創薬の臨床試験段階において、予期せぬ有害事象 (または副作用) の発生は、数十億円以上をかけた候補品の開発中止を余儀なくされる重大な懸案事項です。有害事象の代表として、薬剤性肝障害 (DILI) と心毒性は特に懸念される事案です。
本項では、心毒性を惹起する代表的なメカニズムの hREG 阻害について、簡単ながら紹介いたします。hERG は、創薬の世界では“鬼門”とも呼ばれる存在です。新薬候補がどれほど優れた薬理活性を示しても、「hERG阻害」が確認されると臨床入りできない──。そんな事例は枚挙にいとまがありません。
hERG とは?
hERG(human Ether-à-go-go-Related Gene)は、心臓を中心に発現するカリウムイオン選択性電位依存性イオンチャネルです。一般的にはハーグと読みます。1960年代、William D. Kaplan により、ショウジョウバエにおいて見出された ether-à-go-go 遺伝子のヒトホモログとして発見されました。この遺伝子に変異が生じたショウジョウバエをエーテルで麻酔すると、ダンスのような様相で脚を震えさせる行動が観察されました。そこで、カリフォルニア州ウェスト・ハリウッドのナイトクラブ「ウィスキー・ア・ゴーゴー」において当時人気であったダンスにちなんで ether-à-go-go 遺伝子と命名されました。
このチャネルは心臓の活動電位再分極を担い、心拍の正常な維持において非常に重要な役割を負っています。その構造は主にホモ四量体から成り、各サブユニットは6つの膜貫通ドメイン (S1〜S6) と、膜外・膜内ループから構成されています (図1)。
図1 hERG サブユニットの模式図
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hERGチャネルの働き
hERGチャネルは、心臓の興奮後の再分極を制御する遅延整流カリウム電流 (IKr) を担っています。この過程は、QT 間隔として心電図上に現れます。hERGが適切に機能しない場合、心筋の再分極が遅れる (または過度に早くなる) ことで、致死的な不整脈 (例:Torsades de Pointes: トルサードポワント) が生じます。
hERGチャネル阻害剤
hERGチャネルの阻害は、薬剤のオフターゲット作用 (本来の標的以外にも薬理活性を発現する作用) による深刻な心毒性を引き起こす可能性があります。この阻害はQT間隔の延長や心室頻拍、不整脈を引き起こし、最悪の場合は突然死に至ることもあります。過去には、このような hERG 阻害の副作用のために承認後市場から撤退した薬剤も多く存在します (例:シサプリド、テルフェナジン、アステミゾール)。
(関連記事: 花粉症の薬いまむかし -フェキソフェナジンとテルフェナジン-)
心毒性により市場から撤退した医薬品の例 |
現在使用されている既承認薬も hERG チャネルを阻害する可能性があります。例として、抗精神病薬のクロザピン、抗菌薬のシプロフロキサシン、抗不整脈薬のアミオダロンなどが挙げられます。アミオダロンは hERG をはじめとするマルチチャネル阻害剤として、逆に不整脈治療にも利用される薬剤です (Vaughan-Williams 分類 クラスIII 抗不整脈薬)。
心毒性の副作用が報告されている既承認薬 |
2017年 Cell 掲載論文が明かした「hERGチャネル構造」の真実
~なぜ多くの薬がこのチャネルをブロックしてしまうのか?~
その構造的な理由を世界で初めて明確に示したのが、Weiwei Wang、Rockefeller 大学) による 2017 年の Cell 誌論文(Cell, 2017, 169, 422–430, DOI: 10.1016/j.cell.2017.03.048、オープンアクセス) です。彼らはクライオ電子顕微鏡 (cryo-EM) 解析により、3.8 Å の分解能で hERG チャネルの全体像を可視化することに成功しました。
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hERG の模式図
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主な構造的特徴
1. 四量体構造が形づくる「中央キャビティ」
hERGチャネルは、4 つの同一サブユニットが集まって形成されるホモ四量体構造を取っています。それぞれのサブユニットは 6 本の膜貫通ヘリックス (S1–S6) をもち、うち S5–S6 がポア(pore)領域を、S1–S4が電位センサー領域(VSD)を構成します。
この解析で明らかになったのは、中央のポアキャビティ(ion-conducting cavity)が非常に特徴的であるという点です。hERG のキャビティは他の電位依存性カリウム (Kv) チャネルのそれよりも狭く、しかもその周囲に深く広がる4つの疎水性ポケットが存在していました。この「疎水ポケット」はまさに薬物が滑り込み、長く滞留する構造的温床であり、hERGが多種多様な低分子を巻き込みやすい理由を物語っています。つまり、hERG は構造的に「薬剤が入りやすく抜けにくいチャネル」と言えます。
2. 電位センサー(VSD)の“脱分極型”配置
クライオEMで捉えられた構造は、開口状態 (open state) の hERG です。VSD 領域 (S1–S4ヘリックス) は、正電荷を帯びた S4 ヘリックスが上方に移動した脱分極型コンフォメーションをとっており、S4–S5 リンカーが S6 ヘリックスの開口を支える形でポアを開いた状態に保っています。この構造は、チャネルのゲーティングメカニズムを理解する上でも重要で、「電位センサーが動き→ポアが開く」という一連の変化を可視化する初めての構造的証拠となりました。
3. 選択フィルターの微妙な「ねじれ」
K⁺ チャネルの選択フィルター (Selectivity Filter; SF) は、通常「TVGYG (スレオニン-バリン-グリシン-チロシン-グリシン)」モチーフで構成されますが、hERG では「SVGFG (セリン-バリン-グリシン-チロシン-グリシン)」というわずかな置換が見られます。この違いにより、フィルター部分がわずかにねじれた構造を示し、これがhERG特有の「速い不活化」を引き起こす要因になっている可能性が示唆されました。また、この部分の柔軟性は、薬剤がフィルター直下に結合しやすい性質にも寄与していると考えられています。
4. 独特のポア形状が示す「薬剤トラップ」の構造基盤
S6 ヘリックスの下端では、芳香族残基 (特に Tyr652 と Phe656) がキャビティ内壁を形成し、疎水性ポケットとともにπ–πスタッキングによる薬物トラップ部位を作り出しています。これは、従来のモデリング研究で「hERG 阻害に必須」とされてきた残基配置を、初めて構造的に裏付けたものです。創薬的に見ると、この“芳香族リングの洞窟”が最も危険なゾーンと言えます。
また、2021 年に千葉大学と高エネ研などのグループが発表した論文(3) では、hERG 阻害物質アステミゾールがどのようにチャネルをブロックしているのかを cryo-EM 解析により明らかにしています(下図) (関連プレスリリース)。
AMEDプレスリリースより引用 |
hERG 阻害を回避するための指針
これらの構造解析の意義は、単なる構造解明にとどまりません。疎水ポケットの存在とその配置の詳細な解明は、hERG 阻害を避けるための分子設計に直接的な指針を与えます。これまで、hREG を阻害しやすい化合物の特徴として、以下のような項目が示されていました。
1. 塩基性のアミンを有する / pKa > 7.3
2. 脂溶性の高い構造特性 / CLogP > 3.7
3. 1つ以上の芳香環が含まれる
4. フレキシブルなリンカーが含まれる(Rotable bond ⇒ 多)
5. 3 ~ 4つの疎水性置換基を持つ
6. アニオン性の部分構造(酸性パーツ)を持たない
7. 水素結合受容的な酸素原子を持たないドラッグライクネス: hERG 阻害の回避 (創薬メモ 様) より
CyioEM から明らかとなった構造的解析からは、やはり以下のことが読み取れます。
・塩基性窒素をもつ化合物はキャビティ奥へ侵入しやすい。
・芳香環が Tyr652/Phe656 とπ–π相互作用を形成する。
・疎水性の高い分子ほどポケットに滞留しやすい。
つまりこれらの要素を排除すれば比較的安全な薬剤の創製に繋げられると考えられますが、今時の創薬において「芳香環をなくす」ことはほぼ不可能に近いと思います。では、どのような回避策が考えられるでしょうか。
以下は、hERG 阻害の回避に関する一般的な指針である。
1. アミン性の部分構造を除去する
2. アミンの塩基性を減弱させる (pKa を指標にする)
3. 分子全体の脂溶性を低下させる (ClogP や AlogP を基準にする)
4. 酸性パーツ(アニオン性の部分構造)を導入する
(カルボン酸、それに準ずる Bioisostere など)
5. 芳香環の数を減らす(Fsp3の増大、立体構造を意識する)
6. N 原子の位置を動かす(4-pyridyl ⇒ 3-pyridyl など)
7. 水素結合受容性の酸素原子を導入する
8. フレキシブルなリンカーを、リジットなリンカーに置き換える(RB の減少)
9. 高極性な部分構造を導入(脂溶性の低下)
10. 分子量を減らすまた、芳香環の置換基修飾に関しては、以下のことが知られている。
1. 芳香環の置換基の電子供与性を高め、電子求引性を低下させる
2. オルト位の置換基修飾よりも、パラ、メタの方が良好ドラッグライクネス: hERG 阻害の回避 (創薬メモ 様) より
心毒性で撤退したテルフェナジンは有名な抗ヒスタミン薬フェキソフェナジン (アレグラ®) のプロドラッグであり、活性本体であるフェキソフェナジンは親化合物の一個のメチル基がカルボキシ基に変換されています。このわずかな違いが hREG阻害の回避 (上記リスト 3 番、4 番、9 番に該当) に繋がり、フェキソフェナジンは OTC で販売されるほど安全性に優れた医薬品として広く普及しています (参考記事; 花粉症の薬いまむかし -フェキソフェナジンとテルフェナジン-)。
また、ある総説によると、ClogP < 1、分子量 < 250 の化合物は hERG 阻害作用がほとんどないことが確認されているとのことです(4)。これは上記リストの 3 番及び 10 番に該当します。
これほどの回避戦略が判明していながらも、hERG 阻害に創薬化学者が頭を悩まされているのは、やはり薬理活性やその他の物性・薬物動態を向上させるためのトレードオフが成立してしまっているからに他なりません。
データベースや機械学習、AI を活用した hERG 阻害回避の試み
理化学研究所の 制御分子設計研究チーム 本間 光貴 チームリーダー (論文 (5) 出版当時) らは、10 μM 以下の濃度で hERG を 50% 以上阻害する化合物を 9,890 個、それ以外の hERG 不活性化合物を 28 万 1,329 個収載した世界最大規模のデータベースを構築し、さらにそれを用いた心毒性(hERG 阻害)判別機械学習モデルを作成しています。さらに、独自に開発した de novo (新規) 構造発生手法と心毒性予測モデルを組み合わせることで、hERG チャネルに対し強い親和性を示す HCK 阻害剤の基本骨格の特定の置換位置を変換して hERG 阻害回避が可能か試みています。その結果、HCK (造血細胞キナーゼ) 阻害剤 RK-0020712 の丸印 (下図) で示した部分に対して de novo で構造を発生させ、合成研究者が好む構造でフィルタリングを行った後、hERG 予測モデルを用いた結果、737 個の化合物が 85% 以上の確率で hERG 不活性だと判定され、この 737 個の中には、HCK プロジェクトにおいて、実際に置換基の変換を行って得られた 4 個の実測 hERG 不活性化合物がすべて含まれていたとのことです。
現在、理研では、hERG 阻害を含む心毒性予測データーベースを無償公開しています。
機械学習による hERG 阻害回避化合物のデザイン MedChemNews (5) より引用 |
近年では、hERG 阻害をはじめとする ADMET (吸収、分布、代謝、排泄、毒性) 予測に関する AI を活用した受託解析サービスも提供されるようになってきており、(例: パトコア株式会社)、アカデミアの創薬化学者でも比較的気軽にアクセスできるようになってきています。アカデミア創薬の初期では ADMET の評価が見落とされがちですが、本気でライセンスアウトなどを目指す研究者は早期に hERG 阻害のバリデーションを行うべきではないでしょうか。
おわりに
さまざまな創薬化学的治験の蓄積 や 機械学習・AI での予測は着実な進歩を遂げていますが、薬理活性や他の ADMET プロパティとのバランスを取るためにはメディシナルケミストの “目利き” と毒性研究者の地道なトライアル & エラーが欠かせません。hERG チャネルの性質と最近の低分子創薬トレンドからは、完璧な hERG 阻害の回避にはかなりの苦心が必要になると予想されます。創薬を志す皆様は、ぜひ hERG 阻害を含めた初期 ADMET 評価の重要性を心に留めていただければと思います。
参考文献
(1) “Modulation of hERG K+ Channel Deactivation by Voltage Sensor Relaxation”, Front. Pharmacol, 2020, 11, DOI: 10.3389/fphar.2020.00139.
(2) “Cryo-EM Structure of the Open Human Ether-à-go-go-Related K+ Channel hERG”, Cell, 2017, 169, 422–430, DOI: 10.1016/j.cell.2017.03.048
(3) “Cryo-EM structure of K+-bound hERG channel complexed with the blocker astemizole”, Structure, 2021, 29, 203-212, DOI: 10.1016/j.str.2020.12.007.
(4) “hERG阻害の回避に向けた理論的な薬物分子設計は可能か?”、中村恵宣、ファルマシア、2007、43、577-578、DOI: 10.14894/faruawpsj.43.6_577,
(5) “ADMET予測とそれを活用した新規構造提案AIへの展開”、本間光貴、MedChemNews、2018、28、167-174、DOI: 10.14894/medchem.28.4_167.


































