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化学者のつぶやき

「進化分子工学によってウイルス起源を再現する」ETH Zurichより

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今回は2018年度のノーベル化学賞の対象となった進化分子工学の最前線でRNA・タンパク質工学を組み合わせた研究をされており、ETH Zurich Department of Chemistry and Applied Biosciences、Hilvert研究室で博士研究員をされていた寺坂尚紘(なおひろ)さんにお願いしました。現在、寺坂さんはスイスから帰国し、東京大学大学院理学系研究科化学専攻、菅研究室の特任助教として、生命起源の探求から創薬研究まで幅広い分野を精力的に研究されています。今回は、留学に至った経緯や留学中に得た知見、今後その経験をどう生かしていきたいかなど、存分に語っていただきたいと思いますので最後までよろしくお願いします。

Q1. 留学先でどのような研究をしていましたか?また、現在どんな研究をしていますか?

進化分子工学によってウイルスの起源を実験室内で再現する研究を行っていました[1]。ウイルスはゲノムを内包したタンパク質のカプセル(ヌクレオカプシド)ですが、その起源は原始生物のタンパク質であるという細胞脱出起源仮説があります[2]。私が所属していたHilvert研究室では超好熱菌由来のカプシド形成タンパク質であるルマジン合成酵素を改変することで、別のタンパク質や核酸を取り込んで自己組織化する研究を行っています[3-6]。(カプシド関連の同研究室の研究例はこちら)私は非ウイルス性タンパク質であるルマジン合成酵素が、ウイルスの様に自身の情報コードするRNAを内包したヌクレオカプシドに進化できることを示せれば、先のウイルス細胞脱出起源仮説の実験的証明になると考え、研究を行いました。

ポスドク時代での研究の概略。下図はカプシドの透過型電子顕微鏡写真(スケールバー50 nm)

私が行った分子進化実験の手順を簡単に述べますと、

  1. ルマジン合成酵素内部にRNA結合ペプチドを提示させ、mRNAの非翻訳領域にもペプチドと相互作用するタグ配列を導入する。
  2. ランダム変異を導入したヌクレオカプシドライブラリーを大腸菌で発現する(このとき内包されたmRNAはカプシドタンパク質の情報を持つことがポイント)。
  3. RNA分解酵素によってカプシドに内包されなかったmRNAを分解し、ヌクレオカプシドを形成できるタンパク質をコードするmRNAを回収する。
  4. mRNAをDNAに逆転写し、以上の操作を繰り返す。

この手法によって、自然界のルマジン合成酵素の約2倍の大きさに進化したヌクレオカプシドが得られました。私の論文と同時期に、コンピューターで設計したタンパク質もヌクレオカプシドに進化することが別のグループからも報告されたことからも、ウイルス細胞脱出起源仮説が支持されると言えます[7]。私は現在日本で研究していますが、ウイルスの更なる進化の再現やRNAワールド仮説の実験的証明などを試みています。

指向性進化実験の概略。

Q2. なぜ日本ではなく、海外で研究を行う(続ける)選択をしたのですか?

学部時代に、異なる生物種の酵素が似たような機構を獲得する収斂進化という現象に出会い、進化って面白い!と思ったことが研究への興味の原点でした[8,9]。その後の修士・博士課程の経験から、ポスドクで進化分子工学をやりたいと考えていくつかの行先の候補を探し、上司や先輩と相談しました。私が博士課程時に所属していた研究室では、外国人ポスドクや海外から帰ってきた日本人ポスドクも多かったので、自然とポスドクに行くのなら海外かなと思って候補を選びました。スイスのHilvert研に最終的に決めた主な理由は、

  1. Hilvert教授の講演を聞いたことがあり研究内容が自分の興味に合致していた
  2. 2013年のリンダウノーベル受賞者会議(最近のケムステでの関連記事はこちらこちらなど)で当時Hilvert研究室のポスドクであった佐々木栄太さんに話を聞いて良さそうだと思った
  3. Hilvert教授の人柄が素晴らしい
  4. スイスは治安が良くて給料も良い
  5. 公共交通機関が発達していて車を運転しなくて良い

といったものです。スイスは自然豊かなので、夏はハイキング、冬はスキーというように休暇を満喫できるというのも理由の一つでした。

研究室スキー旅行での写真。スイス人はみんなスキーがとても上手です。

Q3. 研究留学経験を通じて、良かったこと・悪かったことをそれぞれ教えてください。滞在先の研究環境・制度で、日本と最も大きく異なるところを教えてください。

良かった点は、環境の変化に柔軟に対応できるようになった点です。研究環境でいえば、使用する機材・試薬の注文方法・ミーティングの進め方など何から何まで日本と違うので、これらの変化に適応する必要がありました。日本と比べて機材が古かったり、試薬が注文してから届くまで遅かったりとストレスも溜まりましたが、慣れてしまえばどうということはありませんでした。これを経験したことで、これから先の環境の変化にも素早く順応できそうです。

悪かったところは、日本の友人の結婚式になかなか出席できないことや、家族が急病になった時にすぐに駆け付けることができないということです。現在ではインターネットによって書籍や映画などの日本のコンテンツを手に入れることは簡単ですし、電話やSNSもあるので友人と気軽に連絡を取ることもできますが、物理的に移動しないといけないことはやはり時間とお金がかかります。

Q4. 現地の人々や、所属研究室の雰囲気はどうですか?

チューリッヒやETHそしてHilvert研究室に関しては、佐々木栄太さん・志村聡美さん・小嶋良輔さん・岡本泰典さんと多くの方が素晴らしい記事を寄稿されておりますし、スイスの博士課程についての詳細な記事(123)もありますので、そちらもご参照ください。

私の個人的な印象ですが、スイスの方々は幸せそうで、街中や電車の中でもうつむいている人は少なく笑顔な方が多かったと思います。所属していたHilvert研究室は自由な雰囲気で、様々な国から来たメンバーが和気あいあいと研究をしていました。コアタイムなどもなく(ミーティングは必須でしたが)、時間的に制約がない自由な雰囲気は自分の性に合っていました。

研究室のメンバーでチューリッヒの駅伝大会に出場したときの写真(私は走りはしませんでしたが…)

研究室のラクレットパーティーでのHilvert教授とのツーショット(この時同僚は自分のサンプルを放射光施設で終夜測定してくれていました…)

 

Q5. 渡航前に念入りに準備したこと、現地で困ったことを教えてください。

生活面で一番困ったことは、アパートに空き巣が入ったことです。ある冬の日の夜に自宅に帰るとドアに傷があり鍵も変わっていました。ドイツ語で張り紙が貼ってあって読めずに混乱していたところ、隣人が出てきて空き巣に入られたことを英語で説明してくれました。中に入るとベッドのマットレスからごみ箱まで全てひっくり返されており、次の日の朝に警察署に連絡するようにと置手紙がありました。幸いにも現金を数万円分盗られただけで済み、研究室の秘書さんや友人に助けてもらいましたが、しばらくは不安で眠れない夜が続きました。空き巣の他にも、アリが大量に入り込んできたり、階下の住人が深夜までパーティーをしていてうるさかったりとトラブル続きのアパートでしたが、おかげで色々なことに動じなくなりました。

研究面で準備したことは、やはりフェローシップの申請です。私がスイスに行く直前にスイスフランショックが起きて、1スイスフランが約110円から約140円程度に高騰しました。これはつまり日本円で給料をもらっていたら給料が約30%下がるということです。最終的には現地通貨で給料がいただけるヒューマンフロンティアサイエンスプログラム(HFSP)に渡航直前で採択して頂けたので事なきを得ましたが、海外学振などであったら生活は厳しかったと思います。

お金のことだけではなく、フェローシップを申請するということは渡航先で行う研究の計画・背景知識の勉強をするということになります。現地でスムーズに研究をスタートさせるため、上司や同僚から早く認めてもらうためにも、申請書には力を入れました。ポスドクのフェローシップであれば海外学振が最初に思い浮かぶかもしれませんが、他にも財団系、受け入れ先の大学のフェローシップ(ETHではETHポスドクフェローシップがありました。年1000万円ほど支給されます)、渡航先の政府系フェローシップなど選択肢は無数にあります。受け入れ先の教授や同僚によく相談して戦略を練ることも重要です。

ここで私がフェローシップを頂いていたヒューマンフロンティアサイエンスプログラム(HFSP、詳しくはこちら)の宣伝をさせて頂きます。HFSPは1987年のベネチアサミットで中曽根首相(当時)が提唱した国際プロジェクトであり、資金の大半が日本から支出されています。ポスドク用のフェローシップの他に、若手独立研究者向けグラント(CDA)、国際共同研究チーム向けの研究費もあります。ライフサイエンス分野を対象とした研究費ではありますが、学際的な研究に重点を置いているので、化学系の研究でも、少しでもライフサイエンスに関わっていれば応募することが可能です。支給される金額も海外学振の約1.5倍から2倍である上に3年間現地通貨で支給され、年に一回会合が開かれて世界中の受賞者と交流もできます。日本ではAMED(日本医療研究開発機構)が事業担当になっており、AMEDのホームページには過去の採択者の体験記やインタビュー(2018年ノーベル生理学・医学賞を受賞された本庶先生のインタビューもあります)があります。また、HFSP本部のホームページには申請書のガイドラインがあります(こちら)。このガイドラインはHFSPに限らず、様々な申請書を書く際にも役立ちます。近年では日本からの応募が少ないので、ポスドク・PIの方々には是非応募して頂きたいとのことでした。

Q6. 海外経験を、将来どのように活かしていきたいですか?

日本ではなかなか経験できない文化の違い・多様性を肌で感じたので、今後も様々な人と互いを認め合い、受け入れて交流を深め、自分一人では達成できない問題を解決したいと思っています。また、外国人との交流や海外に出ていくことを躊躇している後輩たちの背中を押せるように、手助けできればと思います。

Q7. 最後に、日本の読者の方々にメッセージをお願いします。

今回の記事を見て、またスイスで生物系の研究かよ!と思った方も多いかもしれません。私はこれまで有機化学系の学科に所属しながらライフサイエンスの研究をしてきたので、有機化学系の方々のライフサイエンス研究に対する空気は感じていました。逆に生物系の学会では自分は化学系とみなされて距離も感じていました。しかし各分野の専門家の方にこそ、少し違う分野の研究にも目を向けて頂ければ新境地を開拓することができると思います。近年のノーベル化学賞の多くが生物寄りだという意見がSNSなどで見られますが、それだけの理由で目を向けないというのはもったいないですし、とても悲しいことです。例えば2018年のノーベル化学賞の酵素工学という分野は触媒化学なので、有機化学の知識が必須になりますし、金属触媒や全合成がバックグラウンドである人がたくさん活躍されています。このような学際的な交流は日本ではまだ少ないように思えます。また海外の渡航先としてアメリカやイギリスといった主流の国だけではなく、様々な国に目を向けると新しい発見があるかもしれません。研究・国・人間関係などにおいても、あまり特定の領域に閉じこもらずに、少し外に目を向けるだけで新しい道は開けるということが、不肖ながら私からのメッセージです。

最後になりましたが、執筆の機会をくださったケムステスタッフの皆さまに御礼申し上げます。

参考文献

  • [1] Terasaka, N.; Azuma, Y.; Hilvert, D. Proc. Natl. Acad. Sci. U. S. A. 2018, 115, 5432. DOI: 10.1073/pnas.1800527115
  • [2] Krupovic, M.; Koonin, E. V. Proc. Natl. Acad. Sci. U. S. A. 2017, 114, E2401. DOI: 10.1073/pnas.1621061114
  • [3] Azuma, Y.; Herger, M.; Hilvert, D. J. Am. Chem. Soc. 2018, 140, 558. DOI: 10.1021/jacs.7b10513
  • [4] Azuma, Y.; Edwardson, T. G. W.; Terasaka, N.; Hilvert, D. J. Am. Chem. Soc. 2018, 140, 566. DOI: 10.1021/jacs.7b10798
  • [5] Azuma, Y.; Zschoche, R.; Tinzl, M.; Hilvert, D. Angew. Chem. Int. Ed. 2016, 55, 1531. DOI: 10.1002/anie.201508414
  • [6] Azuma, Y.; Edwardson, T. G. W.; Hilvert, D. Chem. Soc. Rev. 2018, 47, 3543. DOI: 10.1039/C8CS00154E
  • [7] Butterfield, G. L.; Lajoie, M. J.; Gustafson, H. H.; Sellers, D. L.; Nattermann, U.; Ellis, D.; Bale, J. B.; Ke, S.; Lenz, G. H.; Yehdego, A.; Ravichandran, R.; Pun, S. H.; King, N. P.; Baker, D. Nature 2017, 552, 415. DOI: 10.1038/nature25157
  • [8] Terasaka, N.; Kimura, S.; Osawa, T.; Numata, T.; Suzuki, T. Nat. Struct. Mol. Biol. 2011, 18, 1268. DOI: 10.1038/nsmb.2121
  • [9] Osawa, T.; Kimura, S.; Terasaka, N.; Inanaga, H.; Suzuki, T.; Numata, T. Nat. Struct. Mol. Biol. 2011, 18, 1275. DOI: 10.1038/nsmb.2144

研究者のご略歴

研究者氏名:寺坂尚紘 (ORCID: 0000-0002-4988-6899)
略歴:2010年 東京大学工学部化学生命工学科卒業(鈴木勉教授
2012年 東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻 修士課程卒業(菅裕明教授
2015年 東京大学大学院理学系研究科化学専攻 博士課程卒業(DC1, 菅裕明教授)
2015年-2018年 スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH Zurich)博士研究員、HFSP長期フェロー(Donald Hilvert教授
ETHでの研究テーマ:進化工学によるウイルス起源の探索
2018年6月より東京大学理学系研究科化学専攻 生物有機化学研究室  特任助教(菅研究室)
現在の研究テーマ:合成生物学、ケミカルバイオロジー、分子生物学、生命起源

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東京の大学で修士を修了後、インターンを挟み、スイスで博士課程の学生として働いていました。現在オーストリアでポスドクをしています。博士号は取れたものの、ハンドルネームは変えられないようなので、今後もGakushiで通します。

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