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化学者のつぶやき

活性が大幅に向上したアンモニア合成触媒について

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Tshozoです。以前より注目していた論文の続きがBCSJに発表されましたのでご紹介いたします(図は同論文アブストより引用)。

“Catalytic Nitrogen Fixation via Direct Cleavage of Nitrogen–Nitrogen Triple Bond of Molecular Dinitrogen under Ambient Reaction Conditions”,
Kazuya Arashiba, Aya Eizawa, Hiromasa Tanaka, Kazunari Nakajima, Kazunari Yoshizawa, and Yoshiaki Nishibayashi
Bull. Chem. Soc. Jpn., Vol.90, No.10, 1111 – 1118 (2017). リンクこちら

アンモニア合成触媒に関する本研究は、東京大学西林研九州大学吉澤研の共同研究によるもの。ポイントは3点、

達成するために新しい反応経路を開拓した
そのためにはわずか一つの原子を添加することがキーとなった
③その結果常温常圧のアンモニア合成で触媒あたりTON(turnover number・何回触媒として回ったかを示す値)>800を達成した

ということになると思います。それでは早速見ていきましょう。

【これまでのおさらい】

そもそもが、19**年当時「変な材料を使ってなんかやれ」とざっくりとした指示がでたのを発端に調査活動に巻き込まれ、その中で「これからは窒素の時代だ」と考えるに至り立派な窒素マニアとなったわけです。その一環で様々な窒素関連記事を書いてまいりましたが、何度か登場しているのがノーベル賞受賞者リチャード・ロイス・シュロック(Richard R. Schrock)。

知り合いがサイン貰いに行った時、すごく快く応じてくれたそうです
Lindau Nobel Laureates ページより引用

ここで以前の記事の復習を少々。同氏は世界で初めて窒素原子を「触媒的に」アンモニアへ変換することに成功した第一人者です。先日ご紹介した“Lindau Nobel Laureates”の動画においても、2017年のトピックとしてこの窒素固定触媒の研究内容を紹介するなどしており71歳となった現在もその研究意欲は衰えることはありません。彼の門弟であるMITのCummins教授や、さらにその弟子のCaltech Peters教授も同じテーマに取り組んでおり、有機金属錯体触媒によるアンモニア合成を一つの大きなテーマとしてプロジェクト化した立役者のひとりです。

2005年にScienceに載った時の反応モデルと
その時に合成した「立体障害バッキバキ」触媒の様子
中心金属が見えないくらい固めているのがポイント 引用:[文献1,2]

ただその難易度たるやハンパではない。これも以前挙げたように副反応がクソのように多岐に発生する可能性があるため、これら望ましくないルートをどう防ぐかがポイントになります。これに対し立体障害で副反応を防ごうとしたのがシュロックの戦略でしたが、反応上の電位幅が大きいことが災いしその立体障害君(リガンド)が脱離・分解する事態となって、世界初のアンモニア合成触媒反応とはなったものの、TONは10未満に留まっていました。

以前の記事から再掲 左上のオレンジ枠が一応触媒の初期状態
シュロック教授による2006年のオタワ大学での講演録より引用

こうした難易度から、純粋な有機金属錯体による“触媒的”アンモニア合成反応(注:ヒドラジンも含む)”に成功した例としては世界でまだ4グループしかなく(下図)、「常温常圧での同反応」は未だに化学的に大きな課題として聳え立っているわけです。

前回の記事から改編して引用 (代表的な触媒のみ記載・2017年時点)
一部を
日本化学会の「ディヴィジョン・トピックス」より引用(こちら

今回の論文はその「触媒的反応」を示す錯体の中で最も先行した結果と考えられますので、速報として採り上げてみようと思います(注:電気化学的な窒素固定反応の例も最近増えてきており、ユタ大学・アイルランド国立大学・スペイン石油触媒研究所によるこちらの論文と、先日ケムステでも採り上げられたこちらの発表なども触媒的ではありますが、内容の理解がおっついてませんのでまた別途調べ直して記事を仕立てようと思います)。

【今回の論文の要旨】

ということで中身のポイントを。実は本件の基本的なコンセプトは、今年5月の現代化学(リンクこちら)の西林教授が書かれた解説記事の中でその一端が書かれていました。そこから抜粋させていただくと

「現代化学」 2017年5月号より引用

つまり副反応を「抑える」のではなく、「反応経路を短くする」というもの。長い反応ルートを固定したまま個々の副反応を抑制するのではなく、反応を短くして副反応の確率を下げる戦略です。とはいえ左側の反応サイクルを単純に右側のものに変えるには非常に難儀なことがあります。つまり、窒素配位錯体を連動させて直接3重結合を切断するというプロセスを経ねばなりません。

もっとも、この反応について前例がないわけではありませんでした。ブリティッシュコロンビア大学のFryzuk教授などの例もありますが、その最も古いものがScienceに載ったCummins教授によるもの(下図)。

これはなるほど確かにいきなり直接窒素結合を切っていますが、「それ以上反応を触媒的には進められなかった」のでした(結局Cumminsグループはこの関係の研究を2008年前後で打ち切ったようです)。つまり同グループが半分回るところまで来ていたのを今回紹介する論文では同じMoを用いつつ欠けたピースをはめ込み全体を再構築して触媒反応に仕立て上げたわけで、22年越しの物語の続きだとも言えます。

で、それを達成したのが今回のこの触媒。

本件の論文より筆者が改編して引用
シュロック系の立体障害触媒に比べるとだいぶシンプル

従来西林研究室で合成していたものと何が違うのかというと(詳細な時系列は後述)基本的な相違はただ1点、「②反応系にヨウ素を加えた」ということ。組成的にはたったこれだけこれによりこれまでの反応がガラリと代わり、いきなりショートカットである窒素分子切断反応を起こしてしかも触媒的にサイクルを回せるようになったのが本論文のキモと言えるでしょう。

推定された反応サイクル 本論文より筆者が改編して引用

このヨウ素により何が変化したのか、についても開裂対象となる窒素分子に関する計算解析(DFT/密度汎関数理論)により推測しています。当初はIの電気陰性度がClに比べて低いからとか、IとClの原子のサイズが違うことでトランスになりやすいからかなとと思ってたのですがそうではなく、論文中では窒素がブリッジする中間体を形成する活性化エネルギーが大きく下がり(従来品71.2kcal/mol⇒今回21.6kcal/molと従来品に比べ1/3以下まで)、反応系が発熱反応に切り替わったことだと主張されています。

またこの点をMoの酸化数で見ると、従来(2011年)のNature Chemistryに発表された従来型触媒分子におけるMo酸化数が0であるのに対し、今回の触媒では窒素分子配位時のMo酸化数が1となっており、この点が決定的だったと予想されます。

というのもこの酸化数の変化によって”spin inversion”という電子のスピン状態に関わる変化が発生している可能性があるためです。詳細は中身をお読みいただきたいのですが、かいつまんで言うと反応前は配位した窒素の電子スピンがTripletという、同じ向きでかつ「別の箱」に入っている状態の方が安定なのに対し、Cleverageが起きている中間体ではSingletという違う向きでかつ「同じ箱」に入っている状態の方が安定になり、さらに生成物もSingletのほうが安定であるために大きく活性化エネルギーが下がった、ということが今回の理論上のポイントの模様です。

当該窒素分子のエネルギー状態遷移図 本件の論文より筆者が改編して引用
活性化の際にSpin Inversionが起きることがポイント
(MOダイアグラムは変化分のみの記述で、筆者の推定に基づいています ご注意ください)

これらの結果触媒1分子あたりのTONは830に至り、これまでの値を大きく超えることとなりました。

以上が本論文の主要な筋なのですが、ここで近年15年くらいの主要な窒素固定触媒のTON変遷をグラフ化してみると、

数字は金属原子あたりではなく触媒1分子あたりのもの
代表的なもののみ掲載

近年の傾向に対し今回の結果は指数関数以上の増大を示しており、Giant Leapの端緒なのではないかという印象を受けます。もちろん約100年前にミタッシュが見出した鉄・カリウム・アルミニウム複合固体触媒のTONは遥か先です。また現状の触媒系においてはまだ直接水素ガスを使えないなど、見方によってはまだまだ”雛鳥の如く”なのかもしれません。

しかし今回のように「ちょっとした」変化でドンと性能が伸びるということは十分有り得ることであり、今回の反応ルートを更に縮める(たとえばMo≡Nの状態すらも通らない)ダイレクトなルートすらも実現し得る可能性だってあるのです。その可能性は万か億か那由多の彼方かわかりませんが、大規模なフローケミストリーであるがゆえに高速なプラントのスタートアップ・クローズダウンが困難なハーバーボッシュ法に対し、常温常圧でのアンモニア合成で「小規模農耕的窒素固定」が実現できることのインパクトを考えると、挑戦し続ける価値は十分にあるのだと考える次第です。

【今後の方向性と課題】

まず今後の方向性ですが、今回使った触媒は上記に書いたように2011年に提案された分子構造と2015年に発表した論文[文献1]に近い、言わば「旧バージョン」。今年前半に西林教授がNature Communicationsに発表したTON>200を超えるものではないわけです。これらの組み合わせにより、今回の触媒はどこまで性能を伸ばし得るのか益々楽しみな状況です。

特に下記のカルベンで強く安定化させた新規触媒に今回の系を応用した場合の触媒性能が如何なるものなのか、ということに俄然興味が湧きます。もちろん単純に安定化すればよいというものではないでしょうしNitrogen Cleavageが今回と同じように反応の最初に起こるのかは未だ明らかではないでしょうが、その結果が待ち遠しいところです。

【10/8 追記】一部の方から、上記のPCP配位錯体の場合では今回効果のあったヨウ素添加によるSpin Conversionは発生しないのではないかというご指摘がありました 実際見直してみますとその可能性が高いため、上記記述は(図はそのままにいたしますが)取り消し線にて一時消去とさせていただきます 確認が済み次第、修正など行うようにいたします

【10/11 さらに追記】先日実施された錯体化学討論会の資料を調査したところ、下図構成の触媒においても上記のヨウ素添加効果が有効であることはどうも確実のようですので、上記追記を削除いたします お騒がせしました

今年前半まで史上最高の活性を示していたカルベン骨格を持つアンモニア合成触媒
ケムステのこの記事でも採り上げられました

次に課題について。強い還元剤を使っているので熱力学上のエネルギーバランスがどうか、という点が色々なところから漏れ聞こえる点ですが、実際そこは懸念になりえると思われます。今回還元剤として使われているデカメチルコバルトセンの酸化還元電位はざっくり1.8~1.9V(フェロセン比)でやや高め。たとえば再生エネルギー経由で電解された水素を燃料電池などで2セルで昇圧させて還元できるとしてもコバルトセン1分子あたり水素2分子が必要で通常のハーバー・ボッシュ法に比べて熱力学的に効率が悪くなってしまいますし、その2セルの現実的な起電力2.00Vに対して過電圧を考慮するとかなりギリギリな気がします。再生エネルギーはメイン系統に繋がず、風力・波力等のミックスで24hr稼働などを考慮すれば大分コストを低減できますが、それにしてもまだこの「過電圧」に相当する障壁を下げないとしんどい点ではあるでしょう。

もちろん、中心金属の状態ごとに必要な還元電位が変化する(はず)なので実際には途中の還元剤はもう少しマイルドになる(反応がステップごとに進めることが出来さえすれば、という前提は必要ですが)気もしますが、まぁここはまだ始まったばかりですし、ハーバー・ボッシュ法のように何かの拍子に「助触媒」が見つかるかもしれません。いずれにせよこの反応電位の低減、という点は大きな課題として、TONの増加と同時並行して解決していかねばならないでしょう。

【まとめ と おわりに】

本件は「原子ひとつでここまで活性が変わるとは」という一例で、色々考えているうちにプリンストン大学のチリック(Paul J. Chirik)教授による下記の窒素開裂反応を思い出しました。配位子のペンタメチルシクロペンタジエンのたった1個のメチル基(下図赤丸)を水素に変えただけでアンモニアまで合成が進んだ、というものです。

触媒反応ではないが、切断した窒素に水素が直接配位してアンモニアが合成された数少ない例(図 下)
図 上
の例はChirik教授がトライするまでその師匠Bercawにより行われていた反応で、
窒素配位錯体はできるがそれ以上進まなかったケース 引用:[文献4][文献5]

これは当時Natureに載り結構な反響を呼んでいたのですが(チリック教授はその優秀さもさることながらその後も数々の強烈な成果を出し続け、現在プリンストン大学で研究を続けています)、そのことについて東京大学の故 溝部教授が書かれていた文章[文献5]がなかなか印象深いもので、ここに改めて載せてみようと思います。

今回の例はまさにその言葉を如実に表す結果だと思います。こういうことを見るたびに、誰が言ったかやっぱり思い出せないのですが「限界はその意識の内にある」という格言を今回の成果含めて筆者もよく噛み締めたうえで、西林教授、吉澤教授をはじめ関係諸氏の今後の更なるご活躍を期待いたします。

それでは今回はこんなところで。

【特記すべき参考文献】

  1. Science 04 Jul 2003: Vol. 301, Issue 5629, pp. 76-78 リンク
  2. Acc. Chem. Res. 2005, 38, 955-962 リンク
  3. J. Am. Chem. Soc., 2015, 137 (17), pp 5666–5669 リンク
  4. Nature 2004, 427, 527–530 リンク
  5. 生産研究, Vol. 56 (2004) No. 5, P383-395, リンク

Tshozo

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メーカ開発経験者(電気)。56歳。コンピュータを電算機と呼ぶ程度の老人。クラウジウスの論文から化学の世界に入る。ショーペンハウアーが嫌い。

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