2026年5月、創薬化学の歴史に残る大きな出来事が起きました。米国 FDA は、Arvinas と Pfizer が共同開発した vepdegestrant(ベプデゲストラント、商品名 Veppanu、開発コード: ARV-471/PF-07850327)を承認しました。
海外ニュース: https://www.breastcancer.org/treatment/hormonal-therapy/vepdegestrant
本剤は、世界で初めて薬事承認に到達した PROTAC (PROteolysis TArgeting Chimera) 医薬であり、「標的タンパク質分解創薬(Targeted Protein Degradator: TPD)」という新たな創薬概念が、ついに実用段階へ到達したことを意味しています。
従来の低分子創薬は、基本的に「タンパク質の機能を調節する」ことを目的としてきました。酵素活性中心に結合して反応を阻害したり、受容体にアゴニストやアンタゴニストとして作用したりすることで薬効を発揮するのが一般的です。しかしこの戦略には限界があり、そもそも明確な結合ポケットを持たないタンパク質は標的として狙いにくいという問題がありました。また一般的な阻害剤は、標的タンパク質の過剰発現や変異によって薬剤耐性が生じる場合があり、特に固形がんなどではそれが顕著です。一方、PROTAC は既存の薬剤とは全く異なる発想に基づき、標的タンパク質を「阻害する」のではなく、細胞内から「除去する」するという特徴を持ちます。
PROTAC は一般に、標的タンパク質に結合する (ある程度結合強度が弱くても構わない) リガンドと、タンパク質分解を担うユビキチンE3リガーゼに結合するリガンドを、リンカーで連結したヘテロ型分子として設計されています。この分子によって細胞内でE3リガーゼと標的タンパク質 (ネオ基質) が近接化すると、E3リガーゼが標的タンパク質をユビキチン化し、最終的にプロテアソームによる分解へと導きます。つまり PROTAC は、タンパク質機能を一時的に止める薬ではなく、タンパク質そのものを細胞内から消失させる薬という分類になります。
創薬化学・ケミカルバイオロジーの分野では、この十年ほど「PROTAC は本当に臨床薬になるのか?」という問いが半ば合言葉のように語られてきましたが、今回の承認は、その問いに対する一つの答えとなりました。
Vepdegestrant と他の乳癌治療薬
今回承認された Vepdegestrant は、エストロゲン受容体 (ER) を標的とする PROTAC です。適応は ER 陽性、HER2 陰性、さらに ESR1 (エストロゲン受容体αをコードする遺伝子) 変異陽性の進行・転移性乳癌であり、ホルモン療法または CDK4/6 阻害薬投与後に増悪した患者が適応となります。
乳癌領域では長年にわたり、アロマターゼ阻害薬や、タモキシフェンのような ER アンタゴニスト、SERD(Selective Estrogen Receptor Downregulator)である fulvestrant (フルベストラント) などが中心的役割を果たしてきました。しかし、変異型の ER はリガンド非依存的に活性化し、既存内分泌療法が効きにくくなるため、ESR1変異による耐性化は大きな問題として知られています。vepdegestrantは、この耐性化 ER そのものを分解することで抗がん作用を示します。


第III相臨床試験 VERITAC-2 では、ESR1 変異患者群において、vepdegestrant は fulvestrant と比較して有意な無増悪生存期間 (PFS) の延長を示しました。PFS 中央値は Vepdegestrant 群で 5.0 ヶ月、Fulvestrant 群で 2.1 ヶ月と有意に延長しており、病態進行または死亡リスクを約 43% 低下させたと報告されています。この結果を受け、FDA は ESR1 変異患者に対象を限定する形で承認に踏み切りました。5.0ヶ月という PFS は決して長くはないものの、対象群が高治療抵抗性の患者であるため、有用であると判断されたのだと予測されます。
ちなみに vepdegestrant や fulvestrant の “-estrant” はエストロゲン受容体拮抗薬に使用されるステム (医薬品のモダリティや効能効果に応じた語尾) です。PROTAC としてのステム “-deg-” も組み込まれており、現在開発中の PROTAC にもこのステムが使用されているものが多いです (gridegalutamide、setidegrasib など)。
夢の創薬技術の実現
もっとも、今回のニュースの本質は乳癌治療の新薬登場のみならず、「Targeted Protein Degradator」が実際に臨床的成功を収め、規制当局に承認されたという事実そのものにあります。
PROTACは以前から「夢の創薬技術」として語られてきました。特に注目されたのは、従来 “undruggable” (薬の標的とすることが困難) と呼ばれてきた標的への応用可能性です。転写因子、足場タンパク質 (scaffold protein)、巨大タンパク質複合体、変異タンパク質などは、従来型阻害剤では充分に制御できませんでした。しかしPROTACは、必ずしも機能阻害に適したポケットを必要とせず、ある程度の結合能さえあれば、「分解へ連れ込む」ことが可能になります。この概念は創薬標的の範囲そのものを拡張し得ます。
実際、現在ではAR、KRAS G12D、BTK、BCL-xL、BRD4、IRAK4 など、多数の標的に対する PROTAC が臨床開発段階にあります。特に耐性変異を獲得した癌に対して、「変異タンパク質を直接消去する」という戦略は極めて魅力的です。
さらに興味深いのは、PROTAC の成功が “induced proximity” というより広い概念全体を後押ししている点です。近年、分子糊(Molecular Glue)をはじめとして、LYTAC、AUTAC、DUBTAC、RIBOTAC など、多様な「近接誘導型モダリティ」が急速に発展しています。いずれも共通する本質は、「細胞内イベントを人為的に再配線する」ことです。従来の薬理分子が「対象へ直接的結合」に依存していたのに対し、induced proximity は「細胞内機構を利用して望む現象を起こす」という発想へとシフトしています。この流れは、化学が単なる結合分子設計を超え、細胞システムそのものを操作する時代へ入ったことを示しているのかもしれません。
もちろん、PROTAC には多くの課題もありました。典型的な PROTAC は分子量が大きく、しばしば Rule of Five を大きく逸脱します。そのため膜透過性、経口吸収性、薬物動態などに深刻な問題を抱えやすいとされ、「培養細胞では効くが薬にならない」という批判も長く存在していました。しかし Vepdegestrantは、詳細な構造最適化によってそうした “beyond Rule of Five” 問題を乗り越え、経口投与可能な PROTAC として成立しました。単にコンセプトが面白いだけでなく、「実際に患者さんへ届けられる化学」へ到達したのです。
おわりに
Vepdegestrant の承認は、おそらく歴史的に「第一世代 TPD」の嚆矢として記憶されるでしょう。
かつて抗体医薬や核酸医薬がそうであったように、初期成功例の後には急速な技術洗練が訪れる可能性が高いと予想されます。E3リガーゼ選択性、組織特異性、分解速度制御、可逆型PROTAC、共有結合型PROTAC、光制御型PROTACなど、すでに次世代技術の開発競争は始まっています。特にケミカルバイオロジー研究者にとって重要なのは、「標的タンパク質を分解する」という操作が、単なる治療戦略ではなく、生命現象解析ツールにもなり得る点です。RNAi や CRISPR が遺伝子機能解析を変えたように、分解誘導化学はタンパク質機能解析の概念そのものを変えていく可能性があります。
PROTACは、2001 年にイエール大学の Craig M. Crews らによって提唱されました(1)。それから 25 年余り、ついに花開いたと言えます。今後のノーベル化学賞などにも期待です。
参考文献
(1)Protacs: chimeric molecules that target proteins to the Skp1-Cullin-F box complex for ubiquitination and degradation” Sakamoto, K. M.; Kim, K. B.; Kumagai, A.; Mercurio, F.; Crews, C. M.; Deshaies, R. J. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 2001, 98, 8554. doi:10.1073/pnas.141230798
参考記事
・Undruggable Target と PROTAC
・分子糊 モレキュラーグルー (Molecular Glue)
・クレイグ・クルーズ Craig M. Crews
・第26回ケムステVシンポ「創薬モダリティ座談会」を開催します!
・ミトコンドリア内タンパク質を分解する標的タンパク質分解技術「mitoTPD」の開発
関連動画 (第26回ケムステVシンポ – タンパク質分解誘導薬について/友重秀介先生ご講演動画)
参考書籍
細胞内の輪廻転生タンパク質の分解機構: ユビキチン、プロテアソーム、オートファジー、プロテオリシスなど...
実験医学 2020年9月号 Vol.38 No.14 実験にも創薬にも使える!プロテインノックダウン

































