睡眠は生命維持と切っても切れない関係にある生理行動であり、睡眠不足・入眠困難・中途覚醒などの症状を抱える人が多くいる一方で、ナルコレプシーや特発性過眠症といった睡眠異常も存在し、それらの発症メカニズムに関しては現代に至るまで研究者の注目の的となっています。
睡眠行動をに関与する内因性物質は多くありますが、そのうち近年話題を集めているのがオレキシンです。本項目では、オレキシンとそれに関連する薬剤について簡単に解説します。
オレキシンの発見と生理的役割
オレキシン(orexin)は、1998年当時、米国テキサス大学サウスウェスタン医学センターに所属していた研究チームが、摂食行動に関連する脳内のペプチドを探す中で発見しました。その中心的役割を果たしたのが、最近テレビ番組などでも引っ張り凧の睡眠学研究者 柳沢 正史 (やなぎさわ まさし) 博士と、柳沢博士の下に留学していた櫻井 武 (さくらい・たけし) 博士です。また同時期に、米国スタンフォード大学の研究チームの Luis de Lecea 博士と、Thomas Kilduff 博士を中心とする研究チームも独自に発見し、そちらはヒポクレチンと命名しました。論文では、Orexin/Hypocretin と併記されることもよくあります。
オレキシンは視床下部外側野に局在する少数の神経細胞群によって産生されます。オレキシンには Orexin-A (図1) および Orexin-B の2種類が存在し、これらはいずれもプレプロオレキシン(prepro-orexin)から翻訳後修飾によって生成されます。発見当初は摂食行動の制御因子として注目されましたが、後にオレキシン神経系が睡眠・覚醒の制御、エネルギー代謝、報酬系、情動反応、ストレス応答など多岐にわたる生理機能に関与することが明らかとなりました。
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図1 オレキシンAの3D構造 (PDB ID:1WSO より) |
オレキシン神経は脳全体に広範な投射を持ち、特に青斑核 (ノルアドレナリン系)、縫線核 (セロトニン系)、黒質および腹側被蓋野 (ドパミン系)、結節乳頭核 (ヒスタミン系) など、覚醒維持に重要なモノアミン神経系を強力に活性化します。この広汎なネットワークを介して、オレキシンは「覚醒の安定化」に中心的な役割を果たしています。実際、オレキシン神経が脱落または機能不全となると、睡眠・覚醒の切り替え制御が破綻し、突発的な睡眠発作を特徴とするナルコレプシーが発症することが知られています。
オレキシン受容体の分子特性
オレキシンはGタンパク質共役型受容体(GPCR)である オレキシン1受容体(OX1R)およびオレキシン2受容体(OX2R)を介して作用します。OX1R は主にオレキシンAに高親和性を示し、OX2R はオレキシンA およびオレキシンB の両方をほぼ同等に認識します。これらの受容体は異なる脳領域に分布しており、OX1R は扁桃体や腹側被蓋野など情動・報酬関連領域に多く、OX2R は視床下部や青斑核など覚醒制御領域に豊富に存在します。この分布差が、オレキシン系の多面的な生理作用を支えています。
OX1R および OX2R はともに Gq 型Gタンパク質を介して細胞内カルシウムイオン濃度を上昇させるほか、Gi/o 経路を介した多様なシグナル伝達を活性化することも報告されています。これにより、神経活動の興奮性調節、ホルモン分泌、代謝経路活性化などが統合的に制御されています。
初のオレキシン受容体拮抗薬 – スボレキサント (ベルソムラ®)
オレキシン系の過剰な活性化は、覚醒維持の過剰・不眠・ストレス亢進といった状態に関与すると考えられており、これを抑制する薬理的介入としてオレキシン受容体拮抗薬の開発が各社により行われました。最初に上市されたのはデュアルオレキシン受容体拮抗薬(DORA; Dual Orexin Receptor Antagonist)であり、OX1R および OX2R の両方を阻害することにより、自然な生理的睡眠を誘導する作用を示します。
2014年に米国 FDA はスボレキサント (suvorexant, 図2) を世界初の DORA として承認しました。スボレキサントは同年間も無くして日本でも承認され、ベルソムラ®の商品名で市販されました。医薬品インタビューフォームには、次のような開発の経緯が記されています。
Merck Sharp & Dohme LLC, a subsidiary of Merck & Co., Inc., N.J., U.S.A. (MSD) で は 、 High Throughput Screening(HTS)により、2 種のオレキシン受容体(OX1R 及び OX2R)に拮抗作用を持つジアゼパン誘導体を 2005 年に見出した。この誘導体をリード化合物として、代謝安定性に優れ、オレキシン受容体に対し高い選択性及び結合親和性を持つスボレキサントを合成した。従来の睡眠薬は GABAA 受容体又はメラトニン受容体に作用するのに対し、本剤は、OX1R 及びOX2R の選択的拮抗薬として作用し、オレキシンニューロンの神経支配を受けている覚醒神経核を抑制することで睡眠を誘導する。
スボレキサントの名前は、オレキシン受容体拮抗薬を表すステム「-orexant」に由来しており、商品名ベルソムラBelsomra は「belle(美しい)+眠り(somnia)」を意味するフランス語由来の造語であるとされています。
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図2 スボレキサントの構造式 |
スボレキサントは既存のベンゾジアゼピン系睡眠薬 (トリアゾラムなど) やゾルピデム (マイスリー®)・ゾピクロン (アモバン®) と比べ依存性が低く、長期投与に向いてるとされていますが、乱用のおそれはゾルピデムと同程度とされています。また持ち越し効果による翌日のふらつき・眠気のおそれのため、自動車運転など危険を伴う作業はさせないこと、との注意書きが添付文書にあります。
スボレキサントの有名な副作用の一つに悪夢があります。これはスボレキサントがレム睡眠を増加させるため夢を見やすくなる作用があり、特に記憶に残りやすい悪夢が定着しやすいためと考えられています。この副作用は他のオレキシン受容体拮抗薬でもしばしば問題になります。またスボレキサントは薬物代謝酵素である CYP3A4 によって代謝され血中濃度が低下しますが、CYP3A4を阻害する薬剤によりスボレキサントの効果が著しく増強するおそれがあるため、そのような薬剤群との併用が禁忌であることも特徴の一つです。特に抗生剤のクラリスロマイシンや抗真菌薬のイトラコナゾール・ボリコナゾールなどは処方されやすいため、注意が必要です。第106回薬剤師国家試験の問228〜229にはこの相互作用に関連する問題が出題されています。
ベルソムラの製剤は添加物による吸湿性を有するため、一包化ができない・薬のPTPシート (パッケージ) が大きいなど薬剤師から見た取り扱い上の難点もあります。
第二のオレキシン受容体拮抗薬 – レンボレキサント (デエビゴ®)
レンボレキサント (lemborexant, デエビゴ®) は、2020 年 1 月に「不眠症」を効能又は効果としてエーザイ株式会社より発売された第二の DORA であり、ベルソムラの改良版といった印象で多くの患者に処方されています。
商品名の由来は、”Day (日中)+Vigor (活力)+Go (ready to go)” とされています (医薬品インタビューフォームより)。「デエ」ってすごい付け方だなと出た当初は思いましたが、べらんめえ口調の人には「デイビゴ」と読むより発音しやすいのかも?
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図3 レンボレキサント (デエビゴ®) の構造式 |
基本的な作用機序はスボレキサントと同じですが、以下のような違いがあるようです。
オレキシンが結合する受容体には、オレキシン受容体1とオレキシン受容体2があります。二つの受容体の中で、オレキシン受容体2を阻害したほうが、睡眠に対する薬効が強くなります。レンボレキサントはスボレキサントと比較すると、オレキシン受容体2を阻害する働きが強いことが分かっています。そのため、デエビゴはベルソムラより睡眠を誘発する作用が強いと考えられます。
レンボレキサントもスボレキサントと同様に CYP3A4 によって代謝されますが、スボレキサントと異なり併用禁忌薬は無く、クラリスロマイシンやイトラコナゾールなどは併用注意とされています。また、錠剤や PTP シートが普通サイズでピッキング (調剤) がしやすいほか、一包化も一応できるといった点で薬剤師的にも扱いやすさが優れていると感じました。第109回薬剤師国家試験では出題範囲にも入っており、同薬剤に関する問題が今後も出る可能性もあります。
さらに、レンボレキサントに関してはこのような報告も出ています。
アルツハイマー病研究に新展開|睡眠薬デエビゴ(レンボレキサント)がタウタンパク蓄積を抑制
ワシントン大学のサミラ・パーヒズカー氏とデビッド・ホルツマン氏らの研究チームが、FDA承認済み睡眠薬レンボレキサント(商品名:デエビゴ)のアルツハイマー病に対する効果を前臨床試験で検証した。
innovaTopia より引用
鎬を削るオレキシン受容体拮抗薬開発
その後、2024 年9 月にはダリドレキサント塩酸塩 (クービビック®、商品名は QUEST(探求)+VIVA(生き生きとした)+IQ [intelligence](特性・叡智)に由来) が発売、2025 年 8 月にはボルノレキサント水和物 (ボルズィ®、商品名 Vorzzz は、一般名の Vornorexant(ボルノレキサント)+ZZZ (眠りを表す様子)に由来)、が承認と、オレキシン受容体拮抗薬の不眠症治療薬としての実用化が相次ぎました。
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図4 ダリドレキサントおよびボルノレキサントの構造式 |
この2剤は、スボレキサントやレンボレキサントよりも消失半減期が短い、つまり翌日への眠気の持ち越しが少ないことを狙って開発されました。ボルノレキサントは “オキサアジナン環を導入することにより、オレキシン受容体阻害活性と脂溶性低減という特徴を併せ持ち、消失半減期(t1/2)が短いという薬物動態プロファイルを得ることを目指して開発された” とインタビューフォームに記載されています。
薬剤の使い分けについてですが、
入眠困難ならダリドレキサントを検討します。なぜなら、デエビゴよりも半減期が短く持ち越し効果が少ないと考えられるからです。つまり、一旦、寝付いてしまえば朝まで眠れるのに、寝つきが悪くて困っているという人に対しては、クービビックが選択肢になると考えています。
一方、中途覚醒あるいは早朝覚醒がある場合ならでデエビゴを試みる目安があると考えています。半減期が長いので、朝までの持続効果が期待できるからです。そして、デエビゴには3つの剤型があり、用量の調節がしやすい点があることも理由の一つです。
と専門医の方は判断されています。
またダリドレキサント・ボルノレキサントはスボレキサントと同じくイトラコナゾール、クラリスロマイシン、ボリコナゾールとは併用禁忌となっています。薬物動態周りの調節はやはり難しいですね。
以上の 4 剤以外にも、多様なオレキシン受容体リガンドが開発されています (過去記事: オピオイド受容体、オレキシン受容体を標的とした創薬研究ーChemical Times 特集より)。
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図5 これまでに開発が試みられたオレキシン受容体拮抗薬 |
これらの中には、OX1R と OX2R のいずれか一方を選択的に阻害する SORA(Selective Orexin Receptor Antagonist)もあります。OX2R 拮抗作用が主に睡眠誘導に寄与すると考えられており、OX1R 拮抗作用は情動・報酬系への影響を介して抗不安や抗依存に効能があると考えられています。例えば、SORAとして開発された SB-334867 (図5、2段目左端) は OX1R 選択的拮抗薬として広く研究され、動物モデルにおいてアルコールやオピオイド依存の抑制作用が報告されています。さらに、OX1R拮抗薬は同受容体を介した報酬・ストレス応答抑制を利用した物質依存症治療、あるいは過剰覚醒・不安状態を緩和する不安障害・PTSD治療への展開が模索されてます。一方で、オレキシン作動薬 (アゴニスト) も開発が進み、ナルコレプシーや過眠症に対する逆方向の治療戦略として臨床的期待が高まっています。
7. おわりに
オレキシン系の発見は、睡眠・覚醒の神経科学に革命をもたらしました。発見者の一人、柳沢博士は、2023年 生命科学ブレイクスルー賞、2023年 クラリベイト引用栄誉賞を相次いで受賞しており、ノーベル賞受賞候補として頻繁に名前が挙がるようになってきました。オレキシン受容体拮抗薬は、ベンゾジアゼピン系などの GABA 作動薬に代わる新たな概念の睡眠薬として確立しつつあり、今後はより選択的で副作用の少ない化合物設計、さらには不眠症を超えた精神神経疾患への応用が期待されます。また、オレキシン作動薬との組み合わせにより、睡眠覚醒リズムの包括的制御という新たな治療パラダイムも見えつつあります。オレキシン系研究は、脳内ホメオスタシスと行動制御の接点を解明する上で、今後も中心的テーマであり続けると考えられます。
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