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化学者のつぶやき

究極のナノデバイスへ大きな一歩:分子ワイヤ中の高速電子移動

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ムーアの法則というものをご存知でしょうか?

集積回路中のトランジスタの数が約2年で倍増するという経験則です[1]近年、増加が限界を迎えていると言われていますが、最近、そこに新しい光が射すような報告がありました。 

東京大学中村研究室の辻准教授らは、π共役平面を持つ有機分子を分子ワイヤとして用い、ワイヤ中の電子移動速度が常温・溶液状態で従来の840倍程度まで加速されることを発見しました。

常温で働く分子ワイヤとしては初めての例になります。

“Electron transfer through rigid organic molecular wires enhanced by electronic and electron-vibration coupling”
Sukegawa, J.; Schubert, C.; Zhu, X.; Tsuji, H.; Guldi, D. M.; Nakamura, E. Nat. Chem. 2014, doi:10.1038/nchem.2026

分子レベルのデザインから性能向上を目指す

彼らはCOPV(carbon-bridged oligo-p-phenylenevinylene)と呼ばれる独自開発分子[2]を分子ワイヤとして利用することを考えました。

2014-09-16_10-05-26.png

COPVは架橋炭素のおかげで平面構造を保っている(※モノマー単位のみ図示)

従来より研究が進められているOPV(オリゴ(フェニレンビニレン))は近接した水素原子のせいで平面構造をとれないので、フラフラしてるところを炭素で結んでやり、π電子の共役をしっかりしてやろうとするストレートなデザインです。

2014-09-16_10-17-43.png

上図が今回用いられた分子です。電子供与体(亜鉛ポルフィリン)と電子受容体(フラーレン)をCOPVで連結し、2ユニット間での電子移動速度を測定しています。OPV連結型の分子と比較した結果、電荷分離過程では6.5倍、電荷再結合過程でおよそ840倍、COPV型で加速されるという事実を見いだすことに成功しています。

π共役分子の親玉のような、COPVの平面構造こそが今回の発見の鍵となっているようです。

構造を分子レベルで設計・制御

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従来の分子が持つ問題と本研究の利点

本研究の第一の意義は、ナノデバイス中の分子ワイヤとして常温で利用できる、設計可能な有機分子が確認された事です。

これまで本研究のような現象は量子ドットなどの無機半導体、もしくはカーボンナノチューブなどの炭素クラスタ、キノンなどの特定の有機分子では観測されていました。しかし有機分子ワイヤでは、マイナス270度における基板に固定された分子など、限られた条件でしか観測することができませんでした[3]

デバイスとして利用するためには常温稼働は必要条件です。

それに加え、構造・性質のばらつきがない事もデバイスとして利用するにあたり大切な事です。

例えば、オリゴチオフェンは設計可能な分子ワイヤですが、分子を構成しているチオフェンユニットがどのような配置をとっているかによって分子ごとに大きなばらつきが出てしまいます。

さらに炭素クラスタでは設計も不可能になります。カーボンナノチューブ、グラフェンは一種のポリマーのような物で、分子ごとに分子量の違い、構造欠陥、不純物の含有量など、問題はさらに大きくなります。

その点今回の分子は設計可能な単一構造を持つ点が特徴であり、均一なデバイス・分子コンピューターの開発に大きく貢献すると考えられます。

 e-vカップリング

さらに今回の分子はe-vカップリングと呼ばれる、電子遷移の際に電子がエネルギーロスを起こし、そのエネルギーで原子核振動を引き起こすという相互作用を示します。そのような現象を示す均一構造分子は、物理化学的にも大きな意義を持ちます。勘のいい方ならここで「ん?」と思ったかもしれません。

ボルン・オッペンハイマー近似、フランク=コンドン原理によれば、電子は原子核の運動よりも遥かに早く運動し、電子から見れば原子は止まって見えるはずとされています。しかし今回の分子では、それらの古典的物理法則が成立しません。特に、この法則の崩壊が常温・溶液状態の設計可能な分子で観察されたのは初めてです。

残像だ.png

原子核-電子相互作用の古典的な解釈

単一の組成、性質の分子を均一な溶液中で測定できることは、本現象の構造-物性相関評価が可能になるということでもあります。基礎物理化学の観点からも大きな意義があります。

この発見により分子ワイヤの研究がさらに進展し、実用化に至ればムーアの法則を追い抜かして集積回路の小型化が進むかもしれませんね。

筆者はタブレットが欲しい今日この頃なのですが、さらに小型化されるまで待ったほうがいいかも?  いずれにしろ、今後の研究が楽しみです。

研究者のメッセージ

最後に、今回の論文の第一著者である助川潤平博士に本研究に関する、苦労話やコメントをいただきましたので紹介したいと思います。

 2014-09-16_10-52-43.png

今回の我々の研究を改めて振り返ると,長年の研究成果と探究心の賜物だったと思います.鍵となるものは以下の三つに集約されると思います.

・当研究室で辻准教授が中心となって行ってきた新反応・新分子開発の結果として,π共役拡張に理想的な平面構造をもつ炭素架橋オリゴパラフェニレンビニレン(COPV)の開発に至った.

・教授の友人であるGuldi教授が長年に渡り分子ワイヤを介した長距離電子移動を研究していた.

・予想外の実験結果を根気強く解釈しようとし続けた.

研究の直接の契機となったのは,2010年にGuldi教授が本学科のセミナーで自身のOPVを介した電子移動の研究を紹介された際のことです.当時,OPVは最も優れた分子ワイヤとして世の中に知られていましたが,当時開発して間もないCOPVの構造的特徴を考えると,COPVは優れた分子ワイヤとして機能するに違いないと確信し,共同研究を持ちかけました.その後,一年半ほどをかけて分子を合成し,Guldi教授に過渡吸収スペクトルなどを測定してもらいました.確かに,予想通り,電子移動速度が高速化していましたが,データ全体を見渡すといろいろ不可解な現象が見られました.

(1)電子移動速度の溶媒依存性と距離依存性に一貫性がない.

(2)剛直な分子骨格にもかかわらず構造変化に起因する再配列エネルギーが大きい.

(3)電荷分離と比較して電荷再結合が異常に速い.((2)で述べたように再配列エネルギーが小さいと予想していたため,電荷再結合は遅いと考えていた)

その後,半年以上の検討を経て,(1)の問題については論理的に説明することができましたが,(2)と(3)は,さらにその後一年半以上も未解決のまま時が過ぎました.その間は別のテーマを検討していましたが,学会でポスター発表をした際に,やはり(2)と(3)の問題を指摘され,それを契機に,一から電子移動理論を勉強し,分子振動を考慮した半古典的マーカス式で説明できないかと思うようになりました.実際に分子振動を考慮に入れて解析し直したところ,いずれの問題も振電相互作用(e-vカップリング)で説明可能であることがわかりました.しかし,なぜ本系の分子において振電相互作用が顕著になるのかという新たな疑問が生じました.そこで,電子移動が分子振動とカップルするような電子移動機構はないかと,固体物理学の文献を片っ端から集めて読み込んだところ,非弾性トンネリングという現象に行き着きました.従来のOPVのような柔軟な分子ワイヤでは,分子運動が凍結された極低温以外ではそのような効果が発現しないのに対して,構造が固定されたCOPVでは室温でも有意に発現していたようです.このような室温の分子間電荷移動系でe-vカップリングで観測された例は初めてのものであるということがわかり,Nature Chemistryに投稿しました.査読していただいたレフリーからも”This manuscript provides an excellent example of the importance of vibrational modes in the rates of charge recombination in the Marcus inverted region. This effect has been predicted theoretically for over 30 years, but it is nice to see such a clear example.”とのコメントをいただき,電子移動研究のマイルストーンとして評価されました.なお,振電相互作用の起源についての詳細は理論化学者との共同研究で検討中です.

長くなりましたが,もう一度まとめますと,本研究は両研究グループがそれぞれ長年研究していた成果が意図せず出会うことで生まれたものであり,専門外の人たちとの共同研究の大切さを示すものといえます.もちろん,これまでになかった新しい物質が合成できたところが全ての始まりでしたので,独自のアイデアを活かしたもの作りの大切さも忘れてはなりません.さらに,実験データに真摯に向き合い,最後までやり抜く根気強さが相まって初めて独自性のある結果に辿り着いたものだと思います.それまでわからなかったことを一つ一つ理解していく過程は苦しくも楽しく,論文が採択されたときには4年間もかけてやってきたことは無駄ではなかったと確信することができました.中村教授や辻准教授,Guldi教授をはじめ,本研究の礎となった研究を行ってきた諸先輩方に尊敬と感謝の意を表したいと思います.

助川 潤平

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