第 678回のスポットライトリサーチは、東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻・山東研究室 の 秋田 真悠子 (あきた・まゆこ) さん (博士課程卒) ならびに 齋藤 雄太朗 (さいとう・ゆうたろう) 先生 (助教) のお二方にお願いしました!
齋藤先生は 2 回目のスポットライトリサーチご登場となります。
山東研究室では、「化学」の力で優れた機能をもつ生体分子をデザインし、これまで捉えられてこなかった生命現象を分子レベルで理解・制御することを目指して、疾患の診断 (可視化) から治療 (制御) まで一貫して分子レベルでアプローチすることを理念に「疾患ケミカルバイオロジー」と「生体中分子のデザイン」という2つの主要な研究テーマへ果敢に取り組んでいまれています。
研究内容の一つに、脂肪酸・脂質のケミカルバイオロジーがあります。脂質は、タンパク質・核酸・糖と並ぶ生命の基本分子であり、多様な生体機能を担います。近年の分析技術の進歩により、生体内には膨大な種類の脂質分子が存在していることが明らかになっています。脂質多様性と生命機能、疾病との関連を理解するには、実際に脂質分子を用いてその機能を詳細に調べる必要がありますが、脂質の化学合成は膨大な手間や時間がかかるため入手は非常に困難であり、従来の脂質研究は極めて限定的でした。
今回、齋藤先生と秋田さんの研究チームでは、合成の難しい多価不飽和脂肪酸の効率的な固相合成法を新規に開発し、生体分子の固相合成に新たな道筋を拓きました。さらに、その手法を応用して新規抗炎症性脂肪酸を合成し、その強力な活性を証明しました。本研究内容は高く評価され、Nature Chemistry 紙に掲載されるとともに、東京大学よりプレスリリースも行われました。
Expedited access to polyunsaturated fatty acids and biofunctional analogues by full solid-phase synthesis
Yutaro Saito, Mayuko Akita, Azusa Saika, Yusuke Sano, Masashi Hotta, Jumpei Morimoto, Akiharu Uwamizu, Junken Aoki, Takahiro Nagatake, Jun Kunisawa, Shinsuke Sando
Nature Chemistry 2025, 17, 1391–1400, DOI: 10.1038/s41557-025-01853-5
研究を現場で指揮された教授の 山東 信介 先生より、齋藤先生と秋田さんとについてのコメントを頂戴しております!
秋田さんと齋藤助教が二人三脚で取り組み、6年間の集大成として結実した研究です。
齋藤助教はとにかく前向き。研究が思うように進まないときでも一つひとつ課題を乗り越え、着実に成果につなげてきました。そのポジティブな姿勢は研究室全体に良い影響を与え、学生たちと一緒に「前へ、前へ」と研究を進める原動力となっています。もともと伊丹研究室で有機金属化学を学んできた経験を活かし、その知識を私たちの研究室が得意とする生体分子の固相合成へと見事につなげました。異分野融合が研究の大きな飛躍につながっています。特に、多価不飽和脂肪酸の固相合成という、手探りの中から挑んだテーマでは、まるで宝物を探し当てるように新しい方法論を切り拓いてくれました。こうした挑戦と成果は、単なる技術的な進展にとどまらず、脂質・脂肪酸ケミカルバイオロジーを切り開く可能性を大いに秘めています。今後この分野を引っ張っていく研究者になると確信しています。
秋田さんは、4年生として研究室に配属されて以来、新しいテーマに果敢に飛び込みました。その挑戦する姿勢は実に素晴らしく、私自身とても頼もしく感じてきました。さらに驚かされるのは、彼女の実験量です。正直、これほどまでに実験に打ち込む学生はなかなかいません。もちろん頭脳明晰ですが、それ以上に、日々コツコツと真摯に研究に向き合い続けたことが、今回の成果に直結しています。その積み重ねが結実し成果につながったことを、指導教員として心から嬉しく思っています。秋田さんのようにサイエンスに真っ直ぐ向き合う学生が育ってくれることは、研究室にとって大きな喜びです。
それでは、インタビューをお楽しみください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
多価不飽和脂肪酸(Polyunsaturated fatty acid, PUFA)の完全固相合成法を開発しました。また、本合成法を用いて構築した PUFA ライブラリーから高い抗炎症効果をもつ新規脂肪酸 antiefin を発見しました。
PUFAは、複数の不飽和結合をもつ長鎖脂肪酸です。代表的な分子にドコサヘキサエン酸 (DHA) やアラキドン酸 (ARA) があり、生命を支える重要な脂質群です。近年、生体内に多種多様な PUFA が存在することが明らかになり、生命機能や疾患との関連が注目されています。しかし、PUFA の化学合成には多大な手間や時間が必要であったため、PUFA の効率合成法の開発が望まれていました(図1)。
図1 |
PUFA が属する脂質は、核酸・タンパク質 (ペプチド)・糖類 (糖鎖) と並ぶ、主要な生体分子群です。生体分子の化学合成は古くから盛んに研究されてきましたが、最大のブレイクスルーと言えるのが「固相合成法」の開発です。生体高分子である核酸・ペプチド・糖鎖は、固相合成法により簡便かつ迅速に望みの分子を入手することができます。しかし、脂質には確立された固相合成法が存在していませんでした (図2)。
図2 |
今回の研究では、脂質の一つである PUFA の完全固相合成法を開発しました。さらに、開発した合成法を用いて PUFA ライブラリーを構築し、天然の抗炎症性脂肪酸代謝物よりも高い生体安定性と優れた抗炎症効果をもつ新しい脂肪酸分子 antiefin を発見しました (図3)。
図3 |
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
(秋田)
学部 4 年生の時、卒業研究として、17,18-EpETE の類縁体を液相合成法で合成しました。
4 年生の当時、日々実験を繰り返していましたが目的物になかなか辿り着くことができず、合成ルートを途中で変えてなんとか合成に成功しました。この時合成した化合物は、高い GPR40 活性と in vivo での抗炎症効果があることがわかり、その後論文で登場する antiefin の発見に繋がりました。
合成に苦戦する私の様子から、より簡単な多価不飽和脂肪酸の合成法を開発できないかと始まったのが、多価不飽和脂肪酸の固相合成法の開発であり、この論文の核になる研究でした。
6年間を経て、これまで携わってきた研究が論文として publish されたこと自体が大変感慨深い点です。
(齋藤)
「脂肪酸を固相合成する」という発想は一見、無謀であり、時代遅れでもあるように感じる方もいらっしゃると思います。「無謀である」理由は、上記の通り固相合成法が高分子(もしくはオリゴマー)の合成を得意としており、脂肪酸は高分子ではないためです。「時代遅れ」の理由は、固相合成・コンビナトリアル化学が一世を風靡したのは 1990〜2000 年代頃で、現在では研究・開発の対象としては下火になっているためです。高い合成技術をもつ化学者であれば「わざわざ固相合成しなくても液相合成すればいいんじゃないの?」と思われるのではないでしょうか。しかし、この合成法が完成し、液相合成よりも格段に効率的に多種類の PUFA 合成が可能になると「なぜ今までこんなに便利な合成法が開発されていなかったのですか?」という声をいただくようになりました。コロンブスの卵のような話ですが、一見「無謀」「時代遅れ」と思うようなタネから「面白さ」「有用性」「新規性」を見出し、大事に育てた結果、華開いた研究としてとても思い入れがあります。工夫というほどではありませんが、遷移金属触媒を学生時代に扱っていた私が、ペプチド・核酸合成の盛んな山東研究室でそのノウハウを取り入れられたところが重要なポイントだったと思います。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
(秋田)
IPrCuOtBu を用いた還元反応により、純度よく cis-オレフィンを構築できているか証明するところです。一般的な逆相 HPLC では E-オレフィンを含むトランス脂肪酸の分離は難しく、オレフィン領域の1H NMRは複数のプロトンに由来するピークがあり解析できないため、文献ベースで、使用している反応がZ 選択的であるため問題ない、と主張するに留まっていました。
そんな中で、レビュワーから山東研にはないガスクロマトグラフィー (GC) を使っての分離・解析を指示されました。同専攻の野崎研究室の GC を 1 台しばらく使わせていただき、合成した脂肪酸が高純度で Z 体であることを確かめました。
指摘がなければ GC を使っての解析には至らなかったかもしれませんが、結果的には、この解析は多価不飽和脂肪酸の固相合成法を確立したと主張する上で、なくてはならないデータだったと思います。
(齋藤)
固相合成と液相合成の違いに苦労しました。私は液相合成を長く行ってきたので、固相合成では反応溶媒の種類が制限されたり、ビーズと連結しているリンカーが切断されない条件に限定されたりと、固相合成特有の制限に苦しみました。また、ビーズ上に化合物がどれだけ結合しているか (ロード率) が反応の頑健性や再現性に重要である点も大きかったです。この現象はペプチド合成でも度々問題になるため、学会で発表する度に「ロード率の影響はないの?」と質問をいただいており、それが頭にあって検討した結果分かりました。質問していただいた方々に感謝するとともに、色んな人の意見を参考にする重要性を実感しました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
(秋田)
博士課程卒業後、製薬会社でメディシナルケミストとして働きはじめました。周囲は学生時代に全合成研究に携わっていた方がほとんどで、私のようなバックグラウンドは少し特殊かもしれません。今はとにかく、設計して合成して結果を見て設計して…、というペースについていけるよう、一人前になるのに必死ですが、そんなバックグラウンドを活かせる時が来ないか、アンテナを張り続けていたいと思います。
(齋藤)
前回取材していただいた時と変わらず「人に感謝される、かけがえのない“ものづくりの匠”」を目指しています。これに加えて、今回のように、一見面白くないと思えるようなところから「!!」を生み出す研究 (もっと偉そうに表現すれば「常識を覆す」研究) を展開したいです。本研究になぞらえれば、生体分子といえば多くの方がタンパク質(ペプチド)や核酸を最初にイメージされると思います。一方、脂質といえば、なんとなくバイプレーヤーな印象、世間的には「健康に悪い」というレッテルが貼られています。しかし、脂質は生命に欠かせない分子群であり、何より有機化学の中心元素である炭素が豊富な、最も有機化学に愛されている生体分子であると言えます。そんな印象が良くない存在を一躍ヒーローにしてしまうような研究ができたら嬉しいです。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします!
(秋田)
ある先生が、「テーマの選択で悩んだら難しそうな方を選んだ方が良い」とおっしゃっていたのが頭にあり、山東研で初めての多価不飽和脂肪酸のテーマに取り組みました。実際にテーマの先輩もおらずデータもなく、なかなか論文も出せず、といった中で、いろいろな面で苦戦を強いられました。そんな中で、山東先生、齋藤さん、共同研究先・共著者の方々、山東研のみなさんの力があり、publish に至ったものと考えています。
さまざまな状況で日々格闘している皆さんの努力が大きく花開くことを願ってやみません。
(齋藤)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本合成法を応用して糖尿病や炎症疾患の抑制に重要なGPCRに対する活性化能を調査した論文もつい先日公開されました。本記事をお読みいただいて、ご興味を持っていただいた方は、ぜひこちらもご覧いただけると幸いです。
山東研では今回開発した合成法を用いて、世界でここにしかない超ユニークな脂肪酸ライブラリーを構築し、現在も拡張を続けています。今後、この合成法・ライブラリーが大発見につながることを期待しています。
もし、自分の持っているアッセイ系に山東研の脂肪酸ライブラリーを使ってみたい、この合成法や我々の研究に興味がある、という方がいらっしゃいましたら齋藤までご連絡ください。
「脂質の固相合成」を鍵とするケミカルバイオロジー研究は今まさに始まったばかりです。山東研では、もっともっと面白い研究への展開が進行中で、学生さんとともに日々奮闘中です。今後の論文も楽しみにしておいていただけると幸いです。
最後に謝辞を述べさせていただきます。本研究達成に関して、本当に多くの方に深く深く感謝を述べなければなりません。
本研究は東京大学・山東信介教授の研究室で行われました。折に触れて適切なアドバイスやサポートをくださいながらも、テーマ立案からかなり自由度高く本研究を実施させてくださった山東先生に深く感謝申し上げます。研究のみならず、研究者や教員としてのあり方についてご指導いただき、また育児等で研究や指導に時間が割けない時など書ききれないほど多くの場面で多大なサポートをいただきました。
また、本研究は多くの共同研究者に支えられて達成することができました。まず、antiefin 開発と論文化を達成してくれた秋田真悠子さん、脂肪酸固相合成を一緒にスタートさせてくれた佐野友亮さんに感謝申し上げます。研究遂行中には多くの試練があり、秋田さん・佐野さんの多大な努力によって論文化まで辿り着きました。また、固相合成のいろはを伝授してくださった森本淳平先生、細胞アッセイ系をご教授いただいた東大・青木淳賢教授、上水明治博士、動物実験を担当していただいた医薬基盤・健康・栄養研究所の國澤純教授、雑賀あずさ博士、堀田将志博士、明治大・長竹貴広准教授に深く感謝申し上げます。
さらに本研究は、山東研で培われてきた知見や技術・ノウハウなくしては実現しませんでした。直接本テーマに関わっていない山東研のOB・OGの先輩方にも感謝をお伝えしたいです。また、研究室外の多くの先生・研究者に応援・サポートいただき大変ありがたく思います。「論文出てよかったね!」「あの研究面白いね!」というお言葉に励まされて、研究は一人ではできない、ということを日々感じています。
最後になりましたが、貴重な機会を与えてくださったケムステの皆様にお礼申し上げます。
研究者の略歴

名前:秋田真悠子
略歴:
2020年3月 東京大学工学部化学生命工学科卒
2020年4月-2022年3月 東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻 修士課程
2022年4月-2025年3月 同 博士課程

名前:齋藤雄太朗
所属:東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻・山東研究室(助教)
研究テーマ:脂質科学に革新をもたらす有機化学・ケミカルバイオロジー
略歴:
2009年–2013年 名古屋大学 理学部化学科
2013年–2015年 名古屋大学大学院 理学研究科物質理学専攻(化学系)博士前期課程(伊丹健一郎 教授)
2015年–2018年 名古屋大学大学院 理学研究科物質理学専攻(化学系)博士後期課程(伊丹健一郎 教授)
2015年–2018年 日本学術振興会 特別研究員(DC1)
2018年–2019年 東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻 特任研究員(山東信介 教授)
2019年–2019年 理化学研究所 環境資源科学研究センター 分子生命制御研究チーム 基礎科学特別研究員(萩原伸也 チームリーダー)
2019年–現在 東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻 助教(現職)
秋田さん、齋藤先生、山東先生、インタビューにご協力いただき、誠にありがとうございました!
それでは、次回のスポットライトリサーチもお楽しみに!
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