[スポンサーリンク]

スポットライトリサーチ

ゲルのやわらかさの秘密:「負のエネルギー弾性」を発見

[スポンサーリンク]

第313回のスポットライトリサーチは、東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 鄭・酒井研究室 博士課程3年 吉川 祐紀さんにお願いしました。この研究では、ゲルのやわらかさを決める物理法則は何か?という非常に基本的な問題について、その鍵となる「負のエネルギー弾性」を世界で初めて発見しました。本研究成果はPhysical Review X誌およびプレスリリースに公開されています。

“Negative Energy Elasticity in a Rubberlike Gel”
Yuki Yoshikawa, Naoyuki Sakumichi, Ung-il Chung, and Takamasa Sakai
Phys. Rev. X, 2021, 11, 011045,  doi:10.1103/PhysRevX.11.011045

研究室を主宰されている酒井 崇匡 教授から、吉川さんについて以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!

ゲルの常識を覆すようなこの大仕事を、形にしてくれた吉川くんには非常に感謝しています。なぜならば、私がこの論文の端緒となるデータを取得したのは、今を遡る10年以上前で、ずっと眠っていたテーマだったからです。当時は、ゲル・測定方法・物理に対する理解が浅く、この大物を釣り上げることができませんでした。吉川くんは、持ち前の探究心で、誰もが納得するようなデータを積み上げ、そして物理学者の作道先生の薫陶を受けながら、美しい物理に昇華させてくれました。この研究を通して、吉川くんは圧倒的に成長したと思います。この先も、持ち前の探究心・考え抜く力をもって、新しい物理を見つけてもらえたらなと思います。期待してますよ!

Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。

高分子ゲル(以下、単にゲルと呼ぶ)は、ゼリー・豆腐などの食品や、ソフトコンタクトレンズ・止血剤など医療に活用される、ウェットでやわらかい物質です。また、ゲルから水を蒸発させたものがゴムです。ゲルやゴムのやわらかさ (科学的には剛性率と呼ぶ) は熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)に基づくエントロピー弾性でおおむね説明できるということが、100年近く常識として信じられてきました。
本研究では、この長年の常識がゲルについては間違いであり、「負のエネルギー弾性」が存在することを発見しました (図)。実験方法としては、様々な高分子網目構造を持つゲルを作製し、そのやわらかさの温度変化の測定と解析を行いました。その結果、ゲルを変形すると、元の形に戻る力であるエントロピー弾性が生じますが、同時にそれと反対向きの力である負のエネルギー弾性が生じて、これらの合計でゲルのやわらかさが決まることが判明しました。この負のエネルギー弾性により、ゲルは大幅にやわらかくなっており、やわらかさの温度変化もこれまでの想定より数倍大きいことがわかりました。本研究の成果は、食用や医療用の新規ゲル材料の開発や、ゲルが利用される産業全般に広い波及効果が期待されます。

図. ゴムとゲルにおける、剛性率の温度依存性の概略図。ゴムはほぼエントロピー弾性のみであり、その剛性率は温度に正比例するが、ゲルは負のエネルギー弾性 (縦軸切片) を持つために、その剛性率は温度に正比例しない。

Q2. 「負のエネルギー弾性」と聞くと、少し(かなり)難しそうだな、一体どのような状態なんだろう?と思ってしまいます。何か例をあげて説明してもらえると嬉しいです。

熱力学的に弾性は、変形時のエントロピー変化から生じるエントロピー弾性と、変形時の内部エネルギー変化から生じるエネルギー弾性の2つから成ります。したがって、「負のエネルギー弾性」は、変形時に内部エネルギーが減少することによって生じます。これは、内部エネルギーだけに着目すれば、変形状態の方が安定的であり、自然と崩壊する方向に進むことを意味します。ただ、ゲルにはそれよりも大きな正のエントロピー弾性が存在するために、それらの合計値は正となり、ゲルは崩壊しません。しかしながら、負のエネルギー弾性によって、ゲルはやわらかく (変形しやすく) なっています。
本研究によって、この負のエネルギー弾性はゲルの溶媒 (水) が原因であることは分かっていますが、具体的なメカニズムについては現在研究中です。

 

Q3. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。

長年の常識を疑った解析を行ったことが、一番工夫したところです。ゲルの弾性は、エントロピー弾性のみを考慮したゴム弾性論を用いて、議論されてきました。私も研究当初は、ゴム弾性論を用いたゲル弾性の研究を行っていたのですが、その中で、ゴム弾性論に基づいた解析では、辻褄が合わない実験結果があることに気付きました。そこで、先生方と相談しながら、ゴム弾性論よりもさらに歴史が古く、19世紀までに完成した「平衡熱力学」に立ち戻って、実験・解析を行いました。その結果、ゲルには負のエネルギー弾性が存在し、ゴム弾性とは本質的に異なることを示しました。この研究は、私が学部4年から博士課程2年までの5年間を費やして、ようやく発表できたものなので、全てに思い入れがあります。

 

Q4. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?

負のエネルギー弾性が存在することを納得させるような結果を示すことに一番苦心しました。本研究では、50種類以上もの様々な網目構造を持つゲルを作製し、その全てにおいて無視できないほど大きな負のエネルギー弾性が存在することを確認しました。また、負のエネルギー弾性の支配法則を明らかにし、それが先行研究と整合的であることを示すことで、結果により信憑性を持たせることができました。例えば、ゲルの溶媒の割合を減らしてゴムに近づけると、負のエネルギー弾性の寄与が小さくなり、エントロピー弾性が支配的になるという結果が得られたのですが、これはゴム弾性はエントロピー弾性であるとする先行研究と整合的です。

 

Q5. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?

物理的知見を用いた設計指針を元に、新たな化学製品を開発したいです。化学は、色々な分子設計をデザインできることが魅力のひとつだと思いますが、その設計指針には物理的アプローチによって得られた知識が、大いに役立つと考えています。例えば、今回発見したゲルの負のエネルギー弾性について、そのメカニズムが明らかになれば、非常に硬いゲルや、逆にものすごくやわらかいゲルをどのように作製すれば良いのかが見えてくると思います。

 

Q6. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

子供のころ、世の中には「なぜ?」「どうして?」と思うことがたくさんありました。しかし、大人になるにつれ、「これはこう言われているからこういうものなんだ」と理解したような気になり、子供のころのように疑問に思うことが少なくなりました。しかし、今回の研究を通じて、常識だと思われていても、実はその原理・メカニズムが科学的に立証されていないことが、ゲルのような身近なものでも、まだまだあるということを学びました。常識や慣習に囚われず、子供のような純粋な視点を持って研究をすることは大切だと思います。
最後に、本研究が発表されるまでの長期間、暖かくご指導いただきました酒井先生、鄭先生、物理学者の視点から様々なアドバイスをしてくださった作道先生、支えてくださった研究室の皆さんに深く感謝申し上げます。そして今回、研究を紹介する貴重な機会を下さいましたChem-Stationスタッフの皆様に深く御礼申し上げます。

研究者の略歴

名前:吉川 祐紀
所属:東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 鄭・酒井研究室 博士課程3年
研究テーマ:ゴム状高分子ゲルにおける負のエネルギー弾性の系統的理解

略歴: 2017年3月 東京大学工学部マテリアル工学科 卒業
2019年3月 東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 博士前期課程 修了
2019年4月-現在 東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 博士後期課程
2021年4月-現在 日本学術振興会特別研究員(DC2)

 

リンク

東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻 酒井・鄭研究室

Avatar photo

Kosuge

投稿者の記事一覧

高分子、超分子、材料化学専門の大学講師です。

関連記事

  1. ケムステVシンポ「最先端有機化学」開催報告(前編)
  2. HACCP制度化と食品安全マネジメントシステムーChemical…
  3. 続・日本発化学ジャーナルの行く末は?
  4. 比色法の化学(前編)
  5. 工程フローからみた「どんな会社が?」~半導体関連
  6. 地球外生命体を化学する
  7. 留学せずに英語をマスターできるかやってみた(5年目)(留学中編)…
  8. “follow”は便利!

注目情報

ピックアップ記事

  1. アルキンの水和反応 Hydration of Alkyne
  2. カルノシン酸 : Carnosic Acid
  3. アカデミアケミストがパパ育休を取得しました!
  4. 掟破り酵素の仕組みを解く
  5. DNAに人工塩基対を組み入れる
  6. MOFを用いることでポリアセンの合成に成功!
  7. Chemistry Reference Resolverをさらに便利に!
  8. 世界の中分子医薬品市場について調査結果を発表
  9. 2004年ノーベル化学賞『ユビキチン―プロテアソーム系の発見』
  10. 知的財産権の基礎知識

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2021年5月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  

注目情報

最新記事

Host-Guest相互作用を利用した世界初の自己修復材料”WIZARDシリーズ”

昨今、脱炭素社会への実現に向け、石油原料を主に使用している樹脂に対し、メンテナンス性の軽減や材料の長…

有機合成化学協会誌2025年4月号:リングサイズ発散・プベルル酸・イナミド・第5族遷移金属アルキリデン錯体・強発光性白金錯体

有機合成化学協会が発行する有機合成化学協会誌、2025年4月号がオンラインで公開されています!…

第57回若手ペプチド夏の勉強会

日時2025年8月3日(日)~8月5日(火) 合宿型勉強会会場三…

人工光合成の方法で有機合成反応を実現

第653回のスポットライトリサーチは、名古屋大学 学際統合物質科学研究機構 野依特別研究室 (斎藤研…

乙卯研究所 2025年度下期 研究員募集

乙卯研究所とは乙卯研究所は、1915年の設立以来、広く薬学の研究を行うことを主要事業とし、その研…

次世代の二次元物質 遷移金属ダイカルコゲナイド

ムーアの法則の限界と二次元半導体現代の半導体デバイス産業では、作製時の低コスト化や動作速度向上、…

日本化学連合シンポジウム 「海」- 化学はどこに向かうのか –

日本化学連合では、継続性のあるシリーズ型のシンポジウムの開催を企画していくことに…

【スポットライトリサーチ】汎用金属粉を使ってアンモニアが合成できたはなし

Tshozoです。 今回はおなじみ、東京大学大学院 西林研究室からの研究成果紹介(第652回スポ…

第11回 野依フォーラム若手育成塾

野依フォーラム若手育成塾について野依フォーラム若手育成塾では、国際企業に通用するリーダー…

第12回慶應有機化学若手シンポジウム

概要主催:慶應有機化学若手シンポジウム実行委員会共催:慶應義塾大学理工学部・…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP