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エントロピーを表す記号はなぜSなのか

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Tshozoです。エントロピーの後日談が8年経っても一向に進んでないのは私が熱力学に向いてないことの証明だと思っております。初学者はもちろん筆者にも何一つわからん概念であるのがいかんのです。それに比べこの本に出ている運動方程式。ma=Fで、mは質量:mass、aは加速度:accelaration、Fは力:force。どの記号もあたりまえで直感的で非常にわかりやすい。しかしよく考えたらエントロピー entropyはS。そもそもSがどこにもあれへんやんけ、どうしてくれんねん、と思ってちょっとだけ調べたのが以下です。

エントロピーの語源に関わる諸説 紹介

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全盛期のクラウジウスの写真 何度見ても頑固そう ドイツ語版wikiより引用

エントロピーはクラウジウスが1865年論文で定義づけた、熱機関において内部エネルギーと同様に扱える熱力学上の状態変数(圧力、温度などの状態がきまれば一意に決定され得る変数)の一種でSで表されます。この名称自体はギリシア語にちなんだ組み合わせで、en:中へ・内部の+tropy:変化・変換(注:クラウジウスはentropyにVerwandlungsinhaltという複合ドイツ語を充てています)。内部エネルギーUのように勢いのある具体的な名称に対し、直感的によくわからんことは周知の通りかと思います。で、この複合ドイツ語 Verwandlunginshalt をそのまま訳すと”変換容量”または”変換指数”なのですが、一体何の変換やねん、という疑問がどうしてもある。というかこの複合ドイツ語にも慣用的に語間に入る以外のSが無い。やっぱりよくわからん。

そこで今回Sの語源を調べていたところ、やはり同じ疑問を持った方が国内外に居られましたのでそのうちの国外の方の論文(文献1)などを下敷きに、改めてその語源の諸説をまとめてみることにしました。その中で、主に3つの説が存在します。

① “ドイツ語の単語の頭文字由来説”

これは、筆者が熱力学関係で迷ったり内容を忘れたときに重宝して閲覧する(文献2)のサイトに記載されている内容で「Sは”Sammlung, Satze, Summe” という、ドイツ語の”集合・収集, 法則, 総和”という単語の頭文字ではないか」というご説明によるもの。エントロピーは熱機関に関わる気体や液体の分子の位置情報の”ある演算による集合値の法則”であると仮定すると、この解釈は結構蓋然性があるような気がしていて個人的に非常に魅かれる説の一つです。しかしドイツ語文献やクラウジウスの論文類、その後の科学者たちの色々な記載を見てみてもこうした解釈や記述に関わる部分は見つからずで、苦しいかなそうした文献的なバックグランドが無い点が非常に残念。個人的に継続して探していってはいるため推したい説ではありますが、歴史的裏付けがない点がどうにもしんどいところです。

②”英語由来説”

これは(文献1)に書かれている内容で、平たくいうと「トムソン(ロード・ケルビン卿)による、エネルギーの散逸を表す短論文で使われていた”temperature of steam”を表していたSという変数の表記を引きずって使った」というもの。ちょっと長いですが(文献1)の該当部を引用すると、

He particularly emphasized the role of Thomson’s 1852 note entitled “On a Universal Tendency in Nature to the Dissipation of Mechanical Energy” (12) upon Clausius’s notion of entropy. (Thomson used S in his brief paper to refer to temperature of steam.) In 1864, in order to explain a derivation of his own equation for the first law, Clausius uses the symbols S and dS to represent an arbitrary function of t and v, related to U—a function that is almost, but not quite, what he finally defines as entropy in his paper of the next year (13). (Even earlier, in 1858, in a paper that
evolved into the mathematical introduction of his two books, Clausius used ds to be “an element of space” and S “the
component in the direction of ds of the force acting on the point p”[4]. So, before 1865, he had used S for purposes other than entropy.)
In 1865 Clausius ultimately indicates the relationships between N of the 1854 paper (7) and S of the 1865 paper (10). One should note that in the 1865 paper, Clausius gives N the opposite sign from that which he gave it in the 1854
Fourth Memoir (previously, it was positive; now it is negative), and he calls it the uncompensated transformation (10), or uncompensirte Verwandlung (14). First, he presents his signreversed equation for N (10).

ということで、トムソンがある論文中で使ってたSに起因するのではないか、という話。確かにクラウジウスがこのトムソンに対し激しいライバル心を抱いて研究競争に明け暮れていたのは事実としても、上記引用を読んでも偶然では?という印象しか受けません。そもそも、何よりこのストーリーに連続性と説得力が無い。特に中央部で下線を引いたところ、別の論文でエントロピーと異なる別の変数を表すのにS使ってんじゃねぇか、と。しかもこのクラウジウスによる下線部に該当する論文は電磁波の伝搬に関わる内容で、熱力学とも関係性は低いことから、この説は頷首するにはちょっと無理があるように思われます。

この②の経緯はともかく、クラウジウスが歴史上初めて
エントロピーに”dS” “S”を充てた1865年論文の主要部

③”カルノーの名前から採った説”

熱力学第一法則の下地であるカルノーの法則、おそらく世界で当時クラペイロン、クラウジウス、トムソン、ランキンといった先端物理学者しかその価値を見出すことが出来なかったであろう重要な熱力学の解釈と仮説ですが、法則の発見者はもちろんフランス人 ニコラ・レオナール・サディ・カルノー。彼が長寿を全うしていたら熱力学の発展は少なくとも50年は早まったであろう、夭逝された偉大な研究者です。この方の本名は Nicolas Léonard Sadi Carnotなのですが、クラウジウスがこのご本人のお名前に敬意を表しSをあてたというのがこの”名前由来説”。この話を聞いたときかっこいいな、多分これかなと思ったのですがどうもこれも文献上で何も証拠がない。なのに日本版wikiとかふつうにこの説でエントロピーの項を説明してる。

ニコラ・レオナール・サディ・カルノー

歴史上唯一残っているカルノーの肖像画
お父様が高名な名士かつ土木工学エンジニアで、カルノーが熱力学の
解釈と行うにもその父親から授けられた知識が重要になったと言われている
彼の論文が世に出たのは同じフランス人のクラペイロンのおかげ

で、どっちなんやと調べたところ最近になって科学史家の方による論文(文献3)において、”… It has been speculated that Clausius chose the symbol S for entropy to honor Sadi Carnot, but this seductive (and increasingly promulgated) conjecture is almost certainly untrue; the given names of scientists are rarely if ever used this way…”と明確に否定されていることがわかりました。この論文の尊敬に値するのはこの偽説の出所まできちんと調べていることで、どうもインドで出版された”The Sterling Dictionary of Chemistry”という書籍によるものだそうで(文献3 Ref部に記載)。いわゆる”熱力学ものがたり”に非常に合わせやすい事からこの説が色々なところで採用されかかってしまっているのではないかと。

ということでこの”カルノーの名前からとった”説は一切根拠がないのがほぼ確定ですのでまかり間違って証拠が見つからない限りは以下ガンガン否定し無視してまいりましょう。最近ある界隈で四則演算順序固定?説とかいう糞箆にも満たない説が出てきて無能の如くそれを振り回したり、論文や特許のひとつも出してないのに科学者然としてあちこちでデカい面をしている詐欺師まがいの連中が出てきているのを考えると嘘は嘘、詐欺は詐欺と断じる必要がありますよね。

現状のまとめ

以上より①は文献がない、②はイギリス嫌いのクラウジウスがそんなことするわけないうえに根拠が不明確、③はデマ、ということで全滅でした。ということは結局は(文献1)(文献3)に記載がされている通りで④「クラウジウス本人は何も語ってないが”Clausius said So”, だからSなのだ」という説が一番正しいんじゃねぇかという気がしてきました。今以上に新たな資料が出てこない限り消去法でこの④しかなくなるわけです。結構不毛なまとめになってしまった点は筆者の事前調べが足らなかったせいで、この点お詫びいたします。

なおちょっと気になるのが1865年のエントロピーを提唱した論文では非可逆の指標としての表記を”N”としているのですが、これも実は全く由来が書いてない。同時代の友人が何か本人から聞いとらんのかなと思ったのですが、クラウジウスの性格としては以前の記事で述べたようにチンダルやフォイレ、ヘルムホルツ等のごくわずかの友人としか議論や文通を行わず基本的に自分で全部創り上げるスタイルであったため、従来知られている(数通だけしか公開されていないもよう)以外の私文でも出てこない限りこれもわからず困ったとしか書きようがない。

エントロピーに関連して非可逆プロセスの指標としての数値にNを用いた時の
1865年論文から抜粋 クラウジウスとしてはリクツとしての回生できるエントロピー(上記S)は
必ず状態で決まり、非可逆過程(たとえば熱拡散)は熱や物体の分散など、
サイクルでは戻せないものとして表したかったように感じる
この論文でdisgregationに触れているのもその意図を思わせる

・・・と、更にここで気が付いたのですが内部エネルギーUもこれまた語源が不明→”Clausius said So”らしい(文献1)。Uは彼が1850年の熱力学第1法則を仕上げる論文内で内部エネルギーを表すものとした決めた文字。ただ、イギリスのウィリアム・トムソン(後のLord Kelvin)に対し強烈な競争意識を持っていた(文献1)ことに関わってかせっかく熱力学第1法則を正しく解釈した中で自分が決めたUを論文ごとに出したり引っ込めたり意味の内容を変えたりと一貫性が無い感じがしており、ここらへんが結局のところ語源が不明、ということに繋がるんではないでしょうか。状態で決まるエネルギー、ということでドイツ語である”Umstand”でも語源にしたんかとも思いたいですが。

ということで150年以上もたってS,U,Nの由来がわからんままになっているのもそれもこれもクラウジウスのせいで、”Griesgram(偏屈ジジイ)”極まれり。しかし筆者的にはまたそれがいい。頑固一徹の偏屈爺が居る刃物屋の主人みたいな、百貨店には絶対に並ばなそうな商品を揃えている店の主みたいなキャラクターが人間臭くて好きなんですよね。晩年は統計力学に傾きつつも、古典熱力学の範疇を離れず物理的解釈を進めようとしたところとか、そういう頑固さに魅力をおぼえるのでしょう。

ということでほとんどまとまってませんが今回はこんなところで・・・記事としては上記で終わりなのですが、最後に1点だけ個人的に非常に気になっているところを自分の備忘のために記載させてもらいます。

エントロピーは上記のNで示されるような形でプロセスの不可逆性も示せる変数ですが、クラウジウスがこのエントロピーの表現と解釈についてご本人の節目論文発表タイミングである1865年前後までこだわったのが、”Disgregation “物体とエネルギーの分散度合い”の概念” と、”1860年前後の初期構想に基づいた”変換の補償値””という2点。これについては1866年から彼が亡くなるまでの文献を流し読みしていると、この補償値というのをDisgregationと絡めて説明しようと苦悩していたことがうかがえます。

ただこれはご存知の通り現在では既に稀代の天才ボルツマンが統計力学を使って明快に説明している(らしい)のですが、正直なところ筆者にはこの統計力学というものが何をやってもとっかかれない。ということでクラウジウスがやってたこの苦闘のところ(結局彼本人は諦めたが分子運動論をベースにエントロピーのところの表現を計算で示すことが出来ないかは調査していた)を引き継いでなんとか説明できないものか、と蟷螂の斧を振り回しています。特に変換の”補償値”という表現をしていた点が非常に奇妙に感じられ、何を補償しているのかというと未だによくわからない。。。

ただ例えば熱機関の可逆行程はカルノーサイクルの順行程と逆行程であらわされるのですが、この2つの工程が完全に可換であるためには順工程で生み出された仕事の伝えられた先が、例えば摩擦が全く無い形の位置エネルギー(ΔW=mgh)のように”エネルギー損失が無くかつ位置情報も可換である状態”で”補償”されていなければいけない。しかし上に上がりきった位置エネルギーを一旦止めて、そこからスイッチか何かで再度下降に向かうタイミングを制御する場合には必ずスイッチ分のエネルギー≒位置情報を消費する。となると一旦停止したカルノーサイクルは不可逆になってしまう。その不可逆可逆の指標が、エネルギーとセットのこの位置情報のぶん、つまり絶対に”計算回数”が増えてしまうからなのではないか、と。

また一方、カルノーサイクルではいずれの行程でも準静的過程という、作用気体内に温度差が発生しない(つまり内部エネルギー増加分が1対1で体積増加分に変換される)形での無限に長い時間がかかる妙な行程を前提としているのですが、これは熱溜まり内の各エネルギー準位にある分子群が作用気体内の特定のほぼ同じエネルギー準位にある特定の分子群に対し平衡に至るまで弾性衝突を通じたエネルギー変換をしているという点が”補償”されていなければならない、、、この時の衝突は全て逆算が出来る、つまり順行程と逆行程で同じ回数の”計算”でもとに戻せる、ということを主張したかったのではなかろうかと。変換中に不可逆過程が発生する場合は、こちらも”計算回数”が増えるわけです。

これはもしかしたらマクスウェルの悪魔的な話にも適用でき、たとえば混合(≒自然拡散)した2つの気体を元に戻すためには”分離”という”計算”が発生する作業で補償されなければ決してひとりでには元に戻らない、ということを言いたかったのではなかろうか、と。この”計算”が”補償”されない方向には時間が遡るか重力とかの影響がない限り決して発生しないのでは、と。とまぁこうした、もうずっとずっと前にずっとずっと優秀な方々が理論的に解決された事に未だにこだわっているのは筆者の非常に悪い癖のひとつです。

ともかくエントロピーはわかったようでよくわからんというのが何年やっても続いており、「あれ、これ解釈違うんじゃないかな」「あれ、こう考えたはずだったのにこの参考書全然違うこと言っとらんか」というのが毎年発生してはまごまごしておるのですが、思い知るのは、分子運動論を通じ恐ろしいまでにエントロピーを正しく見通し表現したボルツマンの凄さです。ただそのやや抽象的な考えは筆者にはどうしてもなじまず、結局ある程度アナログに解釈して表現できればと思いながら・・・まぁ爺様の繰言ということで端っこに置いておいて頂ければ有難い次第です。

参考文献

1. “S is for Entropy. U is for Energy. What Was Clausius Thinking?”, Irmgard K. Howard, J. Chem. Educ. 2001, 78, 4, 505, リンク

2.  “クラウジウスはエントロピーをどう定義したか”, 永井俊哉ドットコム, リンク

3. “A Brief History of Thermodynamics, As Illustrated by Books and People”, Gregory S. Girolami, J. Chem. Eng. Data 2020, 65, 298−311, リンク

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Tshozo

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メーカ開発経験者(電気)。56歳。コンピュータを電算機と呼ぶ程度の老人。クラウジウスの論文から化学の世界に入る。ショーペンハウアーが嫌い。

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