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UCLA研究員死亡事故・その後

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t-ブチルリチウム発火による、UCLAの研究員死亡事故については、以前に「つぶやき」でも取り上げました。あちこちの化学メディアでも大きく取り上げられたため、日本の化学界でもこの事故は既に広く知られるところとなっているようです。
最近、この事故に関する各機関の対応を、いくつかの現地メディアが取り上げて報じています。 カリフォルニア労働安全衛生管理局(Cal/OSHA)の調査も入り、詳しい事故状況がほぼ明らかとなりました。現在では事故時のかなりリアルな記述が公開されています。

 

以前「つぶやき」に書いた記事は、速報を参考にしたために細かい点で事実と異なる箇所があったようです。申し訳ありません。英語のソースを参考にしながら、事実の再確認を兼ねて、その後の経過をまとめておきたいと思います。


事故を起こしたのは、Patrick Harranラボで働いていた研究員、Sheharbano Sangji。2008年に大学を卒業したばかりの23歳女性。彼女はロースクールにアプライするまでの間、Harranラボで「スケールアップ専門職」に就いていました。すなわち、彼女は厳密には院生でなく、テクニシャン扱いの研究職だったようです。

 

sangji.jpg
写真:Sheharbano Sangji (C&ENより転載)

事故の発生は2008年12月29日。約20mLのt-ブチルリチウム(1.7mo//L)を60mL容積のシリンジで吸い取っていたところ、シリンジのプランジャー(ピストン棒)が何らかの理由で外れてしまい、噴出した液体を手・腕・体にまともに浴びてしまいました。すぐさま試薬が発火して服に燃え移ることに。そのとき彼女は白衣を着ておらず、その点でも被害の重大化につながりました。事故に気づいた他のメンバーが、自らの白衣を使って火を消した後、助けを呼びに行ったということです。

 しかし全身の43%にやけど被害を負ってしまった彼女は、病院搬送18日後に亡くなってしまいました。この事故に際し、安全面での問題があったとして、およそ3万ドルの罰金がUCLAに課される処分となりました。これは過去7年間におきた処分事例の中で、最も大きな額だということです。

実は10月の時点で、UCLAには「十分な安全トレーニングが成されておらず、安全指針の成文化もされていない」「実験に携わる人々が白衣や安全メガネなどの防護具を着用していない」「危険な実験・労働環境を正していない」などなど、監査に基づく違反警告が下されていたようです。その直後に起きた事故ということで、このような巨額の罰金措置に至ったようです。

 

UCLA側の言い分は「安全監査での指摘事項は改正していた。しかしHarranラボは新たなスペースへと移動中だったこともあり、成文化はされていなかった。移動が終わった後に再度点検を行うつもりだった」とのこと。何となく言い訳がましい香りがぬぐえません。流石に今回の死亡事故後、UCLA側も真剣に対策した模様ですが、現場の安全意識は、言われるほど高くなかった、というのが実情なのかも知れません。

 

ボスのHarran自らも、Web上にステートメントを公開しています。

 

その文中で彼は、「彼女は発火性化合物の取扱経験があった。我々のラボに配属されてからも、同じ実験を繰り返し問題なく行えていた。しかし後で考えてみると、彼女がどこまで安全に配慮していたかについて、私は過大評価していたようだ」と述べています。

 

このステートメントも、どうとでも取れる文章に見えなくもありません。どこまで彼女の能力を把握したうえで実験に取り組ませていたのか、そしてどんな安全管理を具体的に行っていたのか、一読してその努力実態が透けて見えて来ないように感じられます。処分が未確定の現状ではもちろん下手なことは言及できないが故に、こういう筆致になってしまうのかもしれませんが・・・

 

「つぶやき」の読者には、有機化学を専門とされている方が多いと思います。そのような方々であれば、「高々1年の経験しかない院生相当の人物が、大量のt-BuLiを扱うことの潜在的危険性」は想像できるのではないでしょうか。ごく浅い経験しかない人(特に事故を間近で見た経験がない人)は、エキスパートには想像も付かないような箇所で、守るべき手順を外していることがしばしばあります。もちろんラボのPIは、そういうことを織り込み済みで受け入れた上で、自己責任で教育・安全管理をマネージメントしなけくてはならないはずです。「発火性化合物の取り扱い経験があるから、修士未満相当の人でも大丈夫だろう」と安易に考えてしまう姿勢は、管理者として若干思慮に欠けるのでは・・・と見られたとしても、仕方ないように感じられます。

 

実際のところ、アカデミック環境の安全管理については、どの程度徹底されているのか―これは今もって微妙そのもの、という印象があります。このような危うい環境での実験事例は、おそらく氷山の一角でしょう。今後各方面で、安全意識のあり方に見直しが迫られる、良い機会になればと思います。

 

ところでC&ENの記事では、昨今の研究領域の学際化(cross disciplinary nature)がもたらす潜在的危険性についても言及がなされています。すなわち、異分野コラボレーションが進めば、相手方の研究分野に対する基礎知識を欠く人と同じ環境で過ごす機会が増えるため、potential hazardの取扱いに関する注意徹底が甘くなりがちだ、という事実です。

 

たとえば化学者と生物学者がコラボするようなケースにおいて、化学者がバイオハザードたりうる血液に不用意に触ってしまうこともあれば、逆に生物学者が毒性不明なナノパーティクル類などを適当に扱ってしまう、ということも考えられるわけです。

 

異分野間共同研究の機会は、現代ではますます増える流れにあります。それ自体は、科学が新たなステージに上がっているということでもあり、大変結構なことです。しかし、それに伴い、危険度未知なものも大量に生み出されてきます。potential hazardを適切に扱うために必要な、深い知識・経験・洞察を備えたエキスパートは、分野の学際化が進むほどに存在比が小さくなる傾向があります。必然、声を上げて指摘できる人が減り、安全意識も低下しがちになります。今後何度か議論の俎上に上ってくるであろうこういった事実は、しっかりと認識しておくべきかと思えます。

 

予測できない事故が起こる可能性は、今後とも増えこそすれ、減ることはないのかもしれません。自分の身を自分で守るためにも、やはり適切な対処法を可能な限り自発的に学んでおくことが最重要なのだと思われます。

 

参考にした英文記事

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cosine

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博士(薬学)。Chem-Station副代表。国立大学教員→国研研究員にクラスチェンジ。専門は有機合成化学、触媒化学、医薬化学、ペプチド/タンパク質化学。
関心ある学問領域は三つ。すなわち、世界を創造する化学、世界を拡張させる情報科学、世界を世界たらしめる認知科学。
素晴らしければ何でも良い。どうでも良いことは心底どうでも良い。興味・趣味は様々だが、そのほとんどがメジャー地位を獲得してなさそうなのは仕様。

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