第 655回のスポットライトリサーチは、京都大学大学院松田研究室の 佐竹 来実さんにお願いしました。
松田研究室は、物理有機化学に基づいた動作原理を基礎にして、有機合成の手法を駆使して分子を合成し、新規な光・磁気・電気の複合機能を有する有機機能性材料を開発する研究を行っています。有機分子は、「分子設計」という手法でその機能を設計することが出来ます。機能をもった分子は「分子エレクトロニクス」といわれる分野で活躍することが期待されています。研究室では設計から物性測定までをカバーする幅広い研究を行っています。
その中でも古くから知られている「ジアリールエテン」という化合物が、今回の研究対象です。通常は可視光を吸収できない無色透明の分子ですが、紫外光を吸収すると分子構造が変化し、 「閉環体」になります。このとき分子中のπ共役構造が長くなって、可視光を吸収できるようになることで着色します。このジアリールエテンを閉環体の状態で二つ繋げ、分子中のπ共役構造をより長くすることで、近赤外光の吸収を目指しました。
今回の研究成果は、アメリカ化学会誌J. Am. Chem. Soc. に掲載され、京都大学よりプレスリリースもされています。
Satake, K.; Ootsuki, N.; Higashiguchi, K.; Matsuda, K.
NIR-Responsive Double Closed-Ring Isomer of a Diarylethene Fused Dimer Synthesized by Stepwise Photochemical and Oxidative Cyclization Reaction.
J. Am. Chem. Soc. 2025, 147, 9653–9664. DOI: 10.1021/jacs.4c17757.
本研究を直接指導された、東口 顕士講師より、研究の経緯と佐竹さんに関してコメントをいただいています。
佐竹さんを褒める前に、昔話を始めます。縮環二量体は学生時代の東口のD論テーマですが、元は合成失敗の産物でした。X線で分子構造を見て「はっそうだ――さらにこれを2回くり返しダブル閉環・・・(東)」「あきらめたら?(松)」といったスラムダンクみたいなやり取りがあったとか無かったとか。
時は流れ・・・。M1の大月くんがやってきました。新テーマを、と考えていたときに原理だけ閃いたので気軽に始めたのですが、分子設計の方針など当時は何もありません。東口のエクセレントなインテリジェンスでは歯が立たず、丸投げ彼の発想を尊重してみたところ、総当たり創意工夫で現在の化合物とほぼ同じものに到達しました(t-Buのみ後付け)。ただ設計の根拠にしてもらっていた原理は間違いだったことが、後に佐竹さんにより確かめられ、よくこれでうまく行った全て私の計算通りでした。
時系列が前後しましたが、その後、彼と入れ替わりでB4佐竹さんが配属されました。当時のM2二人(大月くんの後輩)が、それぞれ合成と測定がとても上手でして、その二人が親身になって佐竹さんに多くのことを教えてくれました。素敵な出会いと、それによって成長した佐竹さんの努力が実を結び、夢の「ダブル閉環体」がついに出来上がりました。M2になった佐竹さんが立派に卒業することが喜ばしく、またちょっと寂しく思っています。東口 顕士
それでは、インタビューをお楽しみください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
本研究チームは、有機色素の一種である「ジアリールエテン」を扱っています。ジアリールエテンは、光照射により「開環体」と「閉環体」という二つの異性体間で可逆に異性化する性質を持ちます(図1)。閉環体は長いπ共役を持つため可視光を吸収します。この閉環体二つをラダー型で直結させることができれば、長く剛直なπ共役構造が得られるため、図1右のような二閉環体は原理上、近赤外光を吸収することができます。しかし、エネルギー移動のため光反応でこのような二閉環体を得ることはできません。
そこで本研究では、従来の光による閉環反応に、電気化学的な閉環反応を組み合わせることを考え、二つのジアリールエテンユニットをともに閉環させることに成功しました。適切な置換基を導入した「ジアリールエテン縮環二量体」(図2)に、まず、紫外光を照射すると、開環体(oo)は一閉環体(co)へと変化しました。その後、さらに酸化と還元を順に行う(電気化学刺激を加える)ことで、近赤外域に吸収を有する二閉環体(cc)が得られました(図3)。この二閉環体の構造は、単結晶X線構造解析によって確認しました。また、量子化学計算のサポートにより、電気化学的閉環反応が「ラジカルカップリング」と呼ばれるメカニズムで進行したことを明らかにしました。さらに、二閉環体(cc)は、近赤外光を照射することで元の一閉環体(co)へと戻り、さらに可視光を照射すると開環体(oo)へと戻りました。すなわち、本研究で合成した「ジアリールエテン縮環二量体」は、紫外・可視・近赤外光を吸収する3つの状態間を段階的、かつ可逆にスイッチング可能な分子であることを見出しました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
二閉環体の同定には時間を要しました。同定のためには、二閉環体の単離が必要ですが、構造が似ている他の異性体と分離することは容易ではありませんでした。検討を重ねた結果、リサイクル逆相HPLCを用いることで単離に成功し、NMRで構造を確認することができました。続いて、より強固な証拠を得るため、単結晶の作製を試みました。しかし、中性状態では、単結晶を得ることができませんでした。半ば諦めかけていたところ、先生や先輩からご助言を頂き、酸化後のジカチオン状態(cc2+)での単結晶作製に取り組みました。その結果、cc2+•2SbF6−塩として単結晶を得ることに成功し、隣接した二つのユニットがともに閉環した構造を確認することができました。目的の二閉環体ccが本当に合成できたことがはっきりと分かり、非常に感動しました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
私の前に本研究を進めていた大月さんがすでに、電気化学刺激で近赤外吸収が現れることを見出していましたが、その閉環反応について、実験結果の解釈に苦労しました。ジアリールエテン単量体における電気化学的閉環反応は、開環体のラジカルカチオンもしくはジカチオンを鍵中間体として進行することがすでに報告されていましたが、今回の二量体におけるメカニズムは分かっていませんでした。coを酸化したのち還元すると二段階の変化を示したことから、ジカチオン経由で進行したのではないかと考え、それをサポートする実験や量子化学計算、文献調査を行いました。その結果、今回の二量体では、ジラジカル性を有するジカチオン(co••2+)がラジカルカップリングすることで閉環したことを明らかにすることができました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
卒業後は、化学メーカーに就職し、引き続き化学に関わっていく予定です。今回の研究では、実験、計算化学、文献調査といった様々な観点から調査を行い、固定観念に捉われず幅広い視点から実験結果に向き合うことの大切さを学びました。現在は正直、まだ自分の専門といえるほどの分野もありませんが、将来は、化学の一分野の専門性を深めつつ、他分野に対しても知見を広げたいと思います。幅広い視野で物事を捉えることで新たなアイデアを生み出し、世の中に貢献していきたいです。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします!
研究室に配属された当初、私はその年に卒業された大月さんの研究を引き継ぐ形で、本研究をスタートしました。実現不可能と考えられていた二閉環が実現した可能性がある——。そんな熱い展開の中でバトンタッチし、最後まで責任を持って研究を進めなければならないと強く感じました。しかし、いざ研究を始めると思うように結果が出ない時期もありました。それでも、研究室の先生方やメンバーの皆さんに支えていただき、ここまで研究を形にすることができました。本当にありがとうございます。ご助言をいただき、ともに議論を重ねる中で、多くの発見がありました。一つひとつの小さな発見の積み重ねで、これまで分からなかったことがどんどん明らかになり、点と点が繋がるのを感じ、非常に楽しかったです。
研究者の略歴
名前:佐竹 来実(さたけ くるみ)
所属:京都大学大学院工学研究科 合成・生物化学専攻 松田研究室
略歴:
2023年3月 京都大学工学部工業化学科(現・理工化学科) 卒業
2025年3月 京都大学大学院工学研究科 合成・生物化学専攻 修了