[スポンサーリンク]

化学者のつぶやき

階段状分子の作り方

[スポンサーリンク]

天然には多くの「面白い」構造を有する化合物が存在します。この「面白い」という言葉は、人それぞれ様々な意味あいを含めて使います。

例えば有機化合物の世界では、

1. 非常に複雑な構造が面白い。合成してみたい。
2. 物性、生物活性などが面白い。
3. なんだかよくわからないけど面白い。

などなど。1.の観点だけでも、このサイトでも紹介しているさいころ型分子キュバン(Cubane)、パックマンに似ている(見る人による?)カリオフィレンなどが挙げられるでしょう。

そういうわけで、世の中には「面白い」化合物が沢山存在するわけですが、今回紹介するペンタシクロアナモキシ酸 (Pentacycloanammoxic acid)は、階段構造を持った分子です(トップ図)。専門的に表現すると、シクロブタン環が5つcis配列で結合した分子です。面白ーっ!!

ryuku

もちろんこんな妙ちくりんな構造ですから、合成化学者にとっても興味を引かれる化合物。この分子はどこから来て、どのような性質を持っているのでしょうか?また、この分子はどのように作れば良いのでしょうか?

これから簡単に紹介いたします。

ペンタシクロアナモキシ酸について

細胞の脂質膜はイオンや代謝物の濃度勾配を形成可能とするため、細胞の機能に不可欠なものです。微生物の膜脂質には、脂肪族の三員環、五員環、六員環、七員環まで存在しますが、四員炭素環を持つ脂肪酸はこれまで天然からは見つかっていませんでした。

2002年にDamsteらは、2種類の嫌気的アンモニア酸化(アナモックス, Anammox)細菌の主要な膜脂質中にシクロブタン環を発見しました[1]。そのひとつが、ペンタシクロアナモキシ酸メチルエステルです。

この化合物は、アナモックス菌の代謝が行われる細胞質区画であるアナモキソーム(Anammoxome)の膜に存在します(図1)そこで脂質二重膜を形成しています。つまり、アナモキソームでは嫌気的アンモニア酸化が行われており、その内には細胞に有害な化学物質が存在します。ペンタシクロアナモキシ酸脂質膜は、それらを排出させない障壁として、さらに濃度勾配を維持する膜として機能しているわけです。

図2. アナモックス細菌細胞の脂質膜と嫌気的アンモニア酸化(論文[2]より引用)

図1. アナモックス細菌細胞の脂質膜と嫌気的アンモニア酸化(論文[1b]より引用)

ペンタシクロアナモキシ酸のような階段構造をもつ分子をラダラン(ladderane)分子といい、自然界では発見例が ありませんでした(人工分子としては、オプトエレクトロニクス分野での有望素材として知られています)。

ペンタシクロアナモキシ酸の全合成

ペンタシクロアナモキシ酸は合成化学的にみても「面白い」構造です。

合成戦略を考える際には、5つの連続したシクロブタン環をいかにして合成するかが鍵となります。以下のようなヘキサトリエン2分子が[2+2]光環化反応を起こせば、理論上、ラダラン分子は一挙に合成できます(図2)。しかし、ラダラン分子の構造は非常にひずんでおり、試験管のなかでの実施は困難です。

図2

図2

ハーバード大学・E. J. Coreyらはこの化合物の合成に挑戦し、2004年にはそのラセミ体合成を報告しました[2a]。概要は以下の通り (図3)。

 

シクロオクタテトラエンから既法に従い合成できる2環性化合物から2段階で上段中央の化合物へ誘導します。ここからシクロペンテノンとの[2+2]光環化反応、窒素保護基の除去を経て上段右の化合物を得ます。このカルボニル基を保護した後、再び光環化を行い、中段左の化合物を合成します。2段階の反応でα-ジアゾケトンへ誘導し、Wolff転位により環縮小させ、5つのシクロブタン環が接続したアルデヒドを合成しました。最後はWittig反応で側鎖を伸張することで、ペンタシクロアナモキシ酸のラセミ全合成を達成しました。

図3. ペンタシクロアナモキシ酸のラセミ全合成[2a]

図3. ペンタシクロアナモキシ酸のラセミ全合成[2a]

しかしこの合成経路では各所の収率が低いことが問題で有り、不斉全合成によりシクロブタン環根元の立体化学を明らかにする課題も残されていました。2年後に彼らはこれらを解決した、光学活性体の合成経路を報告しました[2b](図4)。

ラセミ体合成でも用いられた[2+2]光環化→Wolff転位を繰り返し使うことが鍵となっています。シクロブテン+シクロペンテノンノ組み合わせから図3と同様の経路を経て中段左のカルボン酸へと誘導します。このカルボン酸を除去して3環性シクロブテンを合成後、シランを結合させた光学活性シクロペンテノンと再び[2+2]環化を行います。これにより光学活性な形で5環性化合物がつくれます。この先はシリル基除去後図3と同様に合成し、ペンタシクロアナモキシ酸の不斉全合成を達成し、その絶対立体配置を決定できました。

図4. ペンタシクロアナモキシ酸の不斉全合成[2b]

図4. ペンタシクロアナモキシ酸の不斉全合成[2b]

以上、ペンタシクロアナモキシ酸について、の化学合成までを簡単に説明しました。が、この分子がどのように生体内でつくられているのか(生合成されているか)は、現在でもミステリアスな部分です。このような「面白い」構造の分子を生み出す自然界は、人間にとってまだまだ奧深い存在で有り続けることでしょう。

(※本記事は以前公開されていたものを加筆修正のうえ「つぶやき」に移行したものです)
(2006.2. 5  by ブレビコミン 2016.2.7 加筆修正 by cosine)

参考文献

  1. Damste, J. S. S.; Strous, M.; Rijpstra, W. I. C.; Hopmans, E. C.; Geenevasen, J. A. J.; van Duin, A. C. T.; van Niftrik, L. A.; Jetten, M. S. M.  Nature 2002, 419, 708. doi:10.1038/nature01128 ()DeLong, E. F. Nature 2002, 419, 676.
  2. (a) Mascitti, V.; Corey, E. J. J. Am. Chem. Soc. 2004, 127, 15664. DOI:10.1021/ja044089a (b) Mascitti, V.; Corey, E. J. J. Am. Chem. Soc.  2006, 128, 3118. DOI: 10.1021/ja058370g

外部リンク

cosine

投稿者の記事一覧

博士(薬学)。Chem-Station副代表。国立大学教員→国研研究員にクラスチェンジ。専門は有機合成化学、触媒化学、医薬化学、ペプチド/タンパク質化学。
関心ある学問領域は三つ。すなわち、世界を創造する化学、世界を拡張させる情報科学、世界を世界たらしめる認知科学。
素晴らしければ何でも良い。どうでも良いことは心底どうでも良い。興味・趣味は様々だが、そのほとんどがメジャー地位を獲得してなさそうなのは仕様。

関連記事

  1. とある化学者の海外研究生活:スイス留学編
  2. 自己修復する単一分子素子「DNAジッパー」
  3. クラリベイト・アナリティクスが「引用栄誉賞2020」を発表!
  4. プロワイプ:実験室を安価できれいに!
  5. パラジウム触媒の力で二酸化炭素を固定する
  6. 特許の基礎知識(2)「発明」って何?
  7. 2残基ずつペプチド鎖を伸長できる超高速マイクロフロー合成法を開発…
  8. 新しい構造を持つゼオライトの合成に成功!

コメント、感想はこちらへ

注目情報

ピックアップ記事

  1. サイエンスアゴラ2014総括
  2. ナフサ、25年ぶり高値・4―6月国産価格
  3. 大塚国際美術館
  4. ADC薬基礎編: 着想の歴史的背景と小分子薬・抗体薬との比較
  5. タンパク質リン酸化による液-液相分離制御のしくみを解明 -細胞内非膜型オルガネラの構築原理の解明へ-
  6. 四角い断面を持つナノチューブ合成に成功
  7. 偏光依存赤外分光でMOF薄膜の配向を明らかに! ~X線を使わない結晶配向解析
  8. ハウザー・クラウス環形成反応 Hauser-Kraus Annulation
  9. 【ジーシー】新たな治療価値を創造するテクノロジー -BioUnion-
  10. 「あの人は仕事ができる」と評判の人がしている3つのこと

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2006年2月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728  

注目情報

最新記事

中国へ行ってきました 西安・上海・北京編①

2015年(もう8年前ですね)、中国に講演旅行に行った際に記事を書きました(実は途中で断念し最後まで…

アゾ重合開始剤の特徴と選び方

ラジカル重合はビニルモノマーなどの重合に用いられる方法で、開始反応、成長反応、停止反応を素反応とする…

先端事例から深掘りする、マテリアルズ・インフォマティクスと計算科学の融合

開催日:2023/12/20 申込みはこちら■開催概要近年、少子高齢化、働き手の不足の影…

最新の電子顕微鏡法によりポリエチレン分子鎖の向きを可視化することに成功

第583回のスポットライトリサーチは、東北大学大学院 工学研究科 応用化学専攻 陣内研究室の狩野見 …

\脱炭素・サーキュラーエコノミーの実現/  マイクロ波を用いたケミカルリサイクル・金属製錬プロセスのご紹介

※本セミナーは、技術者および事業担当者向けです。脱炭素化と省エネに貢献するモノづくり技術の一つと…

【書籍】女性が科学の扉を開くとき:偏見と差別に対峙した六〇年 NSF(米国国立科学財団)長官を務めた科学者が語る

概要米国の女性科学者たちは科学界のジェンダーギャップにどのように向き合い,変えてきたのか ……

【太陽ホールディングス】新卒採用情報(2025卒)

■■求める人物像■■「大きな志と好奇心を持ちまだ見ぬ価値造像のために前進できる人…

細胞代謝学術セミナー全3回 主催:同仁化学研究所

細胞代謝研究をテーマに第一線でご活躍されている先生方をお招きし、同仁化学研究所主催の学術セミナーを全…

マテリアルズ・インフォマティクスにおける回帰手法の基礎

開催日:2023/12/06 申込みはこちら■開催概要マテリアルズ・インフォマティクスを…

プロトン共役電子移動を用いた半導体キャリア密度の精密制御

第582回のスポットライトリサーチは、物質・材料研究機構(NIMS) ナノアーキテクトニクス材料研究…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP