第660回のスポットライトリサーチは、名古屋大学大学院理学研究科(有機化学研究室)博士後期課程3年の遠山祥史 さんにお願いしました。
今回ご紹介するのは、ナノグラフェンの水素化に関する研究です。
ナノグラフェンの周辺水素化に関して、構成するベンゼン環の高い安定性と原料の低溶解性という問題から、過酷な反応条件を必要とし困難とされてきました。今回、メカノケミカル法によるアプローチにより、水素ガスを用いない周辺水素化ナノグラフェンの合成を報告されました。合成した周辺水素化ナノグラフェンの一部が特異な光物性を示すことについても明らかにされています。本成果は、Chem. Sci. 誌 原著論文及びプレスリリースに公開されており、カバーピクチャーにも選出されています。キャッチアイ画像は名古屋大学ITbM高橋一誠博士作成に作成いただいたものです。
“Rh-catalyzed mechanochemical transfer hydrogenation for the synthesis of periphery-hydrogenated polycyclic aromatic compounds”
Toyama, Y.; Nakamura, T.; Horikawa, Y.; Morinaka, Y.; Ono, Y.; Yagi, A.; Itami, K.; Ito, H. Chem. Sci. 2025, in press. DOI: 10.1039/d5sc01489a
研究を指導された伊藤英人 准教授から、遠山さんについて以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!
遠山君は学部時代からいろいろなプロジェクトに関わりつつ、D1の4月頃から現在のテーマである「ナノカーボンのメカノケミカル合成・反応」関連テーマに本格的に参画し、現在私と一緒に研究を開始して2年ちょっとが経ちました。当時、このテーマの担い手がいない中で自ら名乗り出てくれたのは私自身は非常に嬉しい反面、遠山君にとっては博士後期課程3年間で1から学位取得を目指さなければならず、彼のプレッシャーや不安も大きかった思います。彼の長所は本人のモットーにもあるように、とにかく何でもすぐに実行して実験をやってみることですが、それ以外にも頻繁に私や他学生と研究に関するディスカッションをできることにもあるかと思っています。研究者たるもの皆ディスカッションはするものですが、いざかしこまって議論するよりも、日常的なコミュニケーションをとっている上での何気ないディスカッションは非常に効果的で重要です。例えば、遠山君と私は日頃から一緒に昼ごはんを食べる以外にも外にラーメンを食べに行ったり、車でドライブしたり、最近では一緒に登山をしたりする仲ですが、そのいずれの場面においてもいつの間にか研究の議論や大学、研究室、化学の話に自然になってしまっています。そんな中で必然的に研究アイデアが多数生まれるわけですが、遠山君はすぐに試してフィードバックしてくれるので、次から次へと生まれるアイデアを上手に捌いて研究を進めてくれています。これはなかなか普通の学生にはできないことだと思いますし、研究におけるPDCAサイクルがうまく回せているということになりますね。私自身も「100個アイデアを出して100個実験すれば1つくらいは成功する」といつも言っているものの、これを有言実行できるのが遠山君であるに違いありません。実際この2年間、ボールミルを使ったメカノケミカル反応で水を得た魚のように活躍し、ものすごい量の実験をこなしていくつもの新発見がありました。今回、ナノグラフェンの水素化反応ですが、近々別のすごいメカノケミカル反応の論文公開も控えています。博士課程は残すところ数ヶ月ですが、個人的にもうちょっと長く一緒に研究をしたかったですね。今後、博士号取得に向けて最後まで駆け抜ける予定の遠山君ですが、博士課程修了後は研究者・指導者としてアカデミアでさらに志高く羽ばたいて活躍してくれると信じています。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
本研究では「メカノケミカル芳香環水素化反応」の開発に成功し、低溶解性のナノグラフェン分子を水素化することで周辺水素化ナノグラフェンの合成を達成しました。また、その物性測定を通じてユニークな特性を持つことを明らかにしました。
ナノグラフェンはベンゼン環が複数連なった芳香族炭化水素であり、材料科学や有機エレクトロニクスなどの分野への応用研究も盛んに行われています。近年、ナノグラフェンの外周を構成するベンゼン環部分が水素化された分子群である周辺水素化ナノグラフェンが新たな炭素材料として注目を集めています。周辺水素化ナノグラフェンはナノグラフェンと比べて有機溶媒に溶けやすく(アルキル置換基をもつため)、ナノグラフェンとは異なる電子特性を示すことが提唱されています。
この魅力的な物質を合成するにはナノグラフェンのベンゼン環部分を水素化する必要があります。
しかし、周辺水素化ナノグラフェンの合成にあたっては、ベンゼン環そのものの水素化が進行しにくい点(一般的にオートクレーブを用いて高温・高圧・長時間を要する)、そして出発物質のナノグラフェンの反応性が低いばかりでなく有機溶媒に溶けにくい、といった二つの課題がありました。
今回我々は、効率的かつ迅速な周辺水素化ナノグラフェン合成の新手法「メカノケミカル芳香環水素化反応」の開発に成功しました。メカノケミカル反応はステンレス製の容器とボールを用いて、「ボールミル」と呼ばれる粉砕機で固体反応剤同士を機械的に混合撹拌して行う反応です。 有機溶媒を用いない、あるいはごく少量しか用いず、より温和で短時間に反応が完結するなど、反応効率に優れた手法であり、溶液反応では起こらない全く新しい反応が実施できるなどの例が近年多数報告されています。「メカノケミカル芳香環水素化反応」によりこれまで合成困難であった周辺水素化ナノグラフェン分子の網羅的合成を達成しました。合成した周辺水素化ナノグラフェンは凝集誘起発光特性をもつことも明らかにしています。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
思い入れがあるのは、水素等価体を用いればメカノケミカル法で水素化が容易に扱えるようになるのでは?と着想した時です。本研究のルーツは僕自身の修士論文である嵩高い置換基をもつナノカーボンの水素化(Chem. Lett. 2024, 53, 1, upad037.)に端を発しています。2023年の年の瀬、オートクレーブで水素化ばかりしていた僕に、現在の指導教員である伊藤英人先生からナノグラフェンを水素化できないか、というアイデアをいただきました。色々模索した後にメカノケミカル法を使えばナノグラフェンの低溶解性・低反応性問題を解決できるのではと思ったのですが、研究室にある一般的なメカノケミカル用のステンレス容器には水素を封入できません。そこで水素等価体を用いればメカノケミカル法で迅速かつ簡単な水素化ができるのでは?と思い立ちました。あるGWの1日、水素等価体を用いた先行研究をもとに、こっそり実験(闇実験)を行ったところ、わずか1時間で芳香環の水素化が効率的に進行していました。その時のGCの結果も含め、思い入れがあります。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
水素化生成物の単離・精製に苦労しました。原料と水素化生成物の極性はほぼ同じであり、シリカゲルカラムのみでは単離できないためゲル浸透クロマトグラフィー(GPC)を用いて精製しています。そして一部の化合物は立体異性体が生じます。この立体異性体の単離は根気強くGPCをリサイクル精製し続けることで単離しています。
結局NMRだけではどうもできないので、最終的に立体は単結晶X線構造解析に頼るほかありませんでした。アダマンタン縮環アレーン(J. Am. Chem. Soc. 2023, 145, 21, 11754–11763.)の水素化体(論文中6bと6c)やコロネンの水素化体(論文中8o)に関しては、単結晶を出しています。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
将来は大学の教員として化学の研究・教育に携わりたいと考えています。僕は現在、博士後期課程3年生ですが、これまでいろいろな方に支えられながら、協力しながら、そして指導教員の適切なアドバイスがあってこそ研究を遂行できたと考えています。
大学教員となって、学生と一緒に、化学を全力で楽しみ、時に落ち込み、時にはしゃぎながら、化学に関わっていければ、研究を続けていければな、と考えています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
有機化学に初めて触れた高校の頃からお世話になったChem-Stationで取り上げていただけることを非常に光栄に思います。私自身の研究生活は本当に多くの方々に助けられて成り立っているものであり、人と人の繋がりの大切さを実感しました。研究室の同僚・先輩後輩、また様々な学会でお会いした全ての方々の交流あってこそだと痛感しています。多くの人々と交流していく中で、自分の中に何かしらの軸をもちながら主体的に動くといい研究成果に繋がるのかなと思います。この研究も高校で習う「芳香環の水素化は時間がかかるし煩雑」という一般常識を覆せないか、というぼんやりとした妄想を起点にしている側面もあります。
また、私事にはなってしまいますが、僕はB4、M1の頃は比較的研究がうまくいかず、M2からD1への進学でテーマを変更したため、ゼロからのスタートでした。人よりたくさん挫折もしましたし、たくさん泣きました・・・笑。でも、そんな僕でも決して諦めることなく、日々のディスカッションを楽しみ、そしてとにかく実験は愚直にこなしてここまでやってきました。なんだかんだでこれが遠回りで近道だと思います。「実験数は絶対の正義ではないが必ず糧はある」、これが僕のモットーです。うまくいかず悩む人も、うまくいかないことに悩むのではなく糧になっていると信じて、実験、共に頑張っていきましょう!僕もまだまだ頑張っていきます!
最後になりましたが、本研究では多くの方々にお世話になりました。東ソー株式会社の中村様、森中博士、小野様、化合物の基質合成でお世話になった堀川くん、そしていつも活発な議論をさせていただいた八木先生、伊丹先生、伊藤先生にこの場をお借りして心より感謝申し上げます。
研究者の略歴
名前:遠山 祥史 (とおやま よしふみ)
所属:名古屋大学理学研究科 理学専攻 化学講座
略歴:
2017年3月 私立滝高等学校卒業
2018年5月〜2020年 名古屋大学 WPI-ITbM Bode研 技術補佐員
2021年3月 名古屋大学理学部化学科 卒業
2023年3月 名古屋大学大学院理学研究科物質理学専攻(化学系)博士前期課程 修了
2023年4月〜 現在 名古屋大学大学院理学研究科理学専攻 博士後期課程在学中(D3)
2024年10月: 第15回大津会議アワードフェロー
2024年10月-2025年1月 ドイツ・ミュンスター大学へ短期留学 (Ryan Gilmour教授)
関連リンク
- 原著論文
- プレスリリース
- リチウムを用いたメカノケミカル脱水素環化法によるナノグラフェン合成(スポットライトリサーチ)
- ダイヤモンド構造と芳香族分子を結合させ新たな機能性分子を創製(スポットライトリサーチ)
- 市販の化合物からナノグラフェンライブラリを構築 〜新反応によりナノグラフェンの多様性指向型合成が可能に〜(スポットライトリサーチ)
- 『主鎖むき出し』の芳香族ポリマーの合成に成功 ~長年の難溶性問題を解決~(スポットライトリサーチ)
- Toyama, Y.; Yoshihara, T.; Shudo, H.; Ito, H.; Itami, K.; Yagi, A. Synthesis of Diamondoids through Hydrogenation of Adamantane-Annulated Arenes. Chem. Lett. 2024, 53, upad037. (嵩高い基質の還元・先行研究)