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化学者のつぶやき

塩野義製薬:COVID-19治療薬”Ensitrelvir”の超特急製造開発秘話

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新型コロナウイルス感染症は2023年5月に5類移行となり、昨年はこれまでの生活が戻ってきた気もしています。このような日常を取り戻すべく、コロナ禍においては(今でも)、複数の製薬会社でワクチン、治療薬の開発が進められていました。中でもコロナウイルスに効果を有する治療薬は、罹患してしまった場合においても処方することが可能であるため、1日でも早い治療薬開発が望まれていました。その期待に応えるように、本邦においてもいくつかの経口治療薬が開発され、承認されています。その中の1つである塩野義製薬が開発したEnsitrelvirのプロセス研究に関する報告が、最近になって複数発表されています。論文も有機合成化学会誌の記事も大変興味深い内容になっていますが、周辺情報を含めて研究者の生の声を聞いてみたいという思いから、インタビューをお願いした結果、4名の研究者(木嶋さん、若森さん、佐原さん、川尻さん)からお話を伺うことができました!ご協力ありがとうございます!

論文1

“Development of a Manufacturing Process toward the Convergent Synthesis of the COVID-19 Antiviral Ensitrelvir”

Takahiro Kawajiri*, Akihito Kijima, Atsuhiro Iimuro, Eisaku Ohashi, Katsuya Yamakawa, Kazushi Agura, Kengo Masuda, Kensuke Kouki, Koji Kasamatsu, Shuichi Yanagisawa, Sho Nakashima, Setsuya Shibahara, Takashi Toyota, Takafumi Higuchi, Takahiro Suto, Tadashi Oohara, Toshikatsu Maki, Naoto Sahara, Nobuaki Fukui, Hisayuki Wakamori, Hidaka Ikemoto, Hiroaki Murakami, Hiroyasu Ando, Masahiro Hosoya, Mizuki Sato, Yusuke Suzuki, Yuta Nakagawa, Yuto Unoh, Yoichi Hirano, Yoshitomo Nagasawa, Satoshi Goda, Takafumi Ohara and Takayuki Tsuritani

ACS Cent. Sci. 2023, 9, 836–843. DOI: 10.1021/acscentsci.2c01203 (Link)

論文2

“An Effective Additive for Introducing the Triazole Unit of Ensitrelvir: Combination of LiCl and Et3N to Easily Generate Lithium Triazinolate”

Eisaku Ohashi*, Naoto Sahara, Yoichi Hirano, Masahiro Hosoya, Yusaku Takahashi and Naoki Tsuno

Synthesis 2024, 56, 650–656. DOI: 10.1055/a-2085-6342 (Link)

有機合成化学協会誌 2025年1月号

SARS-CoV-2 3C様プロテアーゼ阻害薬(COVID-19経口治療薬)エンシトレルビルの実用的製造法の開発 (Link)

Q1 プロセス化学について馴染みのない読者もいると思います。簡単に教えてもらえますか?

プロセス化学研究とは「フラスコとプラントをつなぐ研究 (過去記事参照) 」です。医薬品開発におけるプロセス化学研究は、メディシナルケミストリー研究で見つかった薬の有効成分 (以下原薬) の大量合成可能な製造法を研究するというもので、比較的イメージしやすいと思います。開発ステージに応じて求められる品質・量の原薬を私たちプロセスケミストが構築した製造法を用いて製造・供給していくことで医薬品開発を進めていきます。

一方、ただ大量合成できる製造法を開発しておしまい!というわけではなく、医薬品の”良い”製造法の構築に向けてプロセスケミストに求められるものは多方面にわたります。製造プロセスを評価する一般的な指標の一つに「SELECT」がありますが (図1)[1]、ここからもプロセス研究には多方面の知識や観点が必要になることがお分かりいただけるのではないでしょうか。開発ステージによっても考慮すべき範囲・深度が異なり、状況に応じて、また限られた時間の中でこれらを最大限考慮した製造法の開発が求められます(木嶋)。

図1 医薬品の製造プロセスを評価する指標 (それぞれの頭文字を取ってSELECTと言われる[1])

Q2 今回論文化された研究について概要をお教えください。

2019年末より世界的な大混乱を引き起こしたCOVID-19 パンデミックは、人類がウイルスによる感染症に対する脅威を再認識するきっかけになりました。現在、本邦では感染症法上の分類が5類へと移行し、ウイルスとの共存が当たり前になりつつありますが、「治療薬」に対する当時の社会的要請は強く、前例のないスピードでの医薬品開発が求められました。Ensitrelvir (図2 化合物1)は、軽度から中等度の症状を有する新型コロナウイルス罹患者に対して PKブースターの併用無しで使用できる低分子経口治療薬として北海道大学と塩野義製薬の共同研究により創製された 3CL プロテアーゼ阻害薬です。我々は、この化合物を迅速かつ安定的に社会に供給するための製造法を確立しました。

図2 Ensitrelvirの構造と合成戦略 (論文1から抜粋、一部改変)

Ensitrelvirの合成戦略として、原薬の迅速な供給体制構築の観点からも合理的な収束的合成法を採用しました。これによって、各 (複素) 芳香環コアを並行して準備でき、製造期間の短縮が可能となります。まず Ensitrelvirを構成する 1,2,4-トリアゾールコアおよびインダゾールコアの製造法検討に着手し、入手容易で安価な原料からそれぞれ 2 工程 (67%) および 4 工程 (55%) からなる高効率の製造法を確立しました。続いて 中心骨格である1,3,5-トリアジノンコアの製造法研究に取り組みました (図.3)。ハイライトは出発原料の変更 (含硫黄化合物による悪臭の回避、詳細は論文1参照) とmeta-クレゾリルの導入です。特に後者は、中間体の安定性や結晶性を向上させて工業的に簡便な後処理操作ができるようになっただけでなく、最終工程においてmeta-クレゾリル基が良い脱離基として機能し、穏和な条件で原薬構造へと変換できることを見出しました。これにより全12工程全てで晶析による化合物単離 (カラム精製フリー) を可能とし、実用的な製造プロセスの確立に至りました(川尻)。

図3 トリアジノン骨格の構築とEnsitrelvirまでの製造スキーム (論文1から抜粋、一部改変)

上記の実用的な製造プロセスの確立に向けた活動は、Ensitrelvirが初めて合成されてから1年あまりの成果です。そのような短い期間にもかかわらず、我々の化学力を集結することで、生産性の高い製造プロセスを構築し、実証することができました。しかし、操作性や収率の観点から更なる改善が見込める工程もありました。具体的には、1,3,5-トリアジノン骨格5にトリアゾールコア6を導入する工程です。この工程は、単離収率が70%程度と低位であることと有機溶媒に対する溶解度が低い無機塩 (炭酸セシウムおよびヨウ化カリウム) の使用に起因する煩雑な操作 (不均一系反応、無機塩除去のためのろ過) が課題でした。課題解決に向けて我々は、反応条件を細かく検討し直しました。具体的に、低収率の原因の一つであるアルキル化のN/O選択性の改善に塩化リチウムが効果的であることを見出し、トリエチルアミンと塩化リチウムを用いた新たな条件を確立しました。その結果、単離収率を85%まで向上させることに成功しました。本条件は収率を向上させるだけでなく、安価な試薬を使用できる点、および無機塩除去のためのろ過を省略できる点など実製造への多角的なメリットも見込めます(佐原)。

図4 トリアゾールコア導入における塩基/添加物の効果 (論文2から抜粋、一部改変)

Q3 Ensitrelvirはトリアゾールやインダゾール、トリアジノンなど含窒素パーツを多く含む特徴的な構造ですが、プロセス研究における工夫や苦労を教えてください。

トリアゾールコアであるトリアゾールクロリド (化合物6) は、入手容易な1,2,4-トリアゾールメチルエステル (化合物9) を還元し、アルコールに変換した後、塩化チオニルで塩素化して合成しています。この反応自体は教科書にも載っている基本的な反応で、すぐに最適化することが可能でした。しかし、反応後の後処理に苦労しました。一般的には、Red-Alなどのアルミニウム還元剤のクエンチでは、ロッシェル塩水溶液を用いてアルミニウムとロッシェル塩の錯体を形成させ、分液によりアルミニウムを水層に除去します。ところが、目的物であるトリアゾール誘導体10は水溶性が非常に高く、この手法を用いると目的物が有機層に回収できませんでした (つまり分液によるアルミニウム除去ができない!)。検討時間は限られていましたが、ロッシェル塩を”固体のまま”反応終了液に直接加えることで、アルミニウムとロッシェル塩の錯体が有機溶媒から析出されることを見出しました。その結果、水を使用しないクエンチプロセスを確立し、トリアゾールコアのスケールアップ製造を完遂することができました。なお、アルミニウムが完全に除去できたかは、ICPやXRFといった分析機器を使用し、有機層中の残存アルミニウム量を測定し確認しています。

図5 トリアゾールコアの製造法 (論文1から抜粋、一部改変)

インダゾールコアにおけるメチル基の導入には、選択性/反応性の面で最も優れたメチル化剤であったトリメチルオキソニウムテトラフルオロボレート (Me3O・BF4)、通称Meerwein試薬を使用しています。Meerwein試薬は実験室レベルでも −20°Cでの保管を必要とします。反応性の高い (あまり安定ではない) 試薬を工業的スケールで使用するにあたり、輸送や保管の条件まで厳密に設定したことは、プロセスケミストの職務範囲の広さを感じました。

図6 インダゾールコア:メチル基の位置選択的導入 (論文1から抜粋、一部改変)

インダゾールコアの合成の最終段階では、ニトロ基をアミノ基へと変換しています。共存するクロロ基を損なうことなくニトロ基のみを選択的に還元するために、Pt/Cによる水素化還元を採用しています。2つの官能基の還元されやすさが大きく異なるわけではないので、1%オーダーレベルで副反応を抑制することは苦労しましたが、条件スクリーニングには学生時代に研究室で培った経験が活きました。また、研究室レベルでは汎用の不均一系触媒による水素化還元ですが、不均一系の反応は工業的スケールではしばしばラボスケールを再現しません。触媒量や溶媒の効果はもちろん、撹拌速度や水素圧、系内温度による反応進捗への影響を緻密に観察し、最適な条件を設定したことで100 kg以上のスケールでもラボフラスコを完璧に再現することができました(川尻、佐原)。

図7 インダゾールコア:ニトロ基の官能基選択的還元 (論文1から抜粋、一部改変)

 

Q4 前例のない速さでの開発・承認申請ということでしたが論文外の部分における苦労や工夫などはありますか?

コロナ禍のロックダウンや空港閉鎖など、人流・物流が麻痺している中でプロセス研究および製造を進めなくてはいけないという状況は困難を極めました。原薬製造に使用する原料の調達も例外ではなく、数多くのトラブルが発生しました。社内の購買チームだけでなく、商社や原料サプライヤーとも密に連携して、会社の枠を超えてチーム一丸となって製造スケジュールを死守したことは今でも強く記憶に残っています。製造ルート選定において原料の入手性がいかに重要であるかを改めて痛感しました。また、Ensitrelvirの開発が進むにつれ、国内だけでなくグローバルにも供給するために、海外の企業とも協力して生産体制を構築しました。海外の企業にとっても前例のないスピードでの開発であったため、連日のWeb会議だけでなく対面での議論や製造立ち会いが非常に重要となりました。しかし、当時はコロナ禍のため現地への渡航前にPCR検査とワクチン接種が必須であり、渡航後も1週間の隔離生活と連日PCR検査を受けるなど、厳格なウイルス陰性証明の後に初めて現地の研究者や技術者との対面が実現しました。その後も種々のトラブルが起きながらも密なコミュニケーションと全力のサポートを経て、無事に生産体制の構築が完了しました。国内外のパートナー企業のメンバーと言語や文化の壁を超えて世界的な問題に取り組むことができ、非常に大きな達成感 (と安堵) を共有することができました(木嶋、若森)。

 

Q5 最後に、プロセス化学への思いや読者の皆さんへのメッセージをお願いします。

大学時代の研究と一つ一つの実験は大きく変わらないのですが、医薬品を世の中に送り出すという明確な社会的意義に向かって、思う存分に有機合成化学を駆使できるのは、プロセス化学研究の醍醐味だと思います。自身が泥臭く検討して見出した良い製造法が採用され、それが何百キロものスケールで再現されたときはやはり大きな充足感を覚えます。

一方、冒頭にも記載しましたが、プロセスケミストには有機合成化学はもちろん、それ以外にも多方面の知識や観点が求められます。新薬を待ち望んでいる患者さんに一日でも早く供給することはもちろんですが、安全や環境にも配慮した製造法を構築する必要があります。今回の研究成果は、社内外の多数の協力を得ながらコロナ禍の混乱の中でも異例のスピードで造り切った、まさに塩野義製薬が目指すプロセス化学研究を体現できたものだと感じています。ぜひ論文やインタビューを読んでいただいて、少しでもプロセス化学のイメージを深めて、興味を持っていただけると幸いに思います(木嶋、若森、佐原、川尻)。

インタビューを受けていただいた研究者の紹介

木嶋 昭仁

塩野義製薬株式会社 製薬技術研究本部 製薬研究所 サブグループ長

2010年3月:京都大学大学院 修士課程修了 (主宰:杉野目道紀教授)

2010年4月:塩野義製薬株式会社 入社

2025年 現在、プロセス化学研究の傍ら子育てに奮闘中

若森 久幸

塩野義製薬株式会社 製薬技術研究本部 製薬研究所 

2018年3月:名古屋市立大学大学院 博士前期課程修了 (主宰:中川秀彦教授)

2018年4月:塩野義製薬株式会社 入社

2024年10月より研究購買グループとして製造委託先・原料サプライヤー選定を担当

佐原 直登

塩野義製薬株式会社 製薬技術研究本部 製薬研究所 

2020年3月:名古屋大学大学院 博士後期課程修了 (主宰:石原一彰教授)

2020年4月:塩野義製薬株式会社 入社

2025年 現在、医薬×機械学習の勉強中

川尻 貴大

塩野義製薬株式会社 製薬技術研究本部 製薬研究所

2020年3月:岐阜薬科大学大学院 博士後期課程修了 (主宰:佐治木弘尚教授)

2020年4月:塩野義製薬株式会社 入社

2025年2月より米国留学 (Seth B. Herzon研究室)

 

参考文献

[1] M. Butters, D. Catterick, A. Craig, A. Curzons, D. Dale, A. Gillmore, S. P. Green, I. Marziano, J–P. Sherlock, W. White. Chemical. Reviews 2006, 106(7), 3002.  DOI: 10.1021/cr050982w)

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博士見習い。専門は分子触媒化学。化学史や反応や現象の成り立ちに興味がある。夢は化学を熱く語ることができるサイエンスライター。

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