第661回のスポットライトリサーチは、早稲田大学大学院先進理工学研究科(山口潤一郎研究室)博士課程1年の稲垣和也 さんにお願いしました。
今回ご紹介するのは、オルトキノジメタンを利用した多環式分子合成に関する研究です。
Diels-Alder反応は複雑な多環式分子合成において強力な手法であり、高反応性の中間体としてオルトキノジメタンが知られています。多環式構造の合成に適したオルトキノジメタンですが、従来法では特殊な前駆体の多段階合成や、高温などの厳しい条件を必要としていました。今回、オルトキノジメタン新たな生成法の開発により、入手容易な原料の多成分反応から多環式分子を一挙に合成できることを報告されました。本成果は、Chem 誌 原著論文およびプレスリリースに公開されています。そして、アイキャッチ画像は名古屋大学ITbM所属の高橋一誠博士にご提供いただいた画像になります。
“Facile generation of ortho-quinodimethanes toward polycyclic compounds”
Inagaki. K.; Onozawa. Y.; Fukuhara. Y.; Yokogawa. D.; Muto. K.; Yamaguchi. J. Chem 2025, 11, 102615. DOI: 10.1016/j.chempr.2025.102615
研究を指導された武藤慶 特任准教授(名古屋大学)と山口潤一郎 教授(早稲田大学) から、稲垣さんについて以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!
武藤慶 先生
「粘り強さ」と「愚直さ」、「積極性」に溢れた稲垣くんのデビュー作です。それに関わることができたことを嬉しく思い、同時に彼の貢献に深く感謝しています。入手容易な原料から多成分でオルトキノジメタンを生成できることがわかり、その結果多環式分子が簡単に合成できるという、今までの脱芳香族化反応の開発研究の別の一面を示せた成果です。稲垣くんにとって華々しいデビューとなり、本人も胸をなでおろしているところでしょうが、実は研究室では苦労人としてのスタートでした。B4当初は別の反応開発テーマで毎日収率0%。卒論がやばいので今のテーマに変更したのが12月くらい。これの初期検討の結果が好感触だったこともあって、そこからは破竹の勢いでした。こっちが心配になるほど実験を頑張ってくれるので、僕の要求も増加傾向になりました(全然心配してないですね。。汗)。僕の無理難題に対して卒論締め切りギリギリまで実験し、愚直に結果を提示し続けた結果、たった3ヶ月で見事な卒論を書き上げました。その後、数回の苦労を超えて、今回の成果を手繰り寄せました。粘り強さと愚直さの勝利です。そして何事にも前のめりでグイグイ出ていける「積極性」があったから、多くの人の後押しを得て、学会等でもいろいろな人に揉んでもらい、確実な成長を継続できています。
あと、全然完璧じゃない点も、彼のよいところと言えるかもしれません。通常の会話が噛み合わないことが多いです。不器用だったり迷走したりもします。あまり考えずに発言して共著者である後輩の小野澤さんからも完膚なきまでに言い負かされることも全然珍しくありません。
これらを全て含めて稲垣和也という男の魅力を形成するのであり、今後の成長が楽しみな人材です。次なる挑戦でも、彼らしく体現してくれるものと期待しています。
山口潤一郎 先生
眼光鋭く、常に目をバキバキに輝かせていることから「バキオ」くんと呼んでいます。非常に優秀な学生であり、武藤くんと今回の反応を見出した瞬間、「これはいける」と確信し、すぐにゴーサインを出しました。そこからは、まさに破竹の勢いで成果を積み重ねていきました。
最終的な反応機構の解明には難題が立ちはだかりましたが、すでに武藤くんが名古屋に移動していたこともあり、バキオくんと二人でホワイトボードの前に立ち、議論を重ねました。結果として、かなりの無茶を要求することとなりましたが、彼はそれに応え、見事に機構の全容を明らかにしてくれました。非常に素晴らしい成果であり、バキオくんと武藤くんの底力に心から感服しています。また、天然物をワンポットで見事に合成した小野澤さんも、今後の活躍が大いに期待される修士2年生です。
皆さん、おめでとう!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
今回、私たちは新たなo-キノジメタン生成法を見いだし、複雑な多環式分子を一挙に合成する手法を開発しました。
o-キノジメタンは、Diels–Alder反応の高活性中間体として知られ、オレフィンと容易に反応してベンゾ縮環化合物を与えます。そのため、古くからベンゾ縮環構造をもつ天然物・医薬品合成に広く利用されてきました。万能にみえるo-キノジメタンですが、その利用には大きな課題がありました。o-キノジメタンは高活性で短寿命あるため、直接取り扱うことができません。そのため、特殊な前駆体を合成し系中でo-キノジメタンを発生させる必要があります。この前駆体の合成に工程数を要するため、合成全体が多工程化してしまいます。
一方、当研究室ではこれまで遷移金属触媒を用いて、芳香環を官能基化しつつ脱芳香族化する”脱芳香族的二官能基化反応”を精力的に研究してきました。本脱芳香族反応をo-キノジメタン生成に応用したことで、特殊な前駆体の合成を必要とせず、入手容易な原料から直接o-キノジメタンを生成する新手法を開発しました。また、本手法が三成分連結型であることを活かし、多様な多環式分子の迅速合成法を確立しました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
思い入れがあるのは、数々の機構解明研究です。論文ではいくつかの機構解明実験から本推反応機構を提唱していますが、この結論に至るまでにとても苦労しました。特に、ベンジルパラジウムとアリルパラジウムが平衡関係にあることを示すために、ビニル末端の一方を重水化した原料の合成が大変でした。一見、シンプルそうな原料ですが、八工程もかかりました。十工程以内なら力技で乗り越えられるとも思いましたが、意外な副反応などに足元をすくわれ続け、合成経路の確立と量上げに合わせて一ヶ月も費やしてしまいました。合成研究を専門とする方々には及びませんが、多工程合成という反応開発ではなかなか味わえない貴重な経験ができました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
生成物の解析がとても難しかったです。本生成物は最終的に高ジアステレオ選択的に反応が進行するため、ほぼ単一の生成物が得られます。しかし、研究開始当初は四つの単離困難なジアステレオマーとして得られていました(当時はジアステレオマーかどうかも不明でした)。脂環式分子であったこともあり、NMRスペクトルの解析は困難を極めました。本当に生成物ができているのかどうか不安でしたが、ジアステレオ選択性が制御できることを信じ、粘り強く条件検討した結果、現在の高ジアステレオ選択的な反応条件を見つけ出すことができました。慶さん(武藤先生)とディスカションを重ね、不安ながらも手を動かし続けたことで勝ち取った成果だと自負しています。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
具体的な進路はまだ決めていませんが、有機化学を専門とする仕事に就きたいと考えています。有機化学の研究はとても魅力的で、日々の実験や考察に没頭し、時間を忘れるほど夢中になることもしばしばです。この楽しさや魅力を、より多くの人々に伝播していけるような存在になりたいと考えています。そのためにも、これからより一層研究者として成長するために、日々努力を重ねていきたいと思います。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
本研究では、当研究室が長年にわたり開発してきた脱芳香族的二官能基化反応を応用し、前例のない多成分連結型のo-キノジメタン生成法の開発に成功しました。これまで多くの先輩方が築き上げてきた研究をさらに発展させることができ、大変嬉しく思います。論文投稿に向けて、自分なりに試行錯誤を重ねてきましたが、それでうまくいくほど研究は甘いものではありませんでした。そのような時、研究室の先生方や先輩方、さらには学会で出会った他大学の先生方など、化学に熱い方々とディスカッションを重ねることで、多くの障壁を乗り越えることができました。研究で行き詰まった時は、ぜひまわりの“熱い”人たちと積極的にディスカッションしてみてはいかがでしょうか。思わぬ発見や気づきがあるはずです。
最後になりますが、本研究に限らず日々ご指導いただいています、潤さん、慶さん、共同研究者の小野澤さん、福原さんに感謝申し上げます。また、本研究にあたり計算分野で大変お世話になりました、東京大学横川先生に感謝申し上げます。特に、配属当初から右も左もわからぬ自分を優しく時には厳しくご指導いただきました慶さんに深く感謝申し上げます。また、本研究成果を取り上げてくださった Chem-Station のスタッフの皆様にも感謝申し上げます。
研究者の略歴
名前:稲垣 和也(いながき かずや)
所属:早稲田大学院先進理工学研究科応用化学専攻 山口潤一郎研究室
略歴:
私立東海高校 卒業
早稲田大学先進理工学部 応用化学科 卒業
早稲田大学先進理工学研究科 応用化学専攻 修士課程 修了
早稲田大学先進理工学研究科 応用化学専攻 博士課程 在学