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化学者のつぶやき

C70の中に水分子を閉じ込める

近年、『集合体としての分子』ではなく分子そのもの、つまり『単分子』の性質を明らかにする研究が盛んに行われています。分子によっては単分子として孤立させることで初めて明らかになる性質もあり、分子の可能性を拡げるための重要な基礎研究といえるでしょう。

数ある分子の中でも私たちの生命活動に最も関わりの深い分子である水分子は、その高い水素結合能のために、単分子として扱うことや2つの単分子間に働く相互作用を解析するといったことは困難と認識されていました。しかし最近、京都大学化学研究所の村田靖次郎教授らのグループは、1つもしくは2つの水分子をフラーレンC70の中に閉じ込め、それらの水分子の挙動を解析することに成功しました。

“Synthesis of a distinct water dimer inside fullerene C70

Zhang, R.; Murata, M.; Aharen, T.; Wakamiya, A.; Shimoaka, T.; Hasegawa T.; Murata, Y.  Nature Chem. 2016, published online. DOI: 10.1038/nchem.2464

 

C70の分子手術による水分子の内包

村田教授は、小松紘一教授(京都大学名誉教授)のもとで『フラーレンの分子手術』と呼ばれるフラーレンの開閉を行う合成技術を確立させています。その技術を用い、これまでに、水素分子やヘリウム原子など様々な物質を内包させたフラーレンを合成してきました。[1],[2] 特に2011年に合成された水分子内包フラーレン(H2O@C60)は、興味深い物質であることもさることながら、その合成手法の進化にも目を見張るものがあり、世界を驚かせました(詳しくはこちらの記事を参照)。[3]

今回村田教授らは、C70の分子手術による水分子の内包を行いました。なぜC70かというと、C70はC60に比べ内部空間が広いため、H2O@C60では見ることができなかった『内包された1つの水分子が運動する様子』を観測できると期待されたからです。しかしC70はC60より対称性が低く、中間生成物の解析が困難になるなどの問題からあまり研究が進められなかったという背景があります。[4] 論文によると、村田教授らも自身の知見をもとに立てた戦略では、水分子の取り込みが上手くいかなかったとのこと。しかし、分子手術の過程で得られた少量の副生成物を用いることで、最終的に目的のH2O@C70を得るに至ったとのことなのです。一見すると差があるように思えない二つの中間生成物。水分子を取り込む能力は全く違うなんて、とっても面白いですね。

冒頭論文より引用、加工

冒頭論文より引用、加工

 

ボーナス!水分子がもう一つ入りました

サクセスストーリーにはまだ続きがありました。村田教授らはH2O@C70とともに、なんと水分子2つを内包したC70、(H2O)2@C70が生成していることを発見しました。C70の内部空間の大きさが可能にした現象なのでしょう。後のインタビューでも村田教授がおっしゃっていますが、これは世界初の水分子二量体の合成であり、さらなる基礎研究につながることが期待できます。また当初の期待通り、H2O@C70において水分子がC70の内部で上下に運動していることをNMRやIRを用いて明らかにしている他、(H2O)2@C70における2つの水分子がどのように水素結合しているかということを詳細に議論されています。驚きに溢れ、疾走感を味わえる素敵な論文です。ぜひご覧下さい。

またかなり個人的なことですが、筆者は村田教授とは学会等で何度もご一緒させていただきました。その度に明るく声をかけてくださり、たくさんディスカッションもしていただきました。尊敬する研究者であると同時に、憧れの先生です。

最後に、村田教授から本論文にまつわるお話をうかがうことができました。以下、お楽しみください。

 

著者からのメッセージ

村田先生-4

 

以前の研究において、フラーレンC60の内部に1個の水素分子(Science 2005)ならびに水分子(Science 2011)を閉じ込めることが可能であることを示してきました。今回、より内部空間の大きなC70を用いて同様のことが出来れば内部の水分子が動く様子がわかる、ということを期待して、博士課程2年の張 鋭 君達と研究に取り組みました。C70では、最初の付加反応の時点で異性体が生成するために、まずは主生成物として得られる化合物を用いて、開口部を拡大する検討を加えてもらってきました。しかし、この化合物由来の反応では、水を内包出来るほどの大きさをもつ開口部を作ることができず、なかなか研究の目的を達成することはできませんでした。それでも、張君は、C70骨格の炭素原子が脱離することによって硫黄をフラーレン骨格にもつC69S骨格を合成する反応が見つけてくれて(JACS 2015)[5]、転んでもただでは起きない、という粘り強さを見せてくれました。

今回の研究では、最初の付加反応において副生成物として少しだけ得られる化合物を出発原料として用いたところ、1個の水分子をC70の内部に挿入するという当初の目的を達成することができました。得られた化合物の単結晶X線構造解析では、内包された水分子にディスオーダーが観測され、NMRでの結果と併せて解釈すると、内部の水分子が動いていることが証明されたと思います。合成の出発原料の収率が低いため、張君はさぞかし苦労したことと思います。

この研究では、ボーナスが付いてきました! それは、2個の水分子が閉じ込められたC70を検出することに成功したことです。私自身は、その実験結果を見るまでは、水2個の内包は難しいだろうと予想していましたが、張君は粘り強く実験を重ねることによって、それをデータで示してくれました。これは、外部からの水素結合のない水二量体の初めての例となります。予想外の結果が得られる時が、研究者として最もうれしいですね。

本研究の論文化にあたって、もう一つ時間がかかったのは、出来た化合物のIR測定でした。複数の研究室で様々な手法を試して貰いましたが、最終的には、同じ化学研究所内の長谷川先生のラボにたどり着きました。長谷川先生のラボでは、世界最先端の感度をもつ機器を常に窒素下で測定できるように整えられています。長谷川先生達のお力を借りることによって、微量にしか得られないサンプルについて、大気中の水の影響を受けないIRスペクトルを得ることができました。

今後、この手法を発展させることによって内側からフラーレンの性質を変化させることが可能になると期待されます。また、別々の分子を1個ずつ閉じ込めることによって、小分子の構造と反応に関する基礎研究を更に展開することを計画しています。

 

村田靖次郎

参考文献

  1. Komatsu, K.; Murata, M.; Murata, Y. Science 2005307238. DOI: 10.1126/science.1106185
  2. Morinaka, Y.; Tanabe, F.; Murata, M.; Murata, Y.; Komatsu, K. Chem. Commun. 2010464532. DOI: 10.1039/C0CC00113A
  3. Kurotobi, K.; Murata, Y. Science 2011333, 613. DOI: 10.1126/science.1206376
  4. Murata, Y.; Maeda, S.; Murata, M.; Komatsu, K. J. Am. Chem. Soc. 2008, 130, 6702. DOI: 10.1021/ja801753m
  5. Zhang, R.; Futagoishi, T.; Murata, M.; Wakamiya, A.; Murata, Y. J. Am. Chem. Soc2014136, 8193. DOI: 10.1021/ja504054s

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