[スポンサーリンク]

一般的な話題

フリーラジカルの祖は一体誰か?

[スポンサーリンク]

 

化学の世界に限らず科学の世界では時に誰に先取権があるのかが微妙な場合があります。著名な雑誌に著名な研究者が報告したことが、実は既にそこまで著名ではない誰かによってそこまで著名ではない雑誌に報告されていた事が後日発見されるという事は珍しくないようにも思えます。
それがノーベル賞ものの発見だった場合は大騒ぎになるわけで、ノーベル賞の選考は非常に厳密に、細部に渡って検討されていると聞いています。それでもやはり毎年のように先取権について議論があることは事実です。
国家のパワーバランスや歴史の綾と言ってしまえばそこまでではありますが、当人にしてみればたまったものではありません。

当然我が国でも無関係ということはなく、例えば2010年のノーベル化学賞はクロスカップリングの開発によって鈴木章博士、根岸英一博士の二人の日本人と共にRichard F. Heckが受賞しています。そのHeckが1972年にJ. Org. Chem.誌に報告した、いわゆるHeck反応と本質的に同じ反応を実は1971年に日本の溝呂木勉博士がBCSJ誌に報告していました。よってこの反応はMizoroki-Heck反応として特に国内では呼称されているほどです。

幻のニッポニウムとなってしまったレニウムを実は小川正孝博士が発見していた(実は誤認していた)とか、ビタミンB1鈴木梅太郎博士によってオリザニンとして発見されていたとか、歴史に名を刻むべき大発見が様々な経緯によって世に認められていない事は数多いのです。

 

今回のポストはトロント大学のThomas Tidwell名誉教授によってNature Chemistry誌に寄せられた、最近再発見された光化学、特にフリーラジカルの祖に関するthesisを紹介します。前回はこちら

 

Sunlight and free radicals

Tidwell, T. Nature Chem. 5, 637-639 (2013). Doi: 10.1038/nchem.1703

 

光の作用によって尋常性狼瘡を治療する事ができることを世に知らしめた業績により、Niels R. Finsenは1903年に第三回ノーベル医学生理学賞を受賞しています。Finsenは残念ながら授賞式には病気のため出席できず、受賞の翌年には44歳という若さで他界してしまいます。その受賞に際して、細菌を太陽光によって殺す事が可能であることを1877年にDowensBluntが報告していること[1]が述べられています。

太陽光が化学反応に関与することは古くから知られており、1825年にかのMichael Faradayは塩素がエチレンやベンゼンに光照射によって付加することを報告しています。また、後に初代アメリカ化学会会長になるJohn William Draperは水素と塩素を混合して光照射すると猛烈な反応が起こり塩化水素が生成することを確認しており、1861年発行のテキストにも記載が見られます。

 

H2 + Cl2 + hν → 2HCl

 

さてではDowensとBluntとは一体誰なのでしょうか?恐らくご存知の方は皆無かと思いますので略歴をご紹介しましょう。
Arthur Hennry Dowensは1851年10月11日イングランドのMunslowに生まれ、引退後過ごした1938年3月11日パレスチナのHaifaにて死去しています。Shrewsbury SchoolUniversity College Londonで学び、University of Aberdeenで薬学の学位を、University of Cambridgeで公衆衛生の学位を取得し、公衆衛生局で勤める事になりました。
Thomas Porter Bluntは1842年にShrewsburyで生まれ(1929年没)、Bangor Schoolで学んだ後Oxford Universityを卒業しました。Dowensと同様に公衆衛生局に長く勤めています。

radical_1

 

左からFinsen, Draper, Blunt, Dowenesの肖像 画像は論文より転載

ほとんど知られていなかった彼らではありますが、それは彼らがいわゆる専業の研究者ではなく、公衆衛生局に勤めるいわば公務員であったことが影響していると考えられます。Dowensは1910年に様々な彼の業績によりナイトの称号を得ますが、多分に1903年のFinsenによる紹介が影響していると考えられますので遅きに失っした感があります。
1877年の彼らの報告以降も細々とかもしれませんが光に関する研究は継続しており、1878年にはシュウ酸が太陽光によって分解すること、酸素が重要な役割を果たしていること、塩の水溶液では反応が進行しないこと、また光をフィルターを通してから反応に用いることで反応性が変化すること、すなわち光の波長が有機光反応において重要であるという基礎的知見をまとめて、英国で権威ある学術誌Proceedings of Royal Society (London)に報告しています。[2] さらに研究は進み、翌1879年には過酸化水素に対する太陽光の効果に関する論文をNatureに報告しています。[3] その論文において、過酸化水素の内部の結合がが太陽光によって二つのHOに分裂するということを提案しており、塩素に太陽光を照射した時も同じく塩素が二つに分裂することを喝破しています。彼らはそれを”chlorous radicles“と名付けています。

これは驚くべき提案です。なぜならGilbert N. Lewisによって電子対の概念が提案されるまであと40年もあるのです。後にノーベル賞を受賞することになるHenry Taubeの報告の70年以上前のことです。

H2O2 + hν → 2HO・

確かに、共有結合が二電子によってなされていることや、現代で言うところのフリーラジカルのように一電子状態の化学種を想定していたとは書いてありません。しかし、電気的に中性の分子が、+と-のイオンに開裂するのではなく、二つの同一の化学種に分離しうるという概念を提唱したことは賞賛に値すると思います。
ちなみに光はあまり関係ないかもしれませんが金属を用いて1900年にMoses Gombergは、比較的安定なトリフェニルラジカルを発見していますが、現代で言うところのフリーラジカルを発見したということではなく、3価の炭素を安定な形で見いだしたという報告です。後にこれがフリーラジカルであったことが明らかになったと言った方が正しそうです。いずれにしてもフリーラジカルは化学において一つの重要な概念であり、DowensとBluntの仕事が無視されてきたのかは不思議なことです。この歴史的偉業とも言える発見について引用した論文はScifinderを使ってもほんのわずかしかヒットしませんし、2012年に再発見[4]されるまでは化学史にも一切登場しませんでした。

radical_2

 

Mehr Licht! by Johann Wolfgang von Goethe (本文とは一切関係ありません) Wikipediaより転載

現在ではDowensとBluntが本研究においてどのような役割分担をしてきたのかは不明ですが、後にBluntは光反応に関する論文を発表したり、オーストラリアのJ. Jamiesonの批判に対して彼らの実験に関する非常に詳細な反論を発表したりしています。

Faradayの時代から塩素に光を当てると反応が加速することは知られていたものの、DowensとBluntは塩素だけでなく過酸化水素が開裂して現代で言うところのフリーラジカルを思い描いた元祖と言えそうです。彼らは一流の学術雑誌に論文を投稿できる位置におり、実際そうしました。しかし一方でいわゆるプロの研究者ではなかったため、この研究を深く掘り下げることはできませんでした。そういった事情も手伝って彼らの業績は化学者から見過ごされ、歴史家からも見過ごされてきました。しかし、130年もの時が経った今、DowensとBluntが打ち立てたフリーラジカルのコンセプトは光輝いて見えるのです。

 

関連文献

[1] Downes, A. & Blunt, T. P. Proc. R. Soc. Lond. 26, 488500 (1877).

[2] Downes, A. & Blunt, T. P. Proc. R. Soc. Lond. 28, 199212 (1878).

[3] Downes, A. & Blunt, T. P. Nature 20, 521 (1879).

[4] Tidwell, T. T. in Handbook of Radical Chemistry and Biology (eds Chatgilialoglu, C. & Studer, A.) Vol. 1, Ch. 1, (Wiley, 2012).

 

関連書籍

[amazonjs asin=”4320044355″ locale=”JP” title=”精密重合〈1〉ラジカル重合 (高分子基礎科学One Point)”] [amazonjs asin=”4061533967″ locale=”JP” title=”有機フリーラジカルの化学 (KS化学専門書)”][amazonjs asin=”4062575272″ locale=”JP” title=”光化学の驚異―日本がリードする「次世代技術」の最前線 (ブルーバックス)”][amazonjs asin=”4088614739″ locale=”JP” title=”栄光なき天才たち 1 (ヤングジャンプコミックス)”]
Avatar photo

ペリプラノン

投稿者の記事一覧

有機合成化学が専門。主に天然物化学、ケミカルバイオロジーについて書いていきたいと思います。

関連記事

  1. マテリアルズ・インフォマティクスにおけるデータの前処理-データ整…
  2. 3.11 14:46 ①
  3. 材料開発の変革をリードするスタートアップのプロダクト開発ポジショ…
  4. キノリンをLED光でホップさせてインドールに
  5. 多環式骨格を華麗に構築!(–)-Zygadenineの不斉全合成…
  6. 高活性、高耐久性を兼ね備えた世界初の固体鉄触媒の開発
  7. マンガン触媒による飽和炭化水素の直接アジド化
  8. 光化学スモッグ注意報が発令されました

注目情報

ピックアップ記事

  1. 第5回慶應有機化学若手シンポジウム
  2. 中小企業・創薬ベンチャー必見!最新研究機器シェアリングシステム
  3. かぶれたTシャツ、原因は塩化ジデシルジメチルアンモニウム
  4. 研究室クラウド設立のススメ(経緯編)
  5. ウィリアム・モーナー William E. Moerner
  6. エントロピーを表す記号はなぜSなのか
  7. C&EN コラム記事 ~Bench & Cubicle~
  8. 2,9-ジブチル-1,10-フェナントロリン:2,9-Dibutyl-1,10-phenanthroline
  9. のむ発毛薬で五輪アウトに
  10. 生越 友樹 Tomoki Ogoshi

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2013年8月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

注目情報

最新記事

アクリルアミド類のanti-Michael型付加反応の開発ーPd触媒による反応中間体の安定性が鍵―

第622回のスポットライトリサーチは、東京理科大学大学院理学研究科(松田研究室)修士2年の茂呂 諒太…

エントロピーを表す記号はなぜSなのか

Tshozoです。エントロピーの後日談が8年経っても一向に進んでないのは私が熱力学に向いてないことの…

AI解析プラットフォーム Multi-Sigmaとは?

Multi-Sigmaは少ないデータからAIによる予測、要因分析、最適化まで解析可能なプラットフォー…

【11/20~22】第41回メディシナルケミストリーシンポジウム@京都

概要メディシナルケミストリーシンポジウムは、日本の創薬力の向上或いは関連研究分野…

有機電解合成のはなし ~アンモニア常温常圧合成のキー技術~

(出典:燃料アンモニアサプライチェーンの構築 | NEDO グリーンイノベーション基金)Ts…

光触媒でエステルを多電子還元する

第621回のスポットライトリサーチは、分子科学研究所 生命・錯体分子科学研究領域(魚住グループ)にて…

ケムステSlackが開設5周年を迎えました!

日本初の化学専用オープンコミュニティとして発足した「ケムステSlack」が、めで…

人事・DX推進のご担当者の方へ〜研究開発でDXを進めるには

開催日:2024/07/24 申込みはこちら■開催概要新たな技術が生まれ続けるVUCAな…

酵素を照らす新たな光!アミノ酸の酸化的クロスカップリング

酵素と可視光レドックス触媒を協働させる、アミノ酸の酸化的クロスカップリング反応が開発された。多様な非…

二元貴金属酸化物触媒によるC–H活性化: 分子状酸素を酸化剤とするアレーンとカルボン酸の酸化的カップリング

第620回のスポットライトリサーチは、横浜国立大学大学院工学研究院(本倉研究室)の長谷川 慎吾 助教…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP