2025年のノーベル化学賞が「金属–有機構造体 (MOF) の発展」を理由に Prof. Richard Robson, Prof. Omar Yaghi, そして北川進先生へ授与されました。1人のMOF の研究者として、私もとっても嬉しいです。しかし、ノーベル賞の受賞は「分野が熟成した証」であると考えることもできます。実際に MOF を利用した研究で求められる技術成熟度は高まってきています。 この記事ではこれから MOF 研究をするにあたって大学レベルの研究者に必要な視点について考えてみます。なお本記事に書かれている内容は大学で研究をしている、とある博士課程の学生の個人の考察なので、あくまでも化学者のつぶやきとしてご笑覧ください
MOF 研究は今後も発展が必要
先日の考察記事でお話したように、今回のノーベル化学賞は新しい化合物群の発展という基礎研究の真髄を評価しています (参考記事: 2025年ノーベル化学賞になぜ MOF が選ばれたのか)。したがって MOF を使った発展的な研究に関してはまだノーベル賞級のテーマが眠っているかもしれないし、今後も発展が必要であることを述べました。一方で、記事冒頭でもお話したようにノーベル賞の受賞は分野が成熟したお墨付きでもあります。
では、どういった研究は分野は成熟していて、今後はどんな研究の視点が必要になってくるのでしょうか。
新しい構造の合成だけではもうインパクトは出ない
まず、どういった研究は成熟しているのかについて。まず新しい構造体を合成して構造評価するだけで論文になる時代はもう2010年頃にとっくに終わっています。すこし言い方をマイルドにすると、「金属と有機配位子の組み合わせ方によって、様々なサイズや形の細孔を持った MOF ができる」という事実は広く受け入れられています。そのように結晶構造を意のままに操ることはクリスタルエンジニアリング (crystal engineering) と呼ばれることもあります。

金属や配位子の選択によってさまざまな MOF が合成できる. (左上) MOF の代名詞ともいえる MOF-5. (右上) ハニカム構造をもつ MOF-74. (左下) ケージ構造を持つ HKUST-1. (右下) 節となるクラスターが最密充填構造と同様の配列を示す UiO-66.
ノーベル化学賞の受賞はまさにクリスタルエンジニアリングに焦点が当てられました。したがって、例えば「合理的な孔の設計によって特定のガスを選択的に吸着⸱分離できるMOF を発見した」というだけでは、論文のインパクトとして弱いと思われてしまいます。「それはもうノーベル賞化学賞として発表されていますよ」と言われかねません。
マテリアルズインフォマティクスをMOF探索にどう使う?
機械学習や AIなどを利用して、「特定のガスの吸着に最適な構造を探査する」といった研究 (いわゆるマテリアルズインフォマティクス) も行われてはいます。このようなマテリアルズインフォマティクスに関しても「最適な孔の構造を見つける」という一点張りではMOF研究としての新規性を訴えるのは厳しいでしょう。
もちろんマテリアルズインフォマティクスとしての何らかの技術的な新規性 (アルゴリズムとか?) があるのならば、情報科学方面での研究の新規性を売り出すことはできるでしょう。しかし新しい材料の発見というマテリアルズインフォマティクスの本来の目的に立ち返るならば、次に述べる多次元での評価なども気にしていかなければなりません。
マテリアルズインフォマティクスを使うにしても研究者の知識に従って合成するにしても、 MOF の合成を標的とするならば、「新しい構造を作る」の一歩先あるいは数歩先へ踏み込む必要があるといえるでしょう。
実用的な材料は多次元で評価される
上で、ガス吸着や分離に関して例を挙げたので、一旦ガス貯蔵あるいは分離に応用を絞って、具体的に研究者が今後気を付けるべきことを考えてみましょう。まず注意すべきは、「吸着量が大きい」ことや「分離の性能がいい」ことという一次元の指標に縛られてはいけないということです。実際に産業化を目指していく材料を発展したいのならば、①材料のコスト、②大量合成の容易性、③安定性など多次元で考えなけれなりません。
実用可能性は究極的にはコストが絡む
多少吸着量が低かったとしても、それを補って余りあるほど材料が安いならば、実用化にあたってのハードルは下がることでしょう。
大量合成の容易性という点では、材料のコストそのものだけでなく、合成にかかる時間や使用する溶媒の種類や濃度などが関連します。もちろん、合成の所要時間は短いほどよいですし、溶媒も無毒なもので少量であればあるほどよいです。
安定性に関しては、何度も繰り返して使用できるならば、材料の実質的なコストを下げられるため重要です。したがって空気 (具体的には水や酸素) に安定であることはもちろん、目的とするガス分離における微量の腐食性のガスに対する安定性も大学レベルの研究でテストする必要があるでしょう。
実際に材料の安定性や大量合成の可能性を売りにすることで、2021年という MOF の基礎の確立から 20 年程度が経ってからでも、新しい構造体とそのガス吸着性能の報告が Science のような一流誌に掲載された例があります (CALF-20)1。実際に上記の多次元評価の考え方は CALF-20 を報告したカナダの University of Calgary の Prof. George Shimizuの研究セミナーから教わったものです。

Prof. George Shimizu らにより開発された CALF-20.
標的とする化学プロセスの性質を理解しなければならない
上記の議論から導かれる格言は「なんとなく二酸化炭素吸着によさそうな MOFを作るだけではダメ」なんです。
今後の研究では、例えば火力発電所からの排ガスを標的にすると絞り、標的とする操作条件(温度や圧力)、そして存在するガスの組成に注意して、それに関連した実験を行っていく必要があるでしょう。
もちろん、最初からすべてを狙って化合物を合成することは難しいでしょう。実際の研究の流れとしては、作った後にその吸着性能から標的を絞って後付け的に実験を重ねていくのが適切なのかもしれません。そうするためには、MOF研究者は広い化学工業に関する知識を身に着ける必要があるでしょう。ここではわかりやすいので二酸化炭素の回収を例に説明しましたが、同様の考え方は様々な応用を考える際に重要になります。

例えば二酸化炭素回収を標的にしたときに考えられる排ガスの種類. 参考: 二酸化炭素の排出はどのように削減できるか【その1: CO2 の排出源について】
材料開発における「制約と誓約」という考え方
上記のコストや安定性の重要さを痛感したとき、私は漫画 HUNTER×HUNTER の「制約と誓約」という言葉が浮かびました。HUNTER×HUNTERで「制約と誓約」とは本来、「自らの能力に一定のルールを課し (制約)、それを守ると誓う (誓約) することで、その能力が飛躍的に向上する」という文脈で使用されます。そして、そのときに課した制約が厳しければ厳しいほど、能力の向上の幅は広がります。
これを上記の MOF 研究の評価軸に当てはめると、次のことが言えます。
最終的なコストや安定性を予期したうえで材料の原料と合成法の選定にルールを課し (制約)、それを守ると誓う (誓約) ことで、得られる材料の産業化可能性は大きく向上する
実際には基礎研究段階では必ずしも合成法にまでルールを課す必要はないかもしれません。というのも、合成方法としては最初は最もポピュラーな溶媒熱合成法 (金属塩と配位子、添加物を溶媒に溶かして熱する) から始めるのが普通だからです。材料の性能がある程度約束されてから、無溶媒のメカノケミカル法や溶媒に水を利用するなどの合成法の調整を行えば大量合成の可能性には訴えることができます。それでも、金属の種類や配位子の選定に関して「制約と誓約」の考えは材料設計時点の段階である程度当てはまるのではないかと思います。
「制約と誓約」は「無用の用」と相反する考え
上述の「制約と誓約」の考え方は「一流雑誌への掲載を狙うならば」という限定した哲学になるかもしれません。北川先生が「無用の用」の大切さを説いたことからも、とりあえず化合物を作ってみて、丁寧に解析して専門誌に報告することも大事です。そういった無数の報告の中から、別の視点を持った人が特定の使い道を思いついて研究が進むという可能性もあります。したがってすべての MOF 研究者が「制約と誓約」の考えを重んじるべきだとは思いません。しかし、こういう考えを共有することは、今後さらに拡大が予想される MOF 研究者コミュニティを牽引する研究者となるには必須の視点でしょう。
また誓約を破ったとしても、革新的な研究へつなげられる可能性はあります。すなわち MOF を利用して新しい基礎的概念や新しい物理現象を示すことができれば、基礎研究としての価値は上がります。結局のところ、その化合物を使ってどの程度の技術成熟度 (technical readiness level: TRL) まで到達できるかを見極めて、研究を進めることが重要なのでしょう。
MOF の産業化はどのように進んでいくだろうか
MOF が実用化し普及されていくには今後どういったステップが必要かを考えてみます。すでに何度か繰り返しているように、最終的に実用化できるかどうかには材料のコストが問題点になる場合が考えられます。本当に必要な材料は大量生産の基盤を整えて効率化することである程度は安くできるとは思います。しかしMOFの実用化の初期にいきなり大量生産の基盤を整えるのはリスクが大きいでしょう。
産業化初期はそもそも高価な製品で基盤確立を優先する戦略
そこで考えられる一つの妥当なシナリオは、MOFの産業化初期は「金になる応用を狙え」ということです。具体的には次の2点です。
- 最終的な製品の市場の価値が高い
- 一つの製品として成り立つため必要な MOF の量が少ない
もしも最終的な製品の値段が高ければ、MOF のコストがあまり気にならなくなってくるので、MOF の大量合成の基盤が整っていないときにも資金を投資しやすい、ということです。またトンスケールの MOF の合成には課題が残るというのであれば、数百グラム単位で製品として意味を成すような応用例を考えることも重要でしょう。
「お金になる応用を狙う」というのはビジネスマン目線では当たり前かもしれませんが、大学レベルの研究者には盲点となっているかもしれません。実際私もそうでした。「金儲けは卑しい」という考えを持っている研究者もいるかもしれません。しかし材料になりえる化合物群を扱う限りは、産業化は1つのゴールです。そして公的な研究費をもらっている限り、我々の研究は何らかの形で国民へ還元されるべきでしょう。そこで「MOF の産業化を軌道に乗せるにはどうすればよいか」という問いに対して「まずはお金になる応用から狙おう」という姿勢はむしろ歓迎されるべきであるようにも思います。
高価な製品で勝負する例: 高級スポーツ車ブランドとの提携
「最終的な製品の価値が高ければいい」という点を示した例はPrinceton University (2025 年まで MITに所属) の Prof. Mircea Dinca のグループです。彼らは高級スポーツ車ブランドの Lamborghini (ランボルギーニ) と提携し、MOF を利用して電気二重層コンデンサ (スーパーコンデンサ; 電荷の充放電ができる部品) の技術開発に取り組んでいます。
高い表面積のおかげで、エネルギー密度が従来技術と比べて 100% 程度向上すると見込まれています。スポーツ車は高いからこそ価値が出て、富の象徴としてファンを虜にするわけですから、これならば MOF の値段が少々高価であっても最終的な製品自体の値段の高さで採算が取れることになるでしょう。またそこに必要な MOF の量もせいぜい車に乗る程度でしょう。
経済性と環境配慮のバランスがよい例: フロンの回収
もう一点、日本企業が実用化に向けて動いている応用を紹介しましょう。それは、DAIKINと Atomis の協業による冷媒フロンの回収です。フロンは、気化熱と凝縮熱を利用して室内と室外で熱交換をすることができることからエアコンなどに利用されるガスです。具体的にはハイドロフルオロカーボン (HFC) と呼ばれる、比較的炭素数が少ないフッ素置換炭化水素の混合物です (ジフルオロメタンCH2F2 (R-32);2,3,3,3-テトラフルオロプロペンCH2=CFCF3 (HFO-1234z) など) のことを指します。それらに温室効果が指摘されることから、使用済み冷媒は焼却処理していたそうです。また蒸留して分離するのも難しく、回収に技術的困難がありました。そこに MOF を使って冷媒を分離し再利用する技術開発に乗り出したそうです。冷媒であれば二酸化炭素よりは再利用の価値が高いため、新技術の実装による経済的な面の足かせが少なく環境面にも優しい理想的な応用と言えるでしょう。
まずはMOF合成基盤の確立が重要
上で示した Dinca グループのランボルギーニとの提携は極端な例かもしれませんが、「最終的な製品の値段」と「製品として成立するために必要な MOF の量」の二点は産業化を早い段階で狙うスタートアップ企業などにとって特に重要な視点となるでしょう。
天然ガスの貯蔵や二酸化炭素の回収は環境問題として大事かもしれないけれど、利益を求める企業にとっては二酸化炭素を回収しても正直あまり儲かりません。そして、目的を達成するのに必要な MOF の量も相当量 (少なくともトンスケール?) が必要になります。 あまり儲からない応用に MOF 大量合成のプラント作成などの初期投資をすることは難しいでしょう。
そこでMOF で採算が取れそうなビジネスで合成の基盤を作り、いくつかの成功例を得ることが MOF の幅広い産業化に必須であると言えます。というのもMOFの合成や医薬品合成や典型的な固体合成(製鉄やガラスなど) とは異なるプロセスが存在するからです。ある程度合成技術の基盤が整えば、MOF の合成コストは下がると予想されます。その基盤を利用して応用例を拡大していけば、二酸化炭素回収やその他の諸問題などに比較的低い設備投資で取り組んでいくことができるかもしれません。
ドラッグデリバリーや希少金属の回収などにチャンスがあるかも?
具体的にどういった応用がお金になりそうか、と聞かれると大学研究者の私にとっては少し想像するのが難しいです。
例えば排水や廃棄物からの希少金属の回収はノーベル賞のプレスリリースでも簡単に触れられていました2。しかし個人的には電子機器などから貴金属を回収する際には、一旦強酸で溶かすことを考えると、一般的には酸に弱いとされる MOF は耐えうるのか、という疑問はあります。
ドラッグデリバリーなどの医薬品関連も採算が取れる可能性が高いと言えます。単純なアイデアとしては薬をMOF に閉じ込めて、体内でゆっくり分解されることで薬を放出させることで吸収効率を上げる、ということが考えられます3。一方、ワクチンを MOF でコートすることでワクチンの耐久性を向上させるという研究もあるようです4。COVID-19 のワクチンは耐久性が低く冷蔵保存が必要であったことなどを考えると、MOF を使うことに対する勝算があるかもしれません。もちろん体に取り込んでも大丈夫な金属や配位子を利用しなければならないという特有の制限はありますが、それ以外に関しては製品に必要な量や製品の価値など、本記事で考察した条件を満たしているように思います。
まとめ
今回は応用と産業化に執着して、MOFが広く利用されていくためにはどういったステップを踏んでいくと予想されるかをお話しました。正直な話、ノーベル化学賞を取ったからと言って、必ずしも MOFを産業的に使わなければならないわけではありません。しかし MOF に従事する研究者としては、実用化できそうなところから技術基盤を確立していってほしいものです。そうして「MOFでしかできないこと」に関して実用化が進むにつれて、「MOFを使えば効率がよくなること」へと応用の標的が広がります。MOF の可能性は広く、様々な社会的な諸課題に取り組みやすくなるでしょう。
また、今回は産業化に執着してしまいましたが、MOF を利用した卓越した基礎研究も存在します。記事の中で「制約と誓約の制約を破る場合にも、新しい基礎的概念や新しい物理現象を示すことで基礎研究としての価値が高められる」と述べました。実は大学の研究者としてはこっちの方が紹介したいんです。というわけで、そういったMOFを利用した卓越した基礎研究について、また日を追ってお話しできればと思います。
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関連リンク
- Lamborghini and MIT pave the way for the electric supercar of the future (MIT ニュース)
- 分離困難な使用済み冷媒の再生にいかにして成功したか~金属有機構造体の採用~ (DAIKIN 社ホームページ内のニュース)
-
ノーベル化学賞の北川さんの言葉「無用の用」かつて研究をともにした九大教授が祝福 (Yahoo! Japan News)
参考文献
- Lin, J.-B.; Nguyen, T. T. T.; Vaidhyanathan, R.; Burner, J.; Taylor, J. M.; Durekova, H.; Akhtar, F.; Mah, R. K.; Ghaffari-Nik, O.; Marx, S.; Fylstra, N.; Iremonger, S. S.; Dawson, K. W.; Sarkar, P.; Hovington, P.; Rajendran, A.; Woo, T. K.; Shimizu, G. K. H. A Scalable Metal-Organic Framework as a Durable Physisorbent for Carbon Dioxide Capture. Science 2021, 374 (6574), 1464–1469. DOI: 10.1126/science.abi7281.
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