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化学者のつぶやき

「遠隔位のC-H結合を触媒的に酸化する」―イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校・M.C.White研より

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「ケムステ海外研究記」の第21回目は、南條毅さんにお願いしました。

南條さんはイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校のM. Christina White研に博士研究員として滞在され、現在は帰国して京都大学の博士研究員として勤務されています。本稿でも言及されていますが、White研は有機合成化学分野における世界的ラボの一つにもかかわらず、なぜか日本からの留学者がいないところでもありました。しかし南條さんと昨年度末の薬学会年会でご一緒する機会があり、White研に留学されていることをお聞きし、これは是非実情を知らねばならない!と思えた自分、本稿の執筆を依頼しすぐさま快諾頂くことができました。というわけで本邦初公開の体験記を是非ご覧下さい!

Q1. 留学先では、どんな研究をしていましたか?

私はイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校(UIUC)のM. Christina White教授の下で博士研究員として2年間過ごし、その間、遠隔位C-H結合の酸化反応の発展を目指した研究課題に取り組みました。

M. Christina White教授

C-H官能基化(活性化)は有機化合物の炭素―水素(C-H)結合を直接望みの官能基や炭素骨格に変換する手法のことです。特定の位置を除けばC-H結合は反応性に乏しく、さらに有機分子中に数多く存在するため、反応性・選択性の実現はともに困難な課題です。その一方で、標的分子の合成を大幅に短縮できる可能性を秘めた理想的分子変換でもあります。1993年の村井先生らによる初の触媒反応の報告例[1]を皮切りに、近年最も盛り上がった分野の一つとして精力的に研究されてきました。

その中で、White教授は2004年にパラジウム触媒によるアリル位C-H官能基化[2]、2007年には鉄触媒(FePDP)による脂肪族C-H結合の選択的酸化反応[3]をそれぞれ報告しており、C-H活性化の領域を盛り上げた立役者の一人と言えると思います。特に脂肪族C-H酸化反応においては基質制御の位置選択性を覆すのが通常困難ですが、触媒中心の周りの立体を嵩高くしたFeCF3PDP触媒[4]では位置選択性を触媒制御できることを示しており、非常に画期的です。

「分子内に数多く存在するC-H結合の立体環境、電子的要因の差を精密認識して反応させられる触媒系を構築できれば、C-H結合はもはや「不活性結合」ではなく、望みの置換基を導入するための足掛かりとなる「官能基」として利用できるはずだ」

というのがボスのChristinaの言葉です。(多少私の意訳が入っているのであしからず)
そのような発想とこれまでの研究結果に基づき、White研は現在、①これまでに見出した触媒をより様々な基質・反応に利用するための方法論の開発、②これまでと異なる反応性・化学選択性を有する新規触媒の創製、の両面から「実用的なC-H官能基化手法の実現」を目指して研究を進めています。
私も同様のアプローチから課題に取り組んでいましたが、その一つの結実として、アミド存在下での遠隔位C-H酸化法を実現しました[5]。FePDP触媒によるC-H酸化反応は、含窒素化合物にはその電子豊富な性質ゆえに適用困難であり、アミドでさえも望まない窒素α位のC-H酸化が競合するという大きな制限がありました。そこで種々検討したところ、MeOTfを用いたアルキル化により、アミドを電子不足なカチオン種として「保護」することで副反応を抑え、望みの遠隔位C-H酸化反応を選択的に起こすことに成功しました。本結果の前報である脂肪族アミン存在下でのC-H酸化法[6]の知見と合わせることで、FePDP触媒によるC-H酸化反応は様々な含窒素化合物にも適用できるようになり、反応の一般性を大きく改善するに至りました。

アミド存在下でのFePDP触媒を用いた遠隔位脂肪族C-H酸化反応

 

Q2. なぜ日本ではなく、海外で研究を行う(続ける)選択をしたのですか?

このようなことを正直に言うと今の時代「意識が低い」と怒られてしまいそうですが、英語の勉強がずっと大嫌いだった私は留学することに乗り気ではありませんでした(ちなみにこの留学生活が人生初の海外渡航です)。とりあえず海外に行くべきとする最近の風潮に対して、「海外に出ないと良い研究ができない訳でもない」というあまのじゃくな考えを持ってもいました。一方で、海外PIがどのようなマネジメントで研究を進めているのかにはもちろん興味があり、アカデミアの進路を希望する限り(実際参考にするかはともかくとして)その実情を当然知っておく必要があるとも思っていました。そのような心の葛藤もありつつ、博士号取得直後という思い切って動きやすい良いタイミングでもあったので、最終的には「どうせ行かないといけないなら今行っておくか」くらいのかなり軽い気持ちで留学を決めました。しかしあとでも述べますが、アカデミックキャリアをスタートする前に留学したのは正解だったと今は心から思っています。あと、英語がいくらひどくても、専門分野の知識と研究への熱意があれば、行ってしまえばまぁ何とかなります。安心してください(笑)。

Q3. 研究留学経験を通じて、良かったこと・悪かったことをそれぞれ教えてください。

良かったこと

まず何よりもC-H活性化といった有機合成におけるホットトピックの最前線で活躍している先生の熱意と考え方に直に触れられたことだと思います。ボスのChristinaは常にアクティブで、グループセミナーでも非常に多くの(多すぎる)提案がもらえます。(White研の印象的なHPは有名かと思うので、そんなことは改めて言われなくても容易に想像できるという方もいそうですが(笑))

White研HPの写真:今考えるとChristinaのバイタリティーを上手く表現しているのかもしれません(笑)

 

悪かったこと

正直そこまで深刻ではなかったですが、強いて言うなら日本にいる時以上に将来どうなるのだろうという不安感を感じたことです。やはりたった2年間でも日本と疎遠になっている感じがするので、最終的に日本で仕事を見つけたいと思っていた私としては、次の行き先をどうしようという不安とか漠然とした孤独はふとした時に感じていました。

Q4. 現地の人々や、所属研究室の雰囲気はどうですか?

私の留学していたアーバナ・シャンペーンは、アメリカ有数の大都市であるシカゴから車で2~3時間の距離にある田舎に位置しています。人口が10万人程度の小さな町で、街を出るとひたすらトウモロコシ畑が広がっており、まさに大学のための都市がそこにポツンとあるという印象です。そういうゆったりとした環境もあってか、現地の人々は基本的に親切で、大都市とは違った意味で住みやすい環境だと思います。

 

研究室のメンバーもみんなフレンドリーで、私が渡航するときもいろいろ助けてもらいました。また普段からしょっちゅう雑談したり、もちろん研究テーマについてディスカッションしたり、ボスが学会等でいないときはバーで祝福のパーティーを開催したり、普通に過ごしやすい良い研究室だと思います。

クリスマスパーティー時の写真(このときは皆でシカゴに繰り出しました)

 

ボスのChristinaもギリシャにルーツがあるためか、外国人に対して非常に理解があると思います。私も当初はHPのキツそうな印象もあって英語を全然話せないと何か言われるのでは・・・とか色々懸念していたのですが、幸い杞憂に終わりました。

上述の仕事[5]の論文化を祝う会での記念撮影

また研究生活においても、コアタイムや在室かどうかを示す(日本特有の)indicatorも無く、セミナーや報告会の時間に存在しさえすれば、基本的に何時に来て何時に帰ろうと自由です。重要なのは要領よく必要な仕事量をこなし、結果も適切に「演出」してボスの信頼を勝ち取ることであり、そのあたりは日本で博士号を取得した人なら、普通にやっていれば何の問題も無いことかと思います。
なお、Christinaが外国人に対して理解があると上述しましたが、日本に対しては特に好意的だと思います。それは彼女が招待講演で日本に行った際のエピソードを話している様子から何となく伝わります。他にも、日本滞在中にお気に入りの日本製化粧品などを仕入れたりしているようです。

Q5. 渡航前に念入りに準備したこと、現地で困ったことを教えてください。

上述の通り私は自分の英語力が「やばい」ことを自覚していた上に心配性なので、生活面の準備はできる限りしていかないと不安で仕方ありませんでした。例えば、銀行口座の開設や医療保険の加入などは日本でできるところを探して渡航前に済ませておきました。一方で、これらは現地でどうにかする方が金銭的にもはるかにお得なので、英語でのコミュニケーションが苦でなければ現地での手続きで全く問題ありません。
現地で困ったこととしては、ずっと申し上げている通り、やはり自分の拙い英語力に起因するものがほとんどです。話が理解できない、言いたいことが伝えられないは研究と実生活の両方で大きなストレスです。
他にはこれもありきたりな話ですが、口に合わない食事も困りものです。私は妻にアメリカまで一緒に来てもらい、普段の食事なども世話してもらっていたので(本当に感謝しかないですね)何とか乗り切れましたが、外食をずっと続けていたら精神的・経済的に参っていたと思います。もちろんそれなりのお金を出せばおいしい食事にはありつけますが、やはり日本の外食は安く、サービスも含めた質がいかに高いかを実感するいい機会となりました。

Q6. 海外経験を、将来どのように活かしていきたいですか?

改めて聞かれるとなかなか難しいですが、アメリカでの研究の実情を知った上で、日本の大学の良い点・悪い点を自分なりに見つめ直した結果、研究・教育に対する考え方・価値観は、自分の中で大分固まってきたように思います。それはWhite研での経験が無ければ得られなかったものと確信しているので、留学経験は私にとって既に大きく活かされていると感じています。

Q7. 最後に、日本の読者の方々にメッセージをお願いします。

他の方々も同じようなことを仰っているので繰り返しになってしまいますが、とりあえず海外経験があればOKというものでも無ければ、海外に絶対行かねばならないという訳でも無いと思います。私は「どうせ行くならアメリカでの研究がどういったものか知りたい、そして何より若い先生とバリバリ働いて、いい研究成果を出したい」という目標があり、思い切ってWhite研を選定しましたが、幸運にも想定以上のすばらしい経験を得られたと感じています。やはり研究者として留学する以上、単に留学経験を得るためとかではなく、「そこで何をしたいのか」をしっかり考えておくことが一番大切なのかなと個人的には考えています。

最後に宣伝ですが、Christinaは非常に有名にも関わらず、何故か(?)White研に留学する日本人はほとんどいませんでした(ちなみにポスドクでは私が初めての日本人です)。海外留学に関して、私の考えに共感してもらえる方には、White研は申し分ない環境だと思います。是非オススメします。

参考文献

  1. Murai, S.; Kakiuchi, F.; Sekine, S.; Tanaka, Y.; Kamatani, A.; Sonoda, M.; Chatani, N. Nature 1993, 366, 529. doi: 10.1038/366529a0
  2. Chen, M. S.; White, M. C. J. Am. Chem. Soc. 2004, 126, 1346. doi: 10.1021/ja039107n
  3. Chen, M. S.; White, M. C. Science 2007, 318, 783. doi: 10.1126/science.1148597
  4. Gormisky, P. E.; White, M. C. J. Am. Chem. Soc. 2013, 135, 14052. doi: 10.1021/ja407388y
  5. Nanjo, T.‡; de Lucca Jr. E. C.‡; White, M. C. J. Am. Chem. Soc. 2017, 139, 14586. doi: 10.1021/jacs.7b07665 (‡Contributed equally)
  6. Howell, J. M.‡; Feng, K.‡; Clark, J. R.; Trzepkowski, L. J.; White, M. C. J. Am. Chem. Soc. 2015, 137, 14590. doi: 10.1021/jacs.5b10299 (‡Contributed equally)

研究者の略歴

名前:南條 毅(なんじょう たけし)
略歴:2010年3月 京都大学薬学部薬科学科卒業
2015年3月 京都大学大学院薬学研究科薬科学専攻博士課程修了
(博士(薬科学)、竹本佳司教授)
2012年4月-2015年3月 日本学術振興会特別研究員(DC1)
2015年4月-2017年3月 イリノイ大学博士研究員(M. C. White教授)
2017年4月-2018年3月 京都大学大学院薬学研究科特定研究員(竹本佳司教授)
2018年4月-現在 京都大学大学院薬学研究科特定助教(竹本佳司教授)
研究テーマ(留学時):触媒制御を志向した遠隔位C-H酸化法の開発
海外留学歴:2年

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博士(薬学)。Chem-Station副代表。国立大学教員→国研研究員にクラスチェンジ。専門は有機合成化学、触媒化学、医薬化学、ペプチド/タンパク質化学。
関心ある学問領域は三つ。すなわち、世界を創造する化学、世界を拡張させる情報科学、世界を世界たらしめる認知科学。
素晴らしければ何でも良い。どうでも良いことは心底どうでも良い。興味・趣味は様々だが、そのほとんどがメジャー地位を獲得してなさそうなのは仕様。

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