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「赤チン」~ある水銀化合物の歴史~

【注】本記事を以て、水銀による公害汚染、及びその他の重金属による公害汚染を正当化しようという意思は一厘一毛たりとも御座いません。あくまで「特定の水銀化合物薬品に関するトピック」を記述しております。本記事内の表現により何らかの苦痛を感じられる方がおられましたら善処し改編致しますので、その旨ご指示頂きますようお願い申し上げます。

Tshozoです。先日阿呆なことに包丁で指を切ってしまい、〇キロンを振り掛けてしみて苦悶しているときにふと思い出した抗菌剤「赤チン」。小さい頃、よくキズに塗ってもらいましたが、ひどく滲みたという記憶がありません。他の方々もそうだったのではないでしょうか、特に30歳以上の方々。

この赤チン、そう言えばあるときを境にスパッと家の救急箱から消えたなぁ、ということを思い出し、今回どういう化合物だったのかを歴史を含めて調べてみることにしました。

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年配者にはごぞんじ「赤チン」  正直見た目のインパクトが非常に大きく、塗った後の印象も格別

 

赤チンは通称で、その名の通り濃い赤色。正式には「赤ヨードチンキ」。マーキュロクロム液とも言います。元々はジョン・ホプキンス大学のヤング博士(Wikipediaへのリンクはこちら→)がその抗菌効果に気づき、Hynson, Westcott & Dunningというボルチモアの会社が”Merbromin”という登録商標のもとに製造・販売したのが最初です。日本には1939年に名前に変えて入ってきた模様です。

Hg_03

発売当時(1940年あたり)に打たれたMerbrominの広告(【”Vintage Ad Browser”】より借用/リンクはこちら → 
販売元のHynson社は1985年に現Becton, Dickinson and Company と合併

この赤ヨードチンキ、ヨードという名称が付いてながら実は全くヨウ素は含まれていません。これは当時、同様に殺菌剤として使用された「希ヨードチンキ」(Iodtinktur:ヨウ素 I2?とヨウ化カリウム KI が溶かされたエタノール溶液)、その色が茶色だったのに対し付けられた名前です。おそらく現場の医師たちのことを考え、色で呼べば間違えにくいから付いた・・・と思うのですがどうなんでしょうか。

ともかく、この赤チン内に含まれる主要化合物の正式名称は”Dibromo Hydroxy Mercurifluorescein“(以下DHM・分子構造は下図)といいます。これを水+エタノール(50vol%以下)の溶液で2%程度に薄め、劣化防止に炭酸ナトリウムを加えたものが実際の赤チンです。・・・まぁ、名称でわかると思いますが「水銀(Hg)原子」が入っています。 筆者が知ったのはもちろん成人になってからで、知った当時はなんでかやや身構えた覚えがあります。

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DibromoHydroxyMercurifluorescein 分子構造・この材料単体は劇物だが希釈液は劇物対象外

Hg_07.png

合成方法は1920年(!)に既に開発済で、Bayer博士が開発したフルオロセチンをベースに合成
酢酸水銀は当時から多用されていた水銀化薬品の一つ

 このDHM、もともとは硫化水銀(Ⅱ)と共に絵の具の顔料(紅)としても使われていましたが、残念ながら誰が一番最初に合成したかまでは遡れませんでした。抗菌作用についてもバクテリア系菌類に対し一般的な金属(銀、銅など)が持つ作用以上の文献は見つけられておりません。また、何故他の薬品に対してどうしてキズにしみにくいのかの現象も説明している論文はみかけませんでした、残念ながら・・・。ということで化合物としてはわからんことづくめです。ただ、Hyson社が出していた説明書(こちら→)を見つけて読んでみたところ、糖分や他の塩、有機酸に対して相溶性が非常に悪いとの記述がありました。このことが、体内にしみこみにくいうえに皮膚表層のみで抗菌性を示し、さらに水銀が体内に取り込まれにくい理由なのではないかと推測されます。
で、この赤チン、戦後になっても比較的広く使用されていました。しかしその後、アセトアルデヒドの合成時に発生する(と考えられる)有機水銀化合物により、熊本県水俣湾でのチッソ社(現JNC)による水俣病、新潟県阿賀野川流域での昭和電工による第二水俣病が起きたことは皆様ご存知だと思います。その恐ろしい毒性と高い蓄積性で多数の被害者を出したことを受け日本国内では1973年、1974年にはそれぞれDHMを含む医薬品や農薬での水銀化合物のほとんどが国内製造・使用禁止となりました。結局、この規制が本記事冒頭で述べた「我が家の救急箱から赤チンが消えた」理由だったわけです。ほかにも衣服に付くと取れにくい、ということもあったようです。

しかしこの際、「赤チン」としての製造(=DHMの希釈液製造)は禁止されませんでした。

ということで、まだ実は作っている会社があるのです! 世田谷に本社のある、三栄製薬さん、そして大阪のフヂミ製薬所さんが国内で作り続けています。とは言え、原料の国内合成は禁止されているので中国から原料を仕入れる以外になく、調合のみを国内で行っているとのこと。今でも「しみない」という特長を求めて購入するお客さん、また金魚などの皮膚病防止に極少量を使用するお客さんは少数ながら居るようで、その方たちのために現在でも作り続けているようです。【2017年9月追記:残念ながらフヂミ製薬殿は2015年に廃業されてしまったようです】

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国内でただ2社、赤チンを作り続ける三栄製薬殿、フヂミ製薬所殿

 ただ、今回の案件である赤チンについては重金属を含まない代替品が色々と出てきており、また製造工程からの水銀排出や環境中への蓄積があり得ることを考慮すると、使用量・生産量としてはどうしても極小にならざるをえないモノであると考えます。幼少のころの思い出を考えると残してほしい一品ではあるのですが、こればっかりは時代の流れなのでしょう。

それでは今回はこのへんで。水銀についてはこの10月に水俣条約(→)が発効される等、まだまだ考慮していかねばならない材料であることは間違いありません。今後もトピックが上がり次第報告していきたいと思います。

【以下蛇足】

米国でも、水俣病の被害情報を受け1978年に米国で同様に多数の水銀化合物が製造・販売禁止になりました。しかしこの際DHMは同規制のリストにひっかからず、再度1992年から議論がはじまり、1998年にFDA(米国食品医薬品局)で「一般的に安全で効果的と認められない(not generally recognized as safe and effective)」という表現で製造・販売が停止されました。

しかしこの決定にはかなり多くの反論があったようです。その意見を見てみると、

『1918年のヤング博士による抗菌作用の発見以来、DHMによる水銀中毒の被害は殆ど全くと言っていいほど確認されていないのに、何故今になって販売を停止しなければならないのか。非常に安くて有効で特許の縛りも無いのに』

というものでした。確かに調べてみると、赤チンを大量に使っていたために水銀中毒になった、という報告は国内・海外を見ても見つからないのです(注:誤飲による急性水銀中毒の例が極僅かですが存在します)。多少調べた文献も若干ありますが続報も無く、1940年以降はマジメに追及された痕跡もありません。有害性が科学的に立証されていない状態、とも見えてしまいます。

もちろん価値判断の基準としては「高環境負荷性の重金属化学品は、特殊で置換不可なもの以外については使用を出来る限り避ける、又は止めるべき」ということが妥当なものでしょう。しかしそれには絶対に「中立性の高いデータ」が提出されることが大前提になります(正直、裁判所とかがこういう中立的な科学分析部隊を持つべきじゃないのかとも思いますが・・・)。

水俣病の時にあったように「事象に利害関係を持つ国家、企業、個人側が提出するデータ」ほどポジショントーク色が強く鵜呑みに出来ないことは当然なのですが、「データを伴わない感情論」も時には同様に信用するに足らないものである、ということはここ2,3年の色々な出来事を見てみれば頷けるのではないかと思います。こうした事象に対しては、正しいデータに基づいた十分な議論の上、適切な権限を持つ適切な判断者適切な価値判断を行ってもらうことが出来れば、と切に願うものであります。

【筆者注:10月25日 合成情報追加、一部文章訂正しました】

 

参考サイト

1、 からむこらむ殿サイト→ 

2、 東京都薬剤師会北多摩支部殿サイト → 

3、 A6news殿(東京新聞殿の転載記事の部分のみお読みください)サイト →

4、 健康美容EXPO殿サイト → 

5、 Hyson社の1932年当時のDHM仕様説明書 → 

わずかに存在するDHMの「安全性」を示す論文群はこの仕様説明書の最後に掲載してあります

? ? ? ?また同書に殺菌作用(germicide effect)もあると記載がありますが不確実なため記事中では抗菌作用のみ記載しました

6、 平成医新殿 → 

7、 フヂミ製薬所殿サイト → 

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Tshozo

Tshozo

メーカ開発経験者(電気)。56歳。コンピュータを電算機と呼ぶ程度の老人。クラウジウスの論文から化学の世界に入る。ショーペンハウアーが嫌い。

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