[スポンサーリンク]

化学者のつぶやき

反応の選択性を制御する新手法

[スポンサーリンク]

 ベンジル基をもつ4級アンモニウム1を強塩基で処理すると、アンモニウムイリド2を経由して[1,2]-シグマトロピー転位(Stevens転位)と [2,3]-シグマトロピー転位(Sommelet–Hauser転位)が競合して起こることが知られています(図 1)。

図1. アンモニウムイリドの2種類の転位反応

図1. アンモニウムイリドの2種類の転位反応

 

速度論支配の反応では、一般に活性化エネルギーがより小さい遷移状態(TS B)を経て反応が進行します(図 2a)。反応の選択性を制御するには、一方の生成物に対応した遷移状態のみを安定化または不安定化させればよい。しかし、上記2つの転位反応は共通の遷移状態3を経由して進行するため、選択性を制御することができませんでした(図 2b)[1]。最近、テキサスA&M大学のSingletonらはdynamic matchingという概念を用いてこれらの転位反応の選択性の制御に成功しました。

“Controlling Selectivity by Controlling the Path of Trajectories”

Bissau, B.;  Singleton, D. A. J. Am. Chem. Soc. 2015, 137, 14244. DOI: 10.1021/jacs.5b08635

 

2016-01-30_16-52-34

図2

dynamic matchingとは

 dynamic matchingとは、反応の遷移状態における原子の運動の方向(transition vector)が後に起こる反応経路に影響するという考え方です[2]。この考えに従うと図3aのように、単一の遷移状態から異なる2つの生成物が得られる場合、原子の運動方向にそった反応が優先して進行します。

アンモニウムイリドの[2,3]-転位反応はC3−C2結合の形成とC1–N結合の開裂が協奏的に進行します。一方、[1,2]-転位反応では協奏的なシグマトロピー転位反応は軌道の対象性から禁制となるため進行しない(Woodward–Hoffmann則)。実際の[1,2]-転位ではC1–N結合が開裂した後C1–C2結合の形成が起こります(図 3b)。

 

図3. (a)Dynamic matchingの概念図 (b)実際の反応

図3. (a)Dynamic matchingの概念図 (b)実際の反応

 

著者らはこれに注目し、遷移状態において原子団が離れる方向に動いている場合(図3b,TS1)、協奏的な[2,3]-転位反応よりも、C1–N結合開裂が優先しておこり、その後のC1–C2結合形成によって [1,2]-転位生成物が得られると考えました。逆に、遷移状態において原子がC3−C2結合を形成するような方向に動いていた場合(図3b,TS2)、協奏的な[2,3]-転位反応が起こり [2,3]-転位生成物が優先して得られます。著者らは、Hammond仮説(付録参照)に基づき、始原系を相対的に安定化させることによって遷移状態の構造を [2,3]-転位生成物に近づけました。この遷移状態では原子がC3−C2結合を形成する向きに動いており、[2,3]-転位が優先しておこります(図 4)。

図4. 遷移状態の移動によるTransition vectorの変化

図4. 遷移状態の移動によるTransition vectorの変化

 

著者らはモデル基質として4級アンモニウム塩8を用いました(図5)。8は塩基によって脱プロトン化され、エノラート型のイリド9を形成します。9を安定化する溶媒や塩基の検討をした結果、メタノール溶媒中で、ナトリウムメトキシドを塩基として用いて反応を行うと[2,3]-転位生成物が優先して得られました。著者はエノラートの酸素原子とメタノールによる水素結合によってイリド9が安定化され、遷移状態が生成系に近くなったためであると述べています。また、非プロトン性溶媒中でジアザビシクロウンデセン(DBU)を塩基として反応を行った場合、[2,3]-転位生成物が選択的に得られた。このことについて著者はDBUの共役酸はメタノールよりもプロトンの供与性が高く、イリド9をより安定化したためであると述べています。

図5. 始原系の安定化による選択性の向上

図5. 始原系の安定化による選択性の向上

まとめ

今回著者らは、遷移状態の早遅を変えることでアンモニウムイリドの転位反応の選択性を制御することに成功しました。この報告は、単に一例の転位反応の選択性を制御するだけでなく、一般的な選択性の制御とは異なる、dynamic matchingを用いた新たなアプローチを提言した面白い論文でした。

 

参考文献

  1. Biswas, B.; Collins, S. C.; Singleton, D. A. J. Am. Chem. Soc. 2014, 136, 3740. DOI: 10.1021/ja4128289
  2. Carpenter, B. K. J. Am. Chem. Soc. 1995, 117, 6336. DOI: 10.1021/ja00128a024

 

Hammond仮説

ある素反応において始原系が遷移状態を経て生成系へと変化していく際にとりうる各状態で、自由エネルギー的に近い状態は構造的にも類似しているという仮説。Hammond仮説よると発熱反応において、遷移状態のエネルギーは生成系よりも始原系に近いので、遷移状態の構造も始原系に近い。逆に、吸熱反応においては、遷移状態のエネルギーは始原系よりも生成系に近いので、遷移状態の構造も原型に近い。

Avatar photo

bona

投稿者の記事一覧

愛知で化学を教えています。よろしくお願いします。

関連記事

  1. 分子集合の力でマイクロスケールの器をつくる
  2. 笑う化学には福来たる
  3. 私がケムステスタッフになったワケ(5)
  4. 科学部をもっと増やそうよ
  5. シェールガスにかかわる化学物質について
  6. 怒涛の編集長 壁村耐三 ~論文と漫画の共通項~
  7. アニリン版クメン法
  8. 有機化学者のラブコメ&ミステリー!?:「ラブ・ケミスト…

注目情報

ピックアップ記事

  1. 特殊ペプチド Specialty Peptide
  2. ルドルフ・クラウジウスのこと② エントロピー150周年を祝って
  3. たるんだ肌を若返らせる薄膜
  4. サイエンス・ダイレクトがリニューアル
  5. Heterocyclic Chemistry
  6. 抗体-薬物複合体 Antibody-Drug Conjugate
  7. キース・ファニュー Keith Fagnou
  8. アカデミックから民間企業への転職について考えてみる 第2回
  9. ソラノエクレピンA (solanoeclepin A)
  10. 発展が続く新型コロナウィルス対応

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2016年4月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

注目情報

最新記事

マティアス・クリストマン Mathias Christmann

マティアス・クリストマン(Mathias Christmann, 1972年10…

ケムステイブニングミキサー2025に参加しよう!

化学の研究者が1年に一度、一斉に集まる日本化学会春季年会。第105回となる今年は、3月26日(水…

有機合成化学協会誌2025年1月号:完全キャップ化メッセンジャーRNA・COVID-19経口治療薬・発光機能分子・感圧化学センサー・キュバンScaffold Editing

有機合成化学協会が発行する有機合成化学協会誌、2025年1月号がオンライン公開されています。…

配位子が酸化??触媒サイクルに参加!!

C(sp3)–Hヒドロキシ化に効果的に働く、ヘテロレプティックなルテニウム(II)触媒が報告された。…

精密質量計算の盲点:不正確なデータ提出を防ぐために

ご存じの通り、近年では化学の世界でもデータ駆動アプローチが重要視されています。高精度質量分析(HRM…

第71回「分子制御で楽しく固体化学を開拓する」林正太郎教授

第71回目の研究者インタビューです! 今回は第51回ケムステVシンポ「光化学最前線2025」の講演者…

第70回「ケイ素はなぜ生体組織に必要なのか?」城﨑由紀准教授

第70回目の研究者インタビューです! 今回は第52回ケムステVシンポ「生体関連セラミックス科学が切り…

第69回「見えないものを見えるようにする」野々山貴行准教授

第69回目の研究者インタビューです! 今回は第52回ケムステVシンポ「生体関連セラミックス科学が切り…

第68回「表面・界面の科学からバイオセラミックスの未来に輝きを」多賀谷 基博 准教授

第68回目の研究者インタビューです! 今回は第52回ケムステVシンポ「生体関連セラミックス科学が切り…

配座制御が鍵!(–)-Rauvomine Bの全合成

シクロプロパン環をもつインドールアルカロイド(–)-rauvomine Bの初の全合成が達成された。…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP