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スポットライトリサーチ

位置・立体選択的に糖を重水素化するフロー合成法を確立 ― Ru/C触媒カートリッジで150時間以上の連続運転を実証 ―

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第 659回のスポットライトリサーチは、岐阜薬科大学大学院 アドバンストケミストリー研究室 (井川研究室) 博士課程2年の、櫻田 直也 (さくらだ・なおや) さんにお願いしました!

櫻田さんは、岐阜薬科大学の 佐治木 弘尚 先生の薬品化学研究室にて研鑽を積まれ、現在は 井川 貴詞 先生が引き継がれたアドバンストケミストリー研究室にて精力的に研究を展開されています。
今回、櫻田さんらの研究グループは、ルテニウム炭素触媒を担持したカートリッジを用いたフロー合成により、糖の効率的な重水素化法を開発することに成功しました。重水素の利用は、さまざまな分野において応用価値が高く、近年注目が集まっています。本研究成果は、Reaction Chemistry & Engineering に掲載されるとともに、岐阜薬科大学よりプレスリリースされました。

Development of site- and stereoselective continuous flow deuterium labelling method for carbohydrates using high dispersion effect towards Ru/C of hydrogen flow

React. Chem. Eng., 2025,10, 777-781. DOI: 10.1039/D5RE00026B.

研究を現場で指揮され、2025年度よりアドバンストケミストリー研究室を立ち上げられた 教授の 井川 貴詞 先生より、櫻田さんについてのコメントを頂戴しました!

櫻田くんは4年前に私が岐阜薬科大学に教員として戻ってきた同じ年に研究室 (当時の薬品化学研究室) に入ってきました。軽音部とマンドリン部でギターのスペシャリストとして後輩たちから一目置かれる存在で、当時はギター大好き青年という印象でした。博士課程に進学して一緒に研究をするようになりましたが、いつの間にこんなに高い実力を付けたのか?と思わされるほどの急成長を見せています。後輩の面倒見もよく、頻繁にラーメンを食べに連れ出してコミュニケーションを取りつつ、一度に複数の後輩の実験を丁寧に見てくれています。もちろん、自分の実験と勉強も疎かにしません。現在は、私が担当する研究室(アドバンストケミストリー研究室)でエース的な活躍を見せています。研究者として将来が非常に楽しみな学生の一人です。

それでは、インタビューをお楽しみください!

Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。

本研究では、重水素(2H)標識糖を高効率かつ環境負荷低減で製造できる連続フロー法を開発いたしました。重水素標識化合物は NMR・薬物動態解析・環境トレーサーなど幅広い分野で不可欠であり、特に糖類は生体分子の重要な構成要素として デューテリウム・メタボリック・イメージング(DMIセラノスティクスの鍵材料となっております。しかし従来の酵素法や LiAlD4 還元、Raney Ni 触媒法はコストや副生成物、導入率の点で課題が多く、厳しい条件は糖の分解やラセミ化を招きやすい状況でした。

当研究室では、重水 (D2O) 中水素ガス雰囲気下、不均一系白金族触媒的に進行する有機分子の簡便な重水素標識法を開発してきました (第二回ケムステVプレミアレクチャー「重水素標識法の進歩と未来」https://www.chem-station.com/chemist-db/2021/03/hironao-sajiki.htmlH. Sajiki, et al. Synlett 2012, 23, 959)。その中で、Ru/C による糖類の位置・立体選択的重水素標識法を報告していますが(Sajiki, H. et al. Chem. Eur. J. 2012, 18, 16436–16442)、H–D 交換反応の進行に伴い生成する DHO と基質の間で H–H もしくは D–H 交換反応も併発するため、長時間反応では重水素化率が低下する傾向が認められます。この問題はフロー法の適応により、重水素標識化合物 (生成物) を直ちに系外に排出して触媒との接触時間を短縮すれば回避できると考えました。

連続フロー法は (i) 触媒反応効率の向上、(ii) 反応パラメータの精密制御、(iii) 生成物の即時排出による副反応抑制 という利点を併せ持つ強力な合成プロセスです。近年、フロー式重水素標識法が報告されていますが、糖類に関しては未開拓でした。連続フローによるスケールアップが実現すれば、重水素標識糖の安定供給が可能となり、D‑MRI 用トレーサーやセラノスティクス研究の加速に直結すると期待されます。

本研究では、ルテニウム担持炭素 (Ru/C) を触媒カートリッジに大きな空隙率を持たせるように充填し使用することで、D2O溶液中の Ru/C 触媒を水素ガスの流れで動的に分散させることで、重水素化率の改善と長時間運転に成功しました(図1)。これにより、

  • 立体保持したまま水酸基 α 位炭素のみを 90% 以上の重水素導入率、150 時間連続で達成
  • Ru 溶出 < 1.5 ppb、エネルギー・貴金属使用量を大幅削減
  • g〜kg スケールへ直接拡張可能な持続的フロー運転

という成果を得ております。

図1. Ru/C 触媒による糖類の 150 時間連続重水素標識化法

成果の意義

  • 持続可能な同位体ラベリングプロセスを実証し、従来バッチ法比で溶媒・エネルギー消費を大幅削減
  • DMI 用トレーサーや診断用試薬の安定供給を可能にし、腫瘍診断・肝代謝研究の加速に貢献
  • 同位体効果を活用した創薬(代謝安定化・投与量削減)の基盤技術となり得る
  • 「高空隙率による触媒微分散」という設計指針は、他の H–D 交換や水素化・脱水素フロー反応にも応用可能であり、触媒充填カートリッジ設計の新しいスタンダードを提案

以上のように、本研究は化学・医薬・材料科学の枠を超え、重水素標識糖のスケーラブルかつグリーンな製造法を提供する点で大きな意義を有すると考えています。

Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。

最も工夫したところは、触媒カートリッジに Ru/C 触媒を敢えてスカスカに充填して空隙率を高め、D2O を Ru/C の “動的希釈剤” として水素ガスで分散させる流動層を設計した点です。この自己撹拌型の反応場により、反応効率を保ったまま触媒寿命を同時に向上させることができました。さらに連続的に生成物を排出することでバッチ法の場合に度々起こっていた副反応を抑制し、水酸基α位のみへの位置・立体選択性を 150 時間以上保持できた瞬間は、研究者として大きな達成感を覚えた場面でした。

Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?

連続フロー反応では基質の滞留時間を稼ぐため、触媒をシリカやセライトで希釈して充填するのが定石です(図 2 左)。しかし糖類の重水素化では、この「固体希釈材」が思わぬ難敵でした。希釈材が目詰まりを起こすたび流路圧が急上昇し、送液チューブは破裂寸前。背圧に起因する副反応で糖は容易にエピメリ化し、重水素化率も伸び悩みました。割材の材質を替えたり流速・温度を微調整したりと打てる手は一通り試しましたが、状況は好転しません。

行き詰まっていたとき、ふと「そもそもバッチ法では 24 時間かけて撹拌している。ならばフローでも触媒を静置するのでなく “動かして” しまえばいいのでは」と発想を転換しました。ちょうど Oscillatory flow reactors(振動流リアクター)の “流れを揺らして反応場を活性化する” という原理に触発され、触媒層そのものを流体の力で揺らすアプローチを導入することにしました。そこで充填量を減らして空隙率を確保し、D2O と H2の流れで触媒を液中に浮遊させる “自己撹拌ゾーン” を形成したところ、背圧は劇的に低下。エピメリ化は抑えられ、重水素化率は 90% 超へ一気に改善しました(図 2 右)。解決策は拍子抜けするほどシンプルでしたが、触媒の充填も楽になり、まさに「思い込みを捨てた瞬間に道が開ける」経験でした。

図2.課題解決へのアプローチ

Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?

化学と歩むこれからを思い描くとき、私の軸になるのは「効率良く、ムダなく、そして安全に」医薬品や機能性物質をつくることです。プロセスケミストとして、新しい反応を設計したり既存プロセスを磨き上げたりしながら、製造現場の効率化と環境負荷の最小化を同時に実現したいと考えています。化学産業では一度使った原料を再資源化する技術がまだ十分に整備されていませんが、そこにこそ挑戦の余地があります。大学院では、省エネ型フロー合成や触媒開発を通じてサステナブル合成の基盤技術を学んでおり、この経験を糧に「資源循環まで見据えた製造プロセス」を提案できる研究者を目指します。

Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします!

研究成果を論文という形に結実させることができたのは、指導教員の先生方はもちろん、実験・議論に奔走してくれた後輩の佐々木大輝君 (当時学部6年) と小野愛斗君 (当時学部4年) の力があってこそです。ときに無理なお願いをしたにもかかわらず、二人は常に迅速かつ丁寧に報連相を重ね、最後まで粘り強く実験をやり抜いてくれました。研究は一人では完結しません。日々の「ご縁」と「感謝」を忘れずにチームで挑戦し続ければ、必ず新しい発見にたどり着けると信じています。読者の皆さまも、周囲とのつながりを大切にしながら、それぞれのフィールドで思い切り研究を楽しんでください。

【研究者の略歴】
名前:櫻田 直也 (さくらだ なおや)

所属:岐阜薬科大学大学院・薬学専攻博士課程2年・アドバンストケミストリー研究室

略歴:
滋賀県立膳所高等学校 普通科 卒業
2024年3月  岐阜薬科大学・薬学部・薬学科 卒業
2024年4月―現在  岐阜薬科大学大学院(薬学専攻)博士課程

研究テーマ:
「不均一系触媒の開発研究」
「マイクロ波駆動フロー反応システムの開発研究」
「不均一系白金族触媒的C–H活性化を基盤とするフロー式重水素標識法の開発研究」

写真: (左から、佐治木先生、井川先生、櫻田さん)

 

櫻田さん、井川先生、インタビューにご協力いただき誠にありがとうございました!

それでは、次回のスポットライトリサーチもお楽しみに!

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創薬化学者と薬局薬剤師の二足の草鞋を履きこなす、四年制薬学科の生き残り。
薬を「創る」と「使う」の双方からサイエンスに向き合っています。
しかし趣味は魏志倭人伝の解釈と北方民族の古代史という、あからさまな文系人間。
どこへ向かうかはfurther research is needed.

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