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スポットライトリサーチ

電子のスピンに基づく新しい「異性体」を提唱―スピン状態を色で見分けられる分子を創製―

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第614回のスポットライトリサーチは、京都大学大学院工学研究科(松田研究室)の清水大貴 助教にお願いしました。

今回ご紹介するのは、「電子スピン異性体」に関する成果です。ジラジカル分子を合成し、同じ化学式・構造を持ちながら電子のスピン状態に由来して異なる性質を示す現象を実験と計算から示されました。本成果はACS Cent. Sci. 誌 原著論文およびプレスリリースに公開されています。

Optically Distinguishable Electronic Spin-isomers of a Stable Organic Diradical
Shimizu, D.; Sotome, H.; Miyasaka, H.; Matsuda, K. ACS Cent. Sci. 2024, 10, 890–898. DOI: 10.1021/acscentsci.4c00284

研究室を主宰されている松田 建児 教授から、清水先生について以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!

清水大貴さんは、2019年4月に当研究室の助教に着任され、スピンと光化学が絡んだ新しい研究を展開すべく、様々な挑戦を続けてきました。今回の研究は、一重項と三重項が近接したジラジカルにおいて、一重項から一重項への励起と三重項から三重項への励起を区別出来たらきっと面白いことにつながるはずということで、探索をしていて見つかった現象です。幸運に恵まれた一面もありますが、ここに至るまでの多大な苦労と努力があったことはコメントしておくべきと思います。清水さんの強固な基礎力と幅広い視野から生まれる知的好奇心や、うまくいかないことも乗り越える前向きな姿勢は学生さんにも良い刺激になっており、何より明るい性格が研究室を盛り上げています。読者の皆さん、清水さんの今後の活躍にご期待下さい。

Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。

ジラジカルが示す2つのスピン状態が、電子のスピン状態に基づく「異性体」として扱えることを示しました。

「スピン異性体」というものについて説明します。IUPAC Gold Bookには、「異性体: isomer」は以下のように記述されています。1

“One of several species (or molecular entities) that have the same atomic composition (molecular formula) but different line formulae or different stereochemical formulae and hence different physical and/or chemical properties.”(筆者意訳:原子の組成(分子式)は同じだが、構造式や立体化学が異なるため、物理的・化学的性質が異なる複数の化学種のうちの1つ。)

異性体は赤色で示した部分の違い応じて構造異性体、配座異性体、光学異性体etc. と細分化されていきます。また、異性体同士が性質によって区別できること(青色部分)も重要です。

図1.異性体の分類とスピン異性体

様々な異性体の中でも、原子の組み合わせや構造が全く同じにも関わらず「異性体」と呼ばれるものがあります。それがスピンに由来する異性体です。もっとも有名な核スピン異性体が水素分子(1H2)で、水素分子は2つの核スピンの状態(↑↑or↑↓)の違いに由来して異なる比熱や熱伝導性を示すことから、それぞれのスピン状態にある分子がまるで異なる化合物であるかのように「核スピン異性体」として扱われています(図1)。では、核とともに原子を構成する電子のスピンに由来してスピン異性体を作ることはできるのでしょうか。このような観点から、電子スピンの状態に由来して物性の異なる一組の「電子スピン異性体」と見なしうる化合物を報告したのが今回の論文です。

複数の電子スピン状態を取る分子として、今回はトリプチセンによって2つのBlatterラジカルを連結したジラジカルを合成しました。磁化率の温度依存性や吸収スペクトルの温度依存性から、このジラジカルの吸収スペクトルが2つのスピン状態で大きく異なることを実験的に示しました。すなわち、同じ組成・構造であるにも関わらず、電子スピン状態の違いに由来して吸収スペクトル(色)が異なる一組の「電子スピン異性体」を見つけたことになります。さらに大阪大学の宮坂先生、五月女先生にご協力いただき、スピン状態選択的な光励起ができること、またスピン状態によって励起後のダイナミクスが異なることを明らかにしました。

Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。

合成前の予備的な量子化学計算で、このジラジカルがスピン状態によって吸収スペクトルが大きく違いそうだということは掴んでいました。実際に合成したジラジカルを用いて実験的に確かめるため、スペクトルの温度依存性を調べました。すると、確かに冷却によって基底状態にある分子の数が増えるに伴って500–900 nmの範囲で吸収の大きな増強が見られました。これだけでは一重項状態の方がより大きな吸光係数を持っているという定性的なことしか言えないので、さらに定量的に調べるために、2.2 eV 以下の吸収帯の面積を温度に対してプロットしました。この温度依存性と磁化率から分かっている一重項/三重項状態の割合を使って、それぞれのスピン多重度における吸収割合を求めたところ、一重項/三重項状態の吸収面積の比が99.5/0.5と導かれました。あまりにきれいな数字にびっくりしたのを覚えています。

図2.スピン状態依存的な吸収帯であることを示したデータ。右下図の青色部分はほぼ完全に一重項状態の分子のみが吸収していることが分かった。

このスピン状態依存的な吸収帯の存在は、ラジカルユニット間の電子交換型の遷移が一重項状態で許容、三重項状態では禁制になるというスピン選択律に由来すると結論付けています。この現象はジラジカル一般に起こり得るはずですが、ラジカル間の軌道の重なりが大きいほど顕著に観測される一方、軌道の重なりはスピン状態間のエネルギー差を生み出し、不安定なスピン状態を取りづらくしてしまうと考えられます。今回の分子は空間を介したラジカル間の相互作用が絶妙でした。

Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?

今回見つかった現象を、どのように表現するかを悩みました。

研究の開始段階では「スペクトルがスピン状態で大きく異なる変わったジラジカルになりそうだから作って調べよう」というモチベーションでした。もちろん「スピン状態が違えばスペクトルが違うのは当たり前だろう」という直感は自然です。しかし、今回のジラジカルのスピン間相互作用(=スピン状態間のエネルギー差)は3.0 kJ/molで、これは水素結合よりもずっと小さく、弱い分子間相互作用と言われるCH/π相互作用と同程度です。この小さな相互作用が、それに比べて桁違いに大きな光励起のエネルギーに大きな影響を及ぼすかと考えると、ほとんど変わらないように思うのが素直だと思います。
そこで、この「室温で十分に熱励起できるほど弱いスピン間相互作用が光学特性に大きく影響する」という意外な現象をどう分かりやすく伝えるかを考えました。ふと思い出したのが、M1のときに雑誌会で取り上げた核スピン異性体の科学です。当時の研究にはあまり関連がなかったのですが、10年越しに研究のヒントになってくれました。
この論文が受理される前に『「電子スピン異性体」の創製と開拓』というテーマで科研費研究をスタートしていたので、今回の論文が無事にアクセプトされてホッとしています。

Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?

実験化学の醍醐味は、合成や測定をしているうちに思いもよらない分子や現象に出会うことだと思っています。自然が稀にこっそりと見せてくれるセレンディピティを見逃さないよう、これからも素直な好奇心を忘れず、わくわくする研究に取り組み続けたいです。

私は理論派というより感覚派の人間で、今回の研究も含めて分子や現象をどう見るか、という視点に自分らしさがあると感じています。ですので目の前の物質/現象や様々な研究者との対話の中で物質観や観察力を研ぎ澄ませ、その視点を通して研究をし、論文を読んだ人に「勉強になった」と感じてもらえるような仕事ができれば本望です。

Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

主に学生さん向けに書きます。私自身は学生のときに大須賀研究室でポルフィリンの研究に携わっていました。そのときよく耳にしたのが「ポルフィリンは特殊」という言葉です。確かにポルフィリンは構造や性質も特徴的で、周辺化合物を含めて一分野を築いています。なので研究者として外に出たとき、ポルフィリンから離れてやっていけるか不安に感じていました。
そんな中で松田研究室に着任した直後、前任の廣瀬先生(現京大化研)テーマの学生さんに研究紹介をしてもらったときの話です。

「ヘリセンの発光効率を上げる研究に取り組んでいます。普通のヘリセンは2つの遷移が打ち消し合うために光りにくくて…。」

「あれ?ポルフィリンのQ帯が禁制になってるのと一緒じゃん。」

こんなことがありました。これはほんの一例ですが、ポルフィリンの化学には大切なものが詰まっていたんだなとよく実感します。無数にある研究のなかでほんの一部に取り組んでいるような気がしても、それはたくさんの大事な基礎の積み重ねの上にあると思います。ぜひ目の前の研究や、先輩後輩含めたくさんの研究者との対話を通して学べることを最大限学んでください。きっとその経験が自分だけの力になります。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。最後となりましたが、着任時より私にのびのびと研究をさせてくださる松田先生、そして本テーマに限らず私と一緒に取り組んできた研究チームの皆さまに感謝します。重ねて、このような貴重な機会を設けてくださったケムステスタッフの皆さまに厚く御礼申し上げます。

研究者の略歴

名前:清水 大貴しみず だいき
所属:京都大学大学院工学研究科 合成・生物化学専攻 助教(松田研究室)
略歴:
2010年3月 愛知県立刈谷高等学校 卒業
2014年3月 京都大学理学部 卒業
2016年3月 京都大学大学院理学研究科 化学専攻 修士課程 修了
2019年3月 京都大学大学院理学研究科 化学専攻 博士後期課程 修了、博士(理学)
(指導教員:大須賀 篤弘教授)
2019年4月より現職

関連リンク

  1. ‘isomer’ in IUPAC Compendium of Chemical Terminology, 3rd ed. International Union of Pure and Applied Chemistry; 2006. Online version 3.0.1, 2019. [DOI: 10.1351/goldbook.I03289]

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大学院生です。ケモインフォマティクス→触媒

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