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スポットライトリサーチ

ブテンを原料に天然物のコードを紡ぐ ―新触媒が拓く医薬リード分子の迅速プログラム合成―

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第 687回のスポットライトリサーチは、東京大学大学院 有機合成化学教室 (金井求研究室) にて博士号を取得された、中尾 裕康 (なかお ひろやす) さんにお願いしました!

金井研では、最先端の触媒化学をライフサイエンスへ応用したサステイナブルな研究を展開されており、その源流は金井先生が独立されて間もない頃のインタビューからも読み取れます (日本人化学者インタビュー 第11回 触媒から生命へー金井求教授)。
今回、中尾さんの研究チームでは石油に含まれる「ブテン」という単純かつ入手容易な原料を用い「ポリオール」と呼ばれる医薬品や天然物によく見られる有用な物質を効率的に合成する方法を開発しました。本研究では、金井研で開発された新触媒を含むさまざまな触媒の組み合わせを活用し、ポリオールのコードを思い通りにプログラムしながら、従来よりも格段に短い工程で、環境にも優しい合成を成功しました。この成果は、持続可能性のある社会を支える分子合成技術として、クリーンで高効率な医薬品供給などへの幅広い応用が期待されます。

本研究結果は非常に高く評価され、科学系論文誌最高峰の一つである Science 誌に掲載され注目を集めています。また、東京大学ほかよりプレスリリースも行われました。

Visible light–driven stereodivergent allylation of cyclic hemiacetals with butene for polypropionate synthesis
Hiroyasu Nakao, Mirja Md Mahamudul Hassan, Yusuke Nakamura, Moe Toyobe, Masahiro Higashi, Harunobu Mitsunuma, Motomu Kanai

Science, 2025, 390, 272-278, DOI: 10.1126/science.adz0686

本研究を統括された、有機合成化学教室 教授の 金井 求 先生より、中尾さんへのコメントを頂戴しております!

中尾さんは修士から入学して来ました。面談したときの第一印象は、がたいが良くスポーティーで爽やかな感じで、理科大の体育会でハンドボール部の部長をやっていてリーグ戦のランクを上げるのに貢献したとのことで、スポーツ要員だなと思って受験してもらった記憶があります。卒業前から当研究室に来て実験を始めて、修士のときは泥の中の宝探しのようなテーマ(結局、宝は無かった)、博士研究も苦労はしましたが、最後に大きな幸運が待っていました。D3 のときは研究チームをリードして、本当に頼りになりました。倒れても何度でも這い上がる中尾さんの実直な努力があったからこその結果です。

それでは、インタビューをお楽しみください!

Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。

ポリオール構造を含む分子は、抗生物質や抗がん剤などの医薬品に広く含まれており、高い医薬活性を示すことが知られています。そのため、ポリオール骨格を鎖長や立体を精密に制御しながら迅速に合成できる技術の開発は、新たな医薬リードの探索や、今まで合成が困難だった医薬品の開発に大きく貢献すると期待されます。本研究では、ポリオールの中でも 1,3‐ポリオール構造を持つ分子の合成に挑戦しました。

従来、この 1,3‐ポリオール骨格を合成するための炭素伸長法として、Evans アルドール反応やアルデヒドアリル化反応などが選択肢として挙げられています。これらの反応を基軸に、様々な研究者が 1,3‐ポリオール骨格合成に取り組んできましたが、未だに以下の問題点が残っていました (Fig.1) 。

1. 立体選択的な炭素伸長が困難である点

アルデヒドへの求核付加反応を例に挙げると、アルデヒドα位の立体や鎖長伸長に伴う立体項の影響(anti-Felkin-Anh 効果や syn-pentane 相互作用)を受けることから、精密に立体を制御することが非常に難しくなります。

2. 炭素伸長ごとに生じる水酸基の保護を行わなければならない点

水酸基の保護を行わなかった場合、求核剤がプロトン化して失活するほか、ダブルアルドール体(ここでは、2連続アルドール反応によって得られる化合物のことを示す)以降では、分子内の水酸基がアルデヒドに巻き込み、環状ヘミアセタールが生成するため、反応点であるはずのアルデヒドが失活してしまいます。

3. 多量の廃棄物生成により、環境負荷がかかる点

保護・脱保護過程を要することにより、保護基や求核剤由来の廃棄物が多量に発生してしまいます。それ故、プロセス応用を志向した際には、大きな環境負荷がかかってしまいます。

今回我々は、光エネルギーを駆動力とした新規1,3‐ポリオール合成法を開発し、上記問題点を解決することに成功しました。具体的には、「無保護環状ヘミアセタール体」と石油由来で入手容易な「ブテン」を原料として、光レドックス触媒、HAT (Hydrogen Atom Transfer) 触媒、キラルクロム触媒から構成される触媒システムに加えて、ホウ素試薬を添加することで、目的の反応を達成しました。

Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。

本研究において、原料合成や化合物の精製、再現性の確認、目的物の解析のような実験操作の面で、上手くいかなかったことが多かったです。

まず、原料であるダブルアルドール体の合成が想像以上に困難でした (Fig.2 左)。今回、ダブルアルドール体を合成する際には、所属研究室で開発した銅触媒による触媒的不斉アルドール反応(1) を主に用いてきました。この手法を用いれば、1段階もしくは2段階で立体が完璧に制御されたダブルアルドール体の構築が可能になります。しかし、一部の基質の合成では立体制御が思うようにいかず、反応条件の微調整が必要となりました。具体的には、精密な温度コントロールと試薬の添加順序が反応の成否を左右する重要なファクターであることが判明しました。このパートは、現在ポスドクの Dr.Mirja と、自分とは比にならないくらい優秀な中村君 (現修士 1 年) が緻密な検討を重ねてくれたことで、無事に解決へ導いてくれました。

また、トリプルアルドール体の調製には、オゾン分解が必要でした (Fig.2 右)。当初、教科書的な反応であるオゾン分解くらい余裕だろうと高を括っていたのですが、これが大誤算でした。実際にオゾン分解を行ってトリプルアルドール体の合成を試みると、TLC は線のようなマルチスポットになり、NMR でも解析不能のスペクトルしか得られず、目的物の確認すら困難な状況になりました。加えて、クエンチで使用するジメチルスルフィドの臭いやオゾン自体に強い毒性があることから、なるべく反応条件の検討は避けたいのが本音でした。しかし、こんなところで躓いているわけにもいかず、何とかするしかありませんでした。そこから、無駄な実験を避けるべくオゾン分解に関連する論文を読み漁り、反応が進行する可能性の高い反応条件を抽出し、検討しました。その結果、溶媒や反応後処理を変えることによって目的物であるトリプルアルドール体が高収率で得られました。(なお、トリプルアルドール体の精製は想像以上に大変で骨が折れました。)

Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?】

本研究テーマで時間がかかったパートは、ミスマッチアリル化反応における反応条件探索と不斉リガンドスクリーニングに加えて、トリプルアルドール体を原料としたときのアリル化反応の開発でした。

まず前提として、キラルな基質とキラルな試薬 (もしくは触媒) を反応させたとき、その立体化学の組み合わせによって反応速度や立体選択性に大きく影響を与えます。それぞれの立体化学の組み合わせが協調的の場合、マッチの反応が進行し、高い選択性が得られる傾向が高いですが、拮抗する場合は、ミスマッチの反応が進行となり、収率や選択制が低下する傾向にあります。今回は、マッチとミスマッチの両反応を利用し、生成物の立体を自在にコントロールする必要がありました。特に、このようなアルドール体を原料とした際のミスマッチアリル化反応は困難な課題であることが知られていました (Fig.3-1)。

このような背景のもと、ミスマッチアリル化反応の初期検討を行ったところ、目的のジアステレオマー:他ジアステレオマー ≒ 1:3 の比率で得られました。そこから、種々不斉リガンドを合成し、検討しましたが、この比率が向上する傾向はみられませんでした。この当時は、毎日、もう無理かもしれない…という感情が続いていました。そのような日々を過ごしていた中、不斉リガンドの検討を行うだけでなく、反応条件そのものを見直すことに舵を切りました。具体的には、環状ヘミアセタールから開環させながらアルデヒドを生成させる役割を果たしているホウ素試薬とその開環手法を変更しました。すると、目的のジアステレオマー:他ジアステレオマー ≒ 2:1まで向上しました。そこから、改めて不斉リガンドの検討を行ったところ、最終的には 9:1 まで向上させることに成功しました。選択性が上がってきた際には、本来喜ぶべきはずなのですが、もっと収率や選択性を上げてほしいという要求があるのではないかと怯えていました(笑)。

次にトリプルアルドール体を原料としたときの、アリル化反応が大きな課題でした (Fig.3-2) 。すなわち、長鎖 1,3‐ポリオール合成を志向したときの連続的アリル化反応が問題となっていました。本反応を行った際には、ダブルアルドール体を原料とした時のそれとは、反応進行度合が全く異なるものでした。実際に、初期検討段階では 0% 収率を何度も叩き出しました。この時も、ミスマッチアリル化の時と同様に反応終了後の TLC を見る毎に絶望していました。何とかして収率を上げなければならないと焦っていましたが、一度立ち止まり、反応が進行しない原因を把握することに努めました。具体的には、ウェットな実験のみならず遷移状態計算も行いながら、問題解決を図りました。その結果、原料として用いたトリプルアルドール体はダブルアルドール体と比較して開環効率 (環状ヘミアセタールからアルデヒド体への変換効率) が著しく低下していることが分かりました。そこから、開環効率を上げるために何をすべきかという考えのみにシフトしました。そして、イソプロパノールの添加と昇温をするということが本反応進行のキーファクターであることを突き止めました。

以上のような経験から、研究がうまく進まないことは、日常茶飯事ですが、焦らずに時には立ち止まって時間をかけて考えることも重要だということを、身をもって実感しました。

Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?

現在、訳あって研究のフィールドから離れてしまっていますが、近い将来、何かしらの形で化学、研究の場に改めて携わることができたら、と考えています。分子レベルで、生命現象から医薬品や機能性材料の合成まで幅広く議論することができるのは、化学研究者の大きな特権なのではないでしょうか。もし、この権利を通じて社会のごく一部にでも寄与できるものなら、私にとって何よりの幸せなことだと考えています。今までアカデミアで行ってきた新規反応開発のような基礎研究、企業で行う医薬品創成のような応用研究のどちらの形であれ、自分が今まで培ってきた知識や経験を活かすことができれば幸いです。

また、研究者が本来の研究に集中できる環境づくりにも携わっていきたいです。今年ノーベル賞を受賞された北川先生が、基礎研究の重要性と若手研究者が研究に充てる時間の確保を訴えていたように、この課題は長年にわたり存在し続けており、未だに十分に解決されていないと感じています。私自身も、この課題解決に向けて何らかの形で関与し、研究者が十分に研究に打ち込める社会の実現に貢献したいと考えています。

Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします!

今回の研究を通じて、改めて自分がいかに周囲の人や環境に恵まれていたかを強く感じました。研究室に配属された当初、私は、有機化学の基礎知識も乏しく、実験技術も全くないマイナス状態からのスタートでした。それにも関わらず、三ツ沼先生は一から丁寧に指導してくださりました。この丁寧な指導があったからこそ、運よくこのような成果として形にするところまでたどり着くことができました。

また、現在和歌山県立医科大学でご活躍されている澤崎さんをはじめ、同研究室に所属していた先輩方からは、研究内容や独自の実験手法を教えていただいたことに加え、プライベートな面でも多くの気遣いをいただきました。そのおかげで、研究生活を楽しく、前向きに過ごすことができました。

さらに、同期には当研究室で助教を務める山梨さん山根さんのような優秀な方々が身近にいて、日々の研究に対する考え方をみて「自分ももっと真摯に研究に向き合わなければ」という気持ちにさせてもらっていました。

このように、私には勿体ないほど素晴らしい人たちに囲まれて研究を進めることができたこと、心から感謝しています。

最後に、このような貴重な機会を与えて下さりました Chem-Station のスタッフの皆様、金井先生、三ツ沼先生、本研究に尽力してくださった Dr.Mirja、中村君、計算化学にてお世話になりました名古屋大学の東先生、有機合成化学教室の皆様に心より感謝申し上げます。

研究者の略歴

名前:中尾 裕康
研究テーマ:1,3‐ポリオール骨格の迅速的合成法の開発
略歴:
2020年3月      東京理科大学薬学部生命創薬科学科 卒業
2022年3月      東京大学大学院薬学系研究科 修士課程 修了(金井 求 教授)
2025年3月      東京大学大学院薬学系研究科 博士課程 修了(金井 求 教授)

 

中尾さん、金井先生、インタビューにご協力いただき、誠にありがとうございました!

それでは、次回のスポットライトリサーチもお楽しみに!

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創薬化学者と薬局薬剤師の二足の草鞋を履きこなす、四年制薬学科の生き残り。
薬を「創る」と「使う」の双方からサイエンスに向き合っています。
しかし趣味は魏志倭人伝の解釈と北方民族の古代史という、あからさまな文系人間。
どこへ向かうかはfurther research is needed.

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