[スポンサーリンク]

化学者のつぶやき

pH応答性硫化水素ドナー分子の開発

[スポンサーリンク]

硫化水素は「腐卵臭」の主成分であり、悪臭や毒ガスなど有害なイメージが強いと思います。

しかし、実は生体内で重要な生物活性物質として働いており、その効果はインスリン分泌調整、血圧の降圧作用、抗炎症作用など多岐にわたっています。近年、このような硫化水素の生物活性の人工的制御をめざし、生体内で硫化水素を放出する分子(硫化水素ドナー分子)の開発が精力的に行なわれています。

硫化水素は高血圧症の治療薬や抗炎症薬として有効なだけでなく、心筋梗塞に代表される虚血再灌流障害*に非常に効果的であることが知られています。このため、硫化水素ドナー分子の医療応用に期待が高まっています。

従来、硫化水素の生物活性研究には硫化ナトリウムや硫化水素ナトリウムが用いられてきました。

しかし、これらの無機塩は水溶液中で瞬時に硫化水素を放出するため、硫化水素の急激な濃度上昇を制御できず、生体内での利用は困難でした。

近年、この問題を克服した硫化水素ドナー分子が数例報告されました。代表的なものにGYY4137が挙げられます。GYY4137は中性水溶液中で緩やかに加水分解が進行し、徐々に硫化水素を放出する。また最近、刺激応答性の硫化水素ドナー分子が開発された(図 1)。過剰な硫化水素は毒であるため、生体内では適量の硫化水素が標的部位のみで発生することが望まれます。その観点から、硫化水素の放出を外部刺激により制御できる刺激応答性ドナー分子は大変魅力的です。

 

2016-08-06_18-01-05

硫化水素ドナー分子

 

最近ワシントン州立大学のXian教授らは新たにpH応答性硫化水素ドナー分子JKを開発しました。

pHの微小変化を外部刺激とし硫化水素の放出を調節する初の分子です

虚血状態の組織は局所的にpHが低下するため、弱酸性条件化で高い硫化水素放出能を有するJKは、虚血再灌流障害が起きている部位を認識して自発的に硫化水素を放出する画期的な医薬品分子になりえます。彼らは本分子がin vitroだけでなく生体内でも機能することを実証し、実用可能性の高さを証明しました。今回は、この研究結果を簡単に紹介したいと思います。

“pH-Controlled Hydrogen Sulfide Release for Myocardial Ischemia-Reperfusion Injury”

Kang, J.; Li, Z.; Organ, C. L.; Park, C.-M.; Yang, C.-T.; Pacheco, A.; Wang, D.; Lefer, D. J.; Xian, M. J. Am. Chem. Soc. 2016, 138, 6336. DOI: 10.1021/jacs.6b01373

 

硫化水素ドナーとしての評価

彼らは5種類の新規硫化水素ドナー分子JK-1からJK-5を合成し、異なるpHの水溶液中で各分子の硫化水素発生量をそれぞれ時間に対してプロットしました。その結果、JK-2からJK-4はpH 5.0から8.0の範囲で高い硫化水素放出能を示し、特にpH 5.0から6.0の弱酸性条件下では非常に短い時間で効率的に硫化水素を放出することが分かりました。また、硫化水素応答性蛍光プローブを用いることでJK-2が細胞中でも硫化水素を効率良く放出することを観測しました。

2016-08-06_21-39-34

図2 JKの構造

細胞保護作用の評価

次に彼らは高い硫化水素放出能を有するJK-1JK-2が虚血再灌流障害に効果があるか生細胞を用いて検証しました。

虚血、再灌流による影響を別途再現するA/R処理*、続く過酸化水素処理を施した細胞に対し、JK-1JK-2を作用させました。その結果、JKを作用しない場合と比較して細胞死が抑制されたことを多角的に明らかにしました(直接的な細胞死の観測、乳酸脱水素酵素LDHの放出抑制やミトコンドリア膜電位の消失抑制の観測)。また心筋虚血、再灌流処理を施したラットに対しJK-1JK-2を作用させることで心筋梗塞のリスクが低下することを示唆する結果を得ています。

 

まとめ

今回彼らが開発したJKは、従来にないpH応答性の硫化水素ドナー分子である。JKは高い水溶性を有し、弱酸性条件下で硫化水素の放出が促進されるという特徴をもちます。

これらの分子は生細胞やラットの体内でも硫化水素を十分に放出し、酸化ストレスなどに起因する細胞死の抑制効果があることが実証されました。今後、硫化水素ドナー分子が新たな医療分野を切り拓いていくことに期待したいと思います。

 

参考文献

  1. Zhao, Y.; Wang, H.; Xian, M. J. Am. Chem. Soc. 2011, 133, 15. DOI: 10.1021/ja1085723
  2. Li, L.; Whiteman, M.; Guan, Y. Y.; Neo, K. L.; Cheng, Y.; Lee, S. W.; Zhao, Y.; Baskar, R.; Tan, C. H.; Moore, P. K. Circulation 2008, 117, 2351. DOI:10.1161/CIRCULATIONAHA.107.753467
  3. Zhao, Y.; Bhushan, S.; Yang, C.; Otsuka, H.; Stein, J. D.; Pacheco, A.; Peng, B.; Devarie-Baez, O.; Aguilar, H. C.; Lefer, D. J.; Xian, M. ACS Chem. Biol. 2013, 8, 1283. DOI:10.1021/cb400090d
  4. Devarie-Baez, N. O.; Bagdon, P. E.; Zhao, Y.; Park, C.-M.; Xian, M. Org. Lett. 2013, 15, 2786. DOI:10.1021/ol401118k

 

 

*虚血再灌流障害:

血流が止まることで酸素不足(虚血)になっていた組織に、血流が復活(再灌流)することで起こる障害。一度酸素不足になった組織に豊富に酸素を含む血液が流れると、活性酸素が発生して、組織にダメージを与えてしまう。

A/R処理

細胞を無酸素下で一定時間培養した後、再び酸素下にさらす処理。本論文中では、A/R処理後に過酸化水素水を作用させることで、虚血/再灌流を経た細胞の状態を非常によく再現できることを見出している。

Avatar photo

bona

投稿者の記事一覧

愛知で化学を教えています。よろしくお願いします。

関連記事

  1. とある化学者の海外研究生活:イギリス編
  2. 理研の研究者が考える“実験ロボット”の未来とは?
  3. 島津製作所がケムステVシンポに協賛しました
  4. ここまで来たか、科学技術
  5. わずか6工程でストリキニーネを全合成!!
  6. オープンアクセスジャーナルの光と影
  7. 技術セミナー参加体験談(Web開催)
  8. Retraction watch リトラクション・ウオッチ

注目情報

ピックアップ記事

  1. 工程フローからみた「どんな会社が?」~タイヤ編 その3
  2. マット・シグマン Matthew S. Sigman
  3. 日本ゼオンのイノベーションに関する活動
  4. カフェイン caffeine
  5. 分子構造を 3D で観察しよう (2)
  6. 日本化学会第85回春季年会
  7. 未来社会創造事業
  8. アクセラレーションプログラム 「BRAVE 2021 Spring」 参加チームのエントリー受付中!(5/10〆切)
  9. 長期海外出張のお役立ちアイテム
  10. 第94回日本化学会付設展示会ケムステキャンペーン!Part I

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2016年8月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031  

注目情報

最新記事

アンモニウム構造によりラジカル種の発生位置を完全に制御!

第710回のスポットライトリサーチは、関西学院大学理工学研究科 村上研究室の榊原 陽太(さかきばら …

化学つれづれ草【ある研究者の回想】

概要物理化学者で量子機能材料を専門とする著者によるエッセイ集.化学者としての研究,教育,人生…

第60回有機反応若手の会

開催概要有機反応若手の会は、有機化学分野で研究を行う全国の大学院生を中心とした若手研究者が集い、…

ノーベル賞受賞者と語り合う5日間!「第18回HOPEミーティング」参加者募集!

申し込みはこちら概要主催:独立行政法人 日本学術振興会(JSPS)開催地:神奈川…

光触媒による高効率なCO2還元の実現―まさかの光を弱く当てることが重要だった―

第709回のスポットライトリサーチは、東京科学大学 理学院(前田研究室)博士後期課程2年の仲田竜一 …

「π-πスタッキング」という言葉が生む誤解【芳香環の相互作用を見直す: 前編】

芳香環が平行に並んで近接しているとき、その構造を「π–π スタッキング」と表されることがよくあります…

一重項酸素によるC(sp2)−P結合切断を用いた長波長光によるリン化合物のアンケージング

第 708 回のスポットライトリサーチは、同志社女子大学 薬学部 医療薬学科 5…

マテリアルズ・インフォマティクスにおける画像解析の活用ガイド

開催概要材料開発において、電子顕微鏡やX線トモグラフィーを用いて材料の微細構造を観察するために画…

世界初のPROTAC医薬、ついに承認 ―「タンパク質を阻害する」から「分解する」時代へ

2026年5月、創薬化学の歴史に残る大きな出来事が起きました。米国 FDA は、…

有機蛍光とは異なる新しい有機りん光の分子設計指針の発見

第707回のスポットライトリサーチは、電気通信大学 情報理工学研究科(牧昌次郎研究室)の林希久也 助…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP