Tshozoです。その3として書くつもりだったのですが政情不安が予想以上にアレなのでこっちを先に書きます。例の静岡の事件の方が自身のリスク的に高いのは認識していますが、目の前のことの方に意識を取られるのは筆者の悪い癖です。
化学兵器の位置づけと歴史的な成り立ちの概要
おさらいということで、前回使った図から。化学兵器は基本的にどれも大量合成が出来、しかも殺傷能力が極めて高い、下図右側中段付近の一番警戒すべき材料群です(ボツリヌス毒素も兵器転用可能だが、分解性が高く比較的対策しやすい傾向があるため今回は除外)。兵器なので人に害を与えることが第一目標、という仏教徒には理解しがたい材料なのですがもともとドイツでバイエル、BASFが農芸化学に参入した後に農薬(有機リン化合物)を作っていた流れで合成技術が進化し、例のチョビ髭の関係で恐ろしい方向へ進み、イギリスをはじめ先進国各国も流用してしまった経緯を持ちます。包丁理論(包丁に罪はなく使う人間が悪い)以前に存在してはいけない類の材料なのですが、現実としては存在の是非を決めるのは権威国家の権力者であったり為政者であったりするので、一市民にはどうにもしにくい問題ということは認識しておくべきかと。

前回記事より再掲 今回主に述べるのはVXとかSarinに対応する解毒剤について
なお他の毒物も十二分に危険なので注意 特にリシン、アブリンは旧ソ連でも
保持が確認されていて使用された可能性があるという報告も山のようにある
なおこうした毒ガス系で有史上一番古いのは約紀元前400年(簡易歴史リンク)、スパルタ軍が対アテネ戦でピッチと硫黄を木炭と混ぜて燃やした結果出てくる亜硫酸ガスを使ったものだそうです。その次に無機系ガス、つまり塩素ガスが一番最初に実戦投入され、その後マスタードガス、(シアン化水素、)ホスゲンと進みました。どれも極めて有毒、後症状もひどいですが特にマスタードガスは発がん性もあり、近代でも中東の某国で市民に向けて使われたと思われるケースがある一番よろしくないもの。更にやめときゃいいのにチョビ髭の動きに連動してか神経ガスを発見、開発してしまったのが雑な歴史経緯(下図・記録上は神経ガスはWWⅡ実戦では使われなかったもよう)。途中でさすがにまずいと思った人がおり、一応1925年と1997年に国際間の取決めで「おめーら絶対使うなよ、俺も使わんから」というヤ◎ザ的協定が批准されたのですがあんまり効果が無かった点もこれまた注目すべきで、パワー系国家や大国にしてみたらこっそりやるか連携している三下国家に作らせてそっちのせいにしておけばいい話ですから有名無実になりやすいという点も留意すべきでしょう。

あんまり書きたくないが、時系列での毒ガスの開発経緯(Wikipediaをベースに原典にあたりつつ筆者が編集・作成)
どの化学者・科学者も自国の勝利や優位性確保のためにやっていたという救いようのない話
ちなみにホスゲン(COCl2)はフランスが1916年に反撃で使った可能性があるとのこと
(実はこの途中に農薬としてのカーバメイト系神経ガスの存在があるが今回は割愛)
ということで投入されたら誇張でなく瞬時に大量殺人が出来てしまうこうした化学物質とは、機序は、どうしてそこまで致死性が高いのか、という点を整理します。Wikiや有機化学美術館での記事をはじめ、化学的対処、つまり何をどういう形で対処すればいいのか、どう洗浄すればいいのかなど一部記事には記載がありましたが、日本では一部の例を除きオウム真理教が起こした”事件”が焦点のものが多く、化学兵器の動向や解毒剤の最新状況につき分子構造を交えたものが多くなかったので、この記事はそれを補完する形で記載します。なおこうしたChemicla Warfareは軍事技術のため日本では議論や対策を行う研究機関や公的機関が目立たないように思えます。これは昭和時代に共産圏の工作活動の結果学術系が左に傾いたから、とする意見をどこかで見ましたが、事の真偽は筆者には判断しかねます。
化学兵器、特に毒ガス類の作用の詳細
化学兵器は大きく5種類(神経剤(サリンとか)、びらん剤(マスタードガスとか)、窒息剤(ホスゲンとか)、血液剤(シアンとか)、非傷害剤(催涙弾など))にわかれるようなのですが、今回主に取り上げるのは神経剤とびらん剤、窒息剤。上図でまとめた紫色のグループが神経剤、黄色の方が皮膚に直接作用するもの(びらん剤、窒息剤)になります。今回は前者の紫グループに焦点を当てます。
まずはどういう形で作用するのか。無機系ガスの皮膚への作用を順に説明してみると、塩素は体内水分で加水分解して塩酸と次亜塩素酸になることで皮膚表層を激しく浸食し、またホスゲンは細胞内の様々な官能基と不可逆的に反応することで動きをかく乱して(特に細胞内の酸素の運搬が出来なくなる傾向が強い)死滅に至らせ、シアン化水素は実質青酸なので細胞を酸欠に追い込んで死滅に至らせる、という物騒な機序。中でもマスタードガスは一番陰険でろくでもない作用をするので、少しだけ詳細に採り上げておきます(文献1)。

マスタードガスの基本作用 (文献1)の図を筆者が編集して引用
それによるとポイントは2個あり、1点目は非常に親和性(脂溶性)が高く体内に深く浸透できる点、そして、もう1点が分子構造自体がクソという点。これは極めて求電子性の高い”スルホニウムカチオン”を持った構造と平衡になることができ。これが人体に入った後そこらじゅうの官能基にアタックしまくり恐ろしい水疱を発生させ、被害者は長期間痛みに苦しむためです。加えてDNA内のグアニンとかシトシンのアミン(-NH2)にアタックすることは当然容易に推定でき(上図)、発がん性があることも明らかになっている。こんなろくでもないものを作る根性があるなら別のことに、というのはまず無理な話ですが。
ついでにマスタードガスの解毒剤の話をしておくと現時点では「ない」。これはすぐ体内分子と共有結合を作るので、外すとか阻害するとかが極めて難しいため。ただ表皮等、限定的になら求電子反応阻害可能なアルカリ性剤”DS2“(風呂場のカビとり剤の構成物と似ている、2% NaOH, 70% ジエチレントリアミン, 28% エチレングリコールモノメチルエーテルの混合液)や次亜塩素酸ナトリウム2wt%水で洗う方法のほか、水疱化を緩和せしめるポピドンヨードとグリコフロールを混ぜた溶液・軟膏を塗布するという対処療法があることは認識しておくべきです。軽傷なら目や肺にきても対応できる方法があるのですが(点眼薬やネブライザなどで部分的に対応可能)、全身暴露等の重篤な場合は手の施しようが無くなるので結局ガスマスクと防毒服を身に付けるしかないという、、、この結果”化学兵器の王様”という誠にろくでもない名前を冠されていて、有史以来一番人間をサツガイした化学兵器と考えられています。その1で少し記述したOPCW(Organization for the Prohibition of Chemical Warfare/化学兵器禁止機関)が粘り強くマスタードガスを含むこれら毒ガスを廃棄させる活動を行ってはいますが、混乱が際立つ現世ではこそっと溜め込んでる連中が増えているのでしょう。
一方、神経剤。nerve gas(神経ガス・以下NG)と称されるこの機序を理解するには、まずヒトの神経がどのように動作するかに言及する必要があります。こうしたリクツを扱う薬理分野は図書館で見つけた南江堂殿の”New薬理学”が一番考えやすかったのと、(文献2)が非常に読みやすかったのでこちらの2点を主に参考にいたしました。
まず神経とは、脳内及び脳から出てくる信号を伝える経路(正確には中枢と末端に分かれる)のこと。要は体内信号通信網で、脳の中、体中の筋肉や臓器全部に動作指令やら制御やらをしている恐ろしいネットワーク。この神経動作に関わる化学物質のうち、歴史上一番早く見つかった(文献3)のが「アセチルコリン(以下ACh)」。現在では神経性のAChと非神経性のAChがあることがわかっています。今回は前者のはなし。

ACh分子構造 四級アンモニウムカチオンが体内に存在するって
実はものすごいことではないのか、という気がする
ただヒトの体内からどうやって抽出する(した)のか正直あまり想像したくない
加えて神経がどういう構成になっているのか。そもそもが神経は基本的には脳からON/OFFを自覚/無自覚に関わらず電位ベースで上手に伝え、様々な臓器を動かしています。ただの電気信号ならトランジスタでON/OFFでもすればいいのでしょうが、それを生体内で分子的にアナログでやらなきゃいかん。動いてほしい時はONになり、動いてほしくないときはOFFになるような化学的な仕掛けが必要。しかも何秒も待って動くのでは歩くのすらおぼつかなくなりますから、それがアナログ的に高速(ms単位)で進むまければならない。それを実現してくれるのが所謂「シナプス」でのAChのはたらきです(注:基本的には脳内と運動神経、自律神経、副交感神経の一部での動作)。こうした機能をみていると信号をアナログ的に増幅するバイオトランジスタのような感じがします。動作詳細も色々明らかになっていて他でもよく述べられていますが、絵で描くと下図。

アセチルコリンエステラーゼ(以下AChE)の正常なときの動作イメージ(文献2を筆者が解釈して引用)
なおAChEの存在位置・比率を正確に書いた文献が見つからなかったため、実際の配置は異なる可能性があります
(シナプス間・受容体側軸索表面のいずれかであることは判明しているようです)
またAChEは実際には巨大タンパク質で、図はあくまで模式的なものです
ただ、上図ではAChが各受容体にガチっとはまった時にON、離れて消えた時にOFF、としていますが実際にはAChもAChEもどっちも常時動いていて、(文献4)にはその点極めて重要なことが記載されていました。つまり「(信号ON時は)約100万個のAChがシナプス間隙に放出され、MR,NR受容体に結合するのは50万個。残りはAChEにより移動中に分解される」「AChと受容体の接合時間は数msと非常に短時間で、(信号OFF時に)受容体から離れたAChはACheにより~100msの速さで酢酸とコリンに分解される」(筆者が文献4を一部要約して引用)ということです。つまりAChEによるACh分解速度が常に勝っている反応場でバイオスイッチたるAChが押しかけ、その分解が間に合わない分のAChだけが信号として伝わる、スイッチの役目が終わったらAChがすぐ分解されるという、電子回路で言うノーマルクローズ回路みたいなんだと。しかも受容体にAChが接合しているのは極めて短時間(この間に受容体の構造が変わってNaなどのイオンが通って下流側が動けるようになる)で、なのにスイッチとして機能するという,,,正に奇跡と神秘!奇跡と神秘! 奇跡が神秘を産み、神秘が奇跡を産むとしか思えないですわー。これが自分の体内に存在して手足が動いたり呼吸や心臓の脈動が出来てくれていることが魔法みたいですわ。ちなみにAChの放出にはNaイオンやCaイオンがゴチャゴチャと動く必要があるのですが(雑)その「うごけー」指令は電位変動によるもので、この高速電位伝達機構の解明には田崎一二博士という物理学者田崎晴明氏の祖父が関わられていますのよ。その発見はなんと1938年!!!(論文リンク)。これも極めて興味深いので、また色々調べていこうと思いますの。
・・・ところがサリンをはじめ1940年付近に立て続けに開発されたNGはAChEを極めて強く阻害してしまう。以前「マブ・ナブ・チニブなどのはなし」で各種レセプターにうまく阻害するインヒビター類の話をしましたが、この考えを借りると「NGとはAChEを強烈に阻害しに行く危険なインヒビターである」と解釈可能かと。この結果体中の神経にうまく信号が流れなくなり、呼吸や心拍、眼球運動など交感神経、副交感神経により動いているものがまったく正常に動作しなくなる(シナプスのバイオスイッチが、信号が来ていないのに常時”ON”になってしまう)。そうした恐ろしさのごく一端が松本サリン事件、地下鉄サリン事件で、合計で死者20人以上、負傷者6300人以上という膨大な被害者を生むことになりました。このカルト集団はVXガスまで合成していて、これも人の肌に一滴落ちただけで短時間で死に至らしめるほどの吸収性と毒性、そして残留性を持つため、一緒に撒かれていたらと思うとゾッとします(個々人へのターゲットでは使われたもよう)。

NGがアセチルコリンエステラーゼを妨害した結果の動作イメージ
あまりよくない比喩だが、以前の“ピレスロイド”に関わるこの記事内で記載した、
虫が苦悶するのと同じことが人体に対して起きてしまう
ここまで書いてはみましたが気分のいいもんではないですね。実は筆者も、筆者の親族のひとりも当日偶然都心付近に居てしかも両人とも日比谷線を利用していたという,,,つまり決して他人事ではなかったからです。これ以降***会とか*ース*ンとか腹黒い徒党を組む連中に対する価値観は決定的になりました。活動の根本に近代科学的な判断が含まれない集団は小規模に留め常に監視しておかないと最終的にどういうことをしでかすか、という危険性を示す代表的な例だと思います。

AChと比較したAChEによる分解にかかる時間(文献5) 一番右の値はサリンのもの
この間シナプス間隙にAChが溢れかえるため受容体が開きっぱなしになる…
しかも後述する”Aging”という現象が起きるともはや外れなくなるもよう
これらの有機リン-フッ素系神経ガスに共通するのはAChEを強力に阻害すること、その反応はおそらくAChEに対する求核置換反応であり(注:AChEに共有結合しているとする証拠は筆者の調査範囲では見つかりませんでしたが)一旦くっついたらほぼ不可逆レベルで離れなくなること(上図)、それを阻害しようと思ったら体内に入る前に止めるか、最小限に食い止めて生命維持をサポートしつつ、後半で書く解毒剤をフル活用し徐々に解毒するしか方法がなくなるわけで、その1で書いた「患者に対するアクション優先順位」が如何に大事であるかということです。
なお某国は上記の条約をほぼ無視して”ノビチョク”(Novichok:ロシア語で「新参者」)という新シリーズを作っていた(いる)いて外に亡命している自国民に対しそれで暗殺未遂を行った証拠があるほか(リンク)、そっち側の北朝鮮もシンガポールの空港での金正日暗殺事件にVXと思しき材料(バイナリ型という、その場反応でVXを作り出すタイプだったと推定されます)を使用するなど、両国とも昔からろくでもないことを行っていたのは何度でも蒸し返されるべきでしょう。自国民に毒を使う国は他国民にも使用するようになる、というのはどなたが言ったか忘れましたが当たっている気がします。

国家機密なのでそうそう出てくるはずはないのだがノビチョクと思われる材料の分子構造一例(文献7)
窒素を主体にした構造の追加が特徴でこれによりバイナリ化(別途)が可能になり、
かつ電子供与性が強くなったことで解毒作用が効きにくくなった(後述)と推定される
ということで、NGが体内でどういうろくでもないことをしでかすか、ということは理解できた気がします。となるとこれを防ぐにはどうするのか、というのが次の主題。被害を受けた人のバイタルを安定させることが最重要として、次回はどのような材料がどのような機構で解毒薬として動くのかを書いていってみます。
それでは今回はこんなところで。
参考文献
1. “A critical evaluation of the implications for risk based land management of the environmental chemistry of Sulphur Mustard”, Environment International, Volume 34, Issue 8, November 2008, 1192-1203, リンク
2. “アセチルコリン受容体に対する自己抗体と脳炎・脳症”, 日本内科学会雑誌 106 巻 8 号 1571, リンク
3. “アセチルコリンのルーツと非神経性アセチルコリン”, 基礎老化研究 34(4);12- 24,2010, リンク
4. “筋収縮の基本原理から筋弛緩を考える”, 日臨麻会誌 Vol.36 No.7 658, Nov. 2016 , リンク
5. “Case 1: Anticholinesterase”, February 3, 2005, Harvard-MIT Division of Health Sciences and Technology, HST.151: Principles of Pharmocology, リンク
6. “Biological Toxins and their Relative Toxicity”, OPCW(Organisation for the Prohibition of Chemical Weapons)































