンを使用するためには?ということに対し、入念に調べていました。ドイツではSIMフリー端末に、各々好きなキャリアのSIMカードを指して使用するのがメジャーです。ですので、出発前にSIMフリー端末を購入してから出国し、現在でもその端末を使っています。周波数帯がきちんとマッチしているかを店員さんに調べてもらうのが一番重要です。後に、ドイツの家電量販店(Saturn)をチェックしたところ、○periaが販売されていて設定も日本語に変更可能なので、何も持たずにそのまま携帯ショップに行く、なんてことも可能なんじゃないかと思いました(ちなみにS○NYの回し者ではありません笑)。

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他にも、念入りに準備したこととしてビザ関連書類は非常に気を遣いました。戸籍謄本を自分で英訳したり、学生さんと共に外人局に行き、書類の不備を指摘され頭が真っ白になったり(後に解決)と色々なトラブルがありました。あれだけ念入りに確認したにも関わらず小さなミスがあったので、海外に行く際には何度でもチェックするに越したことはないと思います。

現地で困ったこととして、食文化の違いに大きく戸惑いました。日本人はもちろん主食が米ですが、ドイツ人はジャガイモ・パンです。最初、冗談かと思いましたが、昼食がフライドポテト・シュニッツェル・コーラなんてことはよくあります(Fig.1)。そのため、慣れるまでは胃もたれと腹痛に悩まされていました。数か月後には慣れましたが、無性に野菜を食べたくなる時があるのでそういう場合は白菜、コールラビ(カブ)、鶏肉で簡単な鍋を作っています。他にも、魚が手に入りにくく高価なので、必然的に食生活は肉に偏っていきます。ノイローゼになる人もいるとかいないとか。最近では困ったことも楽しめるようになってきたので、ある程度進歩したのではと思っています。

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Fig.1 学食での昼食

また、困ったこととは少し異なるのですが、残念なことにドイツも最近ではテロに関するニュースが数か月に一回は流れるようになってしまいました。ミュンスターにいる際にはそこまで緊張していないのですが、友人と旅行に出かけたりする場合には電車内に不審者がいないか、不審物がないか等気にするようにしています。スリ・置き引きなども案外多いので所持金は分散させたり、身分証明書はコピーを持ち歩いたりするようにしています。

 

Q4. 現地の人々や、所属研究室の雰囲気はどうですか?

私が住むミュンスターはドイツ北部の地方都市として発展しており、同時に学生街としても有名です。世界史でいうところのウェストファリア条約が締結された場所でもあり、歴史的にも非常に重要な都市になっています。市街地には大きな教会であるLambert教会があり、その周辺は大きなショッピングスポットになっています(Fig.2)。また、電車で一時間半のところにデュッセルドルフ国際空港がありますので国外への移動も比較的楽になっています。

Fig.2 ミュンスターのLambert教会

Fig.2 ミュンスターのLambert教会

 

街を歩いていると学生と思われる人たちがビール瓶を片手に歩いていたり、なんて光景が日常に見られます。若い人たちは英語を流暢に話すことができるので、お店に行っても意思疎通には困らないです。しかし、中年の方々には注意が必要。ドイツ語しか話せないよ!位の勢いでまくしたてられてしまうので、若干打ちひしがれることもあります。ドイツ人は寡黙、というイメージがありましたが、お酒の席、サッカーの試合の時には別人になります。日中、怖い顔をして仕事をしていたスタッフの方が、夜の飲み会では踊りながらビールを飲んでいる光景はギャップを感じざるを得ません。

また、ドイツ人によくある話なのですが、フランス人やイタリア人とは異なり、魚介類が全くダメという人が多いです。研究室配属に際して、えびせんを買っていったところ、匂いを嗅いでポイっと捨てられてしまうというショッキングな出来事がありました。日本留学経験のあるドイツ人の友達がそれについて教えてくれたので、次回からは他のお土産を持って行こうと考えています。何故かは分かりませんが、研究室ではブラックサンダーチョコレートが大人気で、日本人というだけで少々期待されてしまいます。

研究室はErker教授をはじめとして総勢24人の学生・ポスドクが所属しています。公用語としては英語を用いていますので研究室内で不便を感じることはありません。週末は皆で集まってサッカーをやるのが日課で、運動不足が解消されつつあるのではと思っています。こちらに来て一番驚いたこととして、研究室は基本的に9時開始で19時にはほとんど人がいないという事態が挙げられます。金曜日には17時ごろ皆が帰りだす、ということもザラにあるので、これがヨーロッパのスタイルなのかな?と思っています。

研究室は主に4つの大きな実験室からなり、他にパソコン利用専用のPC室があります(最近居室に変更)。それぞれの実験室に窒素下で実験を行うためのグローブボックスがあり、空気下で不安定なFLPは主にそこで反応を仕込むことになっています。

研究室のボス:Gerhard Erker教授

研究室のボス:Gerhard Erker教授

Q5. 研究留学経験を通じて、良かったこと・悪かったことをそれぞれ教えてください。

良かったこと

毎日の会話が英語、ドイツ語になるので二か国語に慣れることができます。現在、ドイツ語のプライベートスクールに通っているので、近い将来ペラペラになる予定です(笑)。余談ですが、アルカン、アルケン、アルキンはドイツ語の発音がベースになっています。研究については、日本と研究プロセスに関して異なる部分が多く、自分の中で日本のいいところ、ドイツのいいところを組み合わせれば、もっと面白いことができるのではないかと感じています。また、NMR・X線は各々管理されていて、専門の技術員の方と相談できるので、問題を即座に解決することが可能になっています。

悪かったこと

 日本の研究者ネットワークと離れてしまうので、日本に帰れるのかどうかを常日頃から心配しています。日本人は農耕民族の血が流れているので、一度外に出てしまった人間を迎え入れる体質が遺伝子レベルで欠損している、なんて話を冗談交じりに友人と話していましたが、笑えない冗談です。一生懸命努力した先には何かが待っていると信じて突き進むのみですが、真っ暗な森の中で光を探す、という感覚がこんなにも閉塞感があるとは思いませんでした。他にも、ヨーロッパの人々は平気で3~4週間の長期休みを取得するので、大事な時にあの人がいない!なんてこともちらほら。そういう場合は諦めて他の実験をしますが、日本人の中にはストレスを感じる人が多いのではと思います。

 

Q6. 海外経験を、将来どのように活かしていきたいですか?

もちろんですが、日本もドイツも良いところと改善すべきところが見受けられます。もし可能であるなら、日本のスタイルにドイツのスタイルを組み込んでいけたらなと考えています。

個人的に一番気に入っているのは、リスクに対する意識がドイツ人は非常に高いところです。研究室利用に際しては、研究科の安全管理担当の方から初めに大まかな注意を受けますが、2時間ほどかけて丁寧に説明してくれます。また、安全に関する規定がドイツでは細かく決められていて、その冊子をちゃんとチェックするように注意されます。更に、研究室独自の安全講習も行われており、安全に関する講習だけで2日はかかります。また、Erker教授はリスクアセスメントに対して非常に気を払う方で、研究室が汚れていようものなら一日かけて清掃、なんてこともしばしばあります。ですが、やはり綺麗な環境で仕事をするというのは案外メンタル的にも重要な事で、私生活でも整理整頓をするようになるのでいい傾向ではないかと思っています。

 

Q7. 最後に、日本の読者の方々にメッセージをお願いします。

留学する際にはある程度の覚悟をもって来るべきかと思います。時の流れというものもありますが、何故留学をするのか、留学することで何を得ることができるのかを考えることは非常に重要な事であると確信しています。厳しい言い様かもしれませんが、箔を付けるための留学ならしないほうが良いと思います。研究のみならず、歴史、文化を最大限吸収し自分に昇華させる!位の意気込みでいるからこそ、すべての事柄がより強烈かつ新鮮に感じられ、新しいアイデアが生まれるのだと思います。

語学という観点からはヨーロッパ諸国はイギリス以外、英語教育のレベルが比較的高いものの、ネイティブほどのスピードで話すことはありません。ですので、英語も話しつつ他の言語を学びたいという方には非常におすすめです。

 

関連論文

  1. Review for the current FLP chemistry: D. W. Stephan, G. Erker, Angew. Chem. Int. Ed. 2015, 54, 6400–6441. DOI: 10.1002/anie.201409800
  2. P. Spies, S. Schwendemann, S. Lange, G. Kehr, R. Fröhlich, G. Erker, Angew. Chem. Int. Ed. 2008, 47, 7543–7546. DOI: 10.1002/anie.200801432

 

研究者の略歴

ryugaku_A_Ueno_6上野 篤史(うえの あつし)

経歴:

2008年-2009年 慶應義塾大学理工学部応用化学科(吉岡直樹研究室)に所属(学士)

2009年-2014年 東京工業大学大学院理工学研究科応用化学専攻(旧碇屋・桑田研究室、現桑田研究室)に所属(修士・博士)

2014年4月-2015年11月 独立行政法人理化学研究所 環境資源科学研究センター 先進機能触媒研究グループ特別研究員(侯召民研究室

2015年12月-現在 ヴェストファーレンヴィルヘルム大学 有機化学研究所 Gerhard Erker研究室 特別研究員(2016年度より日本学術振興会海外特別研究員)

研究テーマ: 新規P/B Frustrated Lewis Pairsの合成と反応性

海外留学歴: 6ヶ月

 

cosine

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博士(薬学)。Chem-Station副代表。国立大学教員→国研研究員にクラスチェンジ。専門は有機合成化学、触媒化学、医薬化学、ペプチド/タンパク質化学。
関心ある学問領域は三つ。すなわち、世界を創造する化学、世界を拡張させる情報科学、世界を世界たらしめる認知科学。
素晴らしければ何でも良い。どうでも良いことは心底どうでも良い。興味・趣味は様々だが、そのほとんどがメジャー地位を獲得してなさそうなのは仕様。

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